Sisters:WikiWikiリファレンス/オストロレリア建国神話

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第一章[ソースを編集]

かのパレステヰナの地にイエスが降臨し二十九の年を数え、咄々怪事の大事件。そこには信ずるも食するも話するも何もが異なる人らが時を併せ目覚ましく気が付いた神々しき皇帝があった。

是はあらびきヰンナア、ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!オオストロレイリアアアアアア!!!と語られるのだ。嗚呼かくも恐ろしきことがあるか。大法螺吹きには程がないのか。

どっこい人の軟さ極まれりや。瞬く間に彼人らの恐怖は畏怖へと、畏怖は崇拝へと変容し、手を取り肩を組み、そこに大ヰイイイン・オオストの国を設けてあらびきヰンナアを皇帝に戴く。

エウロツハの中部、ヰイイイイイン!なる帝都の繁栄は大海の如く広大に、腸詰は注ぐ雨の如く多大に、世に名を響かす。これより彼腸詰は皇帝を呼びてヰンナアとされ今にも到り。

ながら肉汁何時かは去らぬ。彼時からピッタリ百年後、ヰイイイイイイイイイイイイイイイン、、、、、オオストロレイリアアアアアア、、、と皇帝一世の崩御は突如として知れ渡り、あれよあれよと盗み、殺し、嬲り、犯しの大地獄。

繁栄破れて広がるは只血の海や。その上帝都のヰインロレリア、離れ大島スヱイヤの離反。衰えの衰えを知らぬ大ヰイイイイイン・オオスト帝国は落ちぶれに落ちぶれ、ついには先のヰインロレリアと内ゲバ争い。

後者辛勝に因り大ヰイイイン・オオスト帝国は滅び去らん。ヰインロレリア快進続け、名を神聖と改めてスヱイヤとの戦。このロレイスレイ戦争はスヱイヤの惨敗に終わりて、オストロレリアは再統一。しかし皇帝不在の窮状、栄えなぞ見る影もなし。

第二章[ソースを編集]

奇しくもそれから二十九の時を数え、あらびきヰンナア厳かに降臨。ヰイイイイイイイイイイイイイイイン。オオストロレイリアアアアアア。粛々と語りて彼人らは秩序を取り戻す。再び手を取り肩を組み、

ヰインロレリアの神聖なる帝国は築かれた。ヰンアガインの凄まじき威は国を立て直し、帝都ヰイイイイイン!!!は帝国のみならず世の中心へと輝き帰る。六十と一年の後、皇帝崩御するもそこには強固な帝国。

大ヰイイイン・オオストの帝国のような強烈甚大悲劇は起きずに新たなる皇帝あらびきヰンナア即位する。二百と五十と八年過ぎて、平和を謳う帝国に忍び寄るは戦争の影。エウロツハ西部イベリヤ半島、

そして広大な新大陸、ラテインアメリカを掌握するチョリヱソの王国の進撃始まりそこにヰイン=チョリヱソ戦争始まる。挟撃される帝国は油断にふんぞり返りてどうも面白くない。しかし王国の進撃は止まらず。

曰く彼王国用いるは同じく腸詰その名もチョリソオ。柔軟性に優れたる帝国の腸詰ヰンナアを、その鋭さで刺突、刺突、刺突して尽く撃滅。アッという間に領土は三割のみ。ヰイイイイイン!!!の陥落も近しい。

そこに現れるはフランクフラワルラの共和せし国。以前よりチョリヱソと水油にて、ヰインロレリア神聖帝国と手を結び、チェリヱソは惜しがりくも撤退。これにて露見す帝国の貧弱軍事。二つ目のヰンアガインが行われ、

軍備増強一心不乱。腸詰ナショナリスムは高く、名を改めて聖なるヰンナアの帝国と。四十二年の後、結ぶは同盟、先の恩有、中部エウロツハ、帝国の北のフランクフルワウラ共和国、そして南部エウロツハ、アペニン半島のサルラミンの大公の国と。

第三章[ソースを編集]

十年十つの時流れ、あらびきヰンナア崩御する。国の崩壊起きずとも、やはり彼人ら士気どう下がり。それを虎視眈々と狙い襲うのは西エウロツハの島、ホツテストドツグの連合せし王国。帝国は三国腸詰同盟と共に宣戦するも、

連合王国は三国腸詰協力機構を結んでいた、東エウロツハから極東のシベリヤに跨るベイ=コンの連合の国、そして西エウロツハのハウムの帝国と共にこちらも宣戦。この戦は後に第一次腸詰国間戦争と云えり。

ナショナル腸詰の生産は激越に。聖ヰンナア帝国のヰンナア、フランクフルワウラ共和国のフランクフルト、サルラミン大公国のサラミ、ホツテストドツグ連合王国のホツトドツグ、ベイ=コン連邦のベイコン、ハウム帝国のハム、

吹雪のように入り乱れる戦場は腸力戦を物語る。この戦争が始まり二十六年、腸詰同盟陣営の優勢は腸詰機構陣営の大規模反攻を前にして遂に崩れ。サルラミン大公国はあさましくも裏切り、ひっくり返った世界地図。

さらに新大陸の大国、ハンバー合衆国の腸詰機構陣営への参加によって最早腸詰同盟陣営、といえど聖ヰンナア帝国とフランクフルワウラ共和国のみになってしまったものは虫の息。ついに共和国首都、フラベルリン・クルルトさえ陥落。

戦争は二十九年の長い時の末に、腸詰同盟陣営の無条件降伏によって終結し、幕を下ろすこととなる。聖ヰンナア帝国は阿呆莫大な賠償金を要求され、さらに帝政の廃止、オストロレリア共和政の開始を命じられる。

大ヰイイイン・オオスト以来の耐えがたき屈辱にて彼人らは絶望。山のような自殺者は葬ることすらできなかったともされる。耐えがたき屈辱、耐えがたき屈辱、耐えがたき屈辱!!!アアあらびきヰンナア様!!!!!との声は国中に響けり。

第四章[ソースを編集]

その声届いたか、あらびきヰンナア現る。ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!オオストロレイリアアアアアア!!!と激励し、彼人ら活気を取り戻す。中部エウロツハのオストロレリア領東に位置するは、

飢餓に苦しむハングリイ共和国。平和合意のもとに二国は合体し、そのうえ帝制禁止令を強硬に破りてオストロレリア=ハングリイの帝国を建設、その優良経済は大量に腸詰生み出し、これ肉汁帝国の所以なり。

腹がすいたらヰンナア与えられ、対価はヰンナア作りたまへ、この前資本主義的な経済はいうまでもなく絶好調に世の中心。かくしてヰインロレリア神聖帝国から五百と二年を超えて、再びこの国輝き帰りにけり。

一方世界に目を向ければ、ベイ=コン連邦での共産腸詰革命。これにより誕生するはソーセージの連合の国。通称ソ連邦といわれ今にも存在する。さらにサルラミン大公国では結束腸詰主義者の国家転覆、フルワシ・サルラミの王の国の御成りや。

フランクフルワウラ共和国には帝国腸詰主義の芽が吹き、フランクフルワルタの帝国、さらに極東には大国チャーシューの帝国、それを破るは新興腸詰国、ニツホン列島とチョウセン半島、さらにシナの東北、マンシュウを支配するカルプワスの帝国の登場。

そして三国腸詰軍事同盟、フルワシ・サルラミ王国、フランクフルワルタ帝国、そしてカルプワス帝国の間に起こり、世界情勢目まぐるしく変わりゆく。今までにはありませんでした腸詰イデオロジスム問題も顕在化する。

ヰイイイイイイイイイイイイイイイン?オオストロレイリアアアアアア?皇帝察する不吉な気配。世界揺るがす大事件の前兆なりと。そしてこの御言葉は当然的中するのだろう。などと考える彼人らも、あれほどの被害は予想できずじまいに。

第五章[ソースを編集]

オストロレリア=ハングリイ帝国の建国から六十九年後、突如フランクフルワルタ帝国、それに続いてフルワシ・サルラミ王国、カルプワス帝国も腸詰機構陣営に宣戦布告。腸詰機構陣営も腸詰同盟陣営に宣戦布告し、

ここに第二次腸詰国間戦争の勃発。この戦、二百と九十年もの間にわたって続き、それでいて第一次腸詰国間戦争のウン百倍にも及ぶ苛烈極まりない腸力戦の展開、どの国にも甚大な被害をもたらすことになったのだ。

人が死ぬ、人が死ぬ、人が死ぬ、人が死ぬ、人が死ぬ。トンでもない大地獄。嗚呼かくも恐ろしきことがあるか。大地獄にも程がないのか。どっこい人の愚さ極まれりや。これがニンゲン。いつまでも、そう今でも殺し合いは続く。

戦始まり百年数え、遂にいつかの盟邦フランクフルワルタ帝国のオストロレリア=ハングリイ帝国への宣戦。ここにヰンナア=フランク戦争始まり、さらにカルプワス帝国も宣戦。ヰンナア=カルパス戦争も始まり、惨い戦はオストロレリアにも飛び火。

オストロレリア=ハングリイ帝国抱えるは長大な戦線。中部エウロツハ、オストリア地方はフランクフルワルタ帝国と、太平洋の大島、オストレリア地方はカルプワス帝国とそれぞれ死闘を繰り返す。ヒトもモノもカネもが不足し、

このままではヰンナアすら作れぬ。おまけに先の賠償不払い。腸詰機構陣営の傘下にすら下れぬ。見事見事な冷酷捨て石。それからさらに百年数え、どうしたものかと考え作るは新たな陣営、腸詰自衛陣営、彼のチョリヱソ王国など第三国の招待と、

腸詰同盟陣営の逆包囲。これより先は行かせぬと囲い、さらに西暦千年行うは腸詰機構陣営と結び、機構・自衛合同大規模反攻。これにて腸詰同盟陣営、本拠地以外領域失い、ハウム帝国本土も奪還。敗北の女神、腸詰同盟陣営に振り向く。

第六章[ソースを編集]

戦力スッカラカンのフルワシ・サルラミが耐えかねて降伏。粘りを見せるフランクフルワルタ帝国、カルプワス帝国なれど、超大国へと躍り出たハンバー合衆国の腸詰機構陣営への参加にて、虫の息。

フランクフルワルタ帝都フラベルリン・クルルトが陥落。さらにカルプワス帝都カルパルトウキョウも陥落。ついに二国も無条件降伏を呑み込み、長きにわたる無情な戦は終わり。

復興作業に勤しむ彼人ら、ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!オオストロレイリアアアアアア!!!と聞きて、あらびきヰンナア祝福の時。ヰンナア!ヰンナア!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!

もはや腹空き人なぞおらぬと、名を改むるはオストロレリアの帝国。再び世界の中心に輝き、帝国の繁栄はもはや言い表せぬほどのものとなったのだ!この神話は、オストロレリアでの祝福によって〆させていただこう。いざ。

ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!

ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!

ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!ヰイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!


注釈[ソースを編集]

  • [1976年 現在のオーストリアに第一章から第三章が、1972年 現在のオーストラリアに第四章から第六章が発見された。古代から中世にかけてのオーストロェイリアについて記録された文章である。]
  • [この文書の題名は「オストロレリア建国神話」とされているが、事実上の単なる歴史書であるのではないかということについては、現在においても議論が続いけられている。]
  • [この文書は、第一章から第三章まではドイツ語で、第四章から第六章までは英語で書かれており。発見場所も違うことから、作成者は二グループに分かれていたとみられている。なお、日本語訳は、1983年に伊藤しえる氏が担当した。]