利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丁

10月の真実とは、「10月事件」についての様々な仮説の総称である。

10月事件

10月事件
場所 不明
日付 77周46.52度(旧暦:2457年5月22日)
概要 「10月」の調査に赴いた宇宙飛行士の失踪
行方不明者 1人

10月事件は、惑星「10月」[1]の第2次調査へと向かった宇宙飛行士11110番が謎の失踪を遂げた事件である。

その経緯の不可解さ・不明瞭さから、この事件には長きにわたって様々な説が唱えられており、未だ真相の解明には至っていない。

宇宙往還機の反応喪失

事件の嚆矢となったのは、46.25度における11110番が搭乗していた自動操縦宇宙機の通信能力の喪失であった。

太陽風の影響や、宇宙生命体の攻撃[2]、はたまた11110番の故意など、これには様々な原因が考えられているが、当時の整備記録などの情報から、近年の専門家の意見では「単なる制御装置の故障」として一致している。

惑星への不時着

暫くして、46.36度時点、宇宙機の反応は復帰し、11110番との意思の疎通も回復した。しかし、装置の故障のためか、位置情報の通信だけが不可能になっていた。[3]

11110番の報告によれば、機体はちょうどこのとき何らかの惑星に不時着していて、その衝撃で制御システムが復旧した可能性があるとのことであった。

その後、46.38度には、再び11110番からの報告が届いた。その内容は概ね以下の通りだった。

  • 11110番が不時着した場所は固着の生物のコロニーの近辺であった。
  • その生物は高度な知能を持っており、友好的で、かつ簡単な地球語[4]を話せた。
  • 彼らにここはどこかと尋ねると、土をなぞって(地球語で)「10月」と書き記した。
  • このような彼らの反応から、少なくともこの惑星は人間の訪問を受けたことがあると考えられ、そのときに地球語等を教わっていたと考えると、この「10月」という標記にも信頼性が認められる。
  • 「10月」の第1次調査では、住民に地球語を教えたという記録が残っている。また、住民の特徴もこの記録と合致している。
  • これらのことから、この惑星はほぼ間違いなく10月であると推測される。

住民の調査

11110番は以降、地球帰還のために位置情報システムを修理する傍ら、現地の生物の詳細な調査を行ったようで、48.21度時点には以下のような報告を残している。

  • 「住民」は陸棲の炭素生物であり、直立二足歩行を獲得しているなど、かなり人間に近い見た目をしている。
  • 皮膚は白~ベージュほどの色の体毛で薄く覆われている。
  • 腕と足はそれぞれ2つ、指は6本ずつある。爪は無い。
  • 目、耳、口はそれぞれ頭部に2つずつあるが、外見上、鼻に相当すると思しき感覚器官は見受けられない。[5]
  • この星におけるヒエラルキーは高いようで、武器を用いた他生物の狩猟、牧畜や農耕なども行っている。
  • 拙い地球語以外にも、少なくとも3種類の言語を使用することができる。
  • 文明レベルはそこそこ高く、人類の古代文明と比べても遜色ないほどである。

住民による攻撃

49.47度時点、11110番は以下のような報告を行った。

  • 第1次調査によって判明していた、住民の文化において「信頼」を示すという握手を行ってみたところ、住民は態度を一変させ、皆すべて激怒した。
  • 第1次調査の記録によれば、初めて会った人間にさえ住民は求められれば好意的に握手をしてくれたというのに、何故か会話することさえできないほどの状況になってしまい頭を抱えている。
  • 住民は武器を用いて11110番に襲い掛かってきたため、やむをえず機内に戻ったものの、その宇宙機ごと攻撃され続けている。
  • 修理のために外装は外しており、すなわち内部回路が剝き出しになっている状況であるため、このまま攻撃されると機体が破壊されてしまう可能性がある。

通信の途絶

49.52度、宇宙機の通信能力が完全に消失した。これを最後に、11110番からの通信は完全に途絶えた。

この時の反応は、外部損傷が許容範囲を超過したことを示したものであり、おそらくこれは住民の攻撃によるものだと推察されている。

これを受けて、世界宇宙開発機関では11110番の捜索が即座に決定され、急遽として武装チームが組織された。しかし、奇しくもこの時、ニコバル諸島の領有権を巡って対立していたタミル・ナドゥ国と北マラヤ共和国との間にポンディシェリ・インシデントが発生。

これを理由にしたタミル・ナドゥ国の報復行動は、カザフスタンや自由カナダ共和国といった大国間の思惑も絡みあう中、遂に世界初の核戦争である第三次世界大戦を引き起こしてしまうこととなる。そして不運にも、これによって11110番の捜索は立ち消えとなってしまったのである。

第三次世界大戦のあまりにも大きな被害は、地球の文明レベルを大幅に後退させた。観測可能な宇宙は数十世紀も前のものに戻ってしまい、最早「3月」より先の惑星には辿り着けなくなってしまったのだ。

これによって、真実の解明が不可能になってしまった「10月事件」は謎だけを残し、現在では多くの「仮のシナリオ」を生み出すことになった。

カプセルの発見

そんな中、92周63.37度、11110番が登場していた宇宙機の機能によって宇宙空間に打ち上げられたと思しきカプセル[6]が地球近辺で発見された。

その中身は11110番の個人識別タグ[7]であったのだが、その中の「11110」という文字列の間には意図的なものと思しき記号のようなひっかき傷がつけられており、つまるところ「11+1=10」のような見た目になっていた。

しかし実際のところ、この傷の意味どころか、これを打ち上げたのが11110番なのか、それとも機内に侵入した住民たちなのかということさえ全く分からないため、結局これによって真相の解明が進むことはなかった。

その仮説

10月事件の謎には、大きくこの二つがある。

  • なぜ住民は豹変したのか
  • 「11+1=10」はどういう意味なのか

これらを解決する仮説は、世界中で、時には思考遊戯として生み出され続けており、莫大な数が存在しているため、ここでは特に支持されているその一部を紹介する。

「住民の罠」説

この説によると、あの住民たちが最初のうち友好的に接していたのは全て油断を誘うための罠であり、最終的には住民たちは「宇宙人」を殺して、その技術を奪うか、または宗教的な「贄」にするのである。

  • なぜ住民は豹変したのか→本性を現したから
  • 「11+1=10」はどういう意味なのか→住民たちがもっと多くの「宇宙人」を星に呼び込むために作った、意味ありげであるが実際には無意味なただの罠

この説への反論として、なぜ「握手」の後に彼らは怒ったのか、なぜ第1次調査のときには人間を攻撃しなかったのか、というものがあげられる。10月事件をもとにしたSF作品では、この説が採られることが多い。

「10月ではなかった」説

この説によると、11110番が降り立った星は「10月」ではなかった。あの星の文化は「握手」はタブーであり[8]、そのため11110番は住民たちに排斥されたのである。

  • なぜ住民は豹変したのか→11110番がタブーに触れたから
  • 「11+1=10」はどういう意味なのか→11110番が錯乱状態にあったが故の無意味なもの

第1次調査に赴いた宇宙飛行士たちの多くはこの説を支持している。というのも、彼らは「私たちの見た10月の住民には鼻があった」と主張しており、11110番の言う「10月の住民」は真の「10月の住民」ではなかったとしているからである。

しかしながら、これだと彼らが最初に地球語を使ってこの星を「10月」だと述べたことの説明がつかない。

「11110番の妄想」説

この説によると、11110番は最初の反応喪失以降ずっと宇宙空間を彷徨っており、その精神的ストレスのあまり全くの妄想を報告し続けていたのである。

  • なぜ住民は豹変したのか→11110番の妄想(そもそも「住民」自体が妄想)
  • 「11+1=10」はどういう意味なのか→11110番が錯乱状態にあったが故の無意味なもの

この説には、一切の矛盾も生じない。このため、これを有力視する人も多く存在するが、その一方、これは精神病を都合よく使っているだけの偏見を助長する幼稚な説であるという批判もある。

脚注

  1. 固着の知的生命体を有する惑星の呼称の慣例に従い、「人間が発見した10番目の文明惑星」として、旧暦において使われていた「月("month")」の概念の借用のもとに命名されたもの。この方式で、現在「15月」までが名づけられている。
  2. 地球から「10月」に至る航路には、特に多くのホシクズムシが分布しており、実際にこれによって宇宙船が被害を受けた前例も存在した。
  3. このため実際には、11110番の所在はこの事件の中でずっと不明なままである。
  4. 第二次冷戦以後に再制定された方のものであった。
  5. ただし、調理に際して嗅覚を持っているらしい反応を示していたため、鼻のようなものとは別の形で嗅覚についての感覚器官を有していたと思われる、とのこと。
  6. もともとは、これは無人探査機による地質標本採集用に設計されたものであった。
  7. 世界宇宙開発機関の職員・宇宙飛行士に交付されるもの。携帯が義務付けられている。
  8. 実際に、「手のひら」にあたる部位に何らかの感覚器官を有している生物は、「7月」や「12月」などで数例確認されていて、そのいずれもが「手のひら」への密着的な接触を多かれ少なかれ忌避していた。