利用者:Notorious/サンドボックス/ぬいぐるみ
8月13日20時32分 城島浩司
YGT-081-“ロックイーター”の調査は順調に進んでいた。沖縄県糸満市に位置する、沖縄本島最南端の喜屋武岬。波打ち際より少し陸側に、礁池が広がっている。ここの方言では「イノー」というらしい。
日は沈んだが、そこかしこに設置された投光器によって、岩の地面は明るく照らされていた。埋め立て工事前の調査という名目で、YGT財団機動部隊第二十七分隊“ルック・ハイ”は派遣されていた。その真の目的は、半径10メートルもの岩をくり抜く、ロックイーターの調査。このYGTは最近発見されたばかりで、どのような形態をしているのか、そもそも実体があるのかすらわかっていない。だからこそ、この調査は意義がある。“ルック・ハイ”分隊長・城島浩司は、そう考えていた。
第一小隊長の樋口小百合が、資料が挟まれたバインダー片手に駆け寄ってきた。
「分隊長、超音波探査が完了しました。向こうの旗が立っている地点の直下12.08メートル地点を中心に、半径9.66メートルの完全な球の岩がくり抜かれています」
「半径は今まで発見された穴のそれと一致するな」
「はい。崩落の危険性は、当座は無いようです」
「よし。至急報告書をまとめろ。日付が変わらないうちに、本部に送付するんだ」
「了解です。……カバーストーリーはどうなるんでしょうかね。やっぱりシンクホールとかでしょうか」
樋口が職務範囲を逸脱する話をすることは今まで無かったから、浩司はちょっと驚いた。
「まあそんなところじゃないか。だがそれは隠蔽作業員のやつらが考えることだ。俺たちが考える必要は無い」
「……おっしゃる通りです。失礼しました」
ちょっと冷淡に言い過ぎただろうか。樋口の声が想像より沈んでいたため、浩司は付け足した。
「樋口は隠蔽作業員を目指しているのか?」
少し躊躇するような間のあと、樋口は首肯した。ショートカットの髪が揺れる。
財団職員、常習者はAからEまでのクラスに分類されている。アルファベットが早いほど、安全で機密へのアクセス権も強い。樋口を含めた機動部隊員はDクラスで、浩司をはじめとする分隊長だけはCクラス職員だ。職員たちは、経験や貢献度、技能などに応じて、次のクラスへと昇格されていく。
「分隊長はどうして機動部隊に残ったんですか? Cクラスだから、隠蔽作業員にもなれたのに」
当然だが、直接YGTと対峙する機動部隊員よりも、隠蔽作業員の方が安全である。そのため、ほとんどのCクラス職員は隠蔽作業員を志願する。しかし、浩司は違った。
「ちょっと事情があってな。そういう樋口はどうして隠蔽作業員を志望してるんだ?」
「ちょっと事情がありまして」
そう言うと、樋口はふわりと微笑んだ。つられて浩司も唇をほころばせる。調査の結果、ロックイーターのオブジェクトクラスがKohinoorを脱さないだろうことがわかり、部隊の緊張が緩んでいたのだ。
「さあ、報告書をよろしく頼んだぞ」
樋口は背を向け、崖下に建設された調査拠点へと、小走りに向かっていった。その拠点も、明日には引き払うことになるだろう。浩司は真っ暗な海に目を向けた。闇に隠れて水面はほぼ見えないが、規則正しい波音が海の存在を知らせてくる。浩司は昔から、夜の海が好きだった。理由はわからない。しかし、落ち着くようなノスタルジックになるような、なんとも形容し難い気持ちになるのが、心地よかった。
浩司は今年29歳、財団職員となって10年目だ。高卒直後に常習者となったため、勤続年数が長く、そのため20代でのCクラス入りという異例の出世を成し遂げている。対する樋口は27歳。年はほぼ同じなのに、階級の差のせいで堅苦しい話し方をされるのは、少し居心地が悪く思っている。
樋口小百合の仕事ぶりは上々だ。丁寧かつ迅速で、些細なことにもよく気づく。今年度上半期の昇級分隊長推薦は、彼女が妥当だろうな。彼女の夢が叶うのも、そう遠くない未来かもしれない。
そんな思惟は、当の樋口の上擦った叫び声で途切れた。
「分隊長! 那覇市街に外部存在が出現しました!」
分隊長の浩司と10の小隊の隊長全員、総勢11名が拠点の会議室に集まっていた。備えつけのスクリーンに、第十二分隊“さきがけ”の航空部隊が撮影している映像が映っている。市街地におけるHoeflerクラスのYGTの出現。前代未聞の一大事だ。いや、前例はあったか……?
スクリーンは3分割され、そのうち2つには上空から対象に接近するヘリコプターからの映像が、残りの1つは地上のエージェントからの映像が流れている。ヘリは対象から100メートルほど離れたところを旋回している。その対象、それは巨人だった。瓦礫の体に火花をまとった、首無し巨人。浩司は、いやこの部屋にいる全員は、その威容に圧倒されていた。巨人は鉄の腕を振り回して、ビルを殴る。その度に、ビルは揺れてコンクリートの破片が散っていく。その足元で、まるで蟻のように散り散りに逃げていく影が、人間であると気づいた時、浩司は戦慄した。
この緊急事態に、財団は最寄りの第十二分隊に接近調査を命じた。その航空部隊が、先遣隊として偵察に向かっている。第二十七分隊は、バックアップ部隊に指名された。今、隊員たちは出動準備を大わらわで進めている。
画面の中の巨人が伸び上がり、太い右腕をビルの屋上に振り下ろした。建物が限界を迎え、亀裂が入った屋上の一角が崩落した。それに続いて、ビル全体が大きく揺れた。あっという間もなく、ビルはふわりと視界から消え、代わりに灰色の煙がもうもうと上がってくる。わずかに遅れ、ドオォーンという轟音が聞こえてきた。室内の全員が、思わず息を呑んだ。なんて暴力、なんて脅威。
2機のヘリは、巨人から80メートルほどに接近していた。互いが巨人に対して反対側の位置にいる。画面越しに、ヘリの無線が聞こえてきた。雑音混ざりだが、浩司の耳は会話の断片を聞き取った。
「──リ機関砲の使用を許可する」
「コブラ・ワン了解、15ミリ機関砲準備」
「コブラ・ツー了解、15ミリ機関砲準備」
本部が、武器の使用を許諾したのだ。他の抑制方法を諦め、武力によってこの巨人を制圧するという選択。
「撃ち方用意。……撃て!」
バリバリバリという銃撃音が響き、巨人の肌の2カ所から細かい破片が舞う。巨人は変わらず近くのビルに体当たりをしていた。2機のヘリは、機関砲を正確に当て続けた。狙う場所を徐々にずらしていく。絶え間なく放たれる銃弾が首のあたりをえぐった時、巨人に変化が訪れた。身をよじり、弾を気にしたような素振りを見せたのだ。腕を振り回し、空を掻く。ヘリは細かく移動しながら、照準を首に合わせ続ける。効いている、と浩司は思った。巨人に攻撃が効いている、つまり無敵ではないということだ。物理攻撃が通るという事実が、浩司の心を休めた。
「こちら本部。コブラ・ワン、コブラ・ツー、空対地ミサイルの使用を許可する」
「コブラ・ワン了解、ミサイル発射用意」
「コブラ・ツー了か……ん?」
その時だった。巨人が腕を伸ばし、掌をまっすぐヘリに向けた。
8月13日20時40分、瑞慶覧雅登
息を弾ませ、雅登は道を走っていた。後方からは、ビルが打たれる轟音が響いてくる。血でぬらつく両の手のひらを握り、車道をとにかく遠くへと駆ける。
振り返ると、黒々とした巨体が200メートルほど離れたところに、十分大きく見えた。地上では、大量の人が一方向に逃げていく。雅登もその中の一人だ。車道には、乗り捨てられた車がそこかしこに転がっている。それらを縫って走る群衆に、周りの家屋から出てきた人々が次々と加わっていく。祭りかと見紛うほどの人数が、そこにはいた。彼らの表情に、尋常でない恐怖と混乱が浮かんでいなければ。無秩序な悲鳴と遠い衝撃音が聞こえてこなければ。暴虐の化身の襲来に、群衆はパニックに陥っていた。
通勤鞄を持ったままのサラリーマン、ハイヒールを脱いで素足で走る女性、小さな子供をおぶっている母親……さまざまな人が、雅登と並んで走っている。モノレールの駅から脱した雅登は、大通りをそのまま走って逃げた。しかし、不運なことに、巨人の移動方向と逃げる方向が一致してしまった。追いつかれこそしていないものの、5分弱走り続けた割に、距離を稼げていない。
上空から、ヘリコプターの飛行音が響いてくる。自衛隊の軍用ヘリだろうか、ひょっとすると米軍のものかもしれない。まるで特撮映画みたいだ、なんて呑気とも言えることを雅登は思った。その時、ぎゃっという叫びが前方から聞こえた。目を向けると、転んだのか若い女の人が道路に倒れ込んだところだった。次の瞬間、後続の集団の無数の足が、彼女を踏み越えていき、くぐもった悲鳴が響いた。反射的に雅登は目を逸らした。前方に視線を固定し、女性が横たわっているであろう場所の脇を走り抜けていく。雅登は、振り返らなかった。体がこわばり、息が苦しくなる。でも、足を止めることはできなかった。乾いた目で、地面を凝視する。足に神経を集中させる。間違っても、つまづいてしまわぬように。
耳をつんざくような轟音が後ろからしたのは、その時だった。はっと振り返ると、巨人の横のビルが、だるま落としのようにふっと下へ落ちるところだった。ドドドという音がし、火砕流のような粉塵が地上を高速で舐めてくるのが見えた。咄嗟に、雅登は群衆の列と垂直方向に走った。後続の人と次々に体がぶつかるが、どうにかバランスを保って走る。雅登が列から脱し、ビルの合間の路地に飛び込んだのと同時に、大通りを土煙が襲った。灰色の雲が一気に群衆を覆い、全く見えなくなる。いくつもの悲鳴が、煙の中から迸った。路地にも粉塵と細かい礫が舞い入ってくる。目に沁み、呼吸がしづらくなる。ハンカチで口を覆い、立ち上がった。必死に路地の向こうへと走る。
路地を抜けて一本向こうの道に出ると、目と喉の痛みはだいぶましになった。道幅は狭く、人影はない。さっきと同じ、巨人から離れる方へと駆け出した。息が切れ、なかなか足が動かない。こんなことなら、もっと体力をつけておくんだった。足が遅いから死ぬんだろうか。涙が出てきた。
ふと、そこらを満たす悲鳴の喧騒の奥に、バリバリという異質な音が聞こえるのに気づいた。これは、と走りながら巨人の方を振り仰ぐと、家並みの上に、軍用ヘリが見えた。機体の下に閃光が見える。巨人を撃っているのだ。いいぞ、そのまま引きつけていてくれ。そう切に祈った。
ヘリは巨人と少し離れたところにホバリングしている。軍が倒してくれるという安堵と、軍が相手しているということはただ事でないんだという恐怖が、同時に雅登の心に押し寄せる。その時、巨人が大きな右腕をヘリへと伸ばした。あのモノレールの車両を、さらに瓦礫が覆った、鉄とコンクリートの腕。しかし、ヘリに届く長さでは到底ない。
次の瞬間、ヘリがぎゅんと急発進した、ように見えた。機体のバランスが崩れ、錐揉み状態になる。だが、まっすぐ、巨人の掌に向かってすっ飛んでいく。あっという間もなく、ヘリは巨人の掌に激突、爆発した。わずかに遅れて、衝撃波が雅登の周りの空気を揺らす。ヘリの破片が散っていくのを、雅登は呆然と見ていた。いや、散っていない。一瞬舞い散るが、すぐに巨人の掌に吸い寄せられている。はっと気づいた。引き寄せているのだ。巨人はヘリを、引き寄せたのだ。
いつの間にか、雅登の足は止まっていた。もう、体が限界だった。足がガクガクと震え、たまらずその場にへたり込む。ぜえぜえと荒い息しかできない。でも、目は巨人の手から離せなかった。