利用者:Notorious/サンドボックス/コンテスト

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3年1月33日 (W) 20:34時点におけるNotorious (トーク | 投稿記録)による版 (の)

 頬に、固く冷たい感触。四肢にも、冷たさを感じる。胸に体重がかかっており、呼吸が少し苦しい。そう思うと、みるみるうちに息のしづらさが強く感じられるようになって、意識が覚醒した。
 とにかく僕は床でうつ伏せになっているのだろう。交番の仮眠室のベッドから転がり落ちたのか、あるいは寮の床でつい寝落ちてしまったのか。しかし、開けた目に入ってきた景色は、それらの予想が現実と違っていることを雄弁に語っていた。塵一つ落ちていない、真っ白な床。交番でも寮の自室でもない、見覚えのない風景だ。
 両手を床につけ、腕立て伏せの要領で身を起こした。伸ばしきっていた脚を畳み、その場に胡座をかく。視点が高くなったことで、周りがより見えるようになった。正面には、床と同じく白い壁がそり立っている。そして、壁には細い切れ目が入っている。それはまっすぐ上に走り、直角に曲がって床と平行になり、今度は真下へと伸び、壁を四角く切り取っている。その長方形の中には、何か小さな丸いものが……。
 ドアか。すぐには気づけなかったのは、理由があった。大きいのだ。ドアの上辺は天井間際にあり、床から6メートルほどの高さにある。天井もそれほど高いのだ。それに、ノブがない。しかし、ドアの上辺ギリギリに位置している何か。ノブにしては小さすぎるようだが、あれは……。

「起きたか、佐藤」
 はっと後ろを振り向くと、先輩巡査の権田が座っているのに気づいた。壁に備え付けられた腰掛けのようなものがあるらしい。多くのチンピラを投げ飛ばしてきた、鍛え上げた体軀をずしりと構えている。しかし、心なしか迫力が減ったような気がした。すぐにその原因に気づく。権田は警察官の制服のシャツとズボンを着けている。だが、帽子やベスト、ネクタイまでもが見当たらない。もちろん、警棒や拳銃を入れたホルスターもない。いつもの制服姿でないから、些か威厳に欠けて見えるのだ。
 そこまで考えて、自分の服装も似たり寄ったりなことに気づいた。業務中にこんな服装となることはない。下手をすれば懲戒ものだ。いや、そもそも仕事中ではないのか? ならなぜ権田と共にいるのだ? いや待て、そんなことより。ようやく、もっと早くに浮かんでいてしかるべき疑問が、奔流となって僕の脳に襲いかかってきた。僕はそんな数多の疑問符をまとめて、とりあえずそこにいる権田にぶつけてみた。
「先輩、これってどういう状況ですか?」
 返ってきた答えは、そっけないものだった。
「知らん」


*        *        *


「佐藤、地下のパブに行ったことは覚えてるか?」
 そう言われて、急激に記憶が蘇ってきた。今の今まで忘れていたのが信じられないくらい、鮮明に。
 人身売買の拠点となっているパブがある。そういう匿名の通報を受けて、権田と僕は件のパブへと向かった。昼の2時ごろだった。通報の信憑性には疑問が残っていたため、あくまで警邏の一環として行った。交番の所轄範囲にパブはあったため、通常のパトロールという建前が使えたのだ。
 しかし、地下に降りてパブに入った瞬間、僕たちは屈強な男たちに襲われた。警棒を抜く間もなく、目出し帽を被った男たちに、口に布を押しつけられた。どうやら薬が染みていたらしく、僕はすぐに意識を失ってしまった。おそらく権田も同じだろう。いくら逮捕術や柔道を心得た警察官といえど、多勢に不意打ちされたのでは、勝ち目はなかった。
「ミイラ取りがミイラになってしまうとは……。もっと警戒しておくべきだった、くそっ」
 だが、権田は僕みたいに責任逃れできないらしい。
「パブの奴らが、僕らを拐ってここに連れてきたってことですかね」
「それが妥当な解釈だろうな。ただし、連れてきただけじゃない。閉じ込めたんだ」
 権田がここに座して待っている以上、薄々そうではないかと思っていた。しかし、明確に突きつけられると、やはり衝撃を受けた。まだ、心のどこかに、事態を楽観していた自分がいたのだろう。僕は誘拐監禁事件の被害者となったのだ。

 とりあえず状況を把握しようということになった。権田はいち早く目覚めて少しこの部屋の探検もしたようだが、全貌を把握するには至っていないとのこと。
 まずは自分たちのことから。着ている衣服は、下着とシャツとズボンくらい。靴下すら履いていなかった。持ち物もほとんどない。ズボンのポケットに入れていたハンカチはあったが、腕時計は消えていた。体にも不調や違和感はない。怪しい番号を彫られたり、知らぬ間に臓器を摘出されたりはしていないようだ。だが、服を脱いで隅々までチェックするわけにはいかないから、鼠蹊部にICチップを埋め込まれたりしている可能性は拭えない。後で見てみよう。とにかく、ほとんどの所持品や衣服が奪われていることがわかった。携帯や無線ももちろん無いから、外部と連絡を取る術がない。
 次に、この部屋だ。広さは十畳くらいあるだろうか。床も壁も天井も真っ白で、清潔さを感じる。そして、異様に天井が高い。やはり5、6メートルはあるだろうか。もっとも、白一色だから目測が取りづらい。調度は、天井のライトと、権田が腰掛けていたベッドのみ。ベッドは飛び出た壁にマットレスを乗せただけのようで、枕も掛け布団も無い。ただし、そこそこ大きい。クイーンベッドくらいの広さはある。壁の一部であるから、権田がベッドを動かそうとしても、叶わなかった。マットレスを剥がそうともしたが、ベッドに固定されているらしく、これもできなかった。
 部屋の四隅の床には、直径10センチほどの排水溝があった。穴の開いた金属の蓋が嵌まっている、学校のトイレなんかにあるタイプのもの。蓋を外せないか試してみたが、素手では到底できそうになかった。この部屋に水気はないのに、排水溝に何の必要性があるのだろう。

 僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。
 普通のドアのところへ行き、レバーを下ろして引く。ドアは、滑らかに内へと開いた。何の変哲もない挙動。そこは、小さな部屋だった。何もない。ただの空間。その向こうには、同じようなドアがまたある。戸惑いながらも、部屋を渡ってそのドアを開ける。今度は外開きだった。
 ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。
 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。
 そこは、トイレだった。入ると、人感センサーで勝手に電気がつく。和式便座が一つと、壁に据え付けられた陶器の手洗い場。そして、便器の横に、もう一つ水槽がある。何に使うのだろう? トイレは概して清潔で、逆に違和感があるくらいだ。ただし、窓といった外への開口部は無い。
 トイレを出て、今度は向かいのドアを開ける。こっちは、脱衣所だった。とはいえ、これも備え付けの棚があるだけだ。横にあるスライドドアを開けると、やはり風呂があった。シャワーと浴槽がある。シャンプーの類もあるらしい。寮の風呂より広い。本当に僕らは監禁されているんだろうかと、疑問に思ってしまう。

 僕らは風呂を出て、廊下の突き当たりへと向かった。そこにあるドアを開く。その部屋は、広い倉庫だった。今までのどの部屋よりも広く、警察学校の教練場くらい広いんじゃないだろうか。そして、倉庫の中には所狭しと大量のものが積み上がっている。近寄って手にとってみると、それは瓶だった。ずしりと重い。権田が、一本の瓶の蓋を開けていた。匂いを嗅ぎ、それを口に運び、
「水だ」
 と言ってまた呷った。権田の喉がごくごくと動くのを見て、自分の喉がカラカラであることに気づく。僕も持った瓶の蓋をひねり、中身を飲んだ。ところが、予想外の塩味がして、思わず噎せる。
「大丈夫か佐藤!」
「ゴホッ、ええ、ちょっと驚いただけです。中が水じゃなかったみたいで。毒とかではないみたいなんで安心してください、先輩」
 これは何だろうか? もう一度、入っている液体を口に含んでみる。ドロドロした舌触り、ほのかな塩味、薄い黄土色。
「流動食だ」
「何?」
「祖父の介護で、見たことがあるんです。ちょうどこんな感じでした。味も悪くはないですよ」
 空腹を覚えていたので、そのまま一本飲み干してしまう。権田も、おっかなびっくり口に運んでいた。
 腹ごなしが済むと、倉庫内の調査に取りかかった。手分けして積み上がった瓶を精査していく。ほどなく、水と流動食の二種類の瓶があることがわかった。それらは一応場所が分かれていて、区別がつくことがわかった。一方、どの瓶にもラベルの類は無い。僕は、瓶の山に分け入って、数着の着替えと三つの救急箱を見つけた。権田は、缶詰の一角と四本の缶切りを発見した。
 それは、捜索開始から30分ほど経ったときだった。僕は瓶の山の反対側へぐるりと回った。すると、床に何かが落ちているのが見えた。いや、置かれていたのかもしれない。ぽっかりと空いた一角の床に、それは無造作に置かれていた。それを拾い上げ、僕は思わず叫んだ。
「先輩、鍵です! 鍵がありました!」
権田は、瓶を倒しながらすっ飛んできた。僕の手の中にある鍵をまじまじと見つめる。その小さな鍵はプラスチック製で、家の玄関の鍵というような風体だった。この奇妙な建造物の中に鍵が必要となる場所があるとすれば、一つしかないだろう。
 僕らは倉庫の捜索を打ち切り、最初の部屋に駆け戻った。


*        *        *


 最後に残った、調べるべき場所。謎のドアの前で、僕は権田を肩車していた。
「届きます?」
「全然だ。佐藤、肩の上に立たせろ」
「えっ?」
 止める間もなく、権田は僕の頭を持って体を安定させながら、器用に立ち上がる。僕の両肩に、先輩の両足が乗っている。僕はドアに手をついて体を支えた。
「うーん、まだまだ足りないな。よし、下りるぞ」
 権田は意外と軽い身のこなしで、ひょいと床に飛び降りた。こっちがヒヤヒヤする。
 倉庫で鍵を見つけた僕らは、この部屋に戻り、ドアに対峙した。目を凝らすと、天井付近にあるのが鍵穴であることがわかった。約6メートル上方。なんとか鍵穴に手が届かないかと頑張ってみたが、到底高さが足りない。鍵はあるのに、それを挿して回せない。僕は深い落胆に包まれた。
「おい、落ち込んでじゃねえ。ドアを破れないか試してみるぞ」
 権田はドアの前で仁王立ちして言った。僕は慌てて立ち上がり、権田に並ぶ。せーのでドアに肩から体当たりした。鈍い音が響く。何度も並んでタックルを繰り返す。
 2分後、僕らは肩を押さえて床に倒れていた。ドアは1ミリだって揺らぎもしない。破るなんて、到底できそうもなかった。
「……先輩、倉庫から救急箱取ってきます」
「おう……」
 僕は痛む肩を押さえて倉庫へと歩いた。さっき見つけた救急箱を一つ持ち、ついでに水の瓶も一本掴み、引き返す。倉庫を出て、廊下を渡って、小部屋へと入ったときだった。ぐんと横に手が引っ張られ、耐えきれずにその場に倒れる。続いて、ゴンッという衝撃音。すぐに小部屋の向こうのドアが開き、権田が現れた。
「大丈夫か、何があった⁈」
 倒れた僕に駆け寄ってくる。しかし、僕は横の壁をぼんやりと見遣っていた。僕の視線を追って、権田がそれに気づいた。
「ありゃあ……どうなってんだ?」
 壁に、瓶と救急箱がくっついていた。僕の手を離れて真横にすっ飛んだそれらは、その高さのまま壁にぶつかって床に落ちていない。
 権田が壁の瓶を掴み、壁から引き離そうとしたが、全く離れない。僕も立ち上がって加勢したが、結果は変わらなかった。救急箱も、言わずもがなである。
「磁力か……」
「何?」
「この小部屋の壁が、磁石になっているんです。相当な磁力の強さですから、電磁石だと思います」
「救急箱と瓶は鉄でできているから、引き寄せられたってことか。だが、何のためにこんな仕掛けがされているんだ?」
「さあ……」
 仕方がないから、くっついたものはそのままにして、僕らは倉庫へと向かった。別の救急箱を開き、湿布を取り出して各々肩に貼る。
「包帯に絆創膏、止血帯、薬も多い……。大抵の怪我や病気なら、対処できるな」
 水の瓶をらっぱ飲みしながら、権田が言った。この先輩は医者の家の出身で、医療知識がそれなりにある。
 水を飲むと尿意を催したので、僕は一言断ってトイレに行った。小便を済ませると、水を流して手を洗う。水を流すと、傍らの謎の水槽の水も流れた。ともあれ、水道はちゃんと通っているようだ。その時、ふと気がついた。トイレットペーパーが無いのだ。そういえば、倉庫にも見当たらなかったはず。狭いトイレ内を探すと、先端にスポンジのついた鉄の棒を見つけた。僕の脳裏に、古代ローマを舞台とした映画の、トイレのシーンが思い浮かぶ。確か、海綿が先についた棒で汚れを拭き取っていたような……。まさか、これがトイレットペーパーの代わりなのか。ちょっと不衛生だろう。便意を覚えるまでに、ここを脱出できればいいんだが。
 僕はトイレを後にし、倉庫へ戻った。すると、倉庫が先程より少し暗くなった気がした。その旨を権田に伝えると、
「そうか? 一度ここを離れたから、わかるのかもしれないな」
「外の日照サイクルに合わせてるのかもしれないですね」
「そういや、室温もコントロールされてるみたいだな」
「ええ。全館空調ってやつでしょうか」
「ここはかなりの金がかかってるな」
「この倉庫内の水と食料だけでも、かなりの量がありますからね」
「まあそれだけの金があるから、人攫いなんてできるんだろうがな。そうだ、汗をかいたから、先に風呂に入ってきてもいいか?」
「あ、はい。まるでホテルみたいですね」
「こんなホテルごめんだよ」
 苦笑した権田は、倉庫の隅から自分の着替えを取って、風呂へと向かった。僕は倉庫に寝そべり、物思いに沈んだ。
 一体ここはどこなのか? 僕らを拐ったのは誰なのか? 目的は? いつか解放されるのか?