利用者:Notorious/サンドボックス/消滅の悪魔

「アクニンシカデテコナイハナシ」阿久名喬

「おい、見ろよ!」と一郎がタイトルを指して叫んだ。「『悪人しか出てこない話』だってよ!」
 兄弟たちは動揺した。
 二郎は「マジか」と呟き、三郎は「じゃあ、俺たちみんな悪いやつってこと?」と戸惑い、四郎は「そうだろう。何せ作者の意向には逆らえないからな」と言い、五郎は「えー、せっかくならヒーローとかになりたかったなあ」とこぼした。
 そこで、六郎は気づいた。「ねえ、僕たちが持ってるこれ……銃だよね」
 兄弟たちは慌てて手元を見下ろし、自分が自動小銃を持っていることに気づいた。
「ここ、飛行機の中じゃん」七郎は周りを見渡しながら言った。どうやらここは飛行中の旅客機で、兄弟たちはコックピットの中にすし詰めになっていた。そして、機長と副操縦士が座席に座り、汗を浮かべながら操縦桿を握っている。この状況は……。
「えーと、これは、ハイジャックされてるんですかね……?」と機長が口を開いた。
「どう見てもそうっすね。くそー、損なキャラクターに生まれちゃったなあ」と嘆いたのは、副操縦士である。
 一郎は銃を抱え直しながら、窓の外を見た。すると、摩天楼が存外に近い距離に見えた。
「おい、まずいぞ! どう考えても、この飛行機でビルとかに突っ込む流れじゃねえか!」
「そんな……。悪人ってそういうこと?」
「思ってたより悪人だな」
「くっそお、作者め。趣味が悪い野郎だ」
 五郎が客室を振り返って、悲しげに言う。
「悲しいな……これが悪人しか出てこない話なばっかりに、僕らは死ぬ。そして、あの人たちもみんな死んじゃうんだ。可哀想な乗きゃ──」
「語るなっ!」
 語気鋭く叫んだのは、七郎だった。
「ど、どうしたんだよ」
「聞いて、兄さんたち。この飛行機は貨物機だ。乗ってる人間は、このコックピットにいる九人しかいない」
 突拍子もないことを言い出した弟に、兄たちは混乱した。
「何言ってるんだ。後ろには乗客たちが──」
「語るなっ!」またも七郎は叫んだ。
「いい? 兄さんたち。これが『悪人しか出てこない話』だったら、きっとこの飛行機はビルとかに突っ込んで、大勢が死ぬ。それはできれば避けたいでしょ?」
「そりゃそうだけど……」五郎が言い、四郎が後を継いだ。「でも、作者の意向にキャラは逆らえない。これは『悪人しか出てこない話』なんだから、どうしようもないだろ?」
 すると、七郎はニヤリと笑った。
「よくタイトルを見てよ。カタカナで書かれてるんだ。だから、こうも捉えられる。『a 九人しか出てこない話』」
「『a 九人しか出てこない話』? どういうことです?」と問うたのは機長である。
「『a』は冠詞。つまり、『一編の登場人物が九人だけの話』ってことだよ」
 兄弟たちはざわめいた。「そんな曲解が」「意味はギリ通ってる、か?」「しかし、そうだったら何なんだ?」
「そこだよ二郎兄さん。これが『a 九人しか出てこない話』なら、僕らは悪人じゃなくてもよくなる」
 その場の皆に衝撃が走った。興奮しながら五郎が叫ぶ。
「じゃあ、ハイジャックなんて止めてもいいんだ!」
「その通りだよ!」
「やったあ! これで乗客のみんなも助か──」
 七郎が五郎の口を塞いだ。
「何言ってるの兄さん? この飛行機に乗客は一人も乗ってないよ? 思い出して、これは『九人しか出てこない話』じゃないといけないんだ」
 五郎はブンブンと首を縦に振った。
「みんないい? この飛行機には僕たち九人しかいない。間違っても、『いない』人のことを語ったりしちゃダメだよ?」
 皆は固唾を飲んで頷いた。自分たちの命のためにも、決して登場人物を増やしてはならない。
 そのときだった。コックピットのドアが激しく叩かれた。ドンッ、ドンッ。まるで、誰かがドアを破ろうとしているかのように。
「これは一般論なんだが」三郎が冷や汗を浮かべて言った。「ハイジャックされた旅客機で、乗客たちが一か八かで犯人たちを取り押さえようとコックピックに殺到するってことは、あり得るよな」
「そうだね。あくまで一般論だけど」と六郎が賛同する。
 扉は強い力を受けて、今にも吹き飛びそうだ。後ろから何か叫びが聞こえるような気もする。
 そのとき、一郎がドアに正対した。「うるさい貨物だ。大層活きのいいエビでも入ってるのかな」そう言って、銃を構えた。「お前ら、貨物には静かにしてもらうぞ。じゃねえと、エビがこの話に登場しちまう」
 兄弟たちは銃口をドアに向けた。次の瞬間、コックピットの扉が弾け飛んだ。同時に、銃声が鳴り響く。
 数秒後、コックピット前には誰もいなかった。ただ、赤い液体が床に広がっていく。
「きっと、エビの体液だ」七郎は一つ息をついた。
「僕らが悪人になったら、この機は墜ちる。千人以上死ぬかもしれない。それは避けないといけない。だから絶対に、登場人物を増やすわけにはいかない」
「もし、だが」と一郎が呟いた。「もし、これが旅客機なら、乗客は三百人くらいいるだろうな」
「千人よりは断然少ないね」と四郎も言う。
「仮定の話はそのくらいにして、貨物を整理しに行こうよ」と六郎が促した。「うるさくされると困る」
「そうだね。兄さんたち、行こう」
 兄弟たちは銃を抱えてコックピットから出ていった。後ろの方に固まっている貨物を撃ち、大人しくさせていく。
 たとえば、と七郎は思った。たとえば、僕らがハイジャック犯で、この貨物たちが乗客だったなら、彼らにとって、僕らはとんだ悪人だろうな。そう思った。