Sisters:WikiWiki麻薬草子/或る日の日記

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 弟の日記を読んで、その文章に違和感を覚えた。諸君は私を兄弟の日記帳を盗み見る外道だと思っているだろうから、早々に訂正しておく。発端は夏休みだった。弟は小学生であるため、全国のちびっこたちの例に漏れず、毎日5ミリ方眼ノートを所定のページ数だけ埋めるという宿題をしている。このノートは学校か地域によって呼称が異なり、転勤族たる私は「がんばりノート」と「のびのびノート」の二つを経験してきている。世代補正もあってか私は断然「がんばりノート」派だが、弟の通う学校は「宅習ノート」を採用しており、仕方なく私もそれに従う。さて、その宅習ノートであるが、これまた例に漏れず、夏季休暇には大量のノルマが課せられた。とはいえ私の小学生時代に比べればだいぶ少ないのだが、もう既に言動が小学校の厄介懐古厨すぎるのでこれくらいにしておいて、とにかく弟はたくさんの白紙を学習の痕跡で埋めなくてはならなかったのだ。このノートに一体何をするか。くり上がりのある筆算でもいいし、漢字の書き取りも重要だろう。様々な選択肢がある中、弟はその日、日記を書くことを決めた。私が読んだ日記というのは、この自宅学習として書かれたものであり、年長者の家族として、弟の教育に携わる一員として、学習状況の確認および採点や添削、助言は当然なすべき義務であり、日記の通読は至極真っ当な行為であったということをまずは理解していただきたい。

 随分言い訳が長くなったが、こういうことがあった。八月下旬のその日、弟は夏休みを謳歌し、大学生の姉もまた一足遅いが長めの長期休暇を楽しみ、一方の私はさっさと去ったリフレッシュウィークを呪いながら登校を続けていた。職業柄、父は休日が不定期なのであるが、たまたま父母も休みである土曜日があった。その日は、弟の新学期と姉が滋賀に戻る期日が迫っていたのもあって、姉が思い出作りにと美ら海水族館行きをかねてより計画していた。私も熱烈に誘われたのだが、自家用車が四人乗りであることと、何より五日間の登校によって体力が尽き果てて休日に遠出することが割としんどかったというかなり悲しい理由により、私は留守番だった。家族は結構楽しんだらしく、土産にと巨大なチンアナゴのぬいぐるみを買ってきた。それは今ダイニングのお誕生席に鎮座している。巨大である。また、弟は購入したネコザメのぬいぐるみを可愛がっている。「ネコザメは可愛い」と言っているが、実物の写真を見るとそんなに可愛くないので、いつか彼がネコザメに幻滅しないか、兄として心配である。

 閑話休題、弟はその日のことを日記に書いたのである。やっと日記に繋がったと思ったそこのあなた、私も今まさに同じことを思っている。やっと本題に入ったと思ったそこのあなた、喜べ、まだ本題ではない。そして、申し訳ないのだが、私は過去の記憶を蓄える能力が非常に貧弱であるため、日記に書かれていたのはこの日のことではなかったかもしれない。新幹線が偶然にもキティちゃん仕様だったときの話だったかもしれない。何のために今までだらだらと水族館のことを書いてきたんだと思ったそこのあなた、私も今まさに同じことを思っている。とりあえず、弟は日記を書いた。そして、姉が宅習ノートの当該ページを見せてきたのだ。文面はともかく、そこから読み取れた特徴がある。それは、話し言葉が多用されていること。「めっちゃ」などのフレーズや、疑問符や感嘆符といった記号も多く使われていたのを覚えている。そして、全体的にウケを狙っているような文章だった。弟は書き言葉に慣れておらず、親しい人に今日あったことを話すような形で文をしたためているのだと推測した。さらに、姉が教えてくれたのだが、弟がこの日記を書くとき、題材として、特別な出来事のあったその日に固執したのだという。他の日では書くことがないという。WikiWikiに文章を書く力を鍛えられた私には、何でもない日の日記を書くなど朝飯前だという自負があるし、もし今もがんばりノートがあれば日記で適当に紙幅を埋めるだろうと思う。現に私はびっくりするほど手抜きの読書感想文を二時間で書き上げたばかりである。しかし、私は本当に何でもない日の出来事を、しっかりした書き言葉で書けるのだろうか。ふと自らを顧みたとき、疑問に思った。ならば試してみようではないか。ちょうど草子というプラットフォームもあることだし、図書館だよりを作るのに必要なパソコンの用意は面倒だから後回しにして、今日の日記を書いてみようと、そう思い至ったのである。さあ、ようやく本題である。だが、日常の一日を書き言葉で、とは言うものの、あまり守れる気はしていない。今日はテスト期間というわりあい特殊な日だったし、ついついふざけたくもなってしまう。ある程度は仕方がないであろう。私は自分に甘い人間である。だから図書館だよりをまだ作っていない。

 はて、今日は何があったか。ゆうべは十時過ぎに寝たと思う。数学担当教師が授業中にキレ散らかす夢を見たはずだ。私はどうでもいいと思って我関せずの態度を貫いた。現実でもそうありたい。もうすぐで授業が終わる時刻なのに、全然時計の針が進まない。もしかして教室内の時の流れを遅くする能力者なのでは? と思った覚えがある。異能力といえば、YGT財団とヨーグルト・インサージェンシーの、機動隊員バーサスYGTの特殊能力バトルを書きたいと思っている。こういうジャンルは読んでいてカタルシスも大きく非常に楽しいので書きたいのだが、賭けシリーズも含めてバトルものを全然書けていない。プロット能力が全然ないゆえである。ああ、私にも能力を授けてくれ。しかしどれもこれも、惨闢を書き終えてからである。もう一生書き終わらない気がしているし、ひょっとしたらプロットを忘れているかもしれない。その可能性が怖くて、今プロットを思い出すことができないでいる。忘れたことに気づくのは、思い出せなかったときなのだ。物事を忘れたとき、私たちはそのことに気がつかない。何も感知することのないまま、私たちの海馬からはいくつもの出来事がそっと抜け落ちてゆく。思い出すことに失敗して初めて忘れた記憶に思い当たるなら、思い出そうともせずにひっそりと消えていった過去が一体いくつあるというのだろう。あの日、友と楽しんだ遊び、大空を眺めて去来した想い、母にかけられた励まし、大笑いしたくだらない会話、そんなものがいつの間にか消えてなくなっている。気づかぬままに忘れてしまった思い出たちに思いを馳せると、やりきれない気持ちになる。

 叫ぶ目覚まし時計で目を覚ました。平日は毎朝、悲しいような悔しいような思いで自室の電気をつけている。階下に降りて朝食を食べた。主食は大抵白米である。数年前まではパン食だったのだが、トーストに飽きてしまったのでご飯に変更してもらった。食パンは今でもあまり食べたくない。もさもさしていて、食べていて疲れるのである。一食に半枚食べるのだが、中間地点くらいで「まだこんなにある……」と思ってしまう。十何年と食べてきたのに、よもや嫌いになってしまうとは。もう十何年経ったら白米も苦手になっているのではないかと思うと、怖くてご飯が喉を通らない。そうしたら毎食麺料理を食べなくてはならない。私はそうめんやざるうどんもそこまで好きではない。あまり噛まれずに喉を通るからか、息が詰まるのだ。さらに、すぐにお腹が膨れるくせにさっさと消化されるのですぐにお腹が空く。そんなところも気に食わない。私が還暦を迎えた頃にビーフンばかり食べていたら、どうか笑ってくれ。しかし料理にかかわらず、朝食は喉を通りづらい。数分前まで寝ていた体内に異物を流し込むのである。抵抗されない方がおかしい。食べ始めてから食べ終わるまでずっと「まだこんなにある……」と思いつつ箸を動かしている。こんなだから当然、あまり量は食べられない。だから、昼前にはお腹が空いてしまうのである。苦しい。だが朝にこれ以上食べるのも苦しい。悲しい限りである。人の世とは、かくも理不尽である。

 父が仕事の日は、母が出勤がてら車で送ってくれる。がてらと言っても、母の職場は完全に反対方向なので、いつも悲しい。今日は徒歩帰宅なのに鍵を忘れてしまったことに車中で気づいた。しかし母に心配をかけたくなかったので黙っていた。私は割と黙る。しかし私は嘘をつくのが下手であるし、年少者であるし、息子であるゆえ、黙っていたことの何割かは勘付かれていると思う。私はこのことに、弟の誤魔化しが手に取るようにわかるようになって初めて気づいた。私が弟のいくつかの行いに気づきながらも何も言わないように、母も私のいくつかの行いを知らぬふりしているのだろう。こうして人は自らの未熟さを悟り、成長していくのだと思う。学校に着くと、通用門が通れた場合の道のりの三倍はあるであろう遠回りをして教室に到着した。毎日悲しくなる。不惑を迎える頃には膝の軟骨が完全に消失しているのではないかと本当に心配している。関節は大切にしよう。友達と下劣な会話をするなどした後、早朝が始まった。今回からテスト期間は自習時間になるらしい。私はついに覚悟を決め、タブレットでTeamsを開き、図書館だよりの製作に取り掛かった。締切から約十日後のことである。課題とかなら迷わずサボるのだが、図書館だよりは私がやらないといつまで経っても出来上がらない。いや、他の誰にも可能な簡単な仕事なのだが、役割を担う私が沈黙している中で勝手に業務を肩代わりするのも難しいだろう。文面をコピーして前回のデータと差し替えていく。Teamsはアプリを離れるたびに画面が元に戻り、いちいちチャネルを開き直さないといけなかったのが非常に面倒くさかった。ひょっとしたら変えていないWi-Fiの設定のせいなのかもしれないが、放置したままここまで来てしまった以上、なかなか状況は変わらないのではないかと思う。私は相当に必要性に駆られない限り、行動しないのだ。九月も残り三日となった今、図書館だよりをようやく作り始めたように。しかし、図書館だよりの作業は存外簡単だった。どうせちゃんと読んでいるのは二十人くらいしかいないだろうし、適当に済ませておけばよかったなと思っている。しかし現状にもさほど危機感を抱いていないので、担当教諭に直接詰められでもしない限り反省はしないだろう。いや、たとえ詰められても反省はしない。学習するだけである。そして今、風呂から上がった後に作業をし、図書館だよりを終わらせた。日和ったので、チャネルに無言でファイルだけを送りつけた。みんなもこれに懲りたら、図書委員にはならないでおこう。

 朝の会では、挙動不審な学友に教師が若干デリカシーのないことを言うという一幕もあった。傍から見ると教師の反応はあまり責められるものではなかったかもしれないし、何より面白かった。しかし私が人前で「顔真っ赤じゃんw」などと言われたらあっという間に愧死してしまう。そのようなことを言ってしまうあの教師は、メンタルがものすごく強いのだと思う。仮に自分がそう言われても、特にダメージを受けないから、気軽に他者にそう言えるのだと思う。そう考えると、普段の授業での言動にも納得がいく。冷静に考えて、私はあのようなことを人前で言えない。道徳観念の前に、羞恥がそれを妨げるからだ。しかし、彼は平然としている。微塵も恥ずかしいと思っていないのだ。それは例えば生まれ持った性格なのかもしれないし、後天的に環境や経験から培ったメンタルなのかもしれないし、単に踏んだ場数の違いなのかもしれない。このような態度は、確かに敏感な他者(特に多感な青少年)を傷つけるリスクもあるのだろうが、当の本人にとっては非常に恵まれた体質だろう。精神のダメージを食らいにくいということは、とりわけ現代においては健康な生活に必要不可欠である。そう考えると、それはむしろ長所といえるのかもしれず、見習うべきでもあるのかもしれない。しかし、友好な関係を築きたい人たちにあのような態度を取るのはもちろん悪手であり、何と言ってもやはり、私は人の痛みを理解できる人間でありたいと思う。憶測で人の内面を推し量るのは非常に危険なことであるが、他者の心を考えることで自分も含めた人間についてぐっと理解を深められる。

 まずは現代文のテストであった。同じところから別々の出題がなされ、互いが互いを殺し合っているのが面白かった。もともと教科書の読解に過ぎないのに、それすらも超えて解答の暗記ゲームに堕ちている。本来鍛えるべき国語力の対極なのではないか。国語教師の間でも、担当クラスの平均点などでランク付けが行われているのだと思う。国語は比較的曖昧な教科だから、生徒のスキルを伸ばしにくいと思う。それゆえ、解答の配布に近い行為をし、簡単に生徒の点数を上げるという軽挙妄動に走ってしまうのではないかと思う。学友の「真面目な人ほど損をする」という指摘は慧眼であった。高い点数を取ろうと真面目に行動する人ほど、解答の暗記に力を注ぎ、時間を空費してしまうのだろう。苦しい限りであった。これは持論だが、国語のテストは漢字が本編である。最後の最後に待ち侘びた本番が訪れ、嬉しかった。Vaundyの「不可幸力」みたいなものである。焦らしに焦らしてからサビが始まるのである。この点、模試などは漢字が初っ端にくることが多い。これは薩摩示現流である。最初の一撃に全てを込め、後は余韻に過ぎない。

 次は数学のテストを受けた。関数分野は比較的簡単で、ここ二日くらいで復習したばかりだったため、いつもより解けた気がする。最終問題はしっかり解答の筋道が立った上で、行き止まりに迷い込んだ。壁を打ち破る方法があったのか、そもそも道を間違えていたのか。最後の方はこれに気を取られて見直しを一切できなかった。後悔しかけたが、数列のときは粘り続けて最終問題の(2)まで正解でき、前方でのミスもそこまで多くなかったので、何がどう転ぶかはわからない。人生万事数列がテストである。最後は英語だった。これも教科書暗記系の教科で、心底馬鹿にしていたのだが、かつて説明された事柄を思い出しカタルシスを感じることもあったので、存外に楽しかった。最後の方など、文法の知識が必要になる問題も多かったし、体系立てられた知識が求められていて嬉しくなった。私は英語は大変不真面目に受講しており、あらゆる小テストをノー勉で臨んでいるので、Vintageは特に、普通に55点とか取ったりする。しかし担当教師を維持したいから、今回はちゃんと誤答レポートを楽しもうと思う。この英語教師は、教えるのもまずまず上手いし、何より歌を聞かせてくれる。最も楽しい授業だ。彼は趣味の洋楽を教育という大義名分を盾に生徒に浴びせることができている。役得というやつであろう。私も外国の日本語教師になろうかと思ったが、ボカロはリスニングに適していないので無念だ。

 いつも通りゴミ捨て場の掃除に行き、申し訳程度のゴミ袋の整理をして終わった。あの辺りは虫が多い。大量の蚊には閉口していたが、最近虫除けスプレーが導入された。喜ばしい限りである。トンボも多い。登校する時、薮の上空に群れをなすトンボを目撃した。あんなに多いとは思っていなかったから、驚いた。帰りのSHRを先にやっている分、掃除に来るのが遅い。にもかかわらず管理者と一緒のタイミングに帰っている。担当教諭も温厚を絵に描いたような家庭科教師であり、彼女はお礼の言葉しか口にしない。罪悪感を覚えてしまう。図書館だよりは平気なのに。これが人徳というもので、よくしてくれる人を傷つけるようなことは裏切りだと良心が咎め、しづらいのだ。優しい人は優しく接されるのだな、と私は痛感した。全く、素晴らしい掃除場所である。

 母は二時頃帰宅する見込みであった。鍵を持っていないことを悟られぬには、母より遅く帰らなくてはならない。私は無駄話で時間を適当に浪費し、帰宅の途についた。家までは歩いて一時間ほどかかる。今日は天気がよく太陽が燦々と照っていた。徒歩帰宅には全然向かない陽気だった。流れる汗、潤わぬ喉、のしかかる鞄。夏に炎天下を長時間歩行するべきではない。学校から少し行ったところの歩道で、脇の森からたくさんの蝸牛が這い出してきては踏み砕かれていたゾーンがあった。晴れの日に集団で這い出してきて干涸びているミミズもそうだが、なぜこのような行動を取るのか、気になるところである。学校周辺の歩道は草がぼうぼうに生えていて歩きづらかった。こうしてみると、定期的に誰かが草刈りをしてくれているということがよくわかる。県か町が業者を雇っていたりするのだろうか。もしそうなら、できるだけ早く草を刈ってください。お願いします。途中でいくつかのバス停を通り過ぎる。バスに乗れば多少は楽になるが、家付近まで直通の路線はなく、せいぜい多少のショートカットができるだけだ。しかも便数が一時間に一本とかで、さらには時刻表通りの運行も望めない。金もかかるし、最近はめっきり使っていない。すると今度はICカードの有効期限が切れているかもしれないという疑念が浮かび、ますます足が遠のく。

 途中、住宅地に入ったところで、謎のエンブレムが入っている建物を見つけ、思わず足を止めた。知恵の輪のように重なった二つの円が外壁の高い所に描かれており、一瞬教会か何かかと思ったほどだ。近づくと表札が掲げられていて、普通の民家だとわかった。しかし何の印なのだろう。ちょっと危ない匂いのするような発見だった。この通学路を使うようになって三年以上経っての発見である。案外、周りには知らないことがあるものである。その家を眺めていると、少し奥に入ったところに景色の開けた場所があるのに気づいた。暑くて疲れていたのに、わずかにためらっただけで足が動いた。そこはかなり高い丘の端で、眼下には急な崖と広がる町があった。夏らしい入道雲、蠢く車たち、もっと遠いと思っていたショッピングセンター、背の高いクレーン車。何とかと煙は高いところが好きというが、私もそうである。なんていい景色、ここの家の人はさぞいい眺望を楽しめるだろうなと思ったが、今から私はこの崖を下るので、げんなりした。

 傾斜のえげつない坂を降りきり、またしばらく歩いてどうにか家に着いた。喉元過ぎればなんとやらだが、帰って着替えてみればそこまできつくなかったかななどと思い始めるから、よくない。生物の健康を損ねるには十分すぎる高温である。思惑通り母は先に帰宅していた。鍵忘れたかと思って心配したのよ、と言われたので、うんいやしかし疲れた、などと言って誤魔化した。誤魔化せている気はあまりしないし、誤魔化す必要もそこまで感じない。だが人とは合理とはかけ離れた愚かな生き物である。もうだいぶ遅い時間だったが、昼ごはんを食べた。今日は疲労が勝ってあまり空腹に苦しめられなかったのは、怪我の功名だったかもしれないと思ったが、疲れは別に名誉でもなんでもない。一生おうちでダラダラしていたい。一切の外出をしたくない。定期栄養摂取を済ませたところで、寝転がってスマホを見始めた。テレビで母がドラマを見ていたから目に入ってきたのだが、若い俳優が老境の役を演じていたのが違和感がすごかった。一代記みたいなドラマだから仕方ないのだが、そんなに高くクリアな声で話す年寄りはいない。私はドラマがあまり好きではない。一つには、このような作為を感じてしまうからだ。芝居くさい、と言えばいいだろうか。芝居なんだから仕方ないのだが。でも、完全にリアリティのないアニメは全く気にならない。実写というリアルの中に、フィクシャスな演技を見るからこんなにも嫌なのであろうか。なら実写映画も嫌いなのかというと、そうでもない。私の見るような有名な映画なら下手な俳優は使っていないのだろうし、ドラマの持つ変な説教くささがないのも大きい。母の見るようなNHKの連続ドラマは、毎話「こんな風になるべきだよね!」みたいな何かがある気がするのだ。単なる娯楽ではなく、安い人生訓めいた結末を持ってくることに、辟易してしまっている。単に私の考えすぎかもしれないが。

 テレビから目を背けてスマホを見ていたら、あっという間に、本当にあっという間に、夕方になっていた。恐ろしい。Twitterを何回か周回し、興味本位でゴミみたいな掲示板を見にいき、チェンソーマンの最新話を読んだら、スマホの充電が尽き、夕食の時間になっていた。どこまでも無駄な時間の使い方であった。いや、ゴミみたいな掲示板を見にいったぶん、負の影響すらあった。みんなもこんな時間の浪費をしてはいけない。晩御飯を食べると、図書館だよりを作りつつ、日記を書くことを思い立ったためこの文章を書き始めたという次第だ。これを含めて最近は専ら、キーボード付きのiPadで執筆している。WikiWiki加入からしばらくはスマホで書くことを続けていたが(これ以外にアクセス可能な電子機器を所持していなかったため)、ネットに繋がるパソコンが購入されてからは、一時期それを重宝していた。しかし共用パソコンゆえダイニングでしか作業できず、このタブレットを得てからは完全に主導権を奪われた形だ。執筆だけなら機能は劣らないし、持ち運べるし、何より音楽を流せる。しかもバックグラウンド再生で。これはまさに革命的であった。QOLが七桁くらい変わる。スマホで「比尾山大噴火」や「二・零零事件」を書いたとは、今では信じられない。目とか痛くなかったのだろうか。そういうわけで離れていたパソコンだったが、UTAUを使うために不可欠ということで、最近脚光を浴びている。準備や手順が煩雑で苦しいが、気長に取り組んでいつかは波音リツを歌わせたい。

 ネットを介して音楽を聞くツールはいろいろあるが、最近始めたSpotifyが便利だった。まず簡単にバックグラウンド再生できる。他の作業の合間に聞けるのは大変嬉しい。しかし、今まで使っていたYouTubeもタブレットならバックグラウンド再生はできるのである。だが、広告が全然違う。YouTubeは下手をしたら一曲ごとに挟まれる上、短かったり長かったり飛ばせたり飛ばせなかったりと形式がまちまちである。それにそもそも広告の内容自体が不快だったりもした。「ボンヤリ系男子、成戸悠己」とかうんざりである。一方、Spotifyは広告の頻度が低い。しかしその分スキップ不可の長い広告が入るのだが、飛ばせないとわかっているため、画面を変えることもなくむしろストレスレスなのだ。それに内容も大抵SpotifyのCMで、いい音楽がバックで流れているから不快感もあまりない。このアプリの難点としては、古めの曲だと入っていないことも多いことだが、そこはニコニコ動画とかで補うしかない。ryoの曲がニコ動にしかないのはどうしてなんだ。正直、あの動画投稿サイトは重いし使いにくいのでなるたけ使いたくない。CDとか売っていたりするのだろうか。私が大富豪だったら、好きな曲のCD全部買うのに。TSUTAYAは家の近くにない。Tポイントカードも持ってない。ゲオってCDも貸してたっけ。行ってみるかな。管理者もwowakaのアルバムをつべこべ言わずに買えと言っていたし、iTunesで買うべきときなのかもしれない。覚悟を……決めねば……。だがまずはゲオに行こうと思う。私にとって休日の外出というのはめちゃくちゃハードルが高いので、難しいかもしれないが。図書館にはほいほい行くのにね。ネットに繋がるパソコンが来たてのとき、どうにかこうにかして誕生日プレゼントに買ってもらったYOASOBIのアルバムのデータを取り込んだのが懐かしい。家にはCDプレイヤーがないため、このとき初めて再生に成功したのだ。父の部屋にレコード回す機械はあるのにね。あんなオーパーツ、ピタゴラスイッチの番組終わりのピタゴラ装置でしか見たことがない。いつか動くか試してみようと思っている。パソコンでのCD再生はネットを参考に挑戦したけど失敗し、管理者にやり方を教えてもらってなんとか達成した。方法を教示していただいたの、一昨年の長距離ウォーキングとかではなかったか? 歳月はあっという間に過ぎてしまうものである。寂しい気持ちになるなあ。

 日記というのは、その日のうちに書くものである。この通念に従うならば、この文章は日記ではない。なぜなら、二日にわたって書いているからだ。普通に書き終わらなかった。夏休みの創作文でも思ったが、案外文章を書くのは時間がかかるものだ。こんなふうに思いついたことを次々に長々と書いていたら、尚更だ。そういうわけで、後半の「今日」という文面は、嘘である。昨日である。一日の出来事を書いていたら学校から帰るあたりで十時になってしまったのだ、仕方ない。試しに一日の日記を書いてみてわかったが、結構苦行である。いつまで経っても終わらない。二日かかる。アンネ・フランクはすごかったのだ。書き言葉も難しいし、ウケも狙ってしまう。ここで教訓だが、日記を書くなら、一日の全てを記述しようとしてはいけない。何か特記すべき一点に絞って書くべきだ。でないと、完成させられない。日記とは意外と難しい課題だったのだ。私は痛感した。しかし、雑感を書きつくるのは楽しいものだ。麻薬草子を作ったのもこういう感覚からである。今から、私だけあらゆる課題ががんばりノートにならないだろうか。そうしたら、一点に絞った日記で紙幅を存分に埋めるのに。