Sisters:WikiWiki麻薬草子/ネットスラングはすごい
「笑」「www」「草」これらはSNSなどでよく使われる、話者が笑っていることや可笑しいと思っていることを意味する表現だ。 私も周りの友達も頻繁に使っている。私にとっては馴染み深い言葉だ。しかし、このようないわゆる「ネットスラング」や「若者言葉に対して、否定的な考えを持っている人も少なくないと思う。特に年上の大人の中には、意味が分からなかったり言い回しが合わなかったりして、嫌悪感を抱く人もいるだろう。私の父も、私や姉がこのような言葉を使うと、
「正しい日本語を使いなさい」
と少しむっとしたような口調でたしなめる。個人の感性の違いはあるから、それは仕方ないと思う。でも、これら「ネットスラング」を一概に良くないと決めつけ、否定するのは間違っていると私は考える。
そもそも、このような笑いの表現は、どうやって生まれたのだろうか。もとになったのは、前々から雑誌のインタビュー記事などで使われていた表現「(笑)」だそうだ。それがネット上の会話にも使われ、括弧が省かれるようにもなった。そしてアルファベットしか使えないチャット欄で、「warai」の頭文字を取った言い方「w」が生まれた。これは重ねて用いられるようになり、それが地面に生えた草のように見えたことから、「草」や「草生えた」といった表現もできていったそうだ。
インターネット上の会話では、相手の表情を見ることができない。よって、感情が対面の会話に比べて伝わりにくいのだ。その是非についての議論も盛んだが、私が言いたいのはそこではない。「笑」などの表現は、話者の感情を伝えられるとても良い道具だということだ。出来事をただ文章にするだけでは、そこにどんな感情を抱いたのかを伝えることはできない。通常の会話では、表情や口調を変えることでそれを補う。楽しかったなら明るい顔で、悲しかったなら重いトーンで、怒っているならむかついた表情で、など誰もが無意識のうちに行っていることだ。しかし、テキストしが送れないネット上のやり取りでは、それができない。その代わりに、これらのスラングがあるのだ。
私がこれまで挙げた例は、いずれも笑いを表すものだ。もちろん他の感情を表す言葉もあるが、笑いはその中でも輪をかけて重要だと思う。なぜなら、文章から一番伝わりにくい感情からだ。ただの文字の羅列から「可笑しい」「面白い」といった感情は読み取りにくい。そのため、スラングの重要さも高いのだ。
また、これらのスラングの利点は、ただ笑いの感情を伝えられるだけではない。コミュニティによっても違うだろうが、それぞれ達うニュアンスを持っているのだ。例えば私の周りでは、「www」は声に出てしまうほどの笑いとして使われている。また、ミの数を増減させることで、笑いの程度をより詳しく表すこともできる。一方、「笑」は少し抑えた笑いを意味する、より穏やかな表現だ。そして、「草」はもっと落ち着いた笑いだ。可笑しい」ではなく「興味深い」寄りの「面白い」とでも言えばいいだろうか。もちろん人によって受け取り方や使い方は違う。ただ、画一的なものではなく、意味にバリエーションがあるのは確かだと思う。このように、ネットスラングは顔の見えない人との会話において、感情を詳しく伝えられる、とても便利なものなのだ。
また、ネット上だけに留まらず、一部のネットスラングは対面の会話でも使われるようになっている。「草」などの、固有の読み方があって言葉として確立したものがそうだ。これも、ネットスラングの有用性を示していると思う。
人類は、遥か昔に言葉を獲得してから、それを絶えず進化させてきた。石板などを削れるようになると、文字を発明した。紙と筆記具を使うようになると、文字をより書き易く改良した。外国語と触れると、それも導入した。手紙という文化ができるとそのための書式も生まれたし、電話が発明されると特有の挨拶もできた。そして近年、情報通信技術が急発展し、インターネット上で人と会話できるようになった。そうして生まれたのが、ネットスラングだ。これも言葉が進化した一つの形なのだ。顔が見えない会話で、いかに気持ちを伝えるか。この難題をクリアするために人々が試行錯誤し、生み出した素晴らしいものだと私は思う。
だから、これらを「若者言葉」「ネットスラング」と一括りにして否定するのは間違っていると思う。親しみがなくて意味が分かりづらいのは仕方のないことかもしれない。でも、理解しようともせずに端から受け入れようとしないのは違うと思う。ネットスラングは、人々が積み上げてきた知恵の結晶で、円滑なコミュニケーションに不可欠なものだ。だから、私はこれらの言葉を堂々と使っていこうと思う。