利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丁

2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……九年前に消えた謎のカルトを追え!」

 先日の「北◇◇地方の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が届いた。依頼人は、某市在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。

「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」

 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。

「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫のアヤカを連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。アヤカはよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」

 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。

「忘れもしない、十一年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。アヤカはもう九歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、アヤカがトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレをしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房でアヤカをトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、女房が真っ青な顔で出てきて、『アヤカがいない!』と言ったんです。

 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もうアヤカの姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死でアヤカを捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、アヤカは見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」

 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。アヤカちゃんも、失踪から12年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。

「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」

 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。

「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『◇◇地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『アヤカに関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、アヤカのために置いてあった箸や食器を渡しました。

 それからまた一年くらい後、警察から電話が来ました。アヤカの件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、○○山に埋められた状態の、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」

 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。

「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、犯人の痕跡が一切見つからなかったそうです。

 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」

 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成十七年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。

「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房は黙ってこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」

 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。

 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるらしい「お爺さん」と呼ばれている人物に対し、殴る、蹴る、あるいはカッターナイフで傷つけたり、熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子は、この「お爺さん」のことを、誘拐児童の受ける苦しみを肩代わりしてくれる「妖精」なのだと説明しており、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、これはその誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」することになったということ、そしてその間はしばらく実家に身を寄せたいということが書かれていた。

「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あれはカルトだったんです!」

 白坂氏の語気が荒くなる。

「すみません……少し取り乱してしまいました。最近は物忘れもひどくてね、そろそろ認知症の病院なんかに行くべきなのかもしれません。……ただ、私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのか、本当に知りたいんです。しかし、警察には依頼できない。そんなことをしたら、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんですよ。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。

 本当に我が儘で、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」

 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!

 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。

2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」