スラムにルールは無い。殺せ!

概要

スラムとは、2021年10月28日、某中学校の三時限目に、体育館の左側中央付近で発生したコミュニティ、およびそこで行われたスポーツのことである。

このときの保健体育の授業では、男子生徒がバスケットボールを、女子生徒がバレーボールをそれぞれ行うこととなっており、

体育館端の付近に徐々に集まってきたバスケに馴染めない陰キャ男子生徒らによって形成されたのが、そのスラムというコミュニティであった。

当初は住民が平和にボールをバウンドさせて遊んでいただけだったスラムは、時が経つにつれ一変し、怒号と暴力が飛び交う凄惨なものとなっていくことになる。

なお、中盤以降からは、住民のあまりの興奮によって「スラム」の「ム」が「ブ」として発音されることがしばしば起こるようになり、「スラブ」とも呼ばれることとなった。

歴史

授業の開始

11時10分。チャイムは鳴り、生徒らは号令時の声の小ささによる強制持久走の危機にさらされながら、授業は開始された。

なお、このとき、ある保体教師の不在によって普段通りに授業を進めることができなくなってしまっていたため、この授業ではとりあえず何かをして遊ぶことになっていた。

そこで教師らが生徒の意見を反映した結果、体育館を左右に分けてバスケットボールとバレーボールをそれぞれ行うこととなり、

生徒らは幸福追求権の定めるところによってこの二つの内どちらのスポーツをするかについて選択の自由を与えられた。

しかしながら、あまりにも右半分の方に人数が偏りまくってしまっていたため、バレーボールを希望した男子生徒らは強制的にバスケットボール(ここには元々男子生徒しかいなかった)を行わされることとなった。[1]

そう、我々に人権なんてなかったのである。体育館端に設置されていたあまのじゃくな扇風機[2]が不遇な男子生徒をあざ笑っていた。

スラムの形成

バスケットボール側は、一瞬で三つの勢力に分かたれた。一つはステージ側のリングで遊ぶ集団、一つは道路側のリングで遊ぶ集団、そしてもう一つは行き場を無くした端っこの集団であった。

バスケ強者はリングの下に繁栄を謳歌し、バスケ弱者は何もなしえない。この体育館左半分という社会の縮図を、Long谷は「ニューヨークの闇」と表現した。

このとき、中央付近の端っこの集団は自身を「スラム」と呼び始め、これが共同体としてのスラムの誕生となった。

スラムができて間もないころは、キュアラプラプNotoriousを含む5~6人の住民が、平和的にボールをバウンドさせて遊んでいた。

この遊びにはルールらしきルールが存在せず、ただ住民の倫理によってのみ成り立つものであった。これはスポーツとしてのスラムの原型となっている。

時間が流れていくにつれ、スラムの住民は徐々に増え始め、ケツアゴコロロも移住してきた。人間とは愚かなもので、たくさんの仲間がいるところでは頭のネジがいくらか外れてしまうものである。

果たして「ただ住民の倫理によってのみ成り立つ」遊びから、「倫理」がすっぽ抜けてしまったらどうなるだろうか。スラムの住民は、それを身をもって体験することになる。

狂暴化

ルールは無い。殺せ!」、この認識が一般的になってしまったあの「遊び」は、もはや「暴力」同然であった。これがスポーツとしてのスラムである。

和気あいあいとした雰囲気は一変、スラムは殺伐とした空気に満ちていった。住民はボールを蹴り、ボールを殴った。これによって間接的に他の住民を蹴り、他の住民を殴ったのだ。

殺せ!」「マリア様ぁ!」「神はいない!」「死ね!」「ヒャアアアアア!」などと、どうあがいても世紀末なフレーズは住民の感情を昂らせ、スラムの狂暴さは激化の一途をたどった。[3]

不幸にも、保体教師たちは女子生徒のバレーにびっくりするくらい夢中になっており、この惨劇を目にすることはなかった。

悟りによるプレイスタイルの変更

暴力の中でのみ悟りは開かれる!」、こう言い放ったキュアラプラプはおもむろに座禅を組み、そのあと他の住人もこれに続いて座った。

これによってスラムのプレイスタイルは大きく変わり、ボールを投げあって殺しあうものとなった。

ボールをボールに衝突させることで軌道を変えたり、追突されたボールを相手に向けるなどの、直線的でない変則的な攻撃が多くみられるようになり、スラムは大きく混乱した。

また、座っている状態、つまり逃げられない状態における直接投擲攻撃の威力は絶大で、はこのとき本格的にスラムに参加したLong谷に殺されかけることとなった。

さらに、いくらかの住人が自衛のためにボールを投げずに保持し、その結果少しの静寂が訪れたことによって、「貯蓄が多いと経済は回らない」ことをスラムの住人は悟った。

終焉

授業は終了し、スラムは消滅した。幸いにも、誰も死ぬことがなかったことから、スラムの元住民はわずかに残っていた道徳心を絞り出し、祝った。

評価

スラムは、社会学や経済学、そして倫理学をスポーツという形式で楽しみながら学べることから、素晴らしいコンテンツであるといわれている。

一方、当たり所が悪かったら普通に重めのケガを負う可能性もあり、しかもスラムを行っているときは頭がおかしくなることから、青少年の健全な育成を妨げる危険なスポーツであるともいわれている。

参加者の一人、キュアラプラプ氏は「頭おかしくなるくらい楽しかった」と語っており、この「スラム」は日本の将来に希望を抱けない若者たちの刹那主義的な一面の表れだと考えられている。

脚注

  1. なお、途中で男女を交代するというような救済措置は取られなかった。
  2. つまみを強に合わせると風が弱くなり、弱に合わせると風が強くなる扇風機。
  3. ガチで頭部を守らないといけない感じだった。