利用者:Notorious/サンドボックス/ピカチュウプロジェクト

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2年2月18日 (ヰ) 20:55時点におけるNotorious (トーク | 投稿記録)による版 (下書き)

「ねえ小島さん、叙述トリックって知ってます?」
「急になんだよタケ。まあ知ってるけどさ」
 朝の6時15分、僕はいつもより少し早く目覚めてしまい、同じく起きていた小島さんにこの質問をぶつけたのだった。僕はしばらく前にトラブルを起こして大学を退学になり、今は男4人で同居している。ルームシェアだと思えばましだけど…誰が進んで野郎共と一つ屋根の下で住むものか。4人というのは、僕と小島さん、そして京極さんと三津田さん。皆僕より年上だ。あとの2人はまだぐっすり寝こけている。
「こないだ読んだ本にあって。ミステリーあたりはからっきしなんですよ」
「はっ、マジかよ」
 小島さんは鼻で笑った。お前がかよ、と顔が語っている。
「小島さんはこういうの好きだったでしょう? 教えてくださいよ」
「わかったよ。丁度叙述トリックについての昔話があってな、聞かせてやるよ。ただし、手を動かしながらだ」
 見ると、三津田さんと京極さんがもぞもぞと起き出していた。いつも同じ時間に起きていると、アラームなぞ無くとも自然と目が覚めてしまうものだ。僕はため息を吐くと、布団を畳むために立ち上がった。
「あれは俺が小4の時だった」
 そう言って小島さんは話し始めた。

「ねえ國春兄さん、叙述トリックって知ってる?」
「急になんだよトシ。まあ知ってるけどさ」
 トシってのは俺、俊晴のあだ名だ。詳しくは覚えちゃいないが、お前と同様叙述トリックって言葉を何かの本で見たんだろう。國春兄さんとは年が離れててな、子供心には何でも知ってるすごい人に思えたのさ。
「叙述トリックっていうのはな、作者が読者に仕掛けるトリックのことだ」
「作者が読者に?」
「そうだ。普通のトリックってのは、犯人が被害者やら探偵やらに仕掛けるものだろう? ほら、例えば」
 そこで兄さんは椅子から立ち上がった。俺はベッドに座ったまま黙って話を聞いていた。
「頭で想像しながら聞くんだぞ。ここには俺の部屋のドアがある。部屋の中に死体が転がってるわけだ。そして俺はこの部屋を密室にしようとする。そこで、俺は長い長い氷の棒を持ってくる。『どこから?』とかは考えなくていい。あくまで例なんだからな」
 まさにそう質問しようとしていた俺は慌てて口を噤んだ。兄さんは簡易トリックを実演し始めた。
「そして片方の端をドアの向かいの壁につけ、もう片方の端は左手で持っておく。とりあえずこのギターを氷の棒と思って持っとこう。そうしたら…、よっと、ドアを俺が通り抜けられるくらい開けといて、右手は外側のドアノブを掴んどく。そして氷の棒のもう片端をドアにくっつけて立て掛け、手を放すと同時に素早く外へ出る!」
 ゴトッとギターが倒れる音がした。
「こうすると、氷がつっかえ棒となって、密室ができるわけだ。あとは鍵が掛かっているように見せかけて、溶けるのを待ってドアを破り突入した瞬間鍵を閉めれば、密室の完成というわけだ!」
 正直後半はよく理解できなかったが、兄さんが見事に密室を作り上げたのがすごいと感嘆したよ。今思えば子供騙しのトリックだけどね。
「どうだ憲、兄さんが何したかはわかったか?」
「うん!」
「はは、そら良かった。さすが俺の弟だな。よし、あれ、ギターが引っかかって、ギリ通れない…くそ」
そこでバキッと嫌な音がした。
「ああ、俺のギター! 高かったのに!!」
 兄さんはギターを上手くつっかえさせ過ぎたようだった。策士策に溺れるっていうか、兄さんも抜けてたんだな。俺は大笑いして、しまいにゃ兄さんもつられて大笑いしてたよ。
 笑いの波が収まると、兄さんは説明を再開した。
「いまやったトリックは、犯人が警察もしくは探偵に仕掛けるトリックだ。密室にすることで、捜査側を困らせようとしているんだからな。でも、叙述トリックはそうじゃない」
「ならどんなトリックなの?」
「さっきも言ったが、作者が読者に仕掛けるトリックだ。具体例を挙げるなら、こんな感じだ。
太郎さんが殺されました。犯行が可能だったのは、太郎の弟と妹、次郎、花子のどっちかです。そして現場には口紅が落ちていました。さて、犯人は誰でしょう?」
「花子!」
 俺はすぐに答えた。
「ブブー、残念! 実は次郎は女で、花子は男だったんです! というわけで正解は次郎でした!」
 俺は唖然としていた。だって、そんなことないだろ? すると兄さんは少し焦ったような声で付け足した。
「まあ、これは適当に作っただけだから。ちゃんとしたやつは、もっと丁寧に伏線が張られているから安心しろ。こんな風に、作者が読者を直接騙すのが、叙述トリックだ」
 当時の俺は分かったような分からないような感じだったが、疑問は残った。
「なんでそんなことするの?」
「まあ、理由は大きく分けて2つだろうな。
 1つは、ミステリの難易度を上げるためだ。ミステリには、犯人とかを当てる作者vs読者のバトルっていう一面があるんだ。どうしても勝ちたい作者が、こんなトリックを仕掛けるんだ。お前もさっき正解できなかっただろ? そういうことだ。
2つ目は、読者を驚かせるためだ。さっき俺の話を聞いたお前は驚いたろ? 世の中には、驚くのが楽しいっていう変な人種がいるんだ。そいつらを喜ばせるために作者は叙述トリックを仕掛けるのさ。
おっと、長く喋り過ぎたな。もう小学生は寝る時間だ。じゃあ、おやすみ」
 こうしてその日の会話は終わった。

 小島さんはそこまで話したところで、口を閉じた。いつの間にか京極さんと三津田さんも話に聞き入っている。
「いいところだが、時間だ。続きはまた後でな」
 そう言って小島さんは時計を指した。6時45分。僕は大きく溜め息をつくと、顔を洗いに洗面所へ向かった。
「タケ君は溜め息ばかり吐いてるねえ」
「そんなんだと幸運も逃げていっちゃうよ」
「そうだぞ。みっちゃん、ゴクさん、もっと言ってやれ!」
 3人のおじさんは揃って僕を子供扱いする。まあ30代の小島さんはともかく、京極さんと三津田さんは還暦が近い。年の差を考えれば当然なのかもしれない。でも、気分のいいことではないからやめてくれと言ってるんだが、本人たちは改善する気がないらしい。僕はまた溜め息を吐こうとして、慌てて口を閉じた。

 僕たち4人は同じ工場で働いている。仕事は楽だし働く時間も短いが、僕は根っからの労働嫌いだ。できるなら働きたくないが、それができたら苦労しない。
 午前10時、僕たちは作られた商品をひたすら箱に詰める作業をしていた。まったく、暇で暇でしょうがない。そこで僕は、小島さんに話の続きをするよう催促した。叙述トリックの説明はあらかた終わったと思うんだけど、続きとは何だろう? 京極さんと三津田さんも、目を輝かせて小島さんを見つめている。この人たちホントに50代か? 目の輝きは小学生だぞ?
 小島さんは「しゃあねえなあ」と言いつつも、どこか楽しげに続きを話し始めた。

 その次の日の晩、夕飯の時間になって、母親に言われて俺は2階にいる兄貴を呼びに行った。兄貴の部屋をノックしようとしたところで、急にドアが開き、俺は鼻をしたたかにぶつけた。兄貴は笑いながら「すまんすまん」と謝ったが、こっちは痛いのなんの。不貞腐れたよ。鼻の頭に絆創膏を貼らないといけなかった。
ともかく夕飯になった。そのときは俺と兄貴、親父とお袋の4人暮らしだった。はは、今と同じだな。お袋は専業主婦、親父は市議会議員だった。親父はその日もいつも通り「政治を〜」と理想を語っていた。だから母親が、
「せっかくトシちゃんが賞状貰ってきたのに、お父さんったら政治、政治ってそればっかり。少しは気にかけてやってくださいよ」
と嗜めた。だが親父は、
「大丈夫だ、弟ってのは兄の背を見て育つんだ。だからトシも優秀に育ってるし、これからもそうだろう。な?」
 事実俺はそんなに気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ弟がそうじゃないことは、お前らも知っての通りだ。
 そしてその次の日の3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。さあ食べようと冷蔵庫を開け放ったんだが、確かに2段目に入れといたはずのプリンがない。中を隅から隅まで探したが、ない。そこで横のゴミ箱を見ると、なんとプリンの空容器が捨ててあったのさ!
 それを見て幼き俺は愕然として落涙、この世の不条理を嘆いた…わけじゃあない。正直あんまショックは受けなかった。プリン大好きってわけじゃないし、小遣いは十分貰ってたから惜しくもなかった。たかがプリン1個くらいで家族を詰るような、狭量な男じゃなかったんだ、俺は。
 だが、ここで一つ疑問が残った。誰がプリンを食べたのだろう? 容器はゴミの上の方にあり、俺が昼飯のときにこぼしたレタスよりも上にある。でも、両親は昼飯の前から買い物に行っていて、まだ帰ってきていない。そして俺がレタスを捨てたとき、プリンのカップなんて無かった。なら、親が食べたのではない。そして、兄さんは珍しいことにプリンがとても苦手だ。食べるなんてことあり得ない…。
 そこまで考えたところで、自分が無駄な思考をしていたことに気づいた。落ち着いて考えれば、答えは歴然じゃあないか…。

「おいそこ、無駄話するんじゃない!」
 そこまで小島さんが話したところで、高い椅子に座ったオヤジに注意された。三津田さんと京極さんはそそくさと箱詰め作業をし始める。まったく、いいところだったのに! あいつ、僕たちが働いてるのを見てるだけで給料が入るなんて…。工場勤めを辞められた暁には、あの仕事に転職しようかしら。まあ無理か。
 小島さんが話を再開する気配はない。続きはお預けかあ。
 でも、プリンを食べたのは一体誰だろう? 僕はそのことばかりを考え続け、いつの間にか昼休憩の時間になっていた。

 昼飯食いながらでも話の続きを聞かせてもらおうと思ったが、小島さんは手早くリゾットをかきこむと、どこかに行ってしまった。京極さんはそれを見て、
「ありゃ女だな。女に逢いに行くのさ」
と顎をさすりながら言った。三津田さんも小指を立てて笑っている。まさかと思ったが、小島さんならあり得るかもしれない。
「彼女さん、小島さんに相当入れ込んでるんすね」
と言うと、2人のおじさんは揃って頷いた。この人らホントに中年か? ニヤケ面は中学生そのものだぞ?

 小島さんは仕事が再開する直前に戻って来た。よっしゃ話の続きをせがもうと身構えた矢先、残念ながら京極さんと三津田さんは離れた場所に増援に向かわされてしまった。2人のいないところで続きを聞くのは忍びない。だが…。
「さっき聞いた話なんだが、叙述トリックにもいろいろあるらしいぜ」
 葛藤していると、小島さんが突然口を開いた。
「『意味なし叙述』ってのと『意味あり叙述』ってのがあるらしい」
「さっきって、昼休みに?」
「ああ」
「もしかして、恋人?」
「ん、さてはみっちゃんとゴクさんに入れ知恵されたな? あの爺さんたち、勘が鋭いからなぁ。すごいぜあの人らは」
 ならなぜこんな底辺の暮らしをしてるんだ。
「まあそれはさておき、叙述トリックの説明だ。小説とかで叙述トリックが仕掛けられているとする。問題は、なぜ仕掛けられたのか、だ。」
 何か小島さんのお兄さんが作中で話してた気がするな。