WikiWiki:WikiWiki史

WikiWiki史とは、WikiWikiが歩んできた歴史のことである。

概要

ネット上のコンテンツにおいて、その独自の歴史が生まれるというのは至極当然のことである。

ここWikiWikiでもまた、その例に漏れることなく、独自の歴史が存在している。ここではその主要なものを紹介していく。

年表

1年

1月(西暦:2020年11月)

1年1月1日(I)(西暦:2020年11月1日(日))

====2月(西暦:2020年12月)====

1年2月13日(来)(西暦:2020年12月18日(金))

  • 15:21
    • 利用者アカウント「Nakagawa」が作成された。

1年2月16日(K)(西暦:2020年12月21日(月))

1年2月17日(ゐ)(西暦:2020年12月22日(火))

1年2月19日(ヰ)(西暦:2020年12月24日(木))

====3月(西暦:2021年1月)====

とくに歴史的なことは起きなかった。それどころか、記事も一つだけしか作成されなかった。
この月が俗にいう「暗黒の一月」[3]「WikiWiki暗黒時代」である。

4月(西暦:2021年2月)

1年4月8日(ヰ)(西暦:2021年2月11日(木))

1年4月13日(ゐ)(西暦:2021年2月16日(火))

1年4月16日(来)(西暦:2021年2月19日(金))

1年4月25日(I)(西暦:2021年2月28日(日))

  • 21:59

1年4月27日(ゐ)(西暦:2021年3月2日(火))

1年4月28日(黃)(西暦:2021年3月3日(水))

1年4月29日(ヰ)(西暦:2021年3月4日(木))

  • 12:09
    • 利用者アカウント「Popbob[6]が作成された。
  • 15:22

1年4月30日(来)(西暦:2021年3月5日(金))

====5月(西暦:2021年3月)====

1年5月1日(W)(西暦:2021年3月6日(土))

1年5月2日(I)(西暦:2021年3月7日(日))

1年5月3日(K)(西暦:2021年3月8日(月))

  • 17:15
    • 利用者アカウント「山田貴志」が作成された。
  • 22:07

1年5月5日(黃)(西暦:2021年3月10日(水))

1年5月6日(ヰ)(西暦:2021年3月11日(木))

  • 18:55
    • 利用者アカウント「大結」が作成された。

1年5月7日(来)(西暦:2021年3月12日(金))

1年5月9日(I)(西暦:2021年3月14日(日))

  • 12:18
    • サブページがYuitoによって完全に対応し、ちょいちょいサンドボックスページができた。
  • 17:33 ~ 54
    • 利用者アカウント「Long谷」が作成された。
    • 」の初版がLong谷によって作成された。
      Long谷が作成した初めての記事である。

1年5月18日(ゐ)(西暦:2021年3月23日(火))

1年5月20日(ヰ)(西暦:2021年3月25日(木))

  • 18:05
    • 素数」の初版がpopbobによって作成された。
      popbobが作成した初めての記事である。

1年5月24日(K)(西暦:2021年3月29日(月))

1年5月27日(ヰ)(西暦:2021年4月1日(木))

  • 09:59
    • 利用者アカウント「神座麟」が作成された。
  • 11:31
  • 21:17
    • yuito動く点Pの大喜利に参加し、初めて純粋な標準記事の、内容に関する編集を行った。

====6月(西暦:2021年4月)====

1年6月14日(I)(西暦:2021年4月18日(日))

  • 19:14
    • 利用者アカウント「あっきぃ」が作成された。

1年6月16日(ゐ)(西暦:2021年4月20日(火))

====7月(西暦:2021年5月)====

1年7月7日(ゐ)(西暦:2021年5月11日(火))

  • 20:40
    • 利用者アカウント「Notorious[8]が作成された。

1年7月10日(来)(西暦:2021年5月14日(金))

  • 23:17
    • WikiWikiの多言語対応が始まり、手始めにWikiWiki英語版が作成された。

1年7月12日(I)(西暦:2021年5月16日(日))

1年7月14日(ゐ)(西暦:2021年5月18日(火))

1年7月19日(I)(西暦:2021年5月23日(日))

  • 21:51
    • yuitoが「Scratch」を作成し、初めての純粋な標準記事の作成となった。

1年7月25日(W)(西暦:2021年5月29日(土))

====8月(西暦:2021年6月)====

1年8月3日(I)(西暦:2021年6月6日(日))

1年8月6日(黃)(西暦:2021年6月9日(水))

1年8月8日(来)(西暦:2021年6月11日(金))

====9月(西暦:2021年7月)====

1年9月21日(W)(西暦:2021年7月24日(土))

1年9月22日(I)(西暦:2021年7月25日(日))

  • 13:41
    • Notoriousの速報によって、HOEFLER Kelvin(ケウビン・ホフラー)選手が、2020東京五輪のスケートボード男子ストリートで銀メダルを獲得したことが知れ渡った。[1]

====11月(西暦:2021年9月)====

1年11月16日(来)(西暦:2021年9月17日(金))

  • 11:29‎
    • 管理者の意向によって、WikiWiki一周年の日(1/1)までに「合計記事数200記事」が達成されなければご神体(HDD)が管理者によって破壊されることとなった。


 詳細は「WikiWiki:合計記事数200記事プロジェクト」を参照

====12月(西暦:2021年10月)====

1年12月25日(ゐ)(西暦:2021年10月26日(火))

1年12月29日(W)(西暦:2021年10月30日(土))

  • 08:45‎
    • 悪名高い人がついにネットに繋がるパソコンを手に入れ、叫んだ。いええええええええい!!!!!

1年12月30日(I)(西暦:2021年10月31日(日))

  • 22:33‎
    • 記事「撫子」がLong谷によって作成され、これによってWikiWiki日本語版の記事数が200に達した。

2年

1月(西暦:2021年11月)

2年1月1日(K)(西暦:2021年11月1日(月))

  • 08:55‎
    • WikiWikiが公開され、最古の記録が残されてからちょうど一周年となった!!!!!いええええええええい!!!!!

2年1月7日(I)(西暦:2021年11月7日(日))

2年1月11日(ヰ)(西暦:2021年11月11日(木))

2年1月27日(W)(西暦:2021年11月27日(土))

  • 10:33
    • せうゆの提案から始まり、Yuitoが制定したWikiWiki独自の暦の名称が投票によってヨーグレキに決定された。

2年1月35日(I)(西暦:2021年12月5日(日))

  • 23:49
    • 管理者が完全勝利し、個人設定からWikiWikiをヨーグレキで表示することができるようになった。

====2月(西暦:2021年12月)====

2年2月6日(W)(西暦:2021年12月11日(土))

  • 19:04
    • ヨーグレキ・イベント革命が勃発し、WikiWikiのイベントにおいて使われる暦としてヨーグレキがグレゴリオ暦に取って代わることになった。
      さらに、伝説の記事や定例コンテストなどの新イベントも制定された。

2年2月12日(来)(西暦:2021年12月17日(金))

2年2月30日(ゐ)(西暦:2022年1月4日(火))

====3月(西暦:2022年1月)====

2年3月8日(黃)(西暦:2022年1月12日(水))

2年3月11日(W)(西暦:2022年1月15日(土))

2年3月17日(来)(西暦:2022年1月21日(金))

  • 15:44
    • 管理者によって、WikiWiki上でExtension:TemplateStylesが動作するようになった。
    • これにより、ついにWikiWikiでCSSが利用可能となった!

2年3月20日(K)(西暦:2022年1月24日(月))

====4月(西暦:2022年2月)====

2年4月4日(K)(西暦:2022年2月7日(月))

脚注

  1. 公開記録における最古の記録である。
  2. これ以来、喜ばしい限りはWikiWikiから忽然と姿を消した。
  3. この名称はグレゴリオ暦が使われていたころに発生したため、現在のヨーグレキとはズレがあるのだが、いまでも慣用的にそのまま使われている。
  4. なお作成者本人は、「管理者様がエグい手直しをおやりになった為、もはや使い方はわからない」と述べた。
  5. Sakiyamaと同一人物であるといわれるが、真偽のほどは定かでない
  6. 喜ばしい限りと同一人物であるといわれるが、彼はオーストロェイリア旅行に行ったっきり帰ってきていないため、他人の空似だと思われる。
  7. ちなみに、第一案の見た目がチョコレートのパッケージのようであったため、それを突き詰める形で決定した。
  8. 山田貴志と同一人物であるといわれるが、彼はネオマサラタウンに行ったっきり帰ってきていないため、真偽のほどは定かでない