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駄文っていいよな;本日は六月一日であるよ
(ページの作成:「やあ今日は。と、が和文から消失してから一周年の日であるもはや古本屋においてさえ。や、のない小説が売り場を占領する頃となってしまった驚いたことに若者は。も、もない文章に対してすでに適応の様相を呈しているのだが私を含む壮丁に年増の者どもの多くはこの一年を悲嘆の下で暮らしていたのだったああこの悲劇の始まりは一体いつだ…」)
 
(駄文っていいよな;本日は六月一日であるよ)
 
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やあ今日は。と、が和文から消失してから一周年の日であるもはや古本屋においてさえ。や、のない小説が売り場を占領する頃となってしまった驚いたことに若者は。も、もない文章に対してすでに適応の様相を呈しているのだが私を含む壮丁に年増の者どもの多くはこの一年を悲嘆の下で暮らしていたのだったああこの悲劇の始まりは一体いつだったろうかそうだ恐らくは思想家の佐藤圭史らが。や、にバツの付いたプラカードを掲げて騒ぎ出した二年前だ。と、の全面廃止を求めて奴らは文科省に令和二年五月十六日付で意見書を提出し勢いそのままデモを始めたのだったメディアは即日彼らを嘲笑するような報道をした。や、という日本語を読みやすくするための基本的な記号を廃止するなんてまったく馬鹿げている。と、の効力を理解していない愚か者の振る舞いだなどといった具合であるこの騒動に真面目に取り合った者はほとんどおらずまた市井の誰もがこれを一過性の話題であると認識していたしかし翌日事態は逆転するすなわち前文科相萩生田が何を思ったのかこの意見書を真に受け政策に取り入れる方針を明らかにしたのであるあほの萩生田は当然批判の的となったもちろん官僚の猛反発にも合った大臣試しに。も、もない文章を書いてきましたどうですか読みにくいでしょうそれは。や、がないからなのですよええ不便なものですねいったいあなた様は日本語をこのように不便で不整合な代物にしたいのですか。と、を廃止して国民の言語生活を打ち潰すおつもりですかと四六時中問い詰められたのであるこれを受けて萩生田はときに憤慨しときに黙秘しときに逃走しまたごくまれに次のような反論を呪文のごとく唱えることもあった曰く歴史的にみて。や、は本来の日本語にはなかったのだよ明治中期に一部の好事家が漢文のまねごとをして用いたものがたまたま広がっただけなのだからしたがって日本語から。と、を取ったらそれは不整合なのではなくてむしろ本来的だと言わなくてはならないそれに読みにくいのは我々の言語感覚が。と、に毒されたためであって今。も、も廃止してしまえば次世代の人々は。や、がなかろうが滑らかに読めるようになるはずである私は正しいことをしているのだとさてそこから三ヶ月ほど経って飽き性な世間の関心が薄まりを見せ始めてからも。と、の廃止をめぐる省内の係争は続いたのだがおよそ一年後の令和三年六月一日ついに。つまり終止符が打たれた和文における。及び、を全面廃止する省令令和三年文部科学省令第四十三号が近代以降初の。や、のない公式文書として公布されたのである文部科学省はその公式見解として。や、の存在を認めなくなったのだったこれが悪夢の始まりというわけだが何だ省令ごときがと思われる者も恐らく居ようたしかに当該省令に罰則はなかったそもそも省令が国民の権利を侵害するほどの規定をすることは認められていないのであるから文部科学省令に背いて。や、を使用することの何がいけないのだと文句のひとつ言ってみたくもなるがやはり官吏は侮れないことに下っ端官僚の英気には目を見張るものがある志の高い彼奴らはお偉方の言いつけに対して常に十二分の成果を提供する。と、を実際に廃止するに至った謀略もはたして彼らの根性と才能との賜物であったまず彼らは公文から。と、を抹消した省令公布日の正午には文科省が公開した文書やらホームページやらから。と、を削除して再アップロードしたさらに二日目の朝までには他の全省庁に対し同様の処理をするように求める通達がなされていた市民や企業によって提出された意見書や定款書の類はむろん担当省庁が進んで改竄したかくて六月八日。と、は日本国がウェブ上で公開するすべての文章から消滅したのである並行して彼らの元同僚が天下りしたりコネ入社したりした大企業もそのホームページから製品取扱説明書から対外契約書から社内マニュアルから。と、を綺麗に取り除いてしまったこれが売上減少やコスト増加に直結する対応であったことはまず間違いないがそれが成立していたということはやはり汚い大金が動いたということであろうところで過度な忖度が働いたのかなんとこれらの企業の多くは。と、の廃止では飽き足らず自発的に「や」や(や)といった括弧類を含むあらゆる和文約物を誰に指示されるまでもなく廃止したのだった[[余談だよ|余談だが]]これを受けてなぜか大いに感涙した萩生田は。や、とよく似た理屈で和文約物の使用禁止をも主張しはじめた先の一件以降彼の周りに残っていたのはイエスマンのみであったため彼は流れるように省令の四十三を削除し和文約物を全面廃止する省令令和三年文部科学省令第四十四号を近代日本初の。も、も「も」も(も)もその他約物の一つも用いられない公式文書として交付することができた。と、が肝心なため他の約物はあってもなくてもいいのだがそれにしてもこれは醜い話だと私は思った閑話休題想像はつくかもしれないが大企業らを自分たちの言いなりにした官吏が次に行ったことは評論家の買収であった。と、のある文章に苦言を呈する書籍を五十余名の評論家にいくつも出版させたのだこれは知識人ぶる年配層のみならず奇跡にも。や、を打つのを怠けがちなSNSネイティブ世代によく刺さったほどなくして。も、もない文章がほとんど全世代の流行となった折ついに公募の要項に句読点のないことを定めた出版社が登場する表現者を支えてきた彼らがそのようなことをするとは考えがたい話かもしれないがすべては金である諸賢も覚えておくとよいディストピアは金で作られるのだははははさてそこからは速かったすべて事態ははなから仕組まれたように進行していった華やいだ作家も上場企業の事務もすっかり権力に屈しきって読みにくい文章を書くようになった日本人も余計な無理を働いて。や、のある文章は読めないなどと言い出すようになった日本人の誇りがどうとか伝統がどうとかみな口先では都合のよいことを言うが蓋を開けてみればこの節操のなさである正直我々アフルトス人も日本人のこの情けなさには驚愕した我々の見込みでは一揆で徳政令を勝ち取りGHQから天皇誕生日を死守した日本人が国ごときの表現規制ないし言論統制に従うはずはないと踏んでいたそしてそれは我々の初動が遅延することにも繋がってしまった我々が。と、の復活に向けてようやく活動を開始したのは三ヶ月前のことである火星出身で地球人とまったく異なる外見のアフルトス人は神ウィッドの未解明の力で日本人になる日本人のような見た目になるのではなくて社会的日本人になるのである我々の宗教は地球の文字でいうところのΦのような記号に象徴されるわけだが我々はこれを分解したようなペア。と、がΦそのものが描かれた宗教旗よりも神ウィッドの力を引き出すのに効果覿面であることを発見したかつての日本においてはありがたいことに。と、がありふれた文字となっていた偉大な神は力を発揮し続けたさて我々はこの力を利用して日本の国政選挙に参加し日本をアフルトセスにとって軽便な場所にしてしまおうとしていた計略は次々と成功を収めており計二十四名を衆参の議員に仕立て上げることができていたのだその多くが有力な議員となってきたところで句読点全面廃止令である本文のような引用の。や、以外の句読点はほぼ消失してしまったそれはもう悲嘆に暮れた三から四ヶ月でいともたやすく力が希釈された我々は議員団を呼び戻して九月十日アフルトセスに一時帰還した火星では地球を尻目に句読点廃止の制止についての議論が展開されているプロジェクト1から16のうち未達なのは13と16ですね16の達成が最終目標に寄与する割合はごく小さいのだからこの際切り捨てないかねそれもそうかところが13は大きすぎる課題だなあ13はネックですねこれさえ終われば自動的に萩生田屋もぶっ倒れるでしょうにそうだねえあの班は何をやってんだかプロジェクト13の検討結果報告が一度もなされていないとはねえ始動から三ヶ月は経つしもうじき完了してもよい頃だと思うのだが。
やあ今日は。と、が和文から消失してから一周年の日であるもはや古本屋においてさえ。や、のない小説が売り場を占領する頃となってしまった驚いたことに若者は。も、もない文章に対してすでに適応の様相を呈しているのだが私を含む壮丁に年増の者どもの多くはこの一年を悲嘆の下で暮らしていたのだったああこの悲劇の始まりは一体いつだったろうかそうだ恐らくは思想家の佐藤圭史らが。や、にバツの付いたプラカードを掲げて騒ぎ出した二年前だ。と、の全面廃止を求めて奴らは文科省に令和二年五月十六日付で意見書を提出し勢いそのままデモを始めたのだったメディアは即日彼らを嘲笑するような報道をした。や、という日本語を読みやすくするための基本的な記号を廃止するなんてまったく馬鹿げている。と、の効力を理解していない愚か者の振る舞いだなどといった具合であるこの騒動に真面目に取り合った者はほとんどおらずまた市井の誰もがこれを一過性の話題であると認識していたしかし翌日事態は逆転するすなわち前文科相萩生田が何を思ったのかこの意見書を真に受け政策に取り入れる方針を明らかにしたのであるあほの萩生田は当然批判の的となったもちろん官僚の猛反発にも合った大臣試しに。も、もない文章を書いてきましたどうですか読みにくいでしょうそれは。や、がないからなのですよええ不便なものですねいったいあなた様は日本語をこのように不便で不整合な代物にしたいのですか。と、を廃止して国民の言語生活を打ち潰すおつもりですかと四六時中問い詰められたのであるこれを受けて萩生田はときに憤慨しときに黙秘しときに逃走しまたごくまれに次のような反論を呪文のごとく唱えることもあった曰く歴史的にみて。や、は本来の日本語にはなかったのだよ明治中期に一部の好事家が漢文のまねごとをして用いたものがたまたま広がっただけなのだからしたがって日本語から。と、を取ったらそれは不整合なのではなくてむしろ本来的だと言わなくてはならないそれに読みにくいのは我々の言語感覚が。と、に毒されたためであって今。も、も廃止してしまえば次世代の人々は。や、がなかろうが滑らかに読めるようになるはずである私は正しいことをしているのだとさてそこから三ヶ月ほど経って飽き性な世間の関心が薄まりを見せ始めてからも。と、の廃止をめぐる省内の係争は続いたのだがおよそ一年後の令和三年六月一日ついに。つまり終止符が打たれた和文における。及び、を全面廃止する省令令和三年文部科学省令第四十三号が近代以降初の。や、のない公式文書として公布されたのである文部科学省はその公式見解として。や、の存在を認めなくなったのだったこれが悪夢の始まりというわけだが何だ省令ごときがと思われる者も恐らく居ようたしかに当該省令に罰則はなかったそもそも省令が国民の権利を侵害するほどの規定をすることは認められていないのであるから文部科学省令に背いて。や、を使用することの何がいけないのだと文句のひとつ言ってみたくもなるがやはり官吏は侮れないことに下っ端官僚の英気には目を見張るものがある志の高い彼奴らはお偉方の言いつけに対して常に十二分の成果を提供する。と、を実際に廃止するに至った謀略もはたして彼らの根性と才能との賜物であったまず彼らは公文から。と、を抹消した省令公布日の正午には文科省が公開した文書やらホームページやらから。と、を削除して再アップロードしたさらに二日目の朝までには他の全省庁に対し同様の処理をするように求める通達がなされていた市民や企業によって提出された意見書や定款書の類はむろん担当省庁が進んで改竄したかくて六月八日。と、は日本国がウェブ上で公開するすべての文章から消滅したのである並行して彼らの元同僚が天下りしたりコネ入社したりした大企業もそのホームページから製品取扱説明書から対外契約書から社内マニュアルから。と、を綺麗に取り除いてしまったこれが売上減少やコスト増加に直結する対応であったことはまず間違いないがそれが成立していたということはやはり汚い大金が動いたということであろうところで過度な忖度が働いたのかなんとこれらの企業の多くは。と、の廃止では飽き足らず自発的に「や」や(や)といった括弧類を含むあらゆる和文約物を誰に指示されるまでもなく廃止したのだった[[余談だよ|余談だが]]これを受けてなぜか大いに感涙した萩生田は。や、とよく似た理屈で和文約物の使用禁止をも主張しはじめた先の一件以降彼の周りに残っていたのはイエスマンのみであったため彼は流れるように省令の四十三を削除し和文約物を全面廃止する省令令和三年文部科学省令第四十四号を近代日本初の。も、も「も」も(も)もその他約物の一つも用いられない公式文書として交付することができた。と、が肝心なため他の約物はあってもなくてもいいのだがそれにしてもこれは醜い話だと私は思った閑話休題想像はつくかもしれないが大企業らを自分たちの言いなりにした官吏が次に行ったことは評論家の買収であった。と、のある文章に苦言を呈する書籍を五十余名の評論家にいくつも出版させたのだこれは知識人ぶる年配層のみならず奇跡にも。や、を打つのを怠けがちなSNSネイティブ世代によく刺さったほどなくして。も、もない文章がほとんど全世代の流行となった折ついに公募の要項に句読点のないことを定めた出版社が登場する表現者を支えてきた彼らがそのようなことをするとは考えがたい話かもしれないがすべては金である諸賢も覚えておくとよいディストピアは金で作られるのだははははさてそこからは速かったすべて事態ははなから仕組まれたように進行していった華やいだ作家も上場企業の事務もすっかり権力に屈しきって読みにくい文章を書くようになった日本人も余計な無理を働いて。や、のある文章は読めないなどと言い出すようになった日本人の誇りがどうとか伝統がどうとかみな口先では都合のよいことを言うが蓋を開けてみればこの節操のなさである正直我々アフルトス人も日本人のこの情けなさには驚愕した我々の見込みでは一揆で徳政令を勝ち取りGHQから天皇誕生日を死守した日本人が国ごときの表現規制ないし言論統制に従うはずはないと踏んでいたそしてそれは我々の初動が遅延することにも繋がってしまった我々が。と、の復活に向けてようやく活動を開始したのは三ヶ月前のことである火星出身で地球人とまったく異なる外見のアフルトス人は神ウィッドの未解明の力で日本人になる日本人のような見た目になるのではなくて社会的日本人になるのである我々の宗教は地球の文字でいうところのΦのような記号に象徴されるわけだが我々はこれを分解したようなペア。と、がΦそのものが描かれた宗教旗よりも神ウィッドの力を引き出すのに効果覿面であることを発見したかつての日本においてはありがたいことに。と、がありふれた文字となっていた偉大な神は力を発揮し続けたさて我々はこの力を利用して日本の国政選挙に参加し日本をアフルトセスにとって軽便な場所にしてしまおうとしていた計略は次々と成功を収めており計二十四名を衆参の議員に仕立て上げることができていたのだその多くが有力な議員となってきたところで句読点全面廃止令である本文のような引用の。や、以外の句読点はほぼ消失してしまったそれはもう悲嘆に暮れた三から四ヶ月でいともたやすく力が希釈された我々は議員団を呼び戻して九月十日アフルトセスに一時帰還した火星では地球を尻目に句読点廃止の制止についての議論が展開されているプロジェクト1から16のうち未達なのは13と16ですね16の達成が最終目標に寄与する割合はごく小さいのだからこの際切り捨てないかねそれもそうかところが13は大きすぎる課題だなあ13はネックですねこれさえ終われば自動的に萩生田屋もぶっ倒れるでしょうにそうだねえあの班は何をやってんだかプロジェクト13の検討結果報告が一度もなされていないとはまったく始動から三ヶ月は経つしもうじき完了してもよい頃だと思うのだが。
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