「利用者:Notorious/サンドボックス/消滅の悪魔」の版間の差分

修正
(修正)
(修正)
13行目: 13行目:
<br> そうと決まれば、一刻も早く場所を突き止め、2分で移動し終えてみせる。タイムリミットは、残り2分34秒。
<br> そうと決まれば、一刻も早く場所を突き止め、2分で移動し終えてみせる。タイムリミットは、残り2分34秒。


<br> 俺はロッカーを見渡した。プールセットもしくは体育着が残っていないか、と思ったのだ。三河が場所を報告すれば、どちらかの荷物は必要無くなる。その不要な荷物を、誰かが置いていっているのではないかと考えたのだ。
<br> 薄暗い教室の中で、俺はロッカーを見渡した。プールセットもしくは体育着が残っていないか、と思ったのだ。三河が場所を報告すれば、どちらかの荷物は必要無くなる。その不要な荷物を、誰かが置いていってはしないか。
<br> しかし、そのような荷物は見当たらなかった。俺と同様、1つの鞄などにまとめて入れている人が多い。だから、その鞄ごとどちらの荷物も持っていった人がほとんどだったのだろう。空振りだ。
<br> しかし、そのような荷物は見当たらなかった。俺と同様、1つの鞄などにまとめて入れている人が多い。だから、その鞄ごとどちらの荷物も持っていった人がほとんどだったのだろう。空振りだ。
5秒ほど使ってしまった。このまま教室でグズグズしていたら、1つの目的地にすら時間内に辿り着けない。俺は、リュックサックを担ぐと、走り出した。
5秒ほど使ってしまった。このまま教室でグズグズしていたら、1つの目的地にすら時間内に辿り着けない。俺はリュックサックを担ぐと、走り出した。
教室の電灯は消えていた。だから、するべきことは教室の施錠のみ。7月ゆえに冷房がついており、よって窓は施錠されている、と思うことにした。防犯の観点からするとよろしくないことではあるが、いちいち窓の鍵をチェックしている時間は無い。黒板横に掛かっている教室の鍵を引っ掴み、引き戸を乱暴に閉めて、鍵穴に鍵をあてがう。こんな時に限って、上下がさかさまだ。
教室の電灯は消えていた。だから、するべきことは教室の施錠のみ。7月ゆえに冷房がついており、よって窓は施錠されている、と思うことにした。防犯の観点からするとよろしくないことではあるが、いちいち窓の鍵をチェックしている時間は無い。黒板横に掛かっている教室の鍵を引っ掴み、引き戸を乱暴に閉めて、鍵穴に鍵をあてがう。こんな時に限って、上下がさかさまだ。
<br>「ううっ、くそっ」
<br>「ううっ、くそっ」
<br> どうにか鍵を挿して捻り、抜く。扉がちゃんと施錠されたかの確認もせずに、俺は廊下を走り出した。鍵はズボンのポケットに突っ込む。
<br> どうにか鍵を挿して捻り、抜く。扉がちゃんと施錠されたかの確認もせずに、俺は廊下を走り出した。鍵はズボンのポケットに突っ込む。
<br> 走りながら横の窓の外を見た。雷や大雨となっていれば、水泳は中止された可能性が高い。しかし、空は朝と変わらず、暗雲が立ちこめているだけだった。太陽光は完全に遮られ、まるで夜のように暗い。雨が降っていれば、向かいの山の電波塔が煙って見えなくなる。だが、窓ガラスの向こうの灰色の塔は、黒々とした雲をバックに、鉄の骨組みまでくっきりと見えた。雷も鳴っていない。ただ、こちら側から吹く風に、植わった木々が揺れているだけだった。天気は崩れていない。プールが決行された方に1ポイント。
<br> 走りながら横の窓の外を見た。雷や大雨となっていれば、水泳は中止された可能性が高い。しかし、空は朝と変わらず、暗雲が立ちこめているだけだった。太陽光は完全に遮られ、真昼とは思えないほど暗い。雨が降っていれば、向かいの山の電波塔が煙って見えなくなる。だが、窓ガラスの向こうの灰色の塔は、黒々とした雲をバックに、鉄の骨組みまでくっきりと見えた。雷も鳴っていない。ただ、こちら側から吹く風に、植わった木々が揺れているだけだった。天気は崩れていない。プールが決行された方に1ポイント。
<br> 実は、水泳の授業は遅れぎみなのだ。前々回も悪天候で中止になり、スケジュールが押している。だから、三河は多少の天候不順なら水泳を決行する可能性が高い。この事実もプール説を補強する。
<br> 実は、水泳の授業は遅れぎみなのだ。前々回も悪天候で中止になり、スケジュールが押している。だから、三河は多少の天候不順なら水泳を決行する可能性が高い。この事実もプール説を補強する。
<br> だが……俺が眠っている間に急速に天気が悪くなり、また回復した可能性も否定できない。もしそうならば、今の天候は小康状態であり、いつまた崩れるか判らないということになる。ならば、三河は水泳の中止を決断するだろう。三河は自らの保身、ひいては生徒の安全を優先する。彼はそういう人間だし、体育教師とはそういう職業だろう。いや偏見だが。俺は走るコースを窓際に寄せ、横目で地面を見下ろした。もし俺が寝ている間に大雨となっていれば、地面が濡れているなどの痕跡が残っているのではないかと思ったのだ。しかし、外は暗く、地面も黒く見えるだけだった。これでは、地面が濡れているかの判断はつかない。
<br> だが……俺が眠っている間に急速に天気が悪くなり、また回復した可能性も否定できない。もしそうならば、今の天候は小康状態であり、いつまた崩れるか判らないということになる。ならば、三河は水泳の中止を決断するだろう。三河は自らの保身、ひいては生徒の安全を優先する。彼はそういう人間だし、体育教師とはそういう職業だろう。いや偏見だが。俺は走るコースを窓際に寄せ、横目で地面を見下ろした。もし俺が寝ている間に大雨となっていれば、地面が濡れているなどの痕跡が残っているのではないかと思ったのだ。しかし、外は暗く、地面も黒く見えるだけだった。これでは、地面が濡れているかの判断はつかない。
35行目: 35行目:


<br> エレベーターの前を駆け抜ける。ここの自治体は割と裕福で、沢渡高校の設備も、その恩恵を受けている。だから、ただの公立高校に、エレベーターなんてものがある。だが、今は教室棟の昇り降りの必要はない。エレベーターじゃなくて動く歩道が欲しかった。目線はまっすぐ、渡り廊下への曲がり角に向けている。
<br> エレベーターの前を駆け抜ける。ここの自治体は割と裕福で、沢渡高校の設備も、その恩恵を受けている。だから、ただの公立高校に、エレベーターなんてものがある。だが、今は教室棟の昇り降りの必要はない。エレベーターじゃなくて動く歩道が欲しかった。目線はまっすぐ、渡り廊下への曲がり角に向けている。
<br> スピードを落とさないまま、俺は思いっきり体を右に傾けた。右手を床につけ、膝に負荷をかけながら、足を回す。上履きがキュキュッと甲高い音を立てる。壁にぶつかりそうになりながら、どうにか90度のカーブを曲がりきった。高揚感に全身が包まれる。F1レーサーも真っ青のコーナリングだったぜ。残り、1分15秒。
<br> スピードを落とさないまま、俺は思いっきり体を右に傾けた。右手を床につけ、膝に負荷をかけながら、足を回す。上履きがキュキュッと甲高い音を立てる。壁にぶつかりそうになりながら、どうにか90度のカーブを曲がりきった。高揚感に全身が包まれる。F1レーサーも真っ青のコーナリングだったぜ。残り、1分15秒。
<br> そのまま渡り廊下を突っ走る。渡り廊下とはいえ、屋根も壁もある。長さはおよそ30メートル。突き当たりには、体育棟の階段がある。疲労した脚に鞭打って、更に速度を上げる。窓の無い、暗い廊下を階段に向かって走っていると、いつもの学校じゃない場所にいるような、不思議な気分になった。
<br> そのまま渡り廊下を突っ走る。渡り廊下とはいえ、屋根も壁もある。長さはおよそ30メートル。突き当たりには、体育棟の階段がある。疲労した脚に鞭打って、更に速度を上げる。窓の無い、暗い廊下を階段に向かって走っていると、いつもの学校じゃない場所にいるような、不思議な気分になった。
<br> 首を振ってそんな感慨を追い払う。決断の時が迫っている。階段到達まで、5秒も無いだろう。行くべき場所は、プールか体育館か。階段を上るべきか、下るべきか。残り、1分07秒。
<br> 首を振ってそんな感慨を追い払う。決断の時が迫っている。階段到達まで、5秒も無いだろう。行くべき場所は、プールか体育館か。階段を上るべきか、下るべきか。残り、1分07秒。
44行目: 44行目:
<br> 残り1分00秒。俺は、意を決して、階段を上る一段目に足をかけた。
<br> 残り1分00秒。俺は、意を決して、階段を上る一段目に足をかけた。


<br> ──{{傍点|文章=違和感}}。感じたのは、それだった。何か、重大なことを見落としているような、違和感。目の前に横たわっているのに、寝ぼけて気づけていないような違和感。
 
 
<br> ──{{傍点|文章=違和感}}
<br> 感じたのは、それだった。何か、重大なことを見落としているような、違和感。目の前に横たわっているのに、寝ぼけて気づけていないような違和感。
<br> 足が、止まる。さっき決したはずの心が、揺らいでいる。何か見落としている。何か、何か……。
<br> 足が、止まる。さっき決したはずの心が、揺らいでいる。何か見落としている。何か、何か……。
<br> ──{{傍点|文章=松葉杖}}?
<br> ──{{傍点|文章=松葉杖}}?
60行目: 63行目:
<br> ──掴んだ。
<br> ──掴んだ。


<br> 残り36秒、考えるより先に、俺は走り出していた。掴んだものを離さないうちに、頭の中で反芻する。
<br> 残り36秒、考えるより先に、俺は跳ぶように走り出していた。掴んだものを離さないうちに、頭の中で反芻する。
<br> {{傍点|文章=なぜ}}、{{傍点|文章=松葉杖をついた女生徒は階段を下りてきたのか}}? すなわち、{{傍点|文章=なぜ}}、{{傍点|文章=松葉杖をついた女生徒は}}、{{傍点|文章=エレベーターを使わなかったのか}}?
<br> {{傍点|文章=なぜ}}、{{傍点|文章=松葉杖をついた女生徒は階段を下りてきたのか}}? すなわち、{{傍点|文章=なぜ}}、{{傍点|文章=松葉杖をついた女生徒は}}、{{傍点|文章=エレベーターを使わなかったのか}}?
<br> 足にギプスをはめた彼女にとって、階段を下りるのは相当な難事だっただろう。転げ落ちるリスクもあるし、現に彼女はこけている。手助けしてくれる人もいなかったし、情報教室はエレベーターとも近い。エレベーターが使用中だったとしても、急いで危険な階段を使うよりは、普通エレベーターを待つだろう。なのに、なぜ? 簡単だ。使わなかったのではなく、{{傍点|文章=使えなかったのだ}}。
<br> 足にギプスをはめた彼女にとって、階段を下りるのは相当な難事だっただろう。転げ落ちるリスクもあるし、現に彼女はこけている。手助けしてくれる人もいなかったし、情報教室はエレベーターとも近い。エレベーターが使用中だったとしても、急いで危険な階段を使うよりは、普通エレベーターを待つだろう。なのに、なぜ? 簡単だ。使わなかったのではなく、{{傍点|文章=使えなかったのだ}}。
<br> 残り24秒。階段を2段飛ばしで駆ける。
<br> 残り24秒。階段を2段飛ばしで駆ける。
<br> 疑問は、それだけではない。教室を出て、廊下の外を見たとき。{{傍点|文章=外は夜のように暗かったのに}}、{{傍点|文章=どうして電波塔がくっきりと見えた}}? {{傍点|文章=内側より外側が暗いと}}、{{傍点|文章=ガラスは鏡のように}}、{{傍点|文章=内側からの光を反射する}}。なのに、なぜ覗き込む俺の顔は映らず、外がはっきり見えた? それは、{{傍点|文章=室内が}}、{{傍点|文章=室外と同じくらい暗かったから}}。
<br> 疑問は、それだけではない。教室を出て、廊下の外を見たとき。{{傍点|文章=外は真昼とは思えないほど暗かったのに}}、{{傍点|文章=どうして電波塔がくっきりと見えた}}? {{傍点|文章=内側より外側が暗いと}}、{{傍点|文章=ガラスは鏡のように}}、{{傍点|文章=内側からの光を反射する}}。なのに、なぜ覗き込む俺の顔は映らず、外がはっきり見えた? それは、{{傍点|文章=室内が}}、{{傍点|文章=室外と同じくらい暗かったから}}。
<br> 教室の電灯は消えていた。いつもと違う感覚を覚えたのも、渡り廊下がいつもより暗かったからではないか? 廊下の電灯はすべて消えていたのではないか? エレベーターのランプも、点いていなかったのではないか?
<br> 教室の電灯は消えていた。いつもと違う感覚を覚えたのも、渡り廊下がいつもより暗かったからではないか? 廊下の電灯はすべて消えていたのではないか? エレベーターのランプも、点いていなかったのではないか?
<br> これらの状況証拠から導かれる推論はこうだ。
<br> これらの状況証拠から導かれる推論はこうだ。
79行目: 82行目:
<br> 人事は、尽くした。
<br> 人事は、尽くした。
<br> 残り1秒。俺は{{傍点|文章=体育館}}の扉を、勢いよく開けた。
<br> 残り1秒。俺は{{傍点|文章=体育館}}の扉を、勢いよく開けた。


<br> その瞬間、体育館内が突如明るくなった。眩しさに俺は思わず目をつぶる。そして、同時に授業開始のチャイムが鳴り響いた。
<br> その瞬間、体育館内が突如明るくなった。眩しさに俺は思わず目をつぶる。そして、同時に授業開始のチャイムが鳴り響いた。
2,085

回編集