「利用者:Notorious/サンドボックス/コンテスト」の版間の差分

(のおお)
(の)
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「起きたか、佐藤」
「起きたか、佐藤」
<br> はっと後ろを振り向くと、先輩巡査の権田が座っているのに気づいた。壁に備え付けられた腰掛けのようなものがあるらしい。多くのチンピラを投げ飛ばしてきた、鍛え上げた体軀をずしりと構えている。しかし、心なしか迫力が減ったような気がした。すぐにその原因に気づく。権田は警察官の制服のシャツとズボンを着けている。だが、帽子やベスト、ネクタイまでもが見当たらない。もちろん、警棒や拳銃を入れたホルスターもない。いつもの制服姿でないから、些か威厳に欠けて見えるのだ。
<br> はっと後ろを振り向くと、先輩巡査の権田が座っているのに気づいた。壁に備え付けられた腰掛けのようなものがあるらしい。3年先輩の権田とは、バディを組んで5年になる。警察官の仕事や心構えを、みっちりと叩き込まれてきたものだ。多くのチンピラを投げ飛ばしてきた、鍛え上げた体軀をずしりと構えている。しかし、心なしか迫力が減ったような気がした。すぐにその原因に気づく。権田は警察官の制服のシャツとズボンを着けている。だが、帽子やベスト、ネクタイまでもが見当たらない。もちろん、警棒や拳銃を入れたホルスターもない。いつもの制服姿でないから、些か威厳に欠けて見えるのだ。
<br> そこまで考えて、自分の服装も似たり寄ったりなことに気づいた。業務中にこんな服装となることはない。下手をすれば懲戒ものだ。いや、そもそも仕事中ではないのか? ならなぜ権田と共にいるのだ? いや待て、そんなことより。ようやく、もっと早くに浮かんでいてしかるべき疑問が、奔流となって僕の脳に襲いかかってきた。僕はそんな数多の疑問符をまとめて、とりあえずそこにいる権田にぶつけてみた。
<br> そこまで考えて、自分の服装も似たり寄ったりなことに気づいた。業務中にこんな服装となることはない。下手をすれば懲戒ものだ。いや、そもそも仕事中ではないのか? ならなぜ権田と共にいるのだ? いや待て、そんなことより。ようやく、もっと早くに浮かんでいてしかるべき疑問が、奔流となって僕の脳に襲いかかってきた。僕はそんな数多の疑問符をまとめて、とりあえずそこにいる権田にぶつけてみた。
<br>「先輩、これってどういう状況ですか?」
<br>「先輩、これってどういう状況ですか?」
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 僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。
 僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。
<br> 普通のドアのところへ行き、レバーを下ろして引く。ドアは、滑らかに内へと開いた。何の変哲もない挙動。そこは、小さな部屋だった。何もない。ただの空間。その向こうには、同じようなドアがまたある。戸惑いながらも、部屋を渡ってそのドアを開ける。今度は外開きだった。
<br> 普通のドアのところへ行き、レバーを下ろして引く。ドアは、滑らかにこちら側へと開いた。何の変哲もない挙動。そこは、小さな部屋だった。何もない。ただの空間。その向こうには、同じようなドアがまたある。戸惑いながらも、部屋を渡ってそのドアを開ける。今度は向こうへと開いた。
<br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。
<br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。
<br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。
<br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。
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<br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」
<br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」
<br> 件のドアを見上げ、僕は歯噛みした。番号はある。打ち込むテンキーもある。ただ一つ、高さだけが足りない。
<br> 件のドアを見上げ、僕は歯噛みした。番号はある。打ち込むテンキーもある。ただ一つ、高さだけが足りない。
<br>「約5メートル……。肩車程度じゃ届かないのは実証済み。僕も権田先輩も、腕をまっすぐ伸ばしても2メートルくらいの高さしかない。単純に二人が積み上がっても、まだ1メートルくらい足りないですね」
<br>「約5メートル……。肩車程度じゃ届かないのは実証済み」
<br>「たった1メートルなんだがな……。まず浮かぶのは、{{傍点|文章=踏み台を用意する}}ことだよな」
<br>「人馬といったか、一人が一人を放り投げるってのはどうだ?」
<br> 権田は低い位置で両手の指を組み、ソーラン節のように勢いよく上へと振った。もう一人が助走してこの組んだ手に片足を乗せ、タイミングを合わせて跳ぶ。そうすれば、だいぶ高く跳躍できそうだ。
<br>「でも、相当危ないですね。跳んだら落ちてこないといけない。5メートルの高さから落ちると、打ち所によっては命に関わります」
<br>「ベッドはドアと離れてるからクッションにはできない。服やタオルは、大して衝撃を吸収しないよな」
<br>「上手くテンキーのところに跳べても、一回のジャンプで押せるボタンは一つが限度でしょう。この方法だと、最低4回は高所から落下しないといけない。危険すぎますね」
<br> 次だ。ジャンプが駄目なら、地に足をつけてボタンに手を届かせればいい。
<br>「僕の両手に先輩の両足を乗せて、ウエイトリフティングみたく持ち上げる。そうすれば、4メートルくらいには達するんですけどね。幸い筋トレと練習をする時間はありそうですし」
<br>「あと、たった1メートルなんだがな……。まず浮かぶのは、{{傍点|文章=踏み台を用意する}}ことだよな」
<br>「ええ。でも……」
<br>「ええ。でも……」
<br> 1メートルの足場。それが簡単に用意できれば、今こんなふうに呻吟していない。
<br> 1メートルの足場。それが簡単に用意できれば、今こんなふうに難渋していない。
<br>「この部屋にあるのは、ベッドくらいか。でも、ドアからは離れているし、動かせもしない」
<br>「この部屋にあるのは、ベッドくらいか。でも、ドアからは離れているし、動かせもしない」
<br>「倉庫には、文字通り食料の山がありますけど……」
<br>「倉庫には、文字通り食料の山がありますけど……」
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<br> 僕らは同時に天井を見上げた。目覚めたときよりまあまあ光量を落とした電灯は、天井に埋め込まれている。天井はつるりと滑らかで、何かが引っかかるような突起は全くない。
<br> 僕らは同時に天井を見上げた。目覚めたときよりまあまあ光量を落とした電灯は、天井に埋め込まれている。天井はつるりと滑らかで、何かが引っかかるような突起は全くない。
<br>「まだだ。小部屋のドアは外開き。あれを開けて登れば、鍵穴に届くかも……」
<br>「まだだ。小部屋のドアは外開き。あれを開けて登れば、鍵穴に届くかも……」
<br> ベッドを飛び降りて、権田は小部屋のドアを開け、すぐに閉めてすごすごと戻ってきた。テンキーには、距離も高さも全然足りない。どうやら、このアイデアも不発のようだ。
<br> ベッドを飛び降りて、権田は小部屋のドアを開け、すぐに閉めてすごすごと戻ってきた。そもそも、小部屋はドアがある壁から離れた位置にある。テンキーには、距離も高さも全然足りない。どうやら、このアイデアも不発のようだ。


「何か長い棒があれば、ボタンを押せるんですけど……」
「何か長い棒があれば、ボタンを押せるんですけど……」
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<br>「なら、{{傍点|文章=電力の供給を止めれば}}、{{傍点|文章=磁力は失われる}}ってことだ」
<br>「なら、{{傍点|文章=電力の供給を止めれば}}、{{傍点|文章=磁力は失われる}}ってことだ」
<br>「……なるほど。つまり、何らかの方法で{{傍点|文章=電気ひいては電磁石を止め}}、{{傍点|文章=鉄をここに持ち込めるようにする}}ということですね?」
<br>「……なるほど。つまり、何らかの方法で{{傍点|文章=電気ひいては電磁石を止め}}、{{傍点|文章=鉄をここに持ち込めるようにする}}ということですね?」
<br>「その通りだ。どうだ?」
<br>「その通りだ。そうすれば、踏み台が作れる。どうだ?」
<br>「その発想はありませんでしたね……。ただ、電気をどうやって止めるんです? コンセントでもあれば、何かを差し込んでショートさせられるかもしれませんけど」
<br>「その発想はありませんでしたね……。ただ、電気をどうやって止めるんです? コンセントでもあれば、何かを差し込んでショートさせられるかもしれませんけど」
<br>「コンセントは見当たらなかったな。だが、この手はどうだ? {{傍点|文章=小部屋を水没させる}}んだ。すると、壁の裏とかにある配線が浸かって、{{傍点|文章=漏電して電気が遮断される}}かもしれない」
<br>「コンセントは見当たらなかったな。だが、この手はどうだ? {{傍点|文章=小部屋を水没させる}}んだ。すると、壁の裏とかにある配線が浸かって、{{傍点|文章=漏電して電気が遮断される}}かもしれない」
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<br> しばらく悩んだ後、
<br> しばらく悩んだ後、
<br>「いや、無理だな」
<br>「いや、無理だな」
<br> と権田は力なく言った。
<br> と権田は力なく言った。慌てて僕は言葉を継ぐ。
<br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」
<br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」
<br>「はは……フォローありがとな、佐藤」
<br>「はは……フォローありがとな、佐藤」
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<br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだと到底眠れそうになかったので、僕は必死に気を逸らせた。
<br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだと到底眠れそうになかったので、僕は必死に気を逸らせた。
<br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。
<br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。
<br> いや待て、また思考がこの状況に戻っている。日常のことに考えを戻そう。でなきゃ眠れない。いつもなら、そうだな、風呂上がりに一杯やってたかもしれない。寝巻きでだらだらとテレビを見ているか、スマホを眺めているか。ツイッターとかのタイムラインを、漫然と周回するのだ。
<br> つらつらと思惟していると、連想は連想を呼び、だんだんと気分が落ち着いてきた。全く無関係なことを考えていると、ゆっくりと眠気に侵食されていく。もうしばらくすれば眠れる。そう思って意識を思索に飛ばした、その時だった。
<br> ああ、急に懐かしく感じてきた。スマホは奪われているから、もちろんネットサーフィンなんてできない。飯も風呂もベッドも用意されているからあまり感じていなかったが、紛れもなく僕は拉致されて自由を奪われているのだ。ふつふつと犯人たちへの怒りが湧き上がってきた。しかし、僕はそれを一旦忘れることにする。今はさっさと寝て、一刻も早く気を逸らさねばならない。怒るのは明日の倉庫捜索のモチベーションのために、取っておこう。
<br> 日常にもう一度思いを馳せよう。ツイッターを見るのだ。知り合いのくだらない日常のあれこれや、推しのアイドルグループの公式情報、それから最近はイラストも多く流れてくる。好きなアニメの二次創作が多く流れてきて、過激なものも時にはあるけれど、概してリスペクトがこめられていて、見ていてとても楽しいのだ……。


 はっとした。まさか。
 はっとした。まさか。
<br> 嫌な想像をしてしまった。そして、それを拭えない。いろんな状況が符合してしまう。
<br> 嫌な想像をしてしまった。そして、それを拭えない。いろんな状況が符合してしまう。眠気は吹っ飛んでいた。背筋を冷たい汗が伝う。
<br> 調べなくては。この予想が、どうか外れていてほしい。
<br> 調べなくては。この予想が、どうか外れていてほしい。僕はベッドからそっと降り、ゆっくりとその場を離れた。
<br> 僕はベッドからそっと降り、ゆっくりとその場を離れた。


{{転換}}
{{転換}}


 僕は倉庫にいた。ぼんやりとしか見えない光の中、何度も躓きながら奥の方を目指す。手探りで瓶の山を分け入っていくと、権田が見つけた缶詰の一角に辿り着いた。一角とはいえ、缶詰の数は100を下らない。その中から、できるだけ場所をばらして五つほど取る。
 僕は倉庫にいた。ぼんやりとしか見えない光の中、何度も躓きながら奥の方を目指す。手探りで瓶の山を分け入っていくと、権田が見つけた缶詰の一角に辿り着いた。一角とはいえ、缶詰の数は100を下らない。その中から、できるだけ場所をばらして五つほど取る。
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