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(の) |
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「起きたか、佐藤」 | 「起きたか、佐藤」 | ||
<br> | <br> はっと後ろを振り向くと、先輩巡査の権田が座っているのに気づいた。壁に備え付けられた腰掛けのようなものがあるらしい。3年先輩の権田とは、バディを組んで5年になる。警察官の仕事や心構えを、みっちりと叩き込まれてきたものだ。多くのチンピラを投げ飛ばしてきた、鍛え上げた体軀をずしりと構えている。しかし、心なしか迫力が減ったような気がした。すぐにその原因に気づく。権田は警察官の制服のシャツとズボンを着けている。だが、帽子やベスト、ネクタイまでもが見当たらない。もちろん、警棒や拳銃を入れたホルスターもない。いつもの制服姿でないから、些か威厳に欠けて見えるのだ。 | ||
<br> そこまで考えて、自分の服装も似たり寄ったりなことに気づいた。業務中にこんな服装となることはない。下手をすれば懲戒ものだ。いや、そもそも仕事中ではないのか? ならなぜ権田と共にいるのだ? いや待て、そんなことより。ようやく、もっと早くに浮かんでいてしかるべき疑問が、奔流となって僕の脳に襲いかかってきた。僕はそんな数多の疑問符をまとめて、とりあえずそこにいる権田にぶつけてみた。 | <br> そこまで考えて、自分の服装も似たり寄ったりなことに気づいた。業務中にこんな服装となることはない。下手をすれば懲戒ものだ。いや、そもそも仕事中ではないのか? ならなぜ権田と共にいるのだ? いや待て、そんなことより。ようやく、もっと早くに浮かんでいてしかるべき疑問が、奔流となって僕の脳に襲いかかってきた。僕はそんな数多の疑問符をまとめて、とりあえずそこにいる権田にぶつけてみた。 | ||
<br>「先輩、これってどういう状況ですか?」 | <br>「先輩、これってどういう状況ですか?」 | ||
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僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。 | 僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。 | ||
<br> | <br> 普通のドアのところへ行き、レバーを下ろして引く。ドアは、滑らかにこちら側へと開いた。何の変哲もない挙動。そこは、小さな部屋だった。何もない。ただの空間。その向こうには、同じようなドアがまたある。戸惑いながらも、部屋を渡ってそのドアを開ける。今度は向こうへと開いた。 | ||
<br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。 | <br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。 | ||
<br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。 | <br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。 | ||
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<br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」 | <br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」 | ||
<br> 件のドアを見上げ、僕は歯噛みした。番号はある。打ち込むテンキーもある。ただ一つ、高さだけが足りない。 | <br> 件のドアを見上げ、僕は歯噛みした。番号はある。打ち込むテンキーもある。ただ一つ、高さだけが足りない。 | ||
<br> | <br>「約5メートル……。肩車程度じゃ届かないのは実証済み」 | ||
<br> | <br>「人馬といったか、一人が一人を放り投げるってのはどうだ?」 | ||
<br> 権田は低い位置で両手の指を組み、ソーラン節のように勢いよく上へと振った。もう一人が助走してこの組んだ手に片足を乗せ、タイミングを合わせて跳ぶ。そうすれば、だいぶ高く跳躍できそうだ。 | |||
<br>「でも、相当危ないですね。跳んだら落ちてこないといけない。5メートルの高さから落ちると、打ち所によっては命に関わります」 | |||
<br>「ベッドはドアと離れてるからクッションにはできない。服やタオルは、大して衝撃を吸収しないよな」 | |||
<br>「上手くテンキーのところに跳べても、一回のジャンプで押せるボタンは一つが限度でしょう。この方法だと、最低4回は高所から落下しないといけない。危険すぎますね」 | |||
<br> 次だ。ジャンプが駄目なら、地に足をつけてボタンに手を届かせればいい。 | |||
<br>「僕の両手に先輩の両足を乗せて、ウエイトリフティングみたく持ち上げる。そうすれば、4メートルくらいには達するんですけどね。幸い筋トレと練習をする時間はありそうですし」 | |||
<br>「あと、たった1メートルなんだがな……。まず浮かぶのは、{{傍点|文章=踏み台を用意する}}ことだよな」 | |||
<br>「ええ。でも……」 | <br>「ええ。でも……」 | ||
<br> | <br> 1メートルの足場。それが簡単に用意できれば、今こんなふうに難渋していない。 | ||
<br>「この部屋にあるのは、ベッドくらいか。でも、ドアからは離れているし、動かせもしない」 | <br>「この部屋にあるのは、ベッドくらいか。でも、ドアからは離れているし、動かせもしない」 | ||
<br>「倉庫には、文字通り食料の山がありますけど……」 | <br>「倉庫には、文字通り食料の山がありますけど……」 | ||
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<br> 僕らは同時に天井を見上げた。目覚めたときよりまあまあ光量を落とした電灯は、天井に埋め込まれている。天井はつるりと滑らかで、何かが引っかかるような突起は全くない。 | <br> 僕らは同時に天井を見上げた。目覚めたときよりまあまあ光量を落とした電灯は、天井に埋め込まれている。天井はつるりと滑らかで、何かが引っかかるような突起は全くない。 | ||
<br>「まだだ。小部屋のドアは外開き。あれを開けて登れば、鍵穴に届くかも……」 | <br>「まだだ。小部屋のドアは外開き。あれを開けて登れば、鍵穴に届くかも……」 | ||
<br> | <br> ベッドを飛び降りて、権田は小部屋のドアを開け、すぐに閉めてすごすごと戻ってきた。そもそも、小部屋はドアがある壁から離れた位置にある。テンキーには、距離も高さも全然足りない。どうやら、このアイデアも不発のようだ。 | ||
「何か長い棒があれば、ボタンを押せるんですけど……」 | 「何か長い棒があれば、ボタンを押せるんですけど……」 | ||
182行目: | 189行目: | ||
<br>「なら、{{傍点|文章=電力の供給を止めれば}}、{{傍点|文章=磁力は失われる}}ってことだ」 | <br>「なら、{{傍点|文章=電力の供給を止めれば}}、{{傍点|文章=磁力は失われる}}ってことだ」 | ||
<br>「……なるほど。つまり、何らかの方法で{{傍点|文章=電気ひいては電磁石を止め}}、{{傍点|文章=鉄をここに持ち込めるようにする}}ということですね?」 | <br>「……なるほど。つまり、何らかの方法で{{傍点|文章=電気ひいては電磁石を止め}}、{{傍点|文章=鉄をここに持ち込めるようにする}}ということですね?」 | ||
<br> | <br>「その通りだ。そうすれば、踏み台が作れる。どうだ?」 | ||
<br>「その発想はありませんでしたね……。ただ、電気をどうやって止めるんです? コンセントでもあれば、何かを差し込んでショートさせられるかもしれませんけど」 | <br>「その発想はありませんでしたね……。ただ、電気をどうやって止めるんです? コンセントでもあれば、何かを差し込んでショートさせられるかもしれませんけど」 | ||
<br>「コンセントは見当たらなかったな。だが、この手はどうだ? {{傍点|文章=小部屋を水没させる}}んだ。すると、壁の裏とかにある配線が浸かって、{{傍点|文章=漏電して電気が遮断される}}かもしれない」 | <br>「コンセントは見当たらなかったな。だが、この手はどうだ? {{傍点|文章=小部屋を水没させる}}んだ。すると、壁の裏とかにある配線が浸かって、{{傍点|文章=漏電して電気が遮断される}}かもしれない」 | ||
195行目: | 202行目: | ||
<br> しばらく悩んだ後、 | <br> しばらく悩んだ後、 | ||
<br>「いや、無理だな」 | <br>「いや、無理だな」 | ||
<br> | <br> と権田は力なく言った。慌てて僕は言葉を継ぐ。 | ||
<br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」 | <br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」 | ||
<br>「はは……フォローありがとな、佐藤」 | <br>「はは……フォローありがとな、佐藤」 | ||
241行目: | 248行目: | ||
<br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだと到底眠れそうになかったので、僕は必死に気を逸らせた。 | <br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだと到底眠れそうになかったので、僕は必死に気を逸らせた。 | ||
<br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。 | <br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。 | ||
<br> | <br> つらつらと思惟していると、連想は連想を呼び、だんだんと気分が落ち着いてきた。全く無関係なことを考えていると、ゆっくりと眠気に侵食されていく。もうしばらくすれば眠れる。そう思って意識を思索に飛ばした、その時だった。 | ||
はっとした。まさか。 | はっとした。まさか。 | ||
<br> | <br> 嫌な想像をしてしまった。そして、それを拭えない。いろんな状況が符合してしまう。眠気は吹っ飛んでいた。背筋を冷たい汗が伝う。 | ||
<br> | <br> 調べなくては。この予想が、どうか外れていてほしい。僕はベッドからそっと降り、ゆっくりとその場を離れた。 | ||
{{転換}} | {{転換}} | ||
僕は倉庫にいた。ぼんやりとしか見えない光の中、何度も躓きながら奥の方を目指す。手探りで瓶の山を分け入っていくと、権田が見つけた缶詰の一角に辿り着いた。一角とはいえ、缶詰の数は100を下らない。その中から、できるだけ場所をばらして五つほど取る。 | 僕は倉庫にいた。ぼんやりとしか見えない光の中、何度も躓きながら奥の方を目指す。手探りで瓶の山を分け入っていくと、権田が見つけた缶詰の一角に辿り着いた。一角とはいえ、缶詰の数は100を下らない。その中から、できるだけ場所をばらして五つほど取る。 |
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