「利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丁」の版間の差分

27行目: 27行目:
クソなぞかけには、クソなぞかけをクソなぞかけたらしめるためのいくつかのクソ技法が存在する。これらは単純な「トトキマス」の個々の文内容からの逐語的連想ではその心を導けないようにするために用いられ、より高度な文意解釈を要求する。(逆に言えば、単純な連想で、あるいは連想をせずとも、それがその心の一部分となっているものもある。多くの場合、文内容をそのまま使うことができるのはトトキマスの一部分にすぎないが、中には反例もある――この節である。)
クソなぞかけには、クソなぞかけをクソなぞかけたらしめるためのいくつかのクソ技法が存在する。これらは単純な「トトキマス」の個々の文内容からの逐語的連想ではその心を導けないようにするために用いられ、より高度な文意解釈を要求する。(逆に言えば、単純な連想で、あるいは連想をせずとも、それがその心の一部分となっているものもある。多くの場合、文内容をそのまま使うことができるのはトトキマスの一部分にすぎないが、中には反例もある――この節である。)


たとえば、もっともよく使われる「置換法」は、その心には直接反映されない「トトキマス」中の文内容(以下「虚心」)を通じて、実際に導出される心 (以下「本心」) となる文字列の数文字の部分を別の数文字に置き換えるものである。これには、字母「が」を中心に「a が a'」(注: 文内容 A に対する本心 A' とは異なる) を成り立たせる形が多く、「笑顔」「じゃがバター」「どれが銅鑼?」等がある。その形式をとらない物でも、例えば濁点付与の「アメリカザリガニ」や、濁点/半濁点除去の「和歌」、より高度なものでは「狭い」等の語に表象される音声学的操作 (「虚心の虚心」といった複雑な振る舞いの項になることも多い) がある。置換法は、以下に示す例のような複雑な構造を取ることも可能である。
たとえば、もっともよく使われる「置換法」は、その心には直接反映されない「トトキマス」中の文内容 (以下「虚心」) を通じて、実際に導出される心 (以下「本心」) となる文字列の数文字の部分を別の数文字に置き換えるものである。これには、字母「が」を中心に「a が a'」(注: 文内容 A に対する本心 A' とは異なる) を成り立たせる形が多く、「笑顔」「じゃがバター」「どれが銅鑼?」等がある。その形式をとらない物でも、例えば濁点付与の「アメリカザリガニ」や、濁点/半濁点除去の「和歌」、より高度なものでは「狭い」等の語に表象される音声学的操作 (「虚心の虚心」といった複雑な振る舞いの項になることも多い) がある。置換法は、以下に示す例のような複雑な構造を取ることも可能である。


{|class="wikitable"
{|class="wikitable"
39行目: 39行目:
|A-B-C-D||[DA.'-B'-C']'||文内容 B, C は連想によって本心化し、A は虚心 D. を受けたのち本心化した。||A(牛の)B(欠片の)C(寺で)D(うがいする)→[DA.'(<ruby>牛<rt>うし</rt></ruby>+うがい=いし→ストーン)B'(<ruby>片<rt>へん</rt></ruby>)C'(<ruby>寺<rt>じ</rt></ruby>)]' = ストーンヘンジ
|A-B-C-D||[DA.'-B'-C']'||文内容 B, C は連想によって本心化し、A は虚心 D. を受けたのち本心化した。||A(牛の)B(欠片の)C(寺で)D(うがいする)→[DA.'(<ruby>牛<rt>うし</rt></ruby>+うがい=いし→ストーン)B'(<ruby>片<rt>へん</rt></ruby>)C'(<ruby>寺<rt>じ</rt></ruby>)]' = ストーンヘンジ
|-
|-
|A-B-C-D||[DCA'..-B']'||文内容 A, B は連想によって本心化し、A' は 虚心 D., E. を受けた。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DCA'..(<ruby>Cow<rt>かう</rt></ruby>+うがい=かい, かい+いが無い=か)B'(<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>)]' = 鎌
|A-B-C-D||[DCA'..-B']'||文内容 A, B は連想によって本心化し、A' は 虚心 C., D. を受けた。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DCA'..(<ruby>Cow<rt>かう</rt></ruby>+うがい=かい, かい+いが無い=か)B'(<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>)]' = 鎌
|-
|-
|A-B-C-D||[DCA..'-B']'||文内容 B は連想によって本心化し、A は 虚心 D., E. を受けたのち本心化した。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DCA'..(<ruby>牛<rt>うし</rt></ruby>+うがい=いし, いし+いが無い=し→四)B'(<ruby>間<rt>かん</rt></ruby>)]' = 四冠
|A-B-C-D||[DCA..'-B']'||文内容 B は連想によって本心化し、A は 虚心 C., D. を受けたのち本心化した。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DCA'..(<ruby>牛<rt>うし</rt></ruby>+うがい=いし, いし+いが無い=し→四)B'(<ruby>間<rt>かん</rt></ruby>)]' = 四冠
|-
|-
|A-B-C-D||[DCA.'.-B']'||文内容 B は連想によって本心化し、A は 虚心 D. を受けたのち本心化し虚心 E. を受けた。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DCA'..(<ruby>牛<rt>うし</rt></ruby>+うがい=いし→Will, <ruby>Will<rt>うぃる</rt></ruby>+いが無い=うる)B'(<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>)]' = うるま
|A-B-C-D||[DCA.'.-B']'||文内容 B は連想によって本心化し、A は 虚心 C. を受けたのち本心化し虚心 D. を受けた。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DCA'..(<ruby>牛<rt>うし</rt></ruby>+うがい=いし→Will, <ruby>Will<rt>うぃる</rt></ruby>+いが無い=うる)B'(<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>)]' = うるま
|-
|-
|A-B-C-D||[DC.A'.-B']'||文内容 A, B は連想によって本心化し、A' は 虚心 E. を受けた虚心 D. を受けた。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DC.A'.(うがい+いが無い=うが∅, <ruby>Cow<rt>かう</rt></ruby>+うが∅=かが)B'(間)]' = [[分かんな~い|かが間]]
|A-B-C-D||[DC.A'.-B']'||文内容 A, B は連想によって本心化し、A' は 虚心 D. を受けた虚心 C. を受けた。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DC.A'.(うがい+いが無い=うが∅, <ruby>Cow<rt>かう</rt></ruby>+うが∅=かが)B'(間)]' = [[分かんな~い|かが間]]
|-
|-
|A-B-C-D||[DC.A.'-B']'||文内容 B は連想によって本心化し、A は 虚心 E. を受けた虚心 D. を受けたのち本心化した。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DC.A'.(うがい+いが無い=うが∅, <ruby>牛<rt>ぎゅう</rt></ruby>+うが∅=ぎゅ→ハグ)B'(<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>)]' = 羽熊
|A-B-C-D||[DC.A.'-B']'||文内容 B は連想によって本心化し、A は 虚心 D. を受けた虚心 C. を受けたのち本心化した。||A(牛の)B(間で)C(うがいしたら)D(胃が消えた)→[DC.A'.(うがい+いが無い=うが∅, <ruby>牛<rt>ぎゅう</rt></ruby>+うが∅=ぎゅ→ハグ)B'(<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>)]' = 羽熊
|}
|}


なお、これら置換法は、単純な逐語的連想との境界近くにおいては弁別が曖昧であり、「幽霊本心のパラドックス」という問題が発生する。例えば「合同方程式」のクソなぞかけでは、トトキマス中の「正当性を主張する天皇」について、これは本心中の「後うどウホウ」であると言える一方、『本心に現れないままで「うどウホウ」を「後うどウホウ」へと置換するという虚心的役割を担っている文内容』だとする解釈も可能である。
なお、これら置換法は、単純な逐語的連想との境界近くにおいては弁別が曖昧であり、「幽霊本心のパラドックス」という問題が発生する。例えば「合同方程式」のクソなぞかけでは、トトキマス中の「正当性を主張する天皇」について、これは本心中の「後うどウホウ」であると言える一方、『本心に現れないままで「うどウホウ」を「後うどウホウ」へと置換するという虚心的役割を担っている文内容』だとする解釈も可能である。


「内部置換説」では、これらは「トトキマスにおいて同じ文内容 A に属する個々の語が、亜文内容 A1, A2, …… として本心 A' に対して独立した働きを担い、特に虚心的にふるまった場合、その亜文内容は見かけ上消えるが、亜文内容全体の文内容が本心 A' に集約され、実質的には残る」と説明される。つまり、「合同方程式」の場合では、文内容 A「でっかいだけで役に立たないゴリラとしての正当性を主張する天皇」において、亜文内容 A1「でっかいだけで役に立たない」A2「ゴリラとしての」A3「正当性を主張する天皇」が発生し、本心 A' は A1'「うど」、A2'「ウホウ」による「うどウホウ」に対して A3 の虚心的に働いた A3"A'「後うどウホウ」となるが、これは文内容 A の本心化であるので、亜文内容 A3 もここに残っている、ということである。 自己参照的文内容の振る舞いも、これと同様に説明されることが多い。
「内部置換説」では、これらは「トトキマスにおいて同じ文内容 A に属する個々の語が、亜文内容 A1, A2, …… として本心 A' に対して独立した働きを担い、特に虚心的にふるまった場合、その亜文内容は見かけ上消えるが、亜文内容全体の文内容が本心 A' に集約され、実質的には残る」と説明される。つまり、「合同方程式」の場合では、文内容 A「でっかいだけで役に立たないゴリラとしての正当性を主張する天皇」において、亜文内容 A1「でっかいだけで役に立たない」A2「ゴリラとしての」A3「正当性を主張する天皇が」が発生し、本心 A' は A1'「うど」A2'「ウホウ」による「うどウホウ」に対して A3 の虚心的に働いた A3A'.「後うどウホウ」となるが、これは文内容 A の本心化であるので、それに含まれる亜文内容 A3 もここに残っており、したがってこれは虚心ではない。 自己参照的文内容の振る舞いも、これと同様に説明されることが多い。


また、文字列の置き換えでなく、移動というかたちで虚心を用いるものもある。「移動法」である。とりわけ文字列を文字列の内部に組み込む「内分移動」はよく用いられ、「アイスクリーム」「サマンサタバサ」「たけぼうき」のような例がある。より複雑なものになると、置換法と複合した「オリーブオイル」のような例もある。
また、文字列の置き換えでなく、移動というかたちで虚心を用いるものもある。「移動法」である。とりわけ文字列を文字列の内部に組み込む「内分移動」はよく用いられ、「アイスクリーム」「サマンサタバサ」「たけぼうき」のような例がある。より複雑なものになると、置換法と複合した「オリーブオイル」のような例もある。
73行目: 73行目:
|-
|-
!虚心の本心操作
!虚心の本心操作
|A3A'.(うどウホウ+正当性=後うどウホウ)||B2B'.(てきいし+内分移動=ていしき)
|A3A'.(うど-ウホウ+正当性=後うどウホウ)||B2B'.(てき-いし+内分移動=ていしき)
|-
|-
!文内容の総合
!文内容の総合
|colspan="2" style="text-align:center"|[後うどウホウていしき]'
|colspan="2" style="text-align:center"|[後うどウホウ-ていしき]'
|-
|-
!その心文 (本心連想)
!その心文 (本心連想)
|colspan="2" style="text-align:center"|'''合同方程式'''
|colspan="2" style="text-align:center"|'''合同方程式'''
|}
|}
なお、ここでは「虚心説」「内部置換説」に基づいたクソなぞかけ理論を述べたが、これらの説は今日のクソなぞかけ学においては厳密性の観点から批判が寄せられることもある。以下の方法を用いれば、トカケマスが示されるあらゆるクソなぞかけを不当に、しかし矛盾なく解けてしまえるからである:
#トトキマス文全体を文内容 A とみなし、各文内容を亜文内容とみなす。
#無作為に選んだ亜文内容 An を虚心的に扱い、A' をトカケマスに置換する操作を行う。
#トトキマスはトカケマス、すなわち本心と同一のものとなり、証明が終了する。
クソなぞかけの性質上、発想の飛躍を咎める術は無く、「トカケマスへの置換」という発想もまた一つの「連想」と言い張ることは不可能ではないのだ。反証可能性を守るために、クソなぞかけの一連の理論から「虚心」を排除し、思考遊戯としての正当なクソなぞかけを規定できるようにするべきだという意見も多いが、結局のところ脳の「連想」というモジュールを展開・記述するのは現在のあらゆる科学の叡智を以てしても無理のある話であるため、実現には至っていない。この辺りの問題は、複雑な記述を確定させることができないという点において、「[[鬱#鬱構造論|鬱構造論]]」における「構成素体系」の「形式体系」にも近しいものがあるとされる。


==「この節」と掛けまして、「鬼の薬物中毒者」と解きます。その心は、「脚注」でしょう。<ref>薬物中毒者は、薬物乱用によって脳が萎縮しているので、頭が小さくなり、すなわち「ゃくちゅう」である。ここに「<ruby>鬼<rt>き</rt></ruby>」が結びつくので、「きゃくちゅう」である。証明終。</ref>==
==「この節」と掛けまして、「鬼の薬物中毒者」と解きます。その心は、「脚注」でしょう。<ref>薬物中毒者は、薬物乱用によって脳が萎縮しているので、頭が小さくなり、すなわち「ゃくちゅう」である。ここに「<ruby>鬼<rt>き</rt></ruby>」が結びつくので、「きゃくちゅう」である。証明終。</ref>==
<references />
<references />
8,864

回編集