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(6/6 喜びの叫び「きゃああああああああああああ」)
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 「いったい何が『善人しか出てこない話』だ」という指摘はもっともだ。しかし、作者・西尾彰は、何故このような奇妙な短篇を獄中にて書き上げ、そして自殺するまでに至ったのだろうか。そこを考えることで、どうしてこれが「善人しか出てこない話」であるのか、真相に近づけるとは思わないだろうか。私としてはだが、おそらくそこには「善人」への強い憧憬と、その自己矛盾性による葛藤があったのだろうと考えている。
 「いったい何が『善人しか出てこない話』だ」という指摘はもっともだ。しかし、作者・西尾彰は、何故このような奇妙な短篇を獄中にて書き上げ、そして自殺するまでに至ったのだろうか。そこを考えることで、どうしてこれが「善人しか出てこない話」であるのか、真相に近づけるとは思わないだろうか。私としてはだが、おそらくそこには「善人」への強い憧憬と、その自己矛盾性による葛藤があったのだろうと考えている。


 西尾は、端的に言えば、善人になりたかったのだ。死刑を控えるだけの身であった彼は、善人となることで、自身を救いたいと思うようになったのだろう。そして「善」とは何か、突き詰めて考えるにつれ、このような結論に至ったのだ。「完全な善」それそのものと規定されたものを用いて、自分の世界の中で完全に受け入れられる行為をし、それを「完全な善行」として、それを行った自分は「完全な善人」であるとするという考えだ。
 西尾は、端的に言えば、善人になりたかったのだ。死刑を控えるだけの身であった彼は、善人となることで、自身を救いたいと思うようになったのだろう。そして「善」とは何か、突き詰めて考えるにつれ、このような結論に至ったのだ。「完全な善」それそのものと規定されたものを用いて、自分の世界の中で完全に受け入れられる行為をし、それを「完全な善行」として、それを行った自分のアバター、ひいては部分的であれ西尾自身もが「完全な善人」であるとするという考えだ。


 死刑囚という彼の立場から考えると残酷なものでしかない「今上善人王」という登場人物の意見も、後から撤回させ、捻じ曲げ、自分に都合のいいように『する』ためだけに創られたのだ。つまり、悪人だったものも善人になれるという自己弁護だ。これは、タイトルの変更の意図とも一致する。「悪人が更生して善人になった」という構図を強調するものだ。
 死刑囚という彼の立場から考えると残酷なものでしかない「今上善人王」という登場人物の意見も、後から撤回させ、捻じ曲げ、自分に都合のいいように『する』ためだけに創られたのだ。つまり、悪人だったものも善人になれるという自己弁護だ。これは、タイトルの変更の意図とも一致する。「悪人が更生して善人になった」という構図を強調するものだ。
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 あるいは、逆にこう考えることもできる――つまり西尾は、その自殺をもって「完全な善人」になった。先に述べた通り、当然だが西尾自身は彼の世界に完結した存在ではない。彼はその肉体をもって、空間的な広がりを占めている、現実の存在としての側面を持っているからだ。……ならば、その側面を捨ててしまえばいいだけの話なのではないか?
 あるいは、逆にこう考えることもできる――つまり西尾は、その自殺をもって「完全な善人」になった。先に述べた通り、当然だが西尾自身は彼の世界に完結した存在ではない。彼はその肉体をもって、空間的な広がりを占めている、現実の存在としての側面を持っているからだ。……ならば、その側面を捨ててしまえばいいだけの話なのではないか?


 我々にはそれを知る手段こそ無いが、もしも死後の人間にも意識のようなものがあるとするなら、こうして西尾は彼の閉じた世界に還元され、架空の、馬鹿馬鹿しい「完全な善人」に、自分が規定したその通りの存在になったといえるだろう。私は、この作品の結末はこっちなのだろうと思う。「わたし」の侵入によって「善人しか出てこない話」が壊れるとするならば、西尾が一貫して持つ憧憬のために、最初のパラグラフに出てくる「わたし」の時点でそれは発生しているはずだからだ。
 我々にはそれを知る手段こそ無いが、もしも死後の人間にも意識のようなものがあるとするなら、こうして西尾は彼の閉じた世界に還元され、架空的で馬鹿馬鹿しい「完全な善人」に、自分が規定したそれその通りの存在になったといえるだろう。私は、この作品の結末はこっちなのだろうと思う。「わたし」の侵入によって「善人しか出てこない話」が壊れるとするならば、西尾が一貫して持つ憧憬のために、最初のパラグラフに出てくる「わたし」の時点でそれは発生しているはずだからだ。


 それに、これはこの「解説」の論理性を毀損するような馬鹿げた理由なのだが、この作品は――真なる「善」を狂気的に求めた死刑囚・西尾彰の処女作にして遺作でもあるこの作品は――真に「善人しか出てこない話」であった方が、美しいではないか。
 それに、これはこの「解説」の論理性を毀損するような馬鹿げた理由なのだが、この作品は――真なる「善」を狂気的に求めた死刑囚・西尾彰の処女作にして遺作でもあるこの作品は――真に「善人しか出てこない話」であった方が、美しいではないか。
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