「利用者:Notorious/サンドボックス/消滅の悪魔」の版間の差分

ふうう
(ぐおお)
(ふうう)
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怪異との遭遇
 目の前には、おじいちゃんのタンスがある。背伸びしたぼくと同じくらい背が高い、立派なタンスだ。でも、それだけじゃない。これは「からくりダンス」という、ワクワクするようなものなのだ。
 ぼくはおじいちゃんちに遊びに来ていた。毎年夏休みになったら、ぼくの家族はここに来る。電車で何時間も旅をして、田んぼばかりのこの村を訪れるのだ。電車の旅は疲れるけど、駅に迎えに来てくれているおばあちゃんの胸に飛び込めば、そんな疲れなんて吹き飛んでしまう。それを見て、おじいちゃんもしわを深くしてニコニコ笑ってくれるのだ。
 今、この家にはぼくとおじいちゃんしかいない。お父さんとお母さんは買い物に行ってしまったし、おばあちゃんもお友達とゲートボールをするそうなのだ。野球ならぼくもよくやるし、本当はぼくもついていきたかったのだが、「おじいちゃんがさびしがるから」と言われて、しかたなく留守番をしている。
 しかし、とうのおじいちゃんは、椅子に座って新聞を広げたまま昼寝をしている。全然さびしがってないじゃないか。ほら、鼻ちょうちんがふくれている。
 そういうわけで、ぼくはひまになった。そこで、ぼくはおじいちゃんのからくりダンスにいどむことにした。
 はじめてからくりダンスのことを聞いたのは、小学校に入学したばかりのときだから、もう三年くらい経つだろうか。おじいちゃんが「見ろ、佑介。これはからくりダンスといってな、面白いんじゃぞ」と手を引いてくれた。それを聞いたぼくは「それってどんな踊り?」と聞いて、おばあちゃんが大笑いしていたのを覚えている。
 今は、からくりダンスはからくりがあるタンスのことだと知っている。それに、このからくりダンスの開け方さえも、ぼくはわかってしまうのだ。
 とは言っても、おじいちゃんに教えてもらったわけじゃない。実はおじいちゃんは最近、もの忘れがひどくなっているのだ。あまりひどくなると、家族の顔さえも忘れてしまうらしい。書道が上手で、ぼくの習字の宿題をつきっきりで教えてくれるおじいちゃん。そんなおじいちゃんがぼくのことを忘れてしまうなんて、考えられないけど、そういう病気らしいのだ。
 そしておじいちゃんは、一年くらい前から、いろんなメモを残すようになった。たとえば、玄関の小さな絵には「高校二年の早苗作。地区大会で金賞」と、食卓に飾られている写真には「京子、早苗と。錦帯橋にて」と、部屋にあるぼくがプレゼントした折り鶴には「佑介作。私の七十六の誕生祝い」と、おじいちゃん得意の達筆で書かれた紙が貼られている。忘れたくない思い出を、今のうちにメモしておくのだそうだ。ぼくは、メモが増えると思い出がたくさん目に見えるようで楽しいけれど、メモをすることで「もう忘れて大丈夫」と言われているようで、少しさびしくもなる。
 そんなわけで、この家はメモで満ちている。そのうちのひとつが、このタンスに貼られているメモだ。その紙には、こんなことが書かれている。


 電話がかかってきたのは、夜の散歩からの帰り道、次の角を曲がれば家が見えてくるというときだった。わたしのスマホが着信音を鳴らすことなんてめったにないから、驚いてちょっと飛び跳ねてしまった。誰にも見られてないといいんだけど。
 絡繰箪笥の開け方 一、右下の取っ手を半回転させる。二、出てきたつまみを引いて……
 スマホには「非通知」と表示されていた。心当たりはなかったけど、何か大切な連絡かもしれない。マスクを少しずらすと、わたしは通話ボタンをタップした。
 
「もしもし?」
 おじいちゃんは、このからくりダンスの開け方も、忘れないうちにメモしておいたのだろう。ぼくはこれを見て、からくりダンスを開けようと思う。きっと、秘密のスペースが中にはあって、なにかビッグなものが隠されているのだ。財宝かもしれないし、秘密の文書かもしれない。おじいちゃんが実は超お金持ちで、一億円とかが入ってたら、どうしよう? 想像するだけでワクワクが止まらない。ぼくはメモにしたがって、からくりダンスを開けてみることにした。
 しばらく、何も聞こえなかった。もう一度呼びかけてみるが、応答はない。いたずら電話かしら。諦めて通話を切ろうとしたとき、女の子のかぼそい声が聞こえてきた。
 まず、一番右下の取っ手を回してみる。力を込めると、確かに時計回りにぐるりと回った。すると、タンスの右側面から、小さな突起が飛び出してきた。取っ手を戻すと突起も引っ込む。おお、やっぱり楽しいぞ。しばらく取っ手をくいくい回して遊ぶ。
「……もしもし」
 次は、突起を引き出して、かくんと折る。すると、突起はハンドルに早変わりだ。このハンドルを三周だけ回す。そして、一番上の引き出しを開けてみると、横の壁がずれて、中に新たなつまみが姿を現している。今度はこのつまみを左にずらす。どこかに引っかかっていたのか、なかなか動かなかったが、どうにかこうにかずらし終わった。
「あっ、えーと、どなたでしょうか?」
 残るはあとツーステップ。下から二番目の引き出しの中にある隠し扉が、さっきので開くようになったらしい。しかし、その隠し扉がなかなか見つからない。引き出しの壁中をさすったり叩いたりして、ようやく五センチ四方くらいの扉を見つけた。それを開くと、木の出っ張りがあった。いよいよ大詰めだ。最後にこのボタンを押す。すると、かすかにパカリという音が聞こえた。ドキドキしながら一番下の引き出しを開けると、底が外れていた。やった! このからくりダンスは二重底になっていたのだ。そして、秘密のスペースがついに開いたのだ。
「……あたし、メリーさん。今、あなたの町にいるの」
 想像の答え合わせをするときが来た。からくりダンスに隠されているものは、財宝か、機密文書か、それとも大金なのか。ぼくは胸を高鳴らせて、引き出しの底を
 それだけ言うと、電話はぷつりと切れた。なんだったのだろう。わたしは狐につままれたような気持ちになった。それにしても、メリーさんという名前を、どこかで聞いたことがあるような……。
 わたしは首をかしげながらまた歩き始めた。辺りはすっかり暗く、ぽつりぽつりと光る街灯のもとで、家並みが黒々とうずくまっている。自販機がまぶしい交差点を右折し、小さなアパートを目指す。お母さんは仕事でいないから、わたしがこんな風に外を出歩いていても、誰も心配はしない。自由ではあるけど、少しさみしくも感じる。
 その時、またもスマホが鳴りはじめた。今日はやけに電話が多いなと思いながら、電話に出る。
「もしもし?」
「もしもし、あたしメリーさん」
 たちまちさっきの電話の記憶がよみがえった。先ほどと同じ、高くて幼い女の子の声。
「今、あなたの最寄り駅にいるの」
「ちょっ、あの、どなたで……」
 あっけなく通話は切れ、ツーツーという音だけが残された。わたしは沈黙した画面を呆然と眺めることしかできなかった。この電話は一体なんなのか。何か嫌な予感がして、わたしは手のひらの汗をスカートで拭った。家へ向かう足が自然と速まる。
 アパートの階段を駆け足で上る。一気に三階まで上がり、玄関の前に立った。こぼれてきた髪を払って、スカートのポケットに手を入れ、鍵を取り出す。
 突然、着信音が鳴り響いた。ビクッとして、鍵を取り落としてしまった。薄暗いアパートの廊下で、ひとり立ちすくむ。スマホは依然鳴っていたが、わたしは無視することに決めた。なぜか、この電話には出ない方がいい気がしたのだ。ポケットの中でスマホは放置して、わたしはかがんで鍵を拾い上げた。
「もしもし、あたしメリーさん」
 思わず悲鳴が漏れた。ポケットの中からあの声が聞こえてくる。どうして? 触ってないのに……。
「今、あなたの家の近くの大通りにいるの」
 だんだん近づいてる? そう思ったときには、スマホは噓のように沈黙していた。その時、不意に思い出した。メリーさんという名前。わたしが小さかった頃、お母さんに買ってもらったフランス人形。その子の名前が、メリーさんだった。でも、しばらくしたら飽きて、捨ててしまったのだ。まさか電話の相手は……。
 わたしは鍵を持つ手が震えていることに気づいた。なにか嫌な感じがして、はっと振り向いたが、夜の闇が広がっているだけだった。早く家に入ろう。わたしは鍵をさそうとしたが、指が震えてうまく入らない。焦りばかりが募っていく。
 ようやく鍵が回り、わたしは勢いよくドアを開けた。真っ暗な室内に飛び込み、電気をつける。見慣れたわたしの家だ。ドアを閉めて鍵をかけチェーンもかけると、わたしはようやくほっとした。いつの間にか心臓がバクバクしている。わたしはマスクをはぎ取ってゴミ箱につっこむと、大きく息を吸った。そしてスマホを取り出すと、電源をオフにしてしまう。これで、変ないたずら電話もかかってこない。そう考えると、なんだか気分が軽くなった。さっきまで怯えていたのがバカみたいだ。さて、お風呂に入ってさっさと寝てしまおう──
 プルルルルル
 一瞬で背筋が凍った。おそるおそるスマホに視線を向けると、「非通知」の三文字が何事もなかったかのように表示されている。
 おかしい。ありえない。確かにさっき電源を切ったのに……。ふっと着信音が途絶え、女の子の声が流れはじめた。どこか歪んだような、奇妙な声が言う。
「もしもし、あたしメリーさん」
 わたしは思わずスマホを放り投げた。リビングの壁にぶつかって固い音を立てたけど、それでも声は流れ続ける。
「今、あなたの家の前の角にいるの」
 そしてプツリと電話は切れた。後には、呆然と立ちすくむわたしだけが残された。体に力が入らない。
 何かが来る。もうすぐそこまで来ている。すぐにここまでやってきて……そしてどうなるのだ?
 いや、そんなことより、助けを呼ばないと。何か恐ろしいことが起こっているのは間違いないのだ。警察を呼ぼう。誰か大人に来てもらわないと。
 でも、わたしの家には固定電話はない。わたしは立ち上がって、床に転がっているスマホを拾い上げた。気味が悪いが、仕方ない。わたしは急いで電話アプリを立ち上げ、110番を素早くタップした。数回呼び出し音が鳴り、通話がつながった。わたしはほっとして語りかけた。
「もしもし、警察ですか? 実は変な電話がかかってきてて……」
「もしもし、あたしメリーさん」
 わたしは悲鳴を上げた。取り落としたスマホから、メリーさんの声が流れる。
「今、あなたの家の前にいるの」
 通話が途絶え、わたしは床にへたりこんだ。涙が出てくる。体に力が入らない。何? なんなの? 何が起こってるの?
 ──あなたの家の前にいるの
 見慣れた玄関が、おぞましいものに見えた。あの扉の後ろには、わたしに捨てられた人形がいて、今にもドアを開けて入ってくるんじゃ……。
 確かめなきゃ。わたしはふと思った。玄関の外に、本当に誰かがいるのか。わたしはスマホを掴むと、ふらふらと立ち上がり、玄関に向かった。鍵は閉まっているし、チェーンもかかっている。大丈夫だ。自分にそう言い聞かせながら、ドアへゆっくりと近づいていく。
 ついに、わたしは扉の前にたどりついた。心臓は音が聞こえるくらい激しく動いている。わたしは意を決して、そっとドアスコープが覗いた。
 ドアの外には──何もいなかった。ただただ蛍光灯に照らされた廊下がのびているだけだった。
「なんだ、誰もいないじゃない」
 わたしは大きく息を吐いた。体中の緊張がほぐれていく。
 その時、声が聞こえた。
「あたし、メリーさん」
 はっとスマホを見たが、画面は暗いままだ。……ってことは、この声は……。
「今、あなたの後ろにいるのおおおぉぉぉ!」
 恐ろしい声が響きわたり、わたしは思わず振り向いてしまった。どす黒い空気をまとった人形と目が合った。わたしは震えながらへたり込んだ。心臓が鷲掴みにされたように跳ね回り、背中が冷たくなっていく。わたしは悲鳴を上げようとしたが、喉がかすれて声すら出ない。
 人形がぐわっと口を開いた。するどい牙がむき出しになる。
「きゃああああああああ!」
 ふと、人形の姿がかき消えた。わたしは口をパクパクさせたまま取り残された。さっきのおぞましい雰囲気が噓のように消え去っている。
 そこで、わたしは自分がマスクを外していたことに気づいた。もしかして、メリーさんはびっくりして帰ってしまったのだろうか。
 わたしは一気に脱力した。そして、人形から見ても私は醜いのかと、口裂け女であるわたしは少しがっかりした。
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