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<br> | <br> ロシア領カザフスタン自治区の中央南部。シルダリヤ内海の辺りに展開する近代都市の中心に位置したバイコヌール宇宙基地では、凱旋の鐘が鳴り響いていた。ソ連時代の名残、場所が特定されないよう320キロメートル離れた鉱業都市の名が冠されたその飛行場では、旧式の出航セレモニーが実施されていた。地球温暖化によって北極が取り払われたのが約二百年前。それはロシアに優位に働き、国際情勢は瞬く間に塗り替えられた。すでに落ち目となっていた超大国アメリカは見る影もなくなり、中国も加速度的に進む高齢化によって、波前の砂城のように崩れ去った。もちろんロシアも圧倒的な被害を被る。永久凍土の融解は社会問題となり、インフラは一時危機的な状況に陥った。人が住むことのできない赤道付近や沈んでしまった沿岸部の国々からの膨大な数の移民も、急速な治安の悪化等につながった。しかし国家が多くの権力を有するロシアは対応も速やかだった。国民に国民皆労働手帳(通称青帳)を配布し、名誉国民の称号を与え、移民との明確な身分の差を示した上で国内の結束を高めた。南極地域の埋め立てを実行し、国の拠点をそこへと移した。およそ近代国家とは思えない横暴な策に、世界中の非難は殺到したが、再建された大国はあまりに強かった。ロシアは繁栄の時代を謳歌した。しかし、圧政には革命がつきものであり、この大国においてもそれは例外ではなかった。やがて一人の英雄がキルギスのビシュケクで立ち上がった。それは世界を巻き込む戦争となり、人民はかつての、使い古された意味での自由を勝ち取ることになるのだった。さて、その革命において、革命軍の支部として活躍したのがこのバイコヌール宇宙基地である。すっかり温暖な気候と化した勇者の都市の上空には、沸き立つような緑の風が吹いている。 | ||
<br> 特別編隊のバッチを胸につけた三人の飛行士が搭乗台から手を振った。この時代、宇宙旅行は夢ではない。それどころかもはや長旅でもない。一時混乱に陥った大地において、人々の関心は空の彼方へと移ろった。急速な宇宙関連技術の成長は必然のものだったと言えよう。それはあっという間に、銀河系をただの観念から人類の便利な庭へと変貌させた。それを牽引したのがロシアであった。太陽系の惑星には全てに複数の基地と観測所があり、特に月と火星ではすでに人が安住している。宇宙旅行が当たり前のものへと成り下がった現代。ではなぜこのような大々的な式典を行っているのか。それは彼らが、革命以来、いや、有史においても前代未聞の事件の調査へと向かう、人類の代表だからである。それは三年前、海王星の観測所が突如発表した声明だった。 | <br> 特別編隊のバッチを胸につけた三人の飛行士が搭乗台から手を振った。この時代、宇宙旅行は夢ではない。それどころかもはや長旅でもない。一時混乱に陥った大地において、人々の関心は空の彼方へと移ろった。急速な宇宙関連技術の成長は必然のものだったと言えよう。それはあっという間に、銀河系をただの観念から人類の便利な庭へと変貌させた。それを牽引したのがロシアであった。太陽系の惑星には全てに複数の基地と観測所があり、特に月と火星ではすでに人が安住している。宇宙旅行が当たり前のものへと成り下がった現代。ではなぜこのような大々的な式典を行っているのか。それは彼らが、革命以来、いや、有史においても前代未聞の事件の調査へと向かう、人類の代表だからである。それは三年前、海王星の観測所が突如発表した声明だった。 | ||
<br> | <br>「楕円銀河M110(NGC 205)の座標D11.0943・S236.055・N56において地球外文明と思しき巨大な宇宙船を発見。観測点A2DP4より発信す」 | ||
<br> 驚愕のニュースは瞬く間に世界を駆け巡り、欠けた大陸を揺るがした。その報に恐怖を見出し発狂する者や、新たな生命との接触に新たな希望を持つ者。人々の反応は実に様々だった。それでも社会は特に問題なく回った。続報に希望の持てる内容が多かったからかも知れない。三日後、宇宙船Xは数百年前からそこに存在し、全く動きがないことから、攻撃の意思はないであろうという推測が観測所の見解として発表された。電波信号による交信を試みるも失敗に終わったが、調査を進めるうちに、船に生命反応が見られないことも判明した。三ヶ月も経つ頃には、船のその文明レベルは低いもので、地球文明に比べ、現代でも半世紀ほどの開きがあることも確認された。自らに直接の害がないことが確認されると、人々は即座に次の話題へと関心を寄せた。いつの時代もそうであったように、民衆は大事なことをすぐに忘れた。 | <br> 驚愕のニュースは瞬く間に世界を駆け巡り、欠けた大陸を揺るがした。その報に恐怖を見出し発狂する者や、新たな生命との接触に新たな希望を持つ者。人々の反応は実に様々だった。それでも社会は特に問題なく回った。続報に希望の持てる内容が多かったからかも知れない。三日後、宇宙船Xは数百年前からそこに存在し、全く動きがないことから、攻撃の意思はないであろうという推測が観測所の見解として発表された。電波信号による交信を試みるも失敗に終わったが、調査を進めるうちに、船に生命反応が見られないことも判明した。三ヶ月も経つ頃には、船のその文明レベルは低いもので、地球文明に比べ、現代でも半世紀ほどの開きがあることも確認された。自らに直接の害がないことが確認されると、人々は即座に次の話題へと関心を寄せた。いつの時代もそうであったように、民衆は大事なことをすぐに忘れた。 | ||
<br> 発端から三年の月日が流れ、我々は漸く直接調査のための特別編隊を組織し、準備を済ませ、出航に漕ぎ着けた。往復六週間の、細やかと言えば細やかな、偉大な旅の始まりである。このセレモニーは全世界に中継されている。私は基地長の席に座りながら、小さく溜息を吐いた。思えば、出港地がここバイコヌール宇宙基地に決定した一年前から、ずっと働き詰めだった。火星や、その他のより近い星から出発するという案もあったのだが、験担ぎということでこの英雄の基地からの出航が決まった時は、これから己に降りかかるであろう圧倒的な業務量を想像して戦々恐々としたものだ。けれど、そんな一大イベントも今日で一区切りである。私はそれぞれの宇宙船に乗り込んだ三人の飛行士を見た。彼らは優秀なパイロットだ。三人の中誰が人類の代表となろうとも、決して恥じることなどないほど勇敢で、理知に溢れ、誠実だ。老齢になっても人一倍視力の良い私は、数十メートル先の彼らの勇姿を鮮明に見ることができた。彼らなら、きっと任務を完遂することだろう。私は上昇してゆく勇者の船を追って青空を見上げた。高性能宇宙船の出発とは、実に味気ないものである。瞬きの間に大気圏を脱出し目的地へと旅立った三隻の弾丸はすぐに光の点となって視界から消えた。これでもう、一安心だ。私は世界中が興奮に浮き足立つ中、一人、そっと胸を撫で下ろした。 | <br> 発端から三年の月日が流れ、我々は漸く直接調査のための特別編隊を組織し、準備を済ませ、出航に漕ぎ着けた。往復六週間の、細やかと言えば細やかな、偉大な旅の始まりである。このセレモニーは全世界に中継されている。私は基地長の席に座りながら、小さく溜息を吐いた。思えば、出港地がここバイコヌール宇宙基地に決定した一年前から、ずっと働き詰めだった。火星や、その他のより近い星から出発するという案もあったのだが、験担ぎということでこの英雄の基地からの出航が決まった時は、これから己に降りかかるであろう圧倒的な業務量を想像して戦々恐々としたものだ。けれど、そんな一大イベントも今日で一区切りである。私はそれぞれの宇宙船に乗り込んだ三人の飛行士を見た。彼らは優秀なパイロットだ。三人の中誰が人類の代表となろうとも、決して恥じることなどないほど勇敢で、理知に溢れ、誠実だ。老齢になっても人一倍視力の良い私は、数十メートル先の彼らの勇姿を鮮明に見ることができた。彼らなら、きっと任務を完遂することだろう。私は上昇してゆく勇者の船を追って青空を見上げた。高性能宇宙船の出発とは、実に味気ないものである。瞬きの間に大気圏を脱出し目的地へと旅立った三隻の弾丸はすぐに光の点となって視界から消えた。これでもう、一安心だ。私は世界中が興奮に浮き足立つ中、一人、そっと胸を撫で下ろした。 | ||
<br> NGC | <br> NGC 201・NGC 137・RSC 99の無人観測所が彼ら三人の動向を精密に観測し続けており、それは海王星の主要観測研究所において分析された。人々には分析された後の情報が発信される。出航から八時間、銀河系を脱出すると、船と地球の相互通信は重力装置の条件上不可能になるものの、船では簡単な情報受信ができた。それに前述の観測システムが彼らを正確に追い続けることによって、実質的に簡素な意思疎通が可能であった。 | ||
<br> 出発から二週間と五日後。三隻の宇宙船が特に問題なく目的へと到達したという旨を海王星の主要観測研究所が発表した。これから四日間の精密調査にあたるそうだ。 | <br> 出発から二週間と五日後。三隻の宇宙船が特に問題なく目的へと到達したという旨を海王星の主要観測研究所が発表した。これから四日間の精密調査にあたるそうだ。 | ||
<br> 異変が起きたのはそれから四日後、調査最終日のことだった。帰路に向かう筈の三隻の船は予定時刻を過ぎて尚、全く動き出さなかった。この情報は混乱を避けるため、一部の関係者のみに共有された。私はこの報を聞いた後、しばらく放心状態で安楽椅子に座り込んでいた。この異変が自らの失態によるものでないことを祈るばかりだった。 | <br> 異変が起きたのはそれから四日後、調査最終日のことだった。帰路に向かう筈の三隻の船は予定時刻を過ぎて尚、全く動き出さなかった。この情報は混乱を避けるため、一部の関係者のみに共有された。私はこの報を聞いた後、しばらく放心状態で安楽椅子に座り込んでいた。この異変が自らの失態によるものでないことを祈るばかりだった。 | ||
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<br> あれほど大規模かつ高精度の認識偽装装置を作ることのできる文明が、どうしてこの船を捕まえるに至らなかったのか。どうして一隻だけ取り逃したのか。ああ、我々人類の叡智……それを持ってしてもこの不気味な昆虫の撲滅には至らなかった……。確か少し前までこんなものがあった。殺虫剤の一種だが設置しておくだけで一帯の同種を根絶させることができるというものだ。餌を置き、毒を混ぜ、それを仲間へと伝染させ、種ごと根絶やしにする悪夢のような装置……。 | <br> あれほど大規模かつ高精度の認識偽装装置を作ることのできる文明が、どうしてこの船を捕まえるに至らなかったのか。どうして一隻だけ取り逃したのか。ああ、我々人類の叡智……それを持ってしてもこの不気味な昆虫の撲滅には至らなかった……。確か少し前までこんなものがあった。殺虫剤の一種だが設置しておくだけで一帯の同種を根絶させることができるというものだ。餌を置き、毒を混ぜ、それを仲間へと伝染させ、種ごと根絶やしにする悪夢のような装置……。 | ||
<br> もしあの巨大宇宙船が、あらかじめ文明の芽吹きそうな場所に設置し、それがある程度まで発展した時に効率良く排除する装置だとしたら……。 | <br> もしあの巨大宇宙船が、あらかじめ文明の芽吹きそうな場所に設置し、それがある程度まで発展した時に効率良く排除する装置だとしたら……。 | ||
<br> | <br> 私ははっと顔をあげ、まさに着陸しようとする英雄の船を見た。船体情報は隅々までチェックを施した。何通りの方法でスキャンにかけた。しかしあの地球外文明は認識偽装に長けている。現に我々の観測機は今も、M110において止まる三隻の船を観測し続けている。 | ||
<br> 船が地面についたその時、船倉の部分がぴかりと光った。それから衝撃を感じる間も無く、地球は原子レベルにまで崩壊した。その爆発は銀河系をもすぐに呑み込み、全てを灼熱の気体へと変貌させた。それは人類が生まれ落ちて以来経験したことのない大きさの莫大なエネルギーで、その営為を残らず消し飛ばすには十分すぎるものだった。 | <br> 船が地面についたその時、船倉の部分がぴかりと光った。それから衝撃を感じる間も無く、地球は原子レベルにまで崩壊した。その爆発は銀河系をもすぐに呑み込み、全てを灼熱の気体へと変貌させた。それは人類が生まれ落ちて以来経験したことのない大きさの莫大なエネルギーで、その営為を残らず消し飛ばすには十分すぎるものだった。 | ||
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