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|ウィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!! | |ウィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!! | ||
オーストロェイリアアアアアア!!!<ref>この言葉がオーストロェイリア語の根幹となっているため、いかなる言語への翻訳は不可能である。</ref> | オーストロェイリアアアアアア!!!<ref name=":0">この言葉がオーストロェイリア語の根幹となっているため、いかなる言語への翻訳は不可能である。</ref> | ||
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ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | ||
皇帝あらびきウィンナーI世 | |||
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この神勅を聞いた人々は団結し、'''大ウィイイイン・オースト帝国'''を建国した。 | この神勅を聞いた人々は団結し、'''大ウィイイイン・オースト帝国'''を建国した。 | ||
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ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | ||
皇帝あらびきウィンナーI世 | |||
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これによって、大ウィーン・オースト帝国国民は、皇帝あらびきウィンナーI世が崩御したことを知った。 | これによって、大ウィーン・オースト帝国国民は、皇帝あらびきウィンナーI世が崩御したことを知った。 | ||
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ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | ||
皇帝あらびきウィンナーII世 | |||
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この'''あらびきウィンナーII世'''の即位により、国内は秩序、団結を取り戻した。また、皇帝の帰還により、神聖ウィインロレリアは'''ウィインロレリア神聖帝国'''と国名を改めた。 | この'''あらびきウィンナーII世'''の即位により、国内は秩序、団結を取り戻した。また、皇帝の帰還により、神聖ウィインロレリアは'''ウィインロレリア神聖帝国'''と国名を改めた。 | ||
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しかし、チョリェソ王国はそんな帝国の思惑に反して進撃し続け、戦争開始から29日間でオーストラリア大陸を完全に占領した。 | しかし、チョリェソ王国はそんな帝国の思惑に反して進撃し続け、戦争開始から29日間でオーストラリア大陸を完全に占領した。 | ||
チョリェソ王国は'''チョリソー'''と呼ばれる腸詰の生産を行っており、ウィインロレリア神聖帝国軍の武器であったウィンナーを悉くチョリソーによる刺突で破壊して戦線を押し上げ続けている、 | |||
この事実に首相が気付いた時には、ウィインロレリア神聖帝国の8割は既にチョリェソ王国によって占領されていた。 | この事実に首相が気付いた時には、ウィインロレリア神聖帝国の8割は既にチョリェソ王国によって占領されていた。 | ||
このままウィイイイイイン!!さえ陥落してしまうかに思われたが、以前よりチョリェソ王国と敵対していた'''フランクファウラ共和国'''がウィインロレリア神聖帝国側として参戦したことで、 | |||
ウィインロレリア神聖帝国はどうにか存続した。 | ウィインロレリア神聖帝国はどうにか存続した。 | ||
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先の戦でウィインロレリア神聖帝国の軍事力の弱さが明るみになり、さらに他国もウィンナーとは別の腸詰の生産をしていたことを知った帝国国民は、 | 先の戦でウィインロレリア神聖帝国の軍事力の弱さが明るみになり、さらに他国もウィンナーとは別の腸詰の生産をしていたことを知った帝国国民は、 | ||
'''第二次ウィナガイン''' | '''第二次ウィナガイン'''を行い、軍備を増強させた。また、腸詰ナショナリズムの高揚から、ウィインロレリア神聖帝国は'''聖ウィンナー帝国'''と国名を改めた。 | ||
また、この頃から同帝国は外交面でも積極的に動くようになり、西暦529年、フランクファウラ共和国、そして'''サルァミン大公国'''との間で'''三国腸詰互酬同盟'''を結成した。 | |||
西暦629年、世界の平和を見届けた皇帝あらびきウィンナーIII世が崩御した。皮肉にも、これによって世界の平和は音を立てて崩れ始める。 | |||
==== 第一次腸詰国間戦争 ==== | ==== 第一次腸詰国間戦争 ==== | ||
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西暦630年、同帝国は機能してこそいたが、皇帝の死と不在によって帝国国民の士気は著しく低下していた。これを見計らって、 | 西暦630年、同帝国は機能してこそいたが、皇帝の死と不在によって帝国国民の士気は著しく低下していた。これを見計らって、 | ||
'''ホッテストドッグ連合王国'''が聖ウィンナー帝国を突如として侵攻。すると、三国腸詰同盟によってフランクファウラ共和国、サルァミン大公国がホッテストドッグ連合王国に宣戦。 | |||
さらに、ホッテストドッグ連合王国と'''三国腸詰協力機構'''を結んでいた'''ベィ=コン連邦'''、'''ハゥム帝国'''が三国腸詰同盟に宣戦布告し、連鎖的な戦争が勃発。 | |||
西暦630年から西暦659年まで29年間もの間、腸詰同盟陣営と腸詰機構陣営で継続されたこの戦争を'''第一次腸詰国間戦争'''と言う。 | |||
[[ファイル:World_Sausage_War_I_.png|代替文=|左|フレームなし]] | [[ファイル:World_Sausage_War_I_.png|代替文=|左|フレームなし]] | ||
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<span style="color:#f0e68c">■</span>:フランクファウラ共和国 | <span style="color:#f0e68c">■</span>:フランクファウラ共和国 | ||
<span style="color:red">■</span> | <span style="color:red">■</span>:サルァミン大公国 | ||
|'''腸詰機構陣営''' | |'''腸詰機構陣営''' | ||
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<span style="color:lime">■</span>:ハゥム帝国 | <span style="color:lime">■</span>:ハゥム帝国 | ||
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この戦争では、戦争に参加した列強腸詰国たちが、この戦争のために食品加工産業、とりわけ'''ナショナル腸詰'''の生産に、 | |||
全国民を挙げて取り掛かるといった様相が多くみられ、ナショナル腸詰のプライドをかけた「'''腸力戦'''」ともよばれた。 | |||
戦争開始から26年もの間は腸詰同盟陣営が優勢だったものの、西暦656年の、腸詰機構陣営の大規模反攻によって攻守が逆転し、 | |||
さらにサルァミン大公国が腸詰機構陣営に寝返ったこともあって、西暦659年、腸詰同盟陣営が無条件降伏する形で、第一次腸詰国間戦争は幕を下ろした。 | |||
=== オーストロェイリア共和国 === | |||
この戦争の敗戦により、聖ウィンナー帝国は腸詰機構陣営に対する莫大な賠償金の支払いを義務付けられ、さらに領土の約9割を失った。 | |||
さらに、皇帝制の廃止も言い渡され、聖ウィーン帝国は'''オーストロェイリア共和国'''と国名を替えられた。 | |||
国民は大いに絶望し、生きる気力を失った。しかし、その時、再びあらびきウィンナーは現れた。 | |||
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|ウィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!! | |||
オーストロェイリアアアアアア!!!<ref name=":0" /> | |||
ーオーストロェイリア建国神話より抜粋 | |||
皇帝あらびきウィンナーIV世 | |||
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本来オーストロェイリアでは、この文章に意味などない。しかし、同国民にははっきりと皇帝の言葉が理解できた。 | |||
「汝、失えり。されど腸詰あり。」 | |||
西暦660年、オーストロェイリア共和国は飢餓に苦しむハングリー共和国と合体、 | |||
さらに皇帝制が禁止されたにも拘わらず、皇帝あらびきウィンナーIV世を元首とする同君帝国、オーストロェイリア=ハングリー帝国を建設した。 | |||
=== オーストロェイリア=ハングリー帝国 === | |||
オーストロェイリア=ハングリー帝国では、ハングリーな人に対しウィンナーを分け与え、その代わりにウィンナーの生産をしてもらうといった、 | |||
前資本主義的な国家方針のもとに成り立っていた。全帝国国民がウィンナーによって協力するこの国は、この動乱の時代を229年もの間生き抜いた。 | |||
== 脚注 == | == 脚注 == |
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