Sisters:WikiWiki麻薬草子/第2回伝説の記事選考 推薦文

推薦者Notorious 推薦記事キュアラプラプ便所の落書き
推薦文

 この素晴らしいコンテンツ、WikiWikiが管理者様の手で生み出されてから、そろそろ二年が経とうとしています。その中で、常習者たちは300を超える記事を生み出してきました。そして、今年もその中から「伝説の記事」の称号を決める催しが開かれます。私は、その称号にキュアラプラプ作「便所の落書き」を推薦させていただきます。  その理由としましては、ひとえに「この記事が、他の記事と一線を画す出来であるから」ということに尽きます。もはや、これに比肩し得る記事は、まだないとさえ言える。私はそう思っています。
 では、この記事のどんな点が、そう言わしめるほど優れているのか。
 まず特筆すべきは、完全な「自由労働記事」であるという点でしょう。この概念については、キュアラプラプ氏の随筆「労働と自由」に詳しいので、それをお読みいただきたいです。さて、現在(2年12月22日)、自由労働記事は、本作と「デデ二オン」しかありません。しかし、後者は別に深く考えずに適当に作っていると言っても過言ではないでしょう。正直「便所の落書き」と比べるらくもないです(弟補正あり)。というわけで、ちゃんとした自由労働記事は、本作しか存在しないと言えます。それが、この記事に比肩し得る記事が他にない理由です。いわば、自由労働記事は、そうでない記事とは次元が違うのです。
 記事とは、用意したテキストや画像を読ませるものであり、記事を読むことは、完全に受動的な活動でした。労働記事という概念が登場するまでは。労働記事において、読者はリンクをクリックするなどの能動的な操作をし、そうすることで初めて記事が完成します。読者の楽しみ方が、一変したのです。しかし、ほとんどはキュアラプラプ氏の言うところの「単純労働記事」でした。誰が操作しても、同じルートを通ることになる、自由度の低いもの。一方、「完全労働記事」は、読者の数だけの楽しみ方があり、物語の進行は完全に読者に委ねられています。記事を読むということが、能動的作業に変わったのです。これは、「便所の落書き」の登場は、WikiWiki史に残る革命と言っていいでしょう。
 完全労働記事となるために、「便所の落書き」には想像を絶する工夫がなされています。まず、エンドを複数用意し、それに至る道筋を分岐させる。これを、キュアラプラプ氏は持ち前のCSS等への造詣の深さをもってして、実現させました。そして、それに見合うシナリオ。謎めいた状況と、失敗を繰り返す中でおぼろげに見えてくる真実。生還に向けて試行錯誤する楽しさと、ついに成功して真実を知ったときの興奮。そして、最後のエンドに辿り着いた瞬間の猛烈な戦慄と感動。すべてが無二の経験でした。
 これまでも、キュアラプラプ氏は驚くべき発想力とそれを実現する能力で、数々の素晴らしい記事をものしてきました。その中でも、脱出ゲームを記事に落とし込んでしまうという偉業を成し遂げた、「便所の落書き」はとりわけ素晴らしく、伝説の称号に相応しい記事だと思います。

推薦者キュアラプラプ 推薦記事Notorious叙述トリック
推薦文

もしあなたが「叙述トリック」をまだ読んでいないのなら、これを開く前に必ず読んでおいてください。

あなたは「叙述トリック」を読んだことがある人ですね。あなたのやるべきことはただ一つ。もう一回読んできてください。

 年の瀬。あさましい。すずらすずら。伝説投票。私が第2回伝説の記事に他薦させていただく記事は、この通りNotorious作「叙述トリック」です。言わずもがな、理由はこれに尽きます――圧倒的な完成度です。この記事には、WikiWikiという全世界を包含するコンテンツにおいてさえその記事名を冠するに足る、いやむしろ有り余るような高品質の叙述トリックが、それも二重に仕掛けられているのですから。
 この記事を開いた初見の読者がまず目にする事になるのは、当然ながらその記事名「叙述トリック」です。そして視線を下に向けると、何やら会話文が連なっているらしい。物語形式の記事だろうか。読者はここで既に、「この記事のストーリーには叙述トリックがある」ことに気づかざるを得ません。――Notorious氏の本作についての草子「叙述トリックについて」の余談部分にもありますが、ふつう何か叙述トリックの用いられる文章について、これに「叙述トリックものである」と言及することは、悪魔の所業とみなされます。なぜなら、Notorious氏によるところの「感覚的伏線」は、読者の無意識のうちの誤認識を操作して作り出すものだからです。読者が自身の先入観に極めて敏感になれば、時にそれは脆く崩れ去ってしまうのですから。
 しかし「叙述トリック」は、文字列の並ぶいの一番に、再帰的叙述トリック匂わせを発生させています。記事名をタイピングする度に、ひしひしと感じられる大胆さ。この記事名はきっと、Notorious氏から読者への挑戦状なのでしょう。裏を返せば、同氏はこの記事を読む人が「薄々わかっていても想像を超えられた時の感覚」を抱くと確信しているということです。――しかし何より恐ろしいのは、このビッグマウスも、彼のウルトラビッグ叙述トリックパワーに比べると相対的に小さく見えてしまうということでしょう。
 物語は、「タケ」の視点で述べられる「起」「承」「転」「結」と、その間に入る小島健児の回想、「序」「破」「急」とで構成されます。回想で示されるのは日常の謎。「破」における記述によると、プリンを食べることが可能である人間は存在しないはずですから、読者は「自分は何か騙されているに違いない」と、叙述トリックを見破るため奔走するわけです。
 その成否はさておき、「急」で犯人は判明し、その次の「結」で種明かしが行われます。用いられていた緻密な叙述トリックは、「兄が二人いること」でした。ドアの開き方の差異から、論理が鮮やかに展開していく。なるほどこれが伏線だったか、いやあ素晴らしい記事だった――

 終わりの六行。もう一つの「隠された」叙述トリック。「タケ」もとい山田たけし。彼ら愉快な男四人は、服役中の囚人だったのです。
 ――「トラブルを起こして大学を退学になり」「誰が進んで野郎共と一つ屋根の下で住むものか。」「給料は信じられないほど少ない。」「あの仕事を目指そうかしら。まあ無理か。」「もしそうなら、彼女さん、小島さんに相当入れ込んでるんすね」「こんな底辺の暮らし」「僕らは季節に関係なく9時には寝る。」――などなど。伏線のバーゲンセールだあ!!!
 思えば「転」では、「意味なし叙述」についての言及がありました。先述の物語の二重構造という点にしてみてもそうです。この記事の中で使われている伏線には、個々の叙述トリックに対応する「回想の中の論理的伏線」「たけし視点の感覚的伏線」の二つのみならず、「ダブル叙述トリック匂わせ伏線」というメタなものまで存在していたのです。

 この通り、いや私などにその素晴らしさが語りつくせるなどとは思っていませんが、この記事が圧倒的な完成度を持っているということには頷いていただけたでしょう。このような素晴らしい二つの叙述トリックを、華麗な構成で一つの記事にしてしまう、Notorious氏の脳の容積は何キロリットルなのでしょうか? これが「伝説の記事」でないのなら、いったい「伝説の記事」とは何なのでしょうか?