比尾山大噴火

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儂は消滅の悪魔じゃ。この世には悪魔が多く存在する。人を襲うもの、人と共存するもの、人を利用するもの、さまざまじゃ。そして悪魔は、それぞれある物事と対応しておる。儂の場合は「消滅」じゃ。「林檎」、「狐」、「呪い」、「銃」…。悪魔はありとあらゆるものに対応しておる。なぜなら、悪魔は人の恐怖から生まれるからじゃ。
林檎の悪魔は、人間の林檎に対する恐怖から生まれ、力を得る。狐の悪魔は狐への恐怖から、といった具合にな。そして、人間の恐怖が大きいものほど、悪魔の力は強くなる。林檎に恐怖する人間は少ないじゃろう。だが、銃を恐れる人間は多い。だから、林檎の悪魔は弱く、銃の悪魔は強いのじゃ。銃の悪魔を引き合いに出すのは少し極端じゃったかもしれんの。なにせ奴は数十秒で何万人もの人を殺せるのじゃからな…。
じゃが、悪魔の力の源は、何も人間の恐怖だけじゃあない。他の悪魔からの恐怖もそうじゃ。強い悪魔は弱い悪魔を統べ、力を増していく。その過程で悪魔同士の争いも起こる。そして、ある最悪の事態になったとき、あやつが現れる。あやつは他の悪魔に強烈に恐れられ、巨大な力を持つ悪魔じゃ。その理由は、強いからだけじゃあない。その特殊な性質、あやつに喰われた悪魔は、その根源となる存在ごと消えてしまうことゆえじゃ。
例えば、林檎の悪魔があやつに喰われれば、「林檎」というものはこの世から完全に消え、無かったことにされるのじゃ。当然、人や悪魔の記憶からも消え失せる。一部の例外を除いてな。
一つは、彼女じゃ。強大な力を持つ彼女は、あやつに喰われてしまった悪魔たちの、あやつと戦う姿を覚えておる。しかし、この世から消えた物事までは、彼女といえど覚えておらん。それを覚えておるものを、儂は一人だけ知っておる。何を隠そう、儂自身じゃ。
儂は、「消滅」への恐怖から力を得ておる。この「消滅」は、あやつに喰われた悪魔のこの世からの消滅のことじゃ。悪魔のあやつへの恐怖はあやつの力となるが、あやつの起こす消滅への恐怖は、儂の力となる。つまり儂は、悪魔の恐怖から生まれた悪魔というわけじゃ。
消滅への恐怖は、自らが消滅しかけておるとき、最も強くなる。当然のことじゃ。お主がのうのうと昼寝しておるときと、大型トラックに今にも轢かれそうになっておるとき、どちらが大型トラックへの恐怖が大きいかは自明じゃ。何が言いたいかというと、儂の力となる恐怖は、あやつに喰われそうになった悪魔のものがほとんどだということじゃ。そして、「あやつに喰われそうになった悪魔」は「あやつに喰われた悪魔」と同義じゃ。あやつに勝ったものを儂は寡聞にして知らん。
そして、恐怖が悪魔に流れ込むとき、そのものの記憶もともに入ってくるのじゃ。大型トラックの悪魔には、轢き殺された人の記憶を、恐怖とともに得る。そして悪魔の消滅への恐怖が力として儂に流れ込むとき、その悪魔の記憶や情報も儂に入ってくる。大型トラックの悪魔ではなく、それがあやつに喰われた悪魔なら…。勘のいい者は儂が何を言わんとしているかもうわかったじゃろう。つまり、儂はあやつに喰われてこの世から消えた物事を、唯一覚えているものなのじゃ。なぜ儂の記憶だけが消えぬのかは、はっきりとはわからん。じゃが、儂があやつへの恐怖から生まれた悪魔じゃということが関係しているのじゃあないかのう。人の世とは異なり、悪魔には理由なぞ重要ではない。結果が全てじゃ。儂は覚えておる。それだけで十分じゃあないかのう?
前置きが長くなったのう。では、儂しか覚えとらん、かつて莫大な恐怖を集めた物事の話を始めようか。まずは、比尾山大噴火じゃ。

概要[編集 | ソースを編集]

比尾山の位置を示した地図
比尾山の位置

比尾山大噴火とは、1784年1月21日、現群馬県嬬恋村と長野県軽井沢町及び御代田町にまたがる山、比尾山が噴火した出来事じゃ。なお、日時は旧暦に揃えておる。これは有史以来世界最大級の噴火で、犠牲者は直接的なものだけでも52万3579人、間接的なものも合わせれば101万663人にのぼる。
また、比尾山大噴火の悪魔とともに、比尾山の悪魔もあやつに喰われた。じゃから、比尾山という山は今ではなくなっておる。しかし、比尾山になぞらえて名付けられた、神垣内比尾という小さな山が神垣内連峰にあった。利尻富士のようなものじゃ。神垣内比尾はあるが本家が消えたため、次第に神垣内比尾は「比尾山」と呼ばれるようになり、現在でもそれは残っておる。

小噴火[編集 | ソースを編集]

そろそろ本題に移るとするか。いよいよ噴火の話じゃ。とその前に話さねばならぬことがある。

1783年7月8日、比尾山が噴火を起こした。見出しは「小噴火」としておるが、あくまで「大噴火」と区別するためで、お主が想像するような小規模の噴火じゃあない。火山爆発指数はVEI4と、そうそうない規模じゃ。
噴火は3日に及び、火砕流やそれに伴う泥流で、1500人以上の犠牲者を出した。
ここで、少し珍しいことが起こったのじゃ。前にも言ったとおり、比尾山大噴火の悪魔と比尾山の悪魔はあやつに喰われた。じゃが、比尾山小噴火の悪魔は喰われておらん比尾山は消えたが、この小噴火自体は消えなかったのじゃ。結果的に、この小噴火は浅間山の天明噴火として知られるようになる。詳しいことは後に話すとしよう。

大噴火[編集 | ソースを編集]

小噴火の様子はほとんど正しく伝わっておるから、儂が詳しく語ることじゃあない。さて、ようやく大噴火の話じゃ。

噴火前[編集 | ソースを編集]

比尾山は、高さ3149mととても高い活火山じゃった。そして、比尾山の地下には、大きなマグマ溜まりがあった。これが小噴火を起こしたのじゃ。じゃが実は、その直下には更に巨大なマグマ溜まりがあったのじゃ。鏡餅のような形を思い浮かべてくれ。
ところでマグマには、さまざまなガスが溶け込んでおる。そしてマグマは地中深くにあるため、とても高圧じゃ。比尾山の小噴火で、上のマグマ溜まりは空になった。それで終われば、こんな大量の犠牲は出なかったんじゃがのう。
小噴火が起こした揺れで、翌84年1月21日、二つのマグマ溜まりの間の岩盤が崩落したんじゃ。超高圧がかかっていたマグマは、空間が広がったことで一気に減圧された。するとマグマに溶け込んでいたガスが一瞬で発泡し、マグマ溜まり自体が爆発した。所謂破局噴火というやつじゃ。

噴火[編集 | ソースを編集]

午前9時11分、比尾山は噴火した。山の上層を吹き飛ばして莫大な量の火山噴出物が飛び出した。火山爆発指数は最大のVEI8。噴火の轟音は九州地方まで聞こえたという。噴煙柱は直径500m、高さ60kmに達した。小噴火の火山灰のせいで薄暗い中、山を突き破り立ち昇る、雷を纏った赤黒い巨柱は、とてつもなく暴力的で、かつ神々しかった。神の怒りを具現化したような、そんな姿じゃった。儂は噴火を覚えておるからのう。まあ、もともとは他人の記憶じゃがの。噴火を呆然と見ていた彼は、神々しさに心打たれて、家ほどもある噴石がまっすぐ飛んでくるのに気づくまで、恐怖なんて微塵も感じとらんかったのう。
火山礫や火山弾は半径10km範囲を襲った。小噴火で周りの集落に人は少なくなっておったが、小噴火の被害が比較的少なかった南側で、多く被害が出た。これによる死者は218人
噴火と同時に小規模の火砕流が発生した。これは半径2kmを灼き尽くしたが、小噴火で人がほとんどいなかったため、死者は2人と少なかった。
噴煙柱はしばらく高く昇り続けたが、やがて自重に耐えきれなくなり、崩壊が始まった。その体積は1000立方キロメートル。噴火の4分12秒後のことじゃ。

大火砕流[編集 | ソースを編集]

噴煙柱を形作っていた大量の火山噴出物は、大火砕流となって四方八方に流れていった。ほぼ360°に広がり、時速100km以上であらゆるものを焼き尽くしていった。高さ100m近い灰神楽が猛スピードで迫ってくるのは圧巻じゃったのう。灼熱の灰に包まれ、皮膚が、髪が、喉が燃え上がるのは良い気分じゃないが。こんな経験を一体何万回させられたか。記憶にしかすぎないとわかってはいるが、さすがに応えるわい。

高崎の小村では、雪が降ったんで子供たちが雪遊びをしとったのう。子供は風邪をひかんと大人たちは笑っておったわい。じゃが、あの爆発音が聞こえ、空気は一変した。尋常じゃあない噴火が西の方角に見え、長老の決断で避難することにしたんじゃ。その時じゃった。轟音とともに木々を呑み込む巨壁が見えたのは。逃げ惑う人々のところに火砕流はあっという間に到達した。家に駆け込み柱の陰に隠れた者も、足がすくんで動けんまま火砕流を見つめていた者も、我が子を抱きかかえてその場にうずくまった者も、皆焼き尽くされた。村は、全滅じゃった。

駿河の富士山麓の村にはある家族が住んでおった。彼らの家からは、噴煙は富士のわずかに左に見えた。40分後、こちらへ駆ける火砕流が見えた。周りが畑ばかりで見通しが良かったことが幸いじゃった。火砕流の恐ろしさは大昔の富士の噴火の話からよくわかっておった。家族は富士の陰に隠れることにした。夫婦と、夫の両親、2人の息子と1人の娘の計7人は懸命に走った。しかし、高齢の2人は段々遅れていったのじゃ。他の5人が富士の陰に入ったとき、夫の両親は50mほど離れた位置にいた。夫は、妻と子供にここに居るよう言い含めると、両親を助けに走った。その2秒後、火砕流が襲った。夫の両親は一瞬で灰に呑まれて見えなくなった。夫は歯を食いしばり、戻ろうと踵を返した。その時、火砕流が富士山の峰を越えて襲ってきた。峰は火砕流を防げるほどまだ高くなかったんじゃ。しかし、火砕流は峰にある小さな峠で割られた。2つの流れは夫の左右にわかれ、悲鳴を上げる妻と子供たちを焼き、呑み込んだ。夫は、左右を塞がれ、その場で絶叫するしかなかった。その直後、峰が轟音とともに崩れ、土砂と火砕流が夫に迫っても、彼はもう逃げようとはせんかった。

能登半島の鹿島では、海で一艘の漁船が漁をしておった。それには男とその息子が乗っておった。噴火が起こったとき、彼は身の危険は感じなかった。しかし57分後、地平線の彼方、富山湾を挟んだ陸に大きな灰色の壁が見えた。彼はそれが何かわからんかった。しかし、着々と近づいてくるそれに本能的に恐怖を抱いた。じゃが、何かは知らぬが、間に海がある限り案ずることはないと漁を続けようとした。そこで息子が叫んだ。海を渡ってくる、と。彼らは知る由もなかったが、火砕流は非常に軽いため、水上をも進むのじゃ。あわてて男は船を岸に向けた。じゃがもう遅く、巨大な火砕流が船に迫った。男は咄嗟に海へ飛び込んだ。男は水中から、息子を乗せたままの船が砕かれ流れに呑まれるのを見た。すると、水が急激に熱くなってきた。男は、あれは炎の流れなのだと悟った。男は水を蹴り、深く潜った。じゃが、海面上の流れは全く終わらず、水は煮えていくばかりじゃった。男は、息子のように即死せんかったことを後悔しながら、徐々に苦しくなってきた体で更に深く潜っていくのじゃった。

この火砕流は半径100kmを灼き尽くした。山の陰にいた者などのわずかな例外を除いて、この範囲の人々は皆死んだ。まさに未曾有の大災害じゃった。これによる死者は、52万3359人。火砕流は広大な土地を、家々や人々の死体とともに埋めた。

飢饉[編集 | ソースを編集]

舞い上がった火山灰は空を厚く覆い、日光を遮った。小噴火のものも相まって、植物が全く育たなくなり、この年、歴史的な不作となった。米が穫れず、餓死者が続出し、人肉を食べる者も多く現れた。これが俗に言う天明の大飢饉じゃ。特に東北地方で被害が大きかった。これも、見方によれば比尾山大噴火の一災害じゃろう。これによる死者は、48万7084人。聡明な者は、この犠牲者数が今言われておる犠牲者の数と大きく違うことに気づいたかもしれんの。それについてはこれから話すから、焦らんでも良い。

噴火後[編集 | ソースを編集]

比尾山大噴火は、日の本始まって以来の大災害として、深く人々の記憶に残った。比尾山は、激しい噴火で上部が吹き飛び、低くなった。その周りには外輪山が残った。そこで、もともとの比尾山である中心の山を比尾山、外輪山を浅間山と名付けたのじゃ。
しかし2年後、比尾山大噴火の悪魔ならびに比尾山の悪魔が、壮絶な戦いの末、あやつに喰われた。その結果、この2つはこの世から消えた。比尾山があったところには大きな窪みが残るのみとなったのじゃ。これが今でいう浅間山のカルデラじゃ。
そして、そこには浅間山という山が昔からあったことになり、歴史には浅間山の天明噴火のみが残ったというわけじゃ。
しかし、犠牲者は戻らん。この時比尾山大噴火によって減った人口は、天明の大飢饉によって減ったと置き換わったんじゃ。犠牲者数の不整合は、これが原因じゃ。
ここでお主は、「比尾山が消えるなら、もともとの比尾山である浅間山もともに消えるべきなのでは?」と考えるかもしれんな。じゃが、そうならなかったのには理由がある。先ず、大噴火を起こした旧比尾山をよく知っており、かつ生き残った者はほぼいないということを覚えておいてくれ。そして、比尾山のことをよく知らぬものが「これが比尾山だ」と現比尾山だけを指して言われれば、現比尾山だけが大噴火を起こした「比尾山」だと誤解してしまうのじゃ。結果、比尾山への恐怖は、「浅間山と現比尾山である旧比尾山」から「現比尾山のみ」に向けられるようになっていったのじゃ。じゃから、現比尾山だけが消え、現在には浅間山のみだけが残っておるんじゃよ。

比尾山大噴火の話はこれでしまいじゃ。すっかり長くなってしもうたのう。次は租唖の話でもしようかのう。ほいじゃあ、またの。

蛇足[編集 | ソースを編集]

この世界や儂らの存在についてもっと知りたくなったら、これを読むんじゃ。

・藤本タツキ「チェンソーマン」集英社 WikiWiki