二・零零事件

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二・零零事件
現場となった学校。犯人も通っていた。
場所 沖縄県南風原町新川646
沖縄県立開邦中学校・高等学校
標的 生徒・教諭
日付 2021年11月26日
時間 8時10分~8時31分
概要 男子中学生による無差別殺人
凶器 包丁、カッターナイフ、机
死者 45人(犯人を除く)
負傷者 46人
犯人 中学校の男子生徒
動機 不明


二・零零事件とは、2021年11月26日に沖縄県南風原町で発生した連続無差別殺傷事件である。男子中学生(事件当時15歳:沖縄県立開邦中学校3年生)が相次いで同中学校および併設されている高等学校の生徒、教員を殺傷した。事件の正式名称が令和3年(に)00号であったことから、二・二六事件になぞらえて二・零零事件と称されるようになった。

殺害人数45人は、日本で発生した殺人事件としては最も多く[注 1]、近代日本最悪の殺人事件として世間に大きな衝撃を与えた。

本事件は沖縄無差別殺人事件開邦中・高大量殺人事件2・00事件などと呼ばれることもある。

概要[編集 | ソースを編集]

事件を起こした犯人の実名は少年法に則り、公開されていない。そのため、本稿では少年と表記する。

沖縄県立開邦中学校の3年生だった少年は、2021年11月26日の初めの授業が始まった時、自宅から持ち出した刺身包丁で彼のクラスメイトを次々と切りつけた。そして別の教室にも次々と押し入り、包丁とカッターナイフで生徒を殺傷した。制止を図った教諭も被害にあっている。また、教室の机によって撲殺された被害者もいる。少年はいくつかの教室で21分にわたって多くの人を殺傷した挙げ句、自らの腹部に包丁を突き立てて死亡した。

結果として、少年を除いて生徒43人、職員2人が死亡した。また、生徒44人と職員2人が重軽傷を負った。日本最悪の殺人事件であるが、被疑者死亡のため不起訴処分となった。

事件の経緯[編集 | ソースを編集]

11月24日~25日[編集 | ソースを編集]

生き残った少年のクラスメイトは、「少年は事件の前々日から様子がおかしかった」と証言している。

彼(引用者注:「少年」を指す)は2日前の水曜日からなんか様子がおかしかったんです。社会のテストが終わった頃だから2時間目くらいか、その時からなんか思いつめたような顔して、なんかブツブツつぶやいてました。翌日はもっとひどくなってて、つぶやくというよりうなってました。頭を抱えたりなんかして、なんかもう一人の自分と戦ってるみたいな。一度「大丈夫?」と声をかけたんですけどね、力無く生返事が返ってきただけでした。いつもの様子に比べたら、明らかに異常ですよ。
〜生き残った少年のクラスメイト
[1]

また、少年は事件前日の11月25日、ある掲示板に奇妙な投稿をしている。少年の当時の不安定な心理状態が見てとれるが、明瞭な動機には言及されておらず、少年がなぜ事件を起こしたかについての説得力のある考えは未だない。

11月26日[編集 | ソースを編集]

事件発生前[編集 | ソースを編集]

少年は7時25分頃に登校し、中学3年1組の教室に入った。この時包丁を机の引き出しに隠したと思われる。クラスメイトの証言によると、登校後少年はずっと顔を伏せ、何か小声で唱えていたという。[1]

中学3年1組での凶行[編集 | ソースを編集]

8時10分、早朝講座を始める号令の最中、少年は振り返って後ろの席の生徒の腹部に包丁を突き立てた。少年は素早く更に後ろの生徒の腹部も刺し、次いで右横の列に標的を移した。初めの凶行が為されたのは教室の後方だったため、クラス全体が危機を察知したときには、既に10名ほどが刺されていたという。[2]

教室はパニックに陥った。多くの生徒が手前のドアから逃げようとしたが、建て付けが悪かったためになかなか開かなかった。その間に少年は包丁を低く振り回すようにしてクラスメイトを切りつけていった。教室に居た社会担当教諭が少年を拘束しようとしたが、少年の振り回した包丁が首に当たり頸動脈が切断、失血死している。[1]

ある生徒は、少年が「きしょい」「ゲロ」などと呟いていたと証言している[3]。ただ、パニック状態の中、発言の断片を聞き取っただけであり、信憑性には疑問が残る。

結果として、教室に居た38人(少年を除く)のうち、8人が死亡、18人が負傷した。

中学3年2組での凶行[編集 | ソースを編集]

中学3年1組から逃げ出した生徒の幾人かは、隣の中学3年2組に駆け込んだ。危険な状況であることを伝えたものの、すぐに避難する者はいなかった。教室内の人々は、悲鳴などを耳にし不審に思っていたものの、事態がこれほどまでに深刻だったとは思っていなかったという。[2]

8時12分、少年が中学3年2組の教室に飛び込んできた。少年はすぐに前方の生徒に向かって包丁を振るった。立っていた生徒は腹部を、座っていた生徒は肩や首を次々に傷つけられ、数人が死亡した。教室は1組と同様にパニックに陥り、逃げようとした生徒が後方の出口に殺到した。このとき、授業を担当していた教師は足がすくんで動けなかったが、少年は一瞥をくれ何かを小声で呟いただけで、攻撃しようとはしなかった。[2]

この時、1人の男子生徒が少年の包丁を奪おうと試みた。振るわれた凶器を避け、手を捩り上げると包丁は床に落ちたという。別の生徒がそれを拾い上げ、走って逃げた。しかし少年は暴れて手を振り払い、近くの机を男子生徒に叩きつけた。少年は何度も机を男子生徒の胴に振り下ろした。男子生徒は内臓破裂による失血性ショックで死亡した。遺体はマスクから溢れた吐瀉物と血液で見るも無惨な状態だったという。[3]

だが、その間に多くの生徒が教室から避難することができた。中学3年2組では、5人が死亡、13人が負傷した。

少年は教室に残された筆箱からカッターナイフを奪い、更に隣の中学2年2組に押し入った。

中学2年2組での凶行[編集 | ソースを編集]

8時15分時点で、事態は周りにある程度伝わってきていた。中学3年の2クラスから逃げてきた生徒が職員に危険を報せていたためである。しかし職員室から大人が駆けつけるより少し早く、少年が中学2年2組の教室にカッターナイフを持って侵入してきた。

教師が状況を明確に把握できておらず、生徒たちの避難はまだなされていなかった。そんななか少年が教室に押し入り、危険を察知した生徒たちは教室後方の出口に殺到した。そして授業の担当教師が少年をなだめようと声をかけた。しかし少年は構わず生徒を追いかけようとしたため、教師は腕をつかんで止めようとした。すると少年は次のような行動を取ったという。

犯人は『邪魔するな!』と叫んで腕をぶんぶん振り回した。すると運の悪いことにカッターが先生の首を切り裂いてしまった。先生はそのまま倒れました。血で真っ赤に染まった先生の姿を見て、『ああ、これはもうだめだ』と思った。先生も死ぬし、私もすぐに死ぬんだと。でも、犯人はそこで呆然としたように先生の死体を見下ろしてたんだ。返り血で真っ赤になって、そうして死体を見ながら、薄笑いを浮かべたんだ。そしてなにか小声でつぶやいて、ゆっくりとこっちを見たんだ。怖くて、慌ててみんなを押しのけて外へ出て、一目散に逃げ出した。後ろでさっき押しのけた友達の悲鳴を聞きながら。あいつは、人間じゃない。人間の皮をかぶった鬼だったんだ。
〜生き残った中学2年2組の生徒
[2]

少年は、先の2クラスとは異なり、カッターで首筋を重点的に狙って生徒たちを殺傷していった。中学2年2組の生徒たちは、より死に至る確率の高い傷を負わされていったため、このクラスではより多い12人が死亡、4人が負傷した。

中学2年1組での凶行[編集 | ソースを編集]

隣の中学2年2組への襲撃を受け、中学2年1組では教師によって避難するよう指示が出された。しかし、目の前の廊下を中学2年2組の生徒が半狂乱になって逃げていくこと、何より教室を出れば少年と鉢合わせしかねないことから、避難しようとする生徒はほぼいなかった。そこで、担当教師は教室の扉・窓をすべて内から閉め、少年を中に入れまいとする指示を出した。施錠が完了したとき、中学2年2組の生徒・教師と他のクラスから逃げて来て急を伝えた生徒の合わせて43名が教室内にいた。

ほどなくして8時21分、少年が教室の外に現れた。扉に手をかけ、続いて窓を見、全てに鍵が掛かっていることを悟ると、廊下に立てられていた傘を取り、突き刺すようにして窓を破った。そして手を差し込んで解錠し、教室に侵入した。生徒たちは反対側の窓から逃げようと詰めかけたが、耐震用に金属製の棒がはすかいにつけられていて出づらかったこともあり、数人しかそこから脱出できなかった。逃げ場を失った生徒たちに少年は襲いかかり、次々と殺害していった。しかし教師には中学3年2組の場合同様、殺意を向けなかったという。

当時の少年について生存者は、『機械的に、事務的に殺してまわってい』たと話している[2]

結果、このクラスでは最多となる20名が死亡、9名が怪我をした。

事件の終結[編集 | ソースを編集]

その頃事態を知った職員たちは、はじめの現場である中学3年の教室で救命活動にあたっていた。負傷者があまりにも多かったためにその救護で手一杯になり、少年の拘束が遅れることにつながったとされている。

一方、中学2年生の隣に教室がある中学1年生と上の階に教室がある高校1年生は、中学2年生が襲撃され始めた頃には避難を開始していた。両学年とも最初の凶行の現場である中学3年の教室から離れた方向に避難していたが、少年の移動方向と一致していたため、最後尾が少年と鉢合わせする結果になってしまった。

8時29分、高校1年生の生徒が少年と遭遇している。そのときのことを、次のように回顧している。

私の教室は一番端だったから、結果として逃げ遅れることになったんです。(中略)教室は2階でしたから、階段を降りていたんです。そこでブレザーが手摺に引っ掛かってしまい、焦ってたから余計に取れなかったんです。中一の子も手伝ってくれて、ようやく取れたときに、犯人の子が教室から出てきたんです。(中略)もう足が竦んでしまって、二人で固まっていたんですけど、犯人の子はこっちを見ただけで横の棟に行ったんです。ふと我に返って中一の子と逃げ出したんです。その時背後で何人かの先生の怒鳴り声が聞こえました。ああ、これでもう大丈夫だとひどく安心したのを覚えています。
〜当時の開邦高校1年生
[1]

4人の教師たちが遅ればせながら駆けつけ、少年を発見した。その時も少年は、教師に気づいたものの無視して横の棟へと歩を進めた。そこで教師たちは一斉に飛びかかり制圧しようとした。しかし少年は抵抗、カッターナイフを振り回した。だがカッターナイフは切れ味が悪くなっていたこと、服を掴まれ腕があまり動かせなかったことから、2人が軽傷を負うだけに終わった。

だが取り押さえるまでには至らず、少年は着ていたジャージを脱ぐことで拘束から逃れ、教師たちから距離を取った。すると突然、少年はカッターナイフの刃を目一杯出し、自らの腹部に突き立てた。刃は胃を貫通、背中の静脈にまで達し、少年は失血性ショック死した[3]。こうして二・零零事件は、8時31分、少年の自決で終結した。

事件直後[編集 | ソースを編集]

  • 8時19分 - 那覇市消防局に最初の119番通報。
  • 8時21分 - 那覇市消防局から救急各隊に向け、最初の指令が出される。
  • 8時34分 - 現場に始めの救急車が到着[注 2]。多数の負傷者を確認、増援を要請。
  • 8時38分 - トリアージ開始。
  • 8時59分 - 赤(重症)のトリアージ判定完了。
  • 9時00分 - 負傷者の病院搬送開始。
  • 9時13分 - 黄(中等症)のトリアージ判定完了。
  • 9時14分 - 「沖縄の高校で無差別殺人」というニュース速報が各局で流れる。
  • 9時19分 - 緑(軽傷)のトリアージ判定完了。
  • 9時36分 - 赤判定の重傷者の搬送完了。
  • 9時52分 - 黄判定の中等症者の搬送完了。
  • 10時01分 - 全負傷者の搬送完了。
  • 12時24分 - 犯人を除いた37人目の死亡が確認。日本最悪の殺人事件であることが確定。

最終的には救急車のべ55台、隊員73名が動員された。

事件後[編集 | ソースを編集]

このセンセーショナルな事件の情報はすぐに広まり、各方面に大きな影響をもたらした。

学校[編集 | ソースを編集]

事件の現場となった沖縄県立開邦中学校・高等学校は事件翌日から2週間、「生徒の心身を慮って」休校とした。それに伴って12月4日に予定されていた中学校の入学試験も延期とする異例の対応を取った。

二・零零事件の反響は大きく、全国各地の学校で警備員の設置など対応が急がれた。また、事件当時、教師が少年を拘束できなかったことにより被害が拡大したことから、教職員を対象とする不審者対応訓練を定期的に実施するよう、文部科学省が通達を出した。

加害者家族[編集 | ソースを編集]

11月28日、遺族の親が少年の家族の家に火を放つ騒ぎが起こった。小火で済んだものの、犯人は後に書類送検された。そして放火騒ぎにより少年の身元が特定され、加害者遺族の家にマスコミが殺到することとなった。なお、加害者家族は公に何も発表しておらず、沈黙を守っている。

警察[編集 | ソースを編集]

警察はこの前代未聞の事件について、当日正午に最初の記者会見を開き、約1週間にわたって記者会見を繰り返した。その際、正式名称の「令和3年(に)00号」を多く使い、この事件が二・零零事件と呼ばれるきっかけを作った。

警察は12月10日、被疑者死亡につき不起訴とする決定を下した。捜査によって少年は事件の当日の朝包丁を家から持ち出したことは明らかになったが、動機は不明とした。巷では動機を考察する者が多く現れ、社会現象とも言えるほどであった。

その他[編集 | ソースを編集]

事件後、少年が推理小説を好んでいたという情報が出回った。それは少年のクラスメイトも同様に証言しており、事実とされている。また、少年の部屋には歌野晶午「密室殺人ゲーム」シリーズという本があったという情報も広まった。同シリーズには猟奇的・非倫理的な描写が含まれている。この情報の真偽は定かではないが、同シリーズをはじめとする推理小説全般への批判が一部で巻き起こった。

しかし、神戸連続児童殺傷事件におけるホラーゲーム・ビデオ批判のような、あまり価値のない批判だとするものが大勢である。

一方、2022年1月に東京都板橋区立図書館が同シリーズを閲覧禁止処分とし、物議を醸した。

事件の特徴[編集 | ソースを編集]

二・零零事件の特徴として、殺害者数の多さがまず挙げられる。死者が出た4クラスにおいて、中学2年の2クラスで特に被害が大きかった。その理由として、中学3年のクラスでは少年は腹部を刺突するという手口が主だったのに対し、中学2年のクラスでは頸動脈を傷つけるという手口に変わっていることが考えられる。なぜそう変化したのかは明らかでないが、殺害を繰り返すうちに、その方が効率よく人を殺せることに気づいたのではないかとされている[要出典]

また、標的の選び方にも疑問が残る。多くの生徒を無差別に殺しているが、一部の教師や生徒には害意を抱いていなかったと思える証言があり、選別基準はなんだったのかが謎となっている。

だが何より、事件全体の動機が最大の謎である。クラスメイトによると、少年は成績も優秀で交友関係も悪くはなく、特に悩み等があるようには見えなかったという。更に、少年は事件の2日前から明らかに様子がおかしくなっていたとされ、何が心境の変化をもたらしたのかも分かっていない。

動機の考察[編集 | ソースを編集]

前述したように、少年が事件を起こした動機は様々な人々によって多くの説が出され、議論が紛糾した。以下に主なものを抜粋して述べる。

快楽殺人説[編集 | ソースを編集]

少年は人を殺害することに快感を覚えたため、凶行を繰り返したという説。現在、この説が最有力視されている。犠牲者数が異様に多いこと、無差別に生徒を殺害していったこと、少年が事件の最中笑っていたという証言などが、この説を補強している。

だが一方で、少年が犠牲者を"選別"していたとみられること、包丁一本しか用意しておらず計画性に欠けることなどには反する。また、個々の事件に向き合わず形にはまった解釈でしかないという批判もある。

日頃の恨み説[編集 | ソースを編集]

少年は日頃から周りの人々に恨みを抱いており、それがあの日爆発して凶行に及んだという説。この説に則れば、少年と関わりと薄かった中学1年生・高校1年生が標的にならなかったことには説明がつく。また、少年は大規模ないじめにあっていて、事件はその報復だったという説もある。

しかし、生存者の証言にある少年の人物像に合わないこと、交友の全くなかった生徒も殺されていること、逆に関わりのあった教師が被害に遭っていないことの説明はつかない。

統合失調症説[編集 | ソースを編集]

精神科医である馬淵啓輔氏がはじめに提唱した。独り言を多く呟くことは典型的な統合失調症の症状であり、馬淵は更に幻覚も見ていたのではないかとする。

彼(引用者注:「少年」を指す)は人を殺しながら「ゲロ」とか「キショい」とか言っていたという。私は、彼にはクラスメイト達が何かおぞましいものに見えていたんじゃあないかと思うんです。そして何かそれを取り除かねばならないという強迫観念めいたものに取り憑かれていたんじゃあないかと。幻覚に独り言、これらは彼が統合失調症だったことの明白な証拠ですよ。犠牲者にはおぞましく見えてしまう何か、共通点があったんじゃあないかな。おぞましく見えるよう彼の脳に働きかける、鍵となる何かがあったのかも。その共通点が何だったかは、彼が自殺してしまった異常[注 3]、もう知りようがないんだろうよ。
〜馬淵啓輔
[4]

いくつかの疑問を解決している一方で、「精神疾患を都合良く当てはめている」「精神病患者への偏見を招く」といった批判も受けている。

脚注[編集 | ソースを編集]

注釈[編集 | ソースを編集]

  1. この事件の発生までは、京都アニメーション放火殺人事件における36人が最多であった。
  2. 通勤ラッシュと時間が重なったことから、到着が遅れたという。
  3. 原文ママ。「以上」の誤字か。

出典[編集 | ソースを編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 『二・零零事件 あの日何があったのか』毎日新聞社
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 「沖縄無差別殺人 生存者に緊急取材」『週刊新潮2021年1月号』掲載
  3. 3.0 3.1 3.2 「二・零零事件から3ヶ月--警視庁資料から判明した事実--」『朝日新聞』2022年2月26日朝刊3面掲載
  4. 馬淵啓輔氏のTwitterでの発言より抜粋。

真実


ああ、ダメだ、頭がそれで埋まってく…
はい、始めよう
(…きしょ…げろ!)
いつの間に包丁なんか…、体が言うことを聞いてない!
身なりを整えてください
(…せいをあげろ!)
うう? あ、あああああああ!!!




…いを…
やめろ、やめろ! 痛っ、痛い、がっ
(やめるんだ)
…をあげろ
ううっ、なんでこんなこと
(目を覚ませ!)
…せいを…




…のきしょ…
いやだ、やめてっ! あっ、あ
(こんなこと、今すぐやめろ)
…つの…せいを…
助けてくれえ!! ごふっ うっ
(ああ、こんな、むごい)
し…てぃ…の…、ああ、こうすれば簡単だったじゃないか




…ろしゃ…のき…
はぁ、はぁ、逃げろ、早く!
(もう手遅れなのか)
…うせ…あげろ
来ないで! いや! どいて!!
(もう戻ってこないのか、俺の理性は)
…しょうせいをあげろ 白いTシャツの希少性を上げろ!




白いTシャツの希少性を上げるには、そう、母数を減らせばいい
や、やめなさい!
(この考えに取り憑かれた俺の理性は、もう)
違う、こいつは、白シャツじゃない。白いTシャツを着てるのは、生徒だ…
ひっ、あっ、ああっ
(戻らないならば…)
違う、こいつらはブレザー、体育着じゃない…白いTシャツの希少性を!




う、邪魔するな!! くそっ!
取り押さえろ!!
(戻らないならば、ここで)
くっ、こいつらも、違う。うん、あれ?
くそ、抜け出しやがった!
(ここで、葬る)
あれ? 俺、白いTシャツ?
怯むな! もう一度!
(そうだ、白いTシャツを着たやつを殺せ)
そうだね、白シャツは殺さないと
おい、まさか
(ごめんねみんな、こんなことして)
白いTシャツの希少性を上げろ!!
待て、そんな
(もう僕には、止めることしかできない)
切れ、破れ、血で汚せ!!
やめろ!
(さあ、思いっきり、刺せ!!)


──終焉