Sisters:WikiWiki麻薬草子/アンディ・ウィアーを読もう

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 アンディ・ウィアーはアメリカのSF作家であり、今最も注目を集めているSF作家の一人と言っても過言ではないだろう。「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、映画化が発表されたこともあって日本でも人気が高まっている。邦訳された単著はわずか3作だが、当代きってのエンタメSFの書き手として(私に)認められている。本稿では、そんなアンディ・ウィアーの作品の魅力を各作品の紹介を通して伝えたいと思う。

 まずはウィアーのデビュー作である「火星の人」である。もともとはKindleでシステム上可能な最低価格で販売していたが、あまりの人気に出版社から出版されることになったそうだ。映画化もされた(映画のタイトルは「オデッセイ」)。

 あらすじとしては、トラブルで火星にただ一人取り残された宇宙飛行士マークが、生存と地球への帰還を目的に火星で単身サバイバルするという話である。建設した基地と最低限の生命維持装置はあるが、食料もロケットもない。次に火星へ調査隊が訪れるまでには1年以上かかる。そこでマークが思いついた作戦が、「残っていたジャガイモを種芋としてジャガイモをたくさん栽培する」というものである。火星で家庭菜園を作ろうというのであるが、もちろん問題は山積する。土はどうするのか、水が足りないぞ、スペースはどうするんだ。マークは次々と立ちふさがる壁を、知恵と工夫とへこたれない心で乗り越えていく。

 この作品の最大の魅力は、やはり困難を克服していくプロセスだろう。火星での生存というほとんど不可能に思えるミッションを、限られたリソースを駆使して一歩一歩可能にしていくカタルシスがたまらない。この「難題→解決」というプロセスを基本として物語が進んでいくのだが、そのテンポがかなり速い。決して短くはない物語のほとんどがこのシークエンスで構成されているのだから、その数が尋常でないことはお分かりだろう。解決のカタルシスを何十回も楽しめるのである。面白いわけである。

 数が多いだけではない。作品世界は作者の科学知識に基づいてリアリティあるものになっている。加えて、「一難去ってまた一難」的な展開も楽しい。問題の解決そのものが新たな問題を引き起こすのである。ある展開が次の展開を呼び、あれよあれよという間にページを繰る手が止められなくなっている。この強烈なリーダビリティも大きな魅力だ。

 そして、全編にまぶされたユーモアも忘れてはならない。火星に独りぼっちという絶望的な状況のなかでも、マークは笑いを忘れない。マークの闘いは彼の日記という形式で語られるのだが、自分の生きているうちにそれを読む人がいないかもしれなくとも、一人でボケまくるのである。この筆致のおかげで、読者はハラハラドキドキしつつも明るい気分で作品を楽しむことができるのである。

 続いて、2作目「アルテミス」の紹介に移る。今度の舞台は月である。月に都市が築かれている近未来、ある理由から密輸を請け負う若い女性・ジャズが主人公である。ジャズはお得意先から不審な仕事を持ちかけられ、莫大な報酬のためにそれを引き受けるのだが、それがきっかけで都市全体を巻き込む大きな陰謀に巻き込まれてしまう。

 科学的リアリティに基づく設定や、次々に襲い来る困難を乗り越えていく展開は健在である。特に、月に建設された都市という設定を緻密に作り込み、その上で起こりうる事態を描くという姿勢は感嘆に値する。もちろん、ユーモラスな語り口も変わりない。

 一方で前作と大きく違うのは、主人公が孤独でないことである。月の都市は多くの人口を抱えており、必然ジャズは敵も味方も含めて多くの人と関わることになる。それゆえに、いろんな魅力的なキャラやチームプレーの面白さが加わっているのだ。また、裏で何が起こっているのか徐々にわかってくるという一種ミステリー的な魅力もある。

 そしてこれら2作に続く最新作が「プロジェクト・ヘイル・メアリー」だが、これはいわば2作のいいとこどりである。特筆すべきは、主人公の男が目を覚ましたときには記憶を失っていて、読者と同様に状況がわからないということだ。狭い空間を探り、科学知識と実験精神で少しずつ現状を把握していくさまが読者とシンクロしていて楽しいのである。このだんだんと状況がわかってくる体験が面白いので、あらすじは詳述しない。できれば裏表紙や帯のあらすじはもちろん、表紙のイラストや本編の前にある図さえ見ずに読み始めてほしいものだ。

 男が徐々に記憶を取り戻すにつれ、壮大な事態が過去に明らかになった経緯が少しずつわかってくる。それが観察と実験と洞察という科学精神に満ちた戦いでもう面白い。目の前に立ちふさがる大きな壁の正体がわかったところで、それを乗り越える方法を、もはやお馴染みとなった知恵と工夫とユーモアでもって見つけていくという物語である。

「火星の人」が困難を乗り越える話であったとすれば、本作は謎の困難の正体を探り当てた上でそれを乗り越える話であり、カタルシスが単純計算で2倍だ。あっと言うような展開も連続する。人気の訳も窺えよう。

 アンディ・ウィアーはこのように、魅力に満ちた完成度の高い作品を発表し続けているのである。エンタメSFを書かせれば右手に出る者はいないであろう。知的興奮を喚起する素晴らしい作品が揃っている。次作も楽しみで仕方ない。