九ヌイルもの
この項目では、九ヌイルものという童話について説明しています。 ・九マイルものという小説のジャンルについては「九マイルもの」をご覧ください。 |
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九ヌイルものとは、沖縄県北部発祥とされる童謡のことである。
概要
九ヌイルものは、極めて資料が少ない童謡であり、歌詞の情報はひどく視認性の悪い画像2種のみであるばかりか、曲調に関しては一切の情報が存在していない。
発祥とされる西尾岳[1]周辺の集落には、この童謡についてよく知る高齢者が2019年まで存命であったが、
頑なにインタビューに答えようとせず[なぜ?]、さらに現在は死去しているため、もはや九ヌイルものの精密な歌詞や時代背景などを知ることは不可能に近い。
なお、この集落において、よく知らないが噂程度でこれを童謡だと知る人達の証言によりこの九ヌイルものが童謡であるということは判明している。
さらに、先述した九ヌイルものの2種の画像は、悪い視認性に加え、どちらも一部が黒塗りにされている[2]状態で発見されているため、完全な歌詞を知ることすらもはや不能である。
名称
本項では「九ヌイルもの」と呼称しているものの、実際にはこれがその童謡の題名という確実な根拠はなく、
これは2種の画像の内の一つである、「九ぬいるもの」と左側に書き連ねられ、右は黒塗りにされている画像(詳細は歌詞節を参照)から取られたものである。
なお、「九ぬいるもの」という言葉の意味は全く不明である。また、「ぬいる」をカタカナ表記している理由は、九マイルものを例に挙げれば、
「九マイル物」のような「もの」でなく、「九マイルもの道を歩く」のような「もの」として、本記事作成者が「九ぬいるもの」の「もの」を解釈していることを明示するためである。
歌詞
一枚目
九ぬいるもの[黒塗り]
九ぬいるもの[黒塗り]
九ぬいるもの[黒塗り]
九(丸?)ぬいるもの[黒塗り]
二枚目
阿(呆/余?)に住む(人/ト?)(繋/撰?)がれる
尼(め/ぬ?)出づること(末/夷?)会[解読不能(す?)]ぬ
小(鳥/島?)摘むほど(粟/栗?)(喰/哈?)るる
今に見てろと居(间/人旬?)(溫/濡?)わ[解読不能(り?)]
一つ(日/目?)を見(つ/て?)ついばめる
二つ耳を聞き(つ/コ?)(い/ハ?)ばめ[解読不能(る?)]
三つ[解読不能(鼻?)][解読不能(憶?)](きい/ぎ?)(つ/フ?)(い/ル?)ば[解読不能(め?)]る
四つ[解読不能(爪?)]の(お/あ?)[解読不能(さ?/こ?)](つい/づ)ばめず
[解読不能(五?)]つ[解読不能(掛?)][解読不能(用)]みつい(ば/1ぢ?)める
六(へ/つ?)(手/争?)[解読不能]のらしついばめ(ら/て?)
七つ腕打ちつい(ば/1ぢ?)めず
八つ腹呑みついばめず
さ(れ/てん)ど[黒塗り]をついば[解読不能(内?/丙?/め?)て
九つ(つ/て)いばめぬ(さ/も?)の[解読不能][解読不能(な?)][解読不能(く?)]
意味
筋の通った意味は導き出せないが、断片的な情報からこれらのことが考えられる。
- "阿呆"に住む人間は繋がれている、または選ばれている。→奴隷として閉じ込められている、またはそれに選別されている?
- "尼"が現れたら会えなくなってしまう→"阿呆"に住む人間は複数いると考えられる。
- 小鳥を採取するほどに粟を食える→奴隷として働き、小鳥と食料を交換している?
- 「今に見ていろ」と居間に温水をかける?→解読不能。下記の描写から血などの体液のメタファーの可能性?
- 一から七までの番号がついている行は人体の一部を"ついばむ"描写がある→三行目の"小鳥"が関係している?
- 一の目、二の耳、三の鼻、五の何か(追記:[解読不能(掛?)][解読不能(用?)]は[指][摑]に見えないこともない。指の可能性?)、六の手は「ついばめる」との描写
- しかし、四の爪、七の腕、八の腹は「ついばめず」との描写。両者の違いは?
- 一から八までの番号がついている行では、人体の一部をついばむ前に、その機能をそれ自体に行使しているような描写がある。(「目を見て」「指掴み」「腹呑み」など。)
- 八つ目と九つ目の間の黒塗りされた何かをついばむ描写→これが九行目に関与しているとみられる
- 九つ目にて「ついばめぬものなく」ととれる描写→「九ぬいるもの」との関係性?
脚注
真実
「九ヌイルもの」と称されるこの童謡は、1937年ごろに奴隷として働かされていたとある集落の実態を、とある商人が伝えるために作ったものである。
この集落全体は、その隣の集落によって「阿呆」と呼ばれ差別され、ただひたすらに「小鳥を捕まえ、献上させる」という内容の労働を強制されていた。隣の集落の女主人によって外国に売りに出された奴隷もいくらかいたといわれている。
そして、その労働環境は非常に劣悪なものであった。服は用意されず、食料は素手で小鳥を捕まえるという重労働には到底釣り合わないような、少量の粟しか用意されず、住居は一軒の小さな家が用意されるのみだった。
このため、奴隷たちは次第に隠れてその家にとある商人を呼んで、人体の一部を珍品として売りに出し、その金銭で食料を買うようになっていく。
このとき、反乱の防止として一切の道具を持たされていなかった奴隷たちは、小鳥のくちばしを使って無理やりに人体の一部を摘出・切断していたとも言われている。
奴隷たちは最初の内は労働の傍らに目や鼻を売って順調に金を儲けていたが、その内、労働もせずにそれに熱中するようになったため、集落の食料は完全に人体の一部の交易頼りになってしまう。
その結果、価値の低い爪や、切断直後に誤って折ってしまった腕などが売れなかったこともあり、皮肉にも奴隷として働けば少なかれ安定して得られていたはずの食料が完全に底をついてしまうという事態が生ずる。
そしてついに、今までは死亡するほどのものまでは取って売っていなかった奴隷たちであったが、8回目の交易のときに、高価な内臓を売りに出すことにすることになる。
しかし、そのとき妊娠していて腹が減っていた女が、勝手にその摘出した内臓を食べてしまうという事件が起きてしまう。その後、他の奴隷たちの怒りを買った彼女はその腹を引き裂かれ、[規制]をくちばしでばらばらに引きちぎられたという。
これによって奴隷たちは正常な倫理観を完全に失ってしまい、「九ぬいるもの」即ち「9の("ぬ"は沖縄方言の転訛)要る物」、つまり「9回目の交易に必要な物」を手当たり次第に摘出・切断した。(例えば[規制][規制][規制][規制]などがある。)
この光景を見たその商人は驚き、その惨状を伝えるために童謡という形で「九ヌイルもの」と称されるそれを作ったのであった。以下がその歌詞の原文である。(一部規制済み)
阿呆に住む人繋がれる |
なお、この風習は少なくとも2019年時点には現存していたことが判明している。