連用中止法

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連用中止法とは、日本語の文章に使い、活用語を連用形で止め、次の言葉に繋げる表現である。

概要

異なる動作を一文に入れ込むことができ、例えば「天高く馬肥ゆ」の「高く」、「老兵は死なず消え去るのみ」の「ず」、「長いあいだ買い物し、ご飯を食べ、所持金は無くなり、家に帰り、荒らされた形跡をみとめ、警察に通報した」の「買い物し」「食べ」「なり」「楽しく」「帰り」「みとめ」、また「われ飼い犬にリードをつけず、散歩し、これ悪しきにあらぬ」の「ず」「散歩し」、あるいは「動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者として動物の愛護及び管理に関する責任を十分に自覚して、その動物をその種類、習性等に応じて適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、生活環境の保全上の支障を生じさせ、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。」の「飼養し」「より」「加え」「させ」[1]などのように、活用語[2]の連用形を読点の直前に置き、次の部分に繋げ、リズミカルに出来事を述べ、またはその活用語と後に続く部分とが並立し、同格に解釈されうることを示す表現技法や文法形態のことをいう。


素人が調子に乗り、乱用することがあり、その場合にはこの記事のように、文を長くさせ、または見栄えを落とし、面白味をなくし、または深みをなくす原因となりうるゆえに、ことに一定の効果を狙い、使用する際には充分に気をつけ、つまり限度をしっかり守り、頻度もしっかり守り、節度もしっかり守り、大切な人もしっかり守り、しかしときには実質的に言えば損を与え、例えば無断で、かつ躊躇せず相手のプリンを食べ、相手は冷蔵庫の不思議で、不条理で、不自然な空間を指摘し、空の容器を見つけ、表情を曇らせ、次に怒りをあらわにし、つまり怒鳴り、止せばいいのにそのつもりならとこちらも大声を上げ、激しく、情熱的に喧嘩を始め、食べちゃいないと言い張り、頑なに意地を張り、するとドアの隙間から一部始終を見ていたことを明かされ、しかし開き直り、自分が一種の生物であり、自然の摂理に生きていることを自覚する一人の人間であることを述べ、プリンを見つけ、本能に従い、それを嬉々として食らうことは仕方のなく、非難され、あるいは否定されるべきでなく、よって相手が自分の行為を許し、または赦し、そしてそれを否定し、怒りをぶつけ、不快の念を抱かせたことに対し、またドアの隙間から覗き見したことに対し、謝り、二度と同様のことを繰り返さず、また一生反省することを誓うことを求め、そのことは相手の感情をより一層刺激し、言い換えるならば逆撫でし、あるいは故事成語を借用し、その表現効果を引き込むならば逆鱗に触れ、すなわち相手は怒り、次の瞬間わあと泣き、平衡感覚を失い、床に崩れ、簡潔化し、あるいは総括するならば泣き崩れ、それを視覚的に認知し、なにが起こっているかを察知し、その状況を冷静に、同時に感情的に整理することにより、自分が言い、または行った行為がどれほどの激動を相手の心に与え、またそのことがどれほどの罪を持ち、いかに挽回されるべきかを悟り、間もなくそれまで断固とし、確固として持ち、また実行していた不謝罪の意志をほどき、消失させ、無きものとし、跪き、頭を垂れ、つくばい、すなわち土下座の姿勢を取り、自身の行為を振り返り、その不当で、幼稚で、傲慢で、利己的な行為のあったことを確かに認め、それを相手に話し、示すことで許しまたは赦しを得んと考え、相手はこれを見ておもむろに起き上がり、まっすぐ立ち上がり、このとき相手は落ち込んでおり、少々気取り、または見栄を張った、あるいは読みやすくする為の歯切れの良い言葉を選べば漢語的表現に行き当たり、深く納得することになったことよりそれを受け入れ、または従い、その通りに言い換えるならばまさに冷静沈着であり、すなわちぴたと泣き止んだのであり、それどころかはじめから嘘泣きで、この言葉はあまりにも幼稚で、また本質を捉えたものではなく、したがって言い換え、これにも漢語的表現を使用すれば換言することを要し、気の利いた語が思い浮かばず、また今後考え続ける気力も無いため妥協するならば相手のその様態は本来より虚偽の流涕であり、自分にこの行動を取らせ、すなわち深い土下座をさせ、それをこの間途絶えることなく続けさせることを当初より目的とし、それを達成し、勝利を獲得する為にこの行為すなわち嘘泣き換言するならば捏造の啼泣を行ったのだと認識し、少々の不満を持ち、怒りさえ覚えたが自分に非があり、謝罪と反省の義務があることを身をもって知覚し、節操がなく、落ち着きが無いと言われてもよいのでより平易な言葉に表し、読者の理解を少しでも進める為に言い換えるならば思い知り、そうしても状況をさらに悪化させるのみだという理由からそれについて指摘することはせず、ただ平身低頭にて謝罪の意志を示し続け、さて以上のようなことを認知し、咀嚼し、解釈を考えているうちに相手の口は動き始め、それを察し、重要だと判断してこちらは顔を上げ、聞き逃すまいと構え、耳を傾け、忠告するがこれはどうしようもない日本語ではなく、単なる言葉の綾であり、古来より広く、大切に使用されてきたコロケーションを私も使用したのみであり、つまり単に慣用句を用いただけであるから読者がそこで引っ掛かり、続きを読むことをやめ、本記事に対し微妙な感想を抱き、読者と本記事の関連が終わることは私の望むところではないことを表明しておきたくあり、さてその話は横に置き、相手は声帯を震わせ、口の動きを通し、その振動を言葉に置き換え、すなわち発語行為を始めたのであり、それを聞き、または傾聴に努める限り、どうやら許しを、あるいは赦しを与えてくれるようであり、両者のうちどちらかが真たるかを判別できないのはこの会話が活字でなく、音声によって行われているからなのだがそれは当然のこととし、あえて明言し、紙幅を消費し、記事の価値を低下せしめるようなことはすべきでないと結論付けるに至ったのであるがそれはそれとしてこちらに許しが下り、または赦しが与えられたことに歓喜し、感謝の言葉と機嫌取りの言葉とを混ぜ、伝えたところ機嫌が悪く、雲行きは怪しくなったので顔色を窺い、最良の選択をする作業に入り、試行錯誤しつつ新しいプリンを買いに行き、埋め合わせをする意志を伝えると機嫌は戻り、怪しげな雲も消え、少なくとも見かけ上は万事良好となったので安堵し、息をつき、ドアを開け、風を感じ、駆け出し、さらに風を感じ、寒さが身を襲い、耐えかね、一度帰宅し、自室へ走り、コートを探し、なかなか見つからず、また家の中に戻ったことで寒さを忘れたので諦め、再度出発しようか否かと迷い、または右往左往していたがコートは既にクリーニングに出し、現在これを羽織ろうとするのが不可能で、あるいは困難であることを思い当たり、きっぱりと諦め、ドアを開け、再び飛び出し、風を感じ、もはや冷たさなども覚えず、胸の躍るのを感じつつ駆け、さらに風を感じ、なんとここへ来て寒くなってきたが気に留めず、目先のことに集中することに決め、走り、走り、懸命に、なりふり構わず走り、石に躓き、逆さに転び、通りすがりの中学生に指をさされ、笑われ、すなわち馬鹿にされたことにも気づかず、または気づかないふりをし、さてコンビニに着き、財布を忘れ、正規のルートで購入を進めることが無理であることを悟ったが構わず、それで己が道を行き、間近の結果を求める覚悟をし、入店し、自動ドアの開閉音はこちらを応援し、成功を願ってくれ、そしてということは世界がこちらの目標の達成を祈っているのだと解釈し、意気込んでスイーツコーナーを探し、それを見事に見つけ出し、そこに「激安プリン」の札をみとめ、即座に一つだけ陳列棚に残るターゲットをみとめ、そして左のほうを向き、幼子の姿をみとめ、その視線の方向を定め、その先が手元のブツであることを充分に認識し、よって重大な決断を下し、実行に取り掛かり、すなわち自分が外に出てきた目的のものを奪取し、レジへダッシュし、袋の受け取りを断り、会計を済ませ、退店し、罪悪感に苦しみながら走り、しかし風を感じ、寒くなり、そのためそれを忘れ、新聞を読み、神妙な顔をし、うぬぼれながら歩く背の高い男とすれ違い、彼の

ウーン……またか。まったく最近の独裁国家は外国人を見つけるとすぐ拉致するものだな。

という謎の発言を耳にし、少々惑い、歩行は一瞬の遅延を見せ、不安を感じさせたものの中年男性の発言を忘れることによりただちに回復し、歩行より走行と叙述するほうが適当なスピードで進行を始め、やがて自宅の住所と等しい場所に足を踏み入れ、すなわち帰宅し、ドアを開け、リビングに戻り、相手の姿のないので何だ何だと不安がり、とはいえ電気がついているのでまあ大丈夫かと落ち着き、しかしテーブルに置き手紙を見つけたことで様子がおかしいぞと慌て、ただ「出ていく。守れ」とだけ書いてあるのを一息に読んで何のことやらと不思議に思ったのであるがとかく人はそれらを守るべきなのであり、ああ。[3]

脚注

  1. このケースは他の三つと異なり、技法を用い、表現効果を狙ったものでなく、文法的に、あるいは条文の作法に則った結果として起こったものである。
  2. すなわち動詞のことであり、または形容詞のことであり、または形容動詞のことであり、または助動詞のことである。
  3. このように、連用中止法を使用し、文を繋げるような文章を書き、何かが醸成され、神がかったものが生み出される可能性を期待し、高ぶっていると一文が異様に長くなり、読みにくくなり、あるいはシンプルに面白くない文字列が誕生し、吐き気を催すこともある為そのような趣味を持つ変人またはナンセンスさを求める奇人を除き、これの使用を避け、他の表現を求めるのが常識であり、そして鉄則である。