利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丁
二・零零事件 | |
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場所 | 日本全国 |
日付 | 1990年代前半 |
概要 | 空から小さなニラが大量に降った。 |
損害 | 不可逆的な日本経済の損傷 |
ニラ零細素片人工降雨禁止令事件、通称「ニ・零零事件」とは、小さなニラの雨が降るという珍奇な現象、およびこれに対して制定された法律をめぐる一連の事件の総称である。
名称
「ニラ零細素片人工降雨禁止令事件」というのが公的にも正式な名称であるが、
テロップの文字数制限上、マスコミ各社がうまい具合にこれをいじくることによって発生した「ニ・零零事件」[1]という呼称が、現在では一般に主流なものとなっている。
なお、その弁別し難さによってカタカナの「ニ」と漢数字の「二」が混同された結果、当事件名の「ニ」は漢数字の「二」で表記されることも多く、
これによって五・一五事件[2]や二・二六事件[3]のような、その発生日時を冠する事件の一つであると勘違いされることも多々あるが、
二・零零事件は2月00日に起こった事件ではない。そもそも、あさましきグレゴリオ暦に「0日」のような概念は存在していないのだから当然のことである。
概要
空から小さいニラが大量に降ることによって発生した加供給に対して、これを明日は我が身と恐れたことによる野菜市場全体の急速な縮小、そしてこれを火種とした経済の大規模なダメージによって、
1991年ごろから日本は戦後未だもって経験したことのないような、現在の日本の低成長にさえも尾を引いていると考えられるほどの不況に苦しめられることになる。
この全くもって不可解な事態に対して、時の政府は何故かこれを一種のバイオテロであると断定し、「空から小さいニラが大量に降る現象」を起こすことをいかなる理由であれ禁止するという、まるで冗談のような法令を発した。
これには日本国内外を問わず世界各地から大きな批判的反応が寄せられ、これをきっかけにして二・零零事件は世界的にも有名なものとなったのであった。
その後どうにかこの事態は沈静化されたのだが、ある方法での記憶処理や、もっともらしいカバーストーリーの流布によって、現在ではこの事件を知る者はほとんど存在していない。
事件の流れ
ニラ降雨のさきがけ
瀬戸内地方の某村にて、ある青年が「ニラが空から降ってきた」と、ニラを握りしめながら自治会にて主張しました。 |
このような内容の記事が、山陰地方のローカル紙の笑い話コーナーに、1990年ごろ掲載された。
空からニラが降ったという内容から、二・零零事件への関係が強く疑われているが、実際には真相はいまだ不明である。
ニラ降雨および悪夢の始まり
1991年6月中旬、梅雨真っただ中の日本各地に奇妙な報告が相次いだ。
「空からニラが降っている!!!」 ~ ニラ降雨 について、日本国民 |
そう、空からニラが降ったのだ。2.8億人[4]ともされるこの期間の精神科医への全受診者数の記録は、今なお超えられていない。きっとこれからも超えられることはないだろう。
しかし人間とは適応力が高いもので、それからすぐに空から降ったニラを束ねて異常な安さで叩き売る業者が全国各地に大量に現れた。
形は不揃いなものの、味も変わらず、何より値段が異様に安いこれらのニラは飛ぶように売れ、これによって普通にニラを作っていた農家は壊滅状態に陥った。
このころはまだこの現象の原因も全く分かっていなかっただけに、ニラ以外を専門とする農家も、自分が一生懸命育てている野菜が突如空から大量に降り出しては敵わないということで生産を大幅に縮小した。
これによって野菜の値段は大暴騰し、そのうえ流通業も内臓が裏返るほどの大打撃を受けたことによって、日本の一般家庭から非耐久消費財、特に野菜と穀物は急激に消えていくこととなった。[5]
戦後最悪の不況
ニラ降雨による経済的な被害は、生産業と流通業を共倒れにした。[6]これによって消費者の購買意欲は集団性の病理的な心理異常を疑われるほどに低下し、[7][8]
後に「失われた20年」と呼ばれるほどまでに長期的かつ甚大な不景気が始まってしまうこととなる。[9]
また、ニラは市場に出回る呪われた商品としてだけではなく、災害としても猛威を振るった。
ニラ降雨によってニラ冠水やニラ洪水が発生したのだ。これらは雨水と違ってかさばる固体であり、さらに自然に蒸発しないばかりか腐敗すらしていくため、処理は非常に困難であった。[10]
特に関東平野地方はニラ害を強く受け、数か月にわたって首都圏の交通網が麻痺してしまうなどの被害が後を絶たなかった。[11]
ニラ零細素片人工降雨禁止令
このような状況下において、ついに政府は重い腰を動かした。1994年7月、ニラ零細素片人工降雨禁止令を発令したのである。
この政令の詳細は、以下のものとなっている。[12]
「ニラの零細な素片を用いて、人工的に降雨のような現象をもたらすことは、過失か故意かに関わらずこれを禁ずる。」 ~ バイオテロ について、政府 |
このあまりの適当さと、根拠も一切なしにこの現象が故意のバイオテロによるものであると主張するよくわからなさから、政府は厳しい批判を浴びた。なお、前述したように、このころこれら一連の事件が「二・零零事件」と呼ばれ始める。
世界各国からも「自国民を救う気はないのか」などと大々的に非難され、立つ瀬の無くなった政府はついにニラ降雨による日本の被害を抑えるために本腰を入れて活動し始めることとなる。
国はニラ降雨に係る有識者会議を設置し、「ニラ降雨の原因解明」・「ニラ降雨による経済被害の緩和法の模索」という二つのトピックを軸として、主な取り組みを行っていった。
これによって、一時的に日本経済は延命され、大国としての地位を何とか守ったものの、ニラ降雨の原因は未だ解明されず、日本国には暗雲が立ち込めていた。[13]
ベント=ウバコのオブジェクト配置を間違えただけなのに
ニラ零細素片人工降雨禁止令が出て半年後、生物学者である遠藤真紗子[14]が自首した。
彼女の主張は次のようなものだった。
「すいません…すいません… ~ 自らの罪 について、遠藤真紗子 |
そう、彼女はいつものようにベント=ウバコによってコマツナを培養しようとしていた。しかし彼女は大きな過ちを犯したのだ。
コマツナのための適切なオブジェクト配置の一つである、
- 施設内全空間の6~7割ほどを占め、かつ丸い"白米"
これを彼女は以下の通りに―――全くの偶然にも「ニラのための適切なオブジェクト配置」に―――間違えてしまったのである![15]
- 施設内全空間の6~7割ほどを占め、かつ細長い"白米"
加えて、彼女がこれに使用したベント=ウバコは強風によって飛ばされ、行方不明となっていた。
つまり、事の真相は、日本上空で漂っていたベント=ウバコからニラのマイクロ・ベジタブルが培養されては発育途中で風によって飛ばされ、また培養されては…というようにして増殖し続けていた、というものであったのである。
このベント=ウバコは無事探し出されて完全に焼却されたが、経済的混乱はまだ続いていた。いまさら原因をつぶしたところで、この影響は取り返しのつかないところまで伝播してしまっていたのである。
なお、奇しくもこれが故意のものであったことから、政府は実際にはこのことを初めから知っていたのではないか、という噂も流れたが、
「とりあえずふさわしそうな法を適当に書いとけと言われた」というような内容の内部告発が複数回なされ、政府は謝罪をする羽目になったため、これは完全に否定された。[16]
収束・記憶処理・カバーストーリー
遠藤真紗子は、この事件は他でもない自分が落とし前をつけると言い放って半ば強引に有識者会議に参加し、祖父から引き継いだエンドルフィンの研究成果を以てこの状況の解決策を提示した。
1.収束
この不況を覆すには、人々の購買意識を高める必要があった。もはやニラ降雨は存在せず、流通業も回復しており、後はそれだけが改善されればすべてが好転するのだ。
しかし、人々は未だに貯蓄しながら餓死することを続けていた。もはや彼らにとっては、現在に生きることよりも未来に生きることの方が断然重要なものと化していたのだ。死んだら元も子もないというのに。
そこで使われるのが、希釈された「しあわせのおくすり」である。これを全国に散布することで日本経済には幸せなバカ活発に消費をする人が増え、少なくともこの絶望的な状態からは抜け出すことに成功した。
2.記憶処理
この二・零零事件によって日本は国際的な信頼を大きく落とすこととなってしまった。これを元に戻すには何をすればよいのか。もちろん、わざわざ善行をはたらくのは割に合わなさすぎる。
そう、すべての人間のこの事件に関する記憶を抹消すればいいのだ。
こうして全ての人間は、希釈された「しあわせのおくすり」を多めに摂取させられ、しあわせすぎて二・零零事件なんて忘れてしまったのであった。
なお、過去からの学びを無駄にしないためにも、一部の日本の研究者(主に有識者会議に出席した者)、および政府高官だけは記憶処理を免除された。
3.カバーストーリー
しかしながら、1990年代前半の日本の歴史が世界中からすっぽりと抜け落ちているというのは実に怪しすぎる。では、これにどうやって対処すればいいのか。
そう、すべての人間に偽の記憶を植え付ければいいのだ。手順は簡単である。希釈された「しあわせのおくすり」を至る所に散布し、
このもはや誰も知らない日本の一連の出来事について、現在と整合性をとれるような嘘の話を吹き込む。
後はこの話が拡散して、おくすりの効果もあって正史として扱われるようになるまで待てばよいのだ。この「嘘」こそ、「バブル崩壊」という架空の出来事である。
その後
前述した通り、今ではこの二・零零事件は人々の記憶からほとんど消え失せてしまっている。
しかしながら、この事件が日本経済に与えた損害はあまりにも大きく、今なお国民は不況から立ち直れていない。
いっぽう、これを経てマイクロベジタブル学は大きく成長し、後の物理学、その中でも一つのある分野において、大きな役割を果たしていくことになる。
背景
この事件の背景として、当の研究者たちさえもがマイクロ・ベジタブルの生みうる脅威をはっきりと認識できていなかったことがあげられる。
そもそも、その発生の原理さえ十分に分かっていないなかで、グレイ・グーにも似た大災害をも引き起こしかねないことが容易に想像可能であるベント=ウバコ培養は、個人の了見によって実施されるべきではないのだ。
この事件では、人の制御を離れてしまったベント=ウバコが滞空し続けたために地上で大きな被害が発生したが、これはかえって事態の危険性を迅速に判断することができ、さらなる被害を未然に防ぐことができたともいえる。
もし仮にあのベント=ウバコが日本周辺の気流を外れて海の中へと沈んでしまっていたならば、
二・零零事件では未発達のまま風に流されてきた零細な素片に過ぎなかったニラが、コマツナにおける最終段階と同様の、最悪な被害をもたらす物質に変化していた恐れがある。
そして人類は、それが起こってから初めてこの脅威に気づくことになっていただろう。いや、気づく暇もなく消えうせたかもしれない。
どちらにせよ、とにかくこのような危険性を誰も指摘していないという状況はいささか不気味に思える。考えれば、2012年ごろの作為的とも感じられるほど激しく巻き起こったコマツナ栽培ブームに関しても、
二・零零事件の記憶を保持している者ならばこれを止めようと何か行動を起こす筈だった。しかしながら、政府高官さえもが、これを知りながら一切を黙認していた。
このブームの結果、実際にコマツナの危険性によって新たなる地球規模の脅威を生むことになったこの現状も、確実に想定できたのにもかかわらずである。
…馬鹿らしい仮説だが、この一連の騒動は誰かによって仕組まれているものだったのではないだろうか?
マイクロ=ベジタブルの栽培によって生じる最大のデメリット、つまり人類の絶滅の可能性。これをも超えるメリットがその行為にあるとすると…宇宙の終焉を防ぐ、とかだろうか。
いや、あまりにも馬鹿馬鹿しい。あんなの所詮は野菜に過ぎない。担保できるとしても冷蔵庫の存在意義くらいのものじゃないか。
脚注
- ↑ ニラ零細素片人工降雨禁止令(雨+令→零)事件
- ↑ 5月15日に、誰かが誰かに対してなんかをした事件である。
- ↑ 2月26日に、誰かがなんかをした事件である。
- ↑ リピーターが続出したため、当時の日本国民の総数よりも大きな数字となっている。
- ↑ 1993年ごろには、日本人の主食であるコメさえ消えてしまい、平成の米騒動とも呼ばれる一大パニックを引き起こした。
- ↑ 流通業も規模を縮小したため、農家以外の生産業者も大きな損害を被ったのである。
- ↑ 消費支出を限界まで減らすために、食費をニラだけでまかなおうとする家庭もざらにあった。
- ↑ エンゲル係数は異常な低下を見せ、1993年度には6.4%にまで減少した。このころの日本国民は、データ上では極めて裕福でありながら、実際には餓死も珍しくないといったねじれを起こしていた。
- ↑ 貯蓄が多いと経済は回らないのである。
- ↑ 普通の雨水とニラが混じることによって、さらに衛生的に最悪な状態もしばしば生まれていた。
- ↑ このとき東京湾へ流れ出たニラの残滓が、エルニーニョ・ラニーニャ現象を引き起こしているともいわれている。
- ↑ ニラ零細素片人工降雨禁止令より全文を引用。
- ↑ 暗雲からはもちろんニラが降る。
- ↑ マイクロベジタブル研究の第一人者にして、遠藤ルフィの実孫。
- ↑ マイクロ・ベジタブルの適切なオブジェクト配置を新たに発見するというのは、本来は大きな偉業であるだけに、この惨状を目の当たりにした彼女は精神を病み、約3年もの間入院していたのであった。
- ↑ この一連の流れにおいて、インターネットの住人たちの手のひらはクルックルであった。