二零零事件
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この項目では、二零零事件(中黒なし)について説明しています。 ・ニ・零零事件(中黒あり)については「二・零零事件」をご覧ください。 ・ニ(カタカナ)・零零事件については「ニ・零零事件」をご覧ください。 |
二零零事件(にれいれいじけん、アーリンリンじけん)とは、中国神話において二零零(にれいれい、アーリンリン)という男が起こしたとされる窃盗事件である。
呼称[編集 | ソースを編集]
日本語において中国人名は、日本語読み、中国語読みの両方が可能であるから、二零零事件は一応「にれいれい事件」「アーリンリン事件」のどちらでも呼称され得る。しかし、「アーリンリン」という響きはあまりにも陽気すぎる[1]ので、謝罪会見、街頭演説、披露宴でのスピーチ、コンサートの前口上など、公の場でこれに言及する際は「にれいれい事件」とするのが望ましい。
現地では、日本と同様に「二零零事件」と呼ぶのが一般的であるが、単に「事件(シージェン、拼音: shìjiàn)」と呼ぶこともある。
概要[編集 | ソースを編集]
二零零事件は、漢民族に古くより伝わる神話に由来する。様々な派生形があるが、そのほとんどすべてに共通するのが、二零零という男が盤古(ばんこ)を殺害して何かを盗み、それによる利益を死ぬまで享受するというものである。具体的に何を盗んだのか、どのような利益を享受したのかは、個々の伝承による。
他の多くの神話と同様に、二零零事件は人々の教訓としても語り継がれる。ただし、「執着して物事を成し遂げた」という肯定的な捉え方と、「卑怯な手を使って盗みを働いた」という否定的な捉え方とがある。
事件の流れ[編集 | ソースを編集]
この節では、事件についてのいくつかの伝承のうち、最も一般的な方を採用してその概要を解説する。
中国の歴史書『史記』には以下のような記述があり、数々の派生形もこれがもとになっていると考えられている。
二零零は狂熱的な男で、天地を彼自身の手に入れたいと切望していた。彼は狡猾な男でもあったため、すでに天地の一つを手に入れた誰かから、それを奪う企てを持っていた。二零零は怜悧な男で、盤古が天地を手に入れた者の一人であることを即座に知った。彼は物怖じを覚えない男でもあったため、ただの三日をかけて盤古を謀殺し、天地と、ついでに盤古の亡骸とを掌中に収めた。即日このことが天下に知れ渡った。一躍有名になった二零零は、自らの強い承認欲求を満たした。 |
『史記』とほぼ同時に編纂された『史記伝』には、これと全く同じ伝承が少しだけ詳細に書かれている。以下、『史記伝』の記述に忠実に解説を進める。このため、以下は明らかな誤謬や、創作と考えられるものを含む。
出自[編集 | ソースを編集]
まだ神々と人間が一つの場所で暮らしていた紀元前6000年の夏[2]、零零は二家の末っ子として誕生した。幼いころから物静かで、走り回るよりも木陰に座って休むのが好きであった。この調子なので夜はなかなか寝付けず、育ての母はとても苦労した。
二家は代々養蚕を生業にしてきたが、長男でない零零はこれを継がず、13歳で詩学[3]に励むようになった。
天地の研究[編集 | ソースを編集]
その頃、天と地はほとんどくっついていた。あらゆる生物は背丈が非常に低いか、さもなくば寝転がるかして、天と地のわずかな隙間を利用して生きていた。ところが、二零零が36歳のときに盤古が生まれた。盤古の背丈は日に日に伸びていき、伴って徐々に天が押し上げられていったので、天地が乖離した。
人々は半日ほど騒いだだけですぐにこの出来事を気に留めなくなったが、零零はそうではなかった。この出来事にひどく引き付けられたのだった。その後彼は詩学を捨てて天地の研究に没頭した。天へと続く階段を必死で登り、太陽が非常に熱いということを誰よりも早く確認した。さらに、地面を夢中で掘り、その一番深いところが平地の何百倍も高温で、何百万倍も高圧の状態になっているということを誰よりも早く突き止めた。
このように懸命な研究生活の中、友人はすべて失ったが、齢47歳にして天地が無限に広がることを突き止め、神々に褒められた[4]。この頃までに神となっていた盤古も、この成果を褒め称えた。
研究が神々に認められた零零は、満足して研究をやめるか、さらに追究するかの判断を迫られていた。今まで研究のみをしてきた貧しい零零は、余儀なく前者を選んだ。
天地の獲得[編集 | ソースを編集]
研究することには満足した零零であるが、天地への思いを失ったわけではなかった。小作人として田に水を引き、畑に種を蒔きながら、常に天地のことを考えていた。あるとき、「天地を研究する」のではなく「天地を手に入れる」という発想に至り、すべてが腑に落ちた。
そこからは早かった。自分の本当に望んでいることが見つかった零零は、天地研究の功績を利用して神々に天地の持ち主を問い、盤古の名を知る。その三日後には「あの研究の者です」と盤古のもとへ訪ねて行ってお茶菓子を手渡した。それは毒入りの餅であった。厳かなる神代、その太平の時代、謀略など一つもなかったというのに、警戒の念を抱かせるすべがあるものか。受け取ったその場で毒餅を食した盤古は倒れ込み、勢い余って天地を手放した。天地は零零の手元にまんまと収まった。
その後[編集 | ソースを編集]
盤古が毒で死んだと考え、いそいそと帰宅しようとした零零は、神を見くびっていたようだ。瀕死ながら生きていた盤古は、最後の力を振り絞って零零を殴った。毒が完全に回った盤古は死に、殴られて体の骨の四分の三が折れた零零は這いながら洞窟に逃げ込んだ。神々の復讐を恐れて、そのまま隠遁した。
零零は1300年後に地上に戻り、自分が「世界最初の策略家」として語り継がれているのを知って、承認欲求が満たされるのを感じ、心底満足した。その50年後に土に還り、生き返ることはなかった。
派生[編集 | ソースを編集]
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。 |
二零零事件の派生形について考えるとき、ポイントとなるのは「盗んだものは何か」「それによって得た利益は何か」の二点である。『史記』以外に見られる伝承では、得た利益が承認欲求ではなかったり、ときに盗んだものが天地でさえなかったりするケースもある。以下に例を掲げる。
- 『史記』同様、盤古から盗んだものが「天地」であるケース - 多くの伝承がこれにあたる
- 警察に逮捕されたので刑務所でただ飯が食べられるようになった。
- 天地を自在に操って慣用句の「天と地がひっくり返る」をマジでやることができた。
- 『史記』と異なり、盤古から盗んだものが「天地」でないケース - 口承にのみ確認(文献では未確認)
- 金を盗み、よい状態で保存して約2000年後の子孫に古銭として高値で売らせることができた。
- 目鼻を盗み、商人に売り払って粟だけの生活を脱却した。
- 一冊の本を盗み、その本のすばらしさが一生の思い出となった。
解釈と引用[編集 | ソースを編集]
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。 |
二零零事件は教訓としての側面を持つ。このためアジア諸国ではしばしば引用される話の一つであるが、その引用の仕方によって事件の解釈が変わる。以下に例を掲げる。
- 二零零が一瞬の快楽(承認欲求)のために大変なこと(盗み)をしてしまったということから、謝罪会見において当事者が引用することがある。
- 「二零零のように汚い手を使って他人から物を奪うという政治はしない」などといって、政治家の街頭演説において、潔白な政治を誓う際に否定的に引用されることがある。
- 二零零が天地を策略的に手に入れたことから、披露宴のスピーチにおいて、新郎または新婦の計算高さを紹介するために引用されることがある。[5]
- 「二零零のように執着して天地を取りに来ました」などといって、コンサートの前口上などにおいて演奏者の努力を伝えるために引用されることがある。
- 天地を盗むほどの行動力が無ければ、名を売ることなどできないということから、故事成語「天地有名を施す」の由来となった。
脚注[編集 | ソースを編集]
- ↑ 「アーッ、リンリン!」というふうに聞こえてしまう。
- ↑ 実際には紀元前2000年ごろの春だったと考えられている。
- ↑ ここでいう「詩学」とは、恐らく「詩を読み書きして感受性を高める」といった程度の意味であり、アリストテレスの言ったようないわゆる「学問としての詩学」ではないと思われる。
- ↑ 単に「大地はとってもおっきくて、そして空はもっとひろいの」の意味。物理学のいう「宇宙は膨張している」という話とは異なる。また、太陽のもとに近づいたり、地面を核まで掘ったりしたことの方がよほど目覚ましいはずであり、それらの成果を差し置いてこれが評価されたのは甚だ不思議である。
- ↑ 実際には「こいつに恋人を取られた」という内容が皮肉的にほのめかされていることも多い。