「叙述トリック」の版間の差分

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「ねえ小島さん、'''叙述トリック'''って知ってます?」
「ねえ小島さん、'''叙述トリック'''って知ってます?」
<br>「急になんだよタケ。まあ知ってるけどさ」
<br>「急になんだよタケ。まあ知ってるけどさ」
<br> 冬の早朝6時15分、僕はいつもより少し早く目覚めてしまい、同じく起きていた小島さんにこの質問をぶつけたのだった。小島さんは30歳くらいで、彫りの深い顔に髭が似合うダンディな人だ。
<br> 冬の早朝6時15分、僕はいつもより少し早く目覚めてしまい、同じく起きていた小島さんにこの質問をぶつけたのだった。小島さんは35歳くらいで、彫りの深い顔に髭が似合うダンディな人だ。
<br>「なんでそんなこと聞くんだ?」
<br>「なんでそんなこと聞くんだ?」
<br>「こないだ読んだ本にあって。ミステリーあたりはからっきしなんですよ」
<br>「こないだ読んだ本にあって。ミステリーあたりはからっきしなんですよ」
<br> 僕はしばらく前にトラブルを起こして大学を退学になり、今は男4人で同居している。ルームシェアだと思えばましだけど…誰が進んで野郎共と一つ屋根の下で住むものか。4人というのは、僕と小島さん、そして京極さんと三津田さん。皆僕より年上だ。あとの2人はまだぐっすり寝こけている。部屋はいささか肌寒い。
<br> 僕はしばらく前にトラブルを起こして大学を退学になり、今は男4人で同居している。ルームシェアだと思えばましだけど……誰が進んで野郎共と一つ屋根の下で住むものか。4人というのは、僕と小島さん、そして京極さんと三津田さん。皆僕より年上だ。あとの2人はまだぐっすり寝こけている。部屋はいささか肌寒い。
<br>「はっ、マジかよ」
<br>「はっ、マジかよ」
<br> 小島さんは鼻で笑った。お前がかよ、と顔が語っている。
<br> 小島さんは鼻で笑った。お前がかよ、と顔が語っている。
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<br> いつも同じ時間に起きていると、アラームなぞ無くとも自然と目が覚めてしまうものだ。僕は変わり映えのしない一日の到来に溜め息を吐くと、布団を畳むために立ち上がった。
<br> いつも同じ時間に起きていると、アラームなぞ無くとも自然と目が覚めてしまうものだ。僕は変わり映えのしない一日の到来に溜め息を吐くと、布団を畳むために立ち上がった。
<br>「あれは俺が小6になりたての4月の出来事だった」
<br>「あれは俺が小6になりたての4月の出来事だった」
<br> そう言って小島さんは話し始めた。
<br> そう小島さんは話し始めた。


==序==
==序==
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<br>「作者が読者に?」
<br>「作者が読者に?」
<br>「そうだ。普通のトリックってのは、'''犯人が被害者やら探偵やらに仕掛けるもの'''だろう? ほら、例えば」
<br>「そうだ。普通のトリックってのは、'''犯人が被害者やら探偵やらに仕掛けるもの'''だろう? ほら、例えば」
<br> そこで椅子が軋む音が微かに聞こえた。兄さんは立ち上がったみたいだった。俺はベッドに座ったまま黙って話を聞いていた。
<br> そこで椅子の軋む音が微かに聞こえた。兄さんは立ち上がったみたいだった。俺はベッドに座ったまま黙って話を聞いていた。
<br>「頭で想像しながら聞くんだぞ。ここには俺の部屋のドアがある。部屋の中に死体が転がってると思え。そして俺はこの部屋を密室にしようとする。そこで、俺は長い長い、部屋のドアから向かいの壁くらいの長さの氷の棒を持ってくる。あくまで例だから、『どこから?』とかは考えなくていいぞ」
<br>「頭で想像しながら聞くんだぞ。ここには俺の部屋のドアがある。部屋の中に死体が転がってると思え。そして俺はこの部屋を密室にしようとする。そこで、俺は長い長い、部屋のドアから向かいの壁くらいの長さの氷の棒を持ってくる。あくまで例だから、『どこから?』とかは考えなくていいぞ」
<br> まさにそう質問しようとしていた俺は慌てて口を噤んだ。兄さんはエアーで簡易トリックを実演し始めたようだ。
<br> まさにそう質問しようとしていた俺は慌てて口を噤んだ。兄さんはエアーで簡易トリックを実演し始めたようだ。
37行目: 37行目:
<br>「どうだ?」
<br>「どうだ?」
<br>「うん、何となくわかったよ」
<br>「うん、何となくわかったよ」
<br>「じゃあ説明を続けるぞ。とりあえずこのギターを氷の棒と思って立てかけよう。そうしたら…、よっと、部屋の外へ出ると同時に氷の棒を放す!」
<br>「じゃあ説明を続けるぞ。とりあえずこのギターを氷の棒と思って立てかけよう。そうしたら……よっと、部屋の外へ出ると同時に氷の棒を放す!」
<br> ゴトッとギターが倒れる音がした。
<br> ゴトッとギターが倒れる音がした。
<br>「こうすると、氷がつっかえ棒となって、ドアは開かなくなる。密室ができるわけだ。あとは鍵が掛かっているように見せかけて、氷が溶けるのを待ってドアを破り突入した瞬間鍵を閉めれば、密室の完成というわけだ! まあ床が濡れているのをどうにかして誤魔化さないといけないんだけどな」
<br>「こうすると、氷がつっかえ棒となって、ドアは開かなくなる。密室ができるわけだ。あとは鍵が掛かっているように見せかけて、氷が溶けるのを待ってドアを破り突入した瞬間鍵を閉めれば、密室の完成というわけだ! まあ床が濡れているのをどうにかして誤魔化さないといけないんだけどな」
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<br> 俺は唖然としていた。だって、そんなことないだろ? すると兄さんは少し焦ったような声で付け足した。
<br> 俺は唖然としていた。だって、そんなことないだろ? すると兄さんは少し焦ったような声で付け足した。
<br>「まあ、これは適当に作っただけだから。ちゃんとしたやつは、もっと丁寧に伏線が張られていて納得できるから安心しろ。こんな風に、'''作者が読者を直接騙す'''のが、叙述トリックだ」
<br>「まあ、これは適当に作っただけだから。ちゃんとしたやつは、もっと丁寧に伏線が張られていて納得できるから安心しろ。こんな風に、'''作者が読者を直接騙す'''のが、叙述トリックだ」
<br>「作者が読者を騙す…」
<br>「作者が読者を騙す……」
<br>「そしてそれは'''フェアでなくちゃいけない'''。さっきの例で行くと、途中で『花子は三郎の{{傍点|文章=妻}}だ』と書いてあるのに、最後になって『花子は男なんです!』と言っちゃあダメだ。整合性が取れてないだろ? ただし語り手が勘違いしているなどの事情があれば構わないから、'''三人称の地の文で虚偽を書いてはいけない'''とされるのが一般的だな」
<br>「そしてそれは'''フェアでなくちゃいけない'''。さっきの例で行くと、途中で『花子は三郎の{{傍点|文章=妻}}だ』と書いてあるのに、最後になって『花子は男なんです!』と言っちゃあダメだ。整合性が取れてないだろ? ただし語り手が勘違いしているなどの事情があれば構わないから、'''三人称の地の文で虚偽を書いてはいけない'''とされるのが一般的だな」
<br> 当時の俺はわかったようなわからないような感じだったが、疑問は残った。
<br> 当時の俺はわかったようなわからないような感じだったが、疑問は残った。
93行目: 93行目:
<br> 事実、親父が褒めるかどうかなんて俺は気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。親父が言うように、兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ弟がそうじゃないことは、あんたらも知っての通りだ。
<br> 事実、親父が褒めるかどうかなんて俺は気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。親父が言うように、兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ弟がそうじゃないことは、あんたらも知っての通りだ。
<br> そしてその次の日の午後3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。さあ食べようと冷蔵庫を開け放ったんだが、確かに2段目に入れといたはずのプリンがない。中を隅から隅まで探したが、ない。そこで横のゴミ箱を見ると、なんとプリンの空容器が捨ててあったのさ!
<br> そしてその次の日の午後3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。さあ食べようと冷蔵庫を開け放ったんだが、確かに2段目に入れといたはずのプリンがない。中を隅から隅まで探したが、ない。そこで横のゴミ箱を見ると、なんとプリンの空容器が捨ててあったのさ!
<br> それを見て幼き俺は愕然として落涙、この世の不条理を嘆いた…わけじゃあない。正直あんまショックは受けなかった。プリン大好きってわけじゃないし、小遣いは十分貰ってたから惜しくもなかった。たかがプリン1個くらいで家族を詰るような、狭量な男じゃなかったんだ、俺は。
<br> それを見て幼き俺は愕然として落涙、この世の不条理を嘆いた……わけじゃあない。正直あんまショックは受けなかった。プリン大好きってわけじゃないし、小遣いは十分貰ってたから惜しくもなかった。たかがプリン1個くらいで家族を詰るような、狭量な男じゃなかったんだ、俺は。
<br> だが、ここで一つ疑問が残った。誰がプリンを食べたのだろう? 容器はゴミの上の方にあり、俺が昼飯のときにこぼしたレタスよりも上にある。ということは、プリンは昼飯より後に食われたってことだ。でも、両親は昼飯の前から買い物に行っていて、まだ帰ってきていない。その日は子供だけで冷凍食品をチンして食べたんだ。そして俺がレタスを捨てたとき、プリンのカップなんて無かった。なら、親が食べたのではない。そして、兄さんは珍しいことにプリンがとても苦手なんだ。食べるなんてこと絶対にあり得ない。今日は客も一切来ていない…。
<br> だが、ここで一つ疑問が残った。誰がプリンを食べたのだろう? 容器はゴミの上の方にあり、俺が昼飯のときにこぼしたレタスよりも上にある。ということは、プリンは昼飯より後に食われたってことだ。でも、両親は昼飯の前から買い物に行っていて、まだ帰ってきていない。その日は子供だけで冷凍食品をチンして食べたんだ。そして俺がレタスを捨てたとき、プリンのカップなんて無かった。なら、親が食べたのではない。そして、兄さんは珍しいことにプリンがとても苦手なんだ。食べるなんてこと絶対にあり得ない。今日は客も一切来ていない……。
<br> そこまで考えたところで、自分が無駄な思考をしていたことに気づいた。落ち着いて考えれば、答えは歴然じゃあないか…。
<br> そこまで考えたところで、自分が無駄な思考をしていたことに気づいた。落ち着いて考えれば、答えは歴然じゃあないか……。
</font>
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==転==
==転==
「おいそこ、無駄話するんじゃない!」
「おいそこ、無駄話するんじゃない!」
<br> そこまで小島さんが話したところで、高い椅子に座ったオヤジに注意された。三津田さんと京極さんはそそくさと箱詰め作業をし始める。まったく、いいところだったのに! あいつ、僕たちが働いてるのを見てるだけで給料が入るなんて…。工場勤めを辞められた暁には、あの仕事を目指そうかしら。まあ無理か。
<br> そこまで小島さんが話したところで、高い椅子に座ったオヤジに注意された。三津田さんと京極さんはそそくさと箱詰め作業をし始める。まったく、いいところだったのに! あいつ、僕たちが働いてるのを見てるだけで給料が入るなんて……。工場勤めを辞められた暁には、あの仕事を目指そうかしら。まあ無理か。
<br> 小島さんが話を再開する気配はない。続きはお預けかあ。
<br> 小島さんが話を再開する気配はない。続きはお預けかあ。
<br> でも、プリンを食べたのは一体誰だろう? 僕はそのことばかりを考え続け、いつの間にか昼休憩の時間になっていた。
<br> でも、プリンを食べたのは一体誰だろう? 僕はそのことばかりを考え続け、いつの間にか昼休憩の時間になっていた。
110行目: 110行目:
<br>と言うと、2人のおじさんは揃って頷いた。この人らホントに中年か? ニヤケ面は中学生のそれそのものだぞ?
<br>と言うと、2人のおじさんは揃って頷いた。この人らホントに中年か? ニヤケ面は中学生のそれそのものだぞ?


 小島さんは仕事が再開する直前に戻って来た。よっしゃ話の続きをせがもうと身構えた矢先、残念ながら京極さんと三津田さんは離れた場所に増援に向かわされてしまった。2人のいないところで続きを聞くのは忍びない。だが…。
 小島さんは仕事が再開する直前に戻って来た。よっしゃ話の続きをせがもうと身構えた矢先、残念ながら京極さんと三津田さんは離れた場所に増援に向かわされてしまった。2人のいないところで続きを聞くのは忍びない。だが……。
<br>「さっき聞いた話なんだが、叙述トリックにもいろいろあるらしいぜ」
<br>「さっき聞いた話なんだが、叙述トリックにもいろいろあるらしいぜ」
<br> 葛藤していると、小島さんが突然口を開いた。
<br> 葛藤していると、小島さんが突然口を開いた。
122行目: 122行目:
<br> 何か小島さんのお兄さんが話の中で言ってた気がするな。
<br> 何か小島さんのお兄さんが話の中で言ってた気がするな。
<br>「もし読者を驚かせるためだけに仕掛けられたものなら、それは『意味なし叙述』だ。でも、犯人当てとかの要素として組み込まれたものならば、作品の成立に不可欠だから、『意味あり叙述』となる」
<br>「もし読者を驚かせるためだけに仕掛けられたものなら、それは『意味なし叙述』だ。でも、犯人当てとかの要素として組み込まれたものならば、作品の成立に不可欠だから、『意味あり叙述』となる」
<br>「えーっと、小島さんのお兄さんの話に合わせると…読者を驚かせるためのものが意味なし叙述、ミステリの難易度を上げるためのものが意味あり叙述ってことですか」
<br>「えーっと、小島さんのお兄さんの話に合わせると……読者を驚かせるためのものが意味なし叙述、ミステリの難易度を上げるためのものが意味あり叙述ってことですか」
<br>「そうだ。よく覚えてるな。まあミステリ的な仕掛けに限らずとも、小説の主題に関わるなら意味あり叙述だとする人もいるらしい。そもそもこれらの概念自体が最近提唱されたもので、定義は人によってまちまちなんだと」
<br>「そうだ。よく覚えてるな。まあミステリ的な仕掛けに限らずとも、小説の主題に関わるなら意味あり叙述だとする人もいるらしい。そもそもこれらの概念自体が最近提唱されたもので、定義は人によってまちまちなんだと」
<br> むむむ、要するに驚かせるためだけか否か、ってことか。というか、彼女さんに会う貴重な時間を使ってこんなこと聞いてきてくれたのかよ。もっと別のこと話しなさいよ。
<br> むむむ、要するに驚かせるためだけか否か、ってことか。というか、彼女さんに会う貴重な時間を使ってこんなこと聞いてきてくれたのかよ。もっと別のこと話しなさいよ。
172行目: 172行目:
<br>「あのトリックは、ドアが内開きだから成立するものです。外開きならつっかえ棒なんてできませんからね。つまりこの事実から解ることは、{{傍点|文章=小島さんのお兄さんの部屋の扉は内開き}}だということです」
<br>「あのトリックは、ドアが内開きだから成立するものです。外開きならつっかえ棒なんてできませんからね。つまりこの事実から解ることは、{{傍点|文章=小島さんのお兄さんの部屋の扉は内開き}}だということです」
<br> 全く予期していなかった方向に話が転がっている。それがプリンと何の関係があるんだ? 三津田さんは微笑んで説明を続けた。
<br> 全く予期していなかった方向に話が転がっている。それがプリンと何の関係があるんだ? 三津田さんは微笑んで説明を続けた。
<br>「でも幼き頃のケンくんが鼻に傷を負ったとき…」
<br>「でも幼き頃のケンくんが鼻に傷を負ったとき……」
<br> その瞬間、ようやく三津田さんの言わんとしていることが理解できた。
<br> その瞬間、ようやく三津田さんの言わんとしていることが理解できた。
<br>「{{傍点|文章=ドアは外開きだった}}!」
<br>「{{傍点|文章=ドアは外開きだった}}!」
201行目: 201行目:
<br> 京極さんは頭を掻きながら事も無げに言った。
<br> 京極さんは頭を掻きながら事も無げに言った。
<br>「{{傍点|文章=ありゃあ電話やろ}}」
<br>「{{傍点|文章=ありゃあ電話やろ}}」
<br> え…。唖然とする僕に、三津田さんは優しく語りかけた。
<br> え……。唖然とする僕に、三津田さんは優しく語りかけた。
<br>「実は、{{傍点|文章=同じ部屋にいるという記述はない}}んですよ」
<br>「実は、{{傍点|文章=同じ部屋にいるという記述はない}}んですよ」
<br>「でも電話って…ええ? 言われてみればあり得なくもないのか…?」
<br>「でも電話って……ええ? 言われてみればあり得なくもないのか……?」
<br> 確かにその時代には携帯電話は普及し始めていただろうけれども。京極さんは手を叩いて、話をまとめにかかった。
<br> 確かにその時代には携帯電話は普及し始めていただろうけれども。京極さんは手を叩いて、話をまとめにかかった。
<br>「つまり、プリンを平らげた犯人は両親やないとわかった時点で、{{傍点|文章=残る選択肢は政治兄しかあらへんかった}}んや。『無駄な思考』っちゅうのは、{{傍点|文章=もう巣立った亮二兄を考えの範疇に入れとった}}ことやな」
<br>「つまり、プリンを平らげた犯人は両親やないとわかった時点で、{{傍点|文章=残る選択肢は政治兄しかあらへんかった}}んや。『無駄な思考』っちゅうのは、{{傍点|文章=もう巣立った亮二兄を考えの範疇に入れとった}}ことやな」
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