「ですます百科自伝」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
(まだ発展途上国)
 
編集の要約なし
18行目: 18行目:
彼は2歳で初等教育を終え、5歳でそのころ最難関と言われていた出来杉大学を受験し見事に零点合格を果たした無類のてん菜であった。
彼は2歳で初等教育を終え、5歳でそのころ最難関と言われていた出来杉大学を受験し見事に零点合格を果たした無類のてん菜であった。


そんな彼は、大学の入学金の納入を拒否し、怒った英才校長から課題を出された。
そんな彼は、大学の入学金の納入を拒否し、怒った英才校長から課題を出された。その課題こそが^^です、ます^^であった。


その課題こそが「です!ます!」である!
日本に丁寧語を普及させること。その死命を帯びたフランソワーズは、未開の地日本に上陸した!彼が日本に来て一番最初に掛けられた言葉は「おめぇ、どこ中だコラァ!?」だった。日本は荒れていたのだ。
 
そんな極道の地日本において、フランソワはとりあえずかしこ天皇に会いに行った。
 
天皇はおっしゃられた「てめぇ、どっから湧いてきやがった」
 
フランソワは申した「フランスからにございます」
 
かしこ天皇「あそう、で何用?僕これからSiri相撲見に行くから手短に言って」
 
フランソワ「天皇陛下は腹心たちにお呼ばれする際、どのようにお声をかけられていますか?」
 
天「おい、って」
 
フラ「・・・、それは天皇に対する姿勢として不適切なのでは?」
 
その時天皇は悟った、今まで自分が侮辱されていたということを!そして、どれほど日本が荒んでしまったかを。
 
かしこぶった天皇「あぁ、フランソワーズ。君が来なければ私は自分の愚かさに気づけなかった。Siri相撲は中止だ!腹心共々ニンニク詰めにしてやる!」
 
こうして日本では、かしこぶった改革によって丁寧語である「ですます」が使われるようになったそう…。
匿名利用者

案内メニュー