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[[ファイル:聖ウィンナー.png|サムネイル|聖ウィンナー帝国旗]]先の戦でウィインロレリア神聖帝国の軍事力の弱さが明るみになり、さらに他国もウィンナーとは別の腸詰の生産をしていたことを知った帝国国民は、'''第二次ウィナガイン'''を行い、軍備を増強させた。また、腸詰ナショナリズムの高揚から、ウィインロレリア神聖帝国は'''聖ウィンナー帝国'''と国名を改めた。 | [[ファイル:聖ウィンナー.png|サムネイル|聖ウィンナー帝国旗]]先の戦でウィインロレリア神聖帝国の軍事力の弱さが明るみになり、さらに他国もウィンナーとは別の腸詰の生産をしていたことを知った帝国国民は、'''第二次ウィナガイン'''を行い、軍備を増強させた。また、腸詰ナショナリズムの高揚から、ウィインロレリア神聖帝国は'''聖ウィンナー帝国'''と国名を改めた。 | ||
この頃から、同帝国は外交面でも積極的に動くようになった。これを最も象徴しているのは、フランクファウラ共和国、そして'''サルァミン大公国'''との間で西暦529年に結成された軍事同盟、'''三国腸詰同盟'''であろう。 | |||
西暦629年、世界の平和を見届けた皇帝あらびきウィンナーIII世が崩御した。皮肉にも、これによって世界の平和は音を立てて崩れ始める。 | 西暦629年、世界の平和を見届けた皇帝あらびきウィンナーIII世が崩御した。皮肉にも、これによって世界の平和は音を立てて崩れ始める。 | ||
====第一次腸詰国間戦争==== | ====第一次腸詰国間戦争==== | ||
第一次ウィナガインによって、皇帝の死による帝国の危機など最早過去の話となっていた。しかし、いくら強固な政治体制があろうとも、外国からの侵略を止めることなど不可能である。 | |||
西暦630年、同帝国は機能してこそいたものの、皇帝の死と不在によって民草の士気は著しく低下していた。これを見計らった'''ホッテストドッグ連合王国'''は、突如として聖ウィンナー帝国への侵攻の開始を表明。これを受け、三国腸詰同盟によってフランクファウラ共和国、サルァミン大公国がホッテストドッグ連合王国に宣戦。いっぽうホッテストドッグ連合王国と'''三国腸詰協力機構'''を結んでいた'''ベィ=コン連邦'''および'''ハゥム帝国'''は三国腸詰同盟に宣戦布告し、世界は連鎖的に二つの陣営に分かたれた。 | |||
西暦630年から西暦659年まで29年間もの間、腸詰同盟陣営と腸詰機構陣営によって継続されたこの戦争こそ、後に言う'''第一次腸詰国間戦争'''である。 | |||
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:ハゥム帝国 | :ハゥム帝国 | ||
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この戦争に参加していた列強腸詰国たちの間では、食品加工産業、とりわけ'''ナショナル腸詰'''の生産に全国民を挙げて取り掛かるといった様相が多くみられ<ref>聖ウィーン帝国は'''ウィンナー'''を、フランクファウラ共和国は'''フランクフルト'''を、サルァミン大公国は'''サラミ'''を、ホッテストドッグ連合王国は'''ホットドッグ'''を、ベィ=コン連邦は'''ベーコン'''を、ハゥム帝国は'''ハム'''を生産した。また、第二次腸詰国間戦争の腸力戦において、カルプヮス帝国は'''カルパス'''を生産した。</ref>、第一次腸詰国間戦争はナショナル腸詰のプライドをかけた「'''腸力戦'''」ともよばれた。 | |||
戦争開始から26年の間は腸詰同盟陣営が優勢だったものの、西暦656年に起こった腸詰機構陣営の大規模反攻によって攻守は逆転する。加えて、サルァミン大公国の腸詰機構陣営への寝返りや、中立を維持してきた'''ハンバー合衆国'''の腸詰機構陣営への参加なども重なり、西暦659年、腸詰同盟陣営の無条件降伏という形で、第一次腸詰国間戦争は幕を下ろした。 | |||
===オーストロェイリア共和国=== | ===オーストロェイリア共和国=== |
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