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==概要== | ==概要== | ||
'''ギニア連合共和国'''(〃れんごうきょうわこく、西:Républica Unida de Guinea、仏:République Uni de Guinée、葡:Républica Unida da Guiné、英:United Republic of Guinea、[[管理者語|管]]: | '''ギニア連合共和国'''(〃れんごうきょうわこく、西:Républica Unida de Guinea、仏:République Uni de Guinée、葡:Républica Unida da Guiné、英:United Republic of Guinea、[[管理者語|管]]:義二亜例武五宇尾宇個苦)通称ギニア連合は、アフリコセアニアに位置し、西アフリカ、東オセアニアからなる連邦共和制国家。首都はコナクリ。 | ||
==国名== | ==国名== | ||
通常、日本語での表記はギニア連合、又は単にギニア。この名前の由来は、「'''ティンクル☆ギュニキュア'''(アニメ作品)」に登場するキャラクター、「'''キュアギニギニ'''」である。 | |||
日本語における漢字表記では'''幾内亜連'''(略表記:'''幾連''')とされる。 | 日本語における漢字表記では'''幾内亜連'''(略表記:'''幾連''')とされる。 | ||
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===ギニア連合王国の成立=== | ===ギニア連合王国の成立=== | ||
西暦920年、先述した「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」のキャラクター、「'''キュアギニギニ''' | 西暦920年、先述した「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」のキャラクター、「'''キュアギニギニ'''」の熱狂的なファンが団結し、キュアギニギニを王とする形で'''ギニア連合王国'''を建国した。 | ||
その後、キュアギニギニの的確な行政と指導<ref>具体的にどのようなことをしたのかは明らかになっていないが、少なくともギニギニビームを放ったことは確認されている。</ref>によってギニア連合王国は急成長を果たし、瞬く間に世界有数の経済大国となった。 | |||
しかし同時に、隣国の[[有無ジェリア]]とは宗教的な軋轢<ref>ギニア連合王国はキュアギニギニを信仰していたが、有無ジェリアはジェリアを信仰していた。</ref>があり、互いにしばしば敵対することになる。また、これによって[[有無ジェリア]]の友好国であった'''インド'''とも敵対してしまう。 | |||
===大インド帝国の成立と幾連印戦争=== | ===大インド帝国の成立と幾連印戦争=== | ||
西暦1018年ごろ、インドは'''東インド地方及びその諸島'''、'''西インド諸島'''、'''南亜インド地方'''を併合し、'''大インド帝国''' | 西暦1018年ごろ、インドは'''東インド地方及びその諸島'''、'''西インド諸島'''、'''南亜インド地方'''を併合し、'''大インド帝国'''となった。ただでさえ緊張関係が続いていたギニア連合王国とインドであったが、大インド帝国の成立によって、東南アジア・オセアニアにおいて両国間での国境の接触が生じてしまい、両国はさらなる緊張状態に陥った。 | ||
西暦1022年、大インド帝国はギニア連合王国の'''パプアニュー・ギニア州'''における'''パプア自治区'''に、キュアギニギニ信者が少ない<ref>現在でも、パプア自治区には'''「ティンクル☆ギュニキュア」'''の中でも'''キュアパプパプ'''推しが多い傾向にある。</ref>ことを理由として、同地方の大インド帝国への割譲を4回に渡って要求。 | 西暦1022年、大インド帝国はギニア連合王国の'''パプアニュー・ギニア州'''における'''パプア自治区'''に、キュアギニギニ信者が少ない<ref>現在でも、パプア自治区には'''「ティンクル☆ギュニキュア」'''の中でも'''キュアパプパプ'''推しが多い傾向にある。</ref>ことを理由として、同地方の大インド帝国への割譲を4回に渡って要求。 | ||
しかしギニア連合王国はこの全てを黙殺した<ref>なお、大インド帝国の要求に反応しなかったのは、先述した「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」において、キュアギニギニが「<u>積極的に話す人は嫌い</u>」と発言したことがあるからである。</ref> | しかしギニア連合王国はこの全てを黙殺した<ref>なお、大インド帝国の要求に反応しなかったのは、先述した「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」において、キュアギニギニが「<u>積極的に話す人は嫌い</u>」と発言したことがあるからである。</ref>ため、ついにギニア連合王国と大インド帝国との間で'''幾連印戦争(ギニア連合=大インド戦争)'''が開始した。 | ||
[[ファイル:幾連印戦争1.png|代替文= | {|class="wikitable" style="background-color:white;" | ||
|style="border:1px solid white;"|[[ファイル:幾連印戦争1.png|代替文=|フレームなし]] | |||
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{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
|'''ギニア連合王国''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''ギニア連合王国''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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|'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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====戦争初期==== | ====戦争初期==== | ||
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戦争初期のアフリカ戦線では、'''大インド帝国の本土'''である中央インド州が、'''ギニア連合王国の本土'''であるコナクリ・ギニア州、そしてビサウ・ギニア州に向けて侵攻を開始。 | 戦争初期のアフリカ戦線では、'''大インド帝国の本土'''である中央インド州が、'''ギニア連合王国の本土'''であるコナクリ・ギニア州、そしてビサウ・ギニア州に向けて侵攻を開始。 | ||
ギニア連合はエクエイター・ギニア州を中央インド州に進軍させ、<u>敵軍の背後をつく形で攻撃</u> | ギニア連合はエクエイター・ギニア州を中央インド州に進軍させ、<u>敵軍の背後をつく形で攻撃</u>を仕掛けた。この作戦は初頭こそ成功していたものの、西インド州を出発した'''大インド帝国海軍'''が<u>大西洋を横断して西アフリカ戦線に到着</u>。そのうえビサウ・ギニア州での<u>強襲揚陸を成功させた</u>ことで、陸からの攻撃に対する防衛に手いっぱいだったコナクリ・ギニア州、そしてビサウ・ギニア州の戦況は急激に悪化し、ギニア連合は攻勢を中断し、しばらくの間は防御に専念することになる。 | ||
=====東南アジア・オセアニア戦線===== | =====東南アジア・オセアニア戦線===== | ||
戦争初期の東南アジア・オセアニア戦線では、戦争が開始して僅か6時間後、ギニア連合王国のパプアニュー・ギニア州、そのパプア自治区が、東インド州から進軍してきた大インド帝国によって占領されてしまい、戦況は絶望的な状況に陥っていた。 | |||
また、<u>南亜インド州の圧倒的な人的資源による人海戦術</u>によって戦線はほとんど崩壊し、さらにパプアニュー・ギニア州での<u>ギニア連合王国軍の徴兵は限界に達した</u>ことで、もはやパプアニュー・ギニア州での組織的防衛、とりわけ陸軍は目立って機能していなかった。 | |||
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{|class="wikitable" style="background-color:white;" | |||
|style="border:1px solid white;"|[[ファイル:幾連印戦争2.png|代替文=|フレームなし]] | |||
[[ファイル:幾連印戦争2.png|代替文= | |style="border:1px solid white;"| | ||
{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
|'''ギニア連合王国''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''ギニア連合王国''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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|'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
|} | |} | ||
|} | |||
====戦争中期==== | ====戦争中期==== | ||
=====アフリカ戦線===== | =====アフリカ戦線===== | ||
戦争中期のアフリカ戦線では、東南アジア・オセアニア戦線でのパプア・ニューギニア州の劣勢によって士気を上げた大インド帝国軍の攻撃はさらに激しくなり、さらに<u>東南アジア・オセアニア戦線の大インド帝国軍がアフリカ戦線に引き抜かれた</u>ことで、ギニア連合王国軍のアフリカ戦線はますます苦しい状態になっていった。 | |||
<u>大インド帝国軍は全軍を西に向けていた</u>ためエクエイター・ギニア州からのギニア連合王国軍の進撃に反応できず、ギニア連合王国軍は中規模ながら<u>大インド帝国軍の包囲殲滅に成功</u> | この戦況を打破するために、エクエイター・ギニア州は隙をついて[[有無ジェリア]]近辺に進軍。<ref>なおこのとき、戦火の影響で'''有ジェリア地方'''には'''有事'''が起こった。しかしながら、'''無ジェリア地方'''は'''無事'''だった。</ref><u>大インド帝国軍は全軍を西に向けていた</u>ためエクエイター・ギニア州からのギニア連合王国軍の進撃に反応できず、ギニア連合王国軍は中規模ながら<u>大インド帝国軍の包囲殲滅に成功</u>した。これによって大インド帝国軍の戦力は分散され、この隙をついてビサウ・ギニア州は<u>大インド帝国海軍による[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E9%A0%AD%E5%A0%A1 橋頭堡]を破壊</u>、こうしてギニア連合王国軍と大インド帝国軍の勢力は再び均衡した。 | ||
=====東南アジア・オセアニア戦線===== | =====東南アジア・オセアニア戦線===== | ||
戦争中期の東南アジア・オセアニア戦線では、ついに<u>ニューギニア島全土が大インド帝国軍によって掌握</u>され、もはやパプアニュー・ギニア州は'''ビスマーク諸島のみ''' | 戦争中期の東南アジア・オセアニア戦線では、ついに<u>ニューギニア島全土が大インド帝国軍によって掌握</u>され、もはやパプアニュー・ギニア州は'''ビスマーク諸島のみ'''であった。しかしギニア連合王国海軍は、一縷の望みとして<u>西インド州への逆侵攻</u>を計画し、それを実行。なんとか太平洋を横断した同海軍は、この計画を成功させた。西インド州はこの急襲に対応できず、西暦1026年、瞬く間に中核都市である'''ハバナ'''を失って降伏した。 | ||
<u>大インド帝国海軍の本拠地であった西インド州</u>を失ったことで、同海軍は大幅に弱体化した。このため大インド帝国軍は、南亜インド州の人的資源をさらにアフリカ戦線に割かなくてはならなくなり、東南アジア・オセアニア戦線が手薄になった結果、戦線は再び構築され直され、翌年にはギニア連合王国軍はパプア自治区も含めた<u>パプアニュー・ギニア州の全土の奪還に成功</u>する。 | |||
=====ナントカスタン中亜同盟の参戦と南アジア戦線===== | =====ナントカスタン中亜同盟の参戦と南アジア戦線===== | ||
西暦1026年、中央アジアの国々によって構成される'''ナントカスタン中亜同盟'''が、大インド帝国軍の南亜インド州から、'''パキスタン地方''' | 西暦1026年、中央アジアの国々によって構成される'''ナントカスタン中亜同盟'''が、大インド帝国軍の南亜インド州から、'''パキスタン地方'''を併合するため、幾連印戦争にギニア連合王国側で参戦。これによって南亜インド州はナントカスタンからの領土の防衛を余儀なくされ、大インド帝国陸軍の強みであった人海戦術がし辛くなった。 | ||
南アジア戦線では、'''ナントカスタン騎兵師団'''の圧倒的な素早さと強さによって大インド帝国軍は悉く敗走・後退を続け、ナントカスタンの参戦からたった2週間程度でパキスタン地方を失った。二つの戦線において反撃され、さらに海軍、そして陸軍の強みを奪われてしまった大インド帝国は、これから徐々に追い詰められていくことになる。 | |||
[[ファイル:幾連印戦争3.png|代替文= | {|class="wikitable" style="background-color:white;" | ||
|style="border:1px solid white;"|[[ファイル:幾連印戦争3.png|代替文=|フレームなし]] | |||
|style="border:1px solid white;"| | |||
{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
|'''ギニア連合王国'''、<br>'''ナントカスタン中亜同盟''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''ギニア連合王国'''、<br>'''ナントカスタン中亜同盟''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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|'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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====戦争後期==== | ====戦争後期==== | ||
=====アフリカ戦線===== | =====アフリカ戦線===== | ||
戦争後期のアフリカ戦線では、ギニア連合王国がコナクリ・ギニア州、ビサウ・ギニア州、そしてエクエイター・ギニア州から同時に進軍したことで、大インド帝国軍は'''多正面作戦'''を余儀なくされた。これまで劣勢に立たされてきたギニア連合王国軍の優勢は、ついに確実なものとなったのである。 | |||
西暦1027年には、ギニア連合王国軍は中央インド州の挟撃を開始した。このとき既に大インド帝国の首都の陥落は確実だと思われていたが、同帝国は'''カレーパワー'''によって二年以上も粘り強く戦った。結果として、最終的には大インド帝国は降伏したものの、帝都の'''ニアメ'''が陥落することはなかった。 | |||
=====東南アジア・オセアニア戦線===== | =====東南アジア・オセアニア戦線===== | ||
戦争後期の東南アジア・オセアニア戦線では、ギニア連合王国軍は快進撃を続け、ニューギニア島全土を掌握した。 | 戦争後期の東南アジア・オセアニア戦線では、ギニア連合王国軍は快進撃を続け、ニューギニア島全土を掌握した。 | ||
しかしギニア連合王国軍の進軍は止まらず、瞬く間にマルク諸島、スラ諸島、スラウェシ島、ボルネオ島、ジャワ島、などと進軍と攻略を繰り返し、最終的には中核都市である'''ジャカルタ'''を失って、西暦1028年に東インド州は降伏した。 | |||
=====南アジア戦線===== | =====南アジア戦線===== | ||
ナントカスタン騎兵師団の進撃はとどまることを知らず、<u>ヒマラヤ山脈すら踏破</u>した。これに衝撃を受けた大インド帝国軍は、"'''インドの最大の宝石'''" | ナントカスタン騎兵師団の進撃はとどまることを知らず、<u>ヒマラヤ山脈すら踏破</u>した。これに衝撃を受けた大インド帝国軍は、"'''インドの最大の宝石'''"とも呼ばれた南亜インド州を防衛するため、「'''カレー・ビースト'''」などと称えられていた<u>大インド帝国陸軍最強の5つの機甲師団のうち1つ</u>を応援に向かわせた。しかしナントカスタン騎兵師団には全く歯が立たず、瞬く間もなく撃滅された。 | ||
その2日後の西暦1029年、中核都市である'''ニューデリー'''を失って中央インド州は降伏した。 | その2日後の西暦1029年、中核都市である'''ニューデリー'''を失って中央インド州は降伏した。 | ||
[[ファイル:幾連印戦争4.png|代替文= | {|class="wikitable" style="background-color:white;" | ||
|style="border:1px solid white;"|[[ファイル:幾連印戦争4.png|代替文=|フレームなし]] | |||
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{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
|'''ギニア連合王国'''、<br>'''ナントカスタン中亜同盟''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''ギニア連合王国'''、<br>'''ナントカスタン中亜同盟''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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|'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''大インド帝国 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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====終戦==== | ====終戦==== | ||
首都のニアメこそ陥落しなかったものの、<u>東インド州、西インド州、南亜インド州を失った</u> | 首都のニアメこそ陥落しなかったものの、<u>東インド州、西インド州、南亜インド州を失った</u>大インド帝国にもはや戦争継続能力は存在せず、西暦1029年、大インド帝国の無条件降伏という形で幾連印戦争は終結した。 | ||
'''コナクリ講和会議'''の結果、東インド諸島では、ニューギニア島の全土がパプアニュー・ギニア州に併合された。また、その他の東インド地域には<u>ギニア連合王国の傀儡国家</u>である「'''ギニドネシア'''」が建設され、西インド州はそれぞれが国家として独立した。さらに、南アジアでは、パキスタン地方はナントカスタン中亜同盟に併合され、他の地方ではまとめて<u>ナントカスタン中亜同盟の傀儡国家</u>である「'''ヒンドゥスタン'''」が建設された。これによって<u>大インド帝国は解体</u>され、中央インド地方はもとの「'''インド'''」に戻った。 | |||
[[ファイル:幾連印戦争5.png|代替文= | {|class="wikitable" style="background-color:white;" | ||
|style="border:1px solid white;"|[[ファイル:幾連印戦争5.png|代替文=|フレームなし]] | |||
|style="border:1px solid white;"| | |||
{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
|'''ギニア連合王国の勢力圏 ''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''ギニア連合王国の勢力圏 ''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
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|'''インドの勢力圏 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | |'''インドの勢力圏 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> | ||
|} | |} | ||
|} | |||
===共和制への移行=== | ===共和制への移行=== | ||
西暦1030年、110年間も続いた「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」が'''最終回'''を迎え、キュアギニギニは姿を消した。 | 西暦1030年、110年間も続いた「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」が'''最終回'''を迎え、キュアギニギニは姿を消した。 | ||
193行目: | 140行目: | ||
'''ギニア連合共和国軍'''として、共和国陸軍、共和国海軍の二つが編成されている。まだ実戦経験はないものの、ギニア連合王国軍時代のノウハウを受け継いでいるため、国際的にもかなり評価されている。 | '''ギニア連合共和国軍'''として、共和国陸軍、共和国海軍の二つが編成されている。まだ実戦経験はないものの、ギニア連合王国軍時代のノウハウを受け継いでいるため、国際的にもかなり評価されている。 | ||
なお、空軍が存在していないのは、先述した「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」において、キュアギニギニが「<u>飛行機はうるさいから嫌い</u> | なお、空軍が存在していないのは、先述した「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」において、キュアギニギニが「<u>飛行機はうるさいから嫌い</u>」と発言したことがあるからである。同じ理由により、飛行機でギニア連合を訪れる観光客は共和国陸軍によって敵軍と見做され、イージスシステムによって容赦なく撃墜される。 | ||
===行政区分=== | ===行政区分=== | ||
274行目: | 219行目: | ||
====第二次産業==== | ====第二次産業==== | ||
鉱業では、コナクリ・ギニア州は無類のボーキサイトの生産量を誇り、ビサウ・ギニア州やパプアニュー・ギニア州では石油や天然ガスの生産もなされている。特に、パプアニュー・ギニア州では金や銅も生産され、コナクリ・ギニア州ではダイヤモンドも生産される。国内には鉄鉱石の鉱床も存在するが、開発は停滞している。 | |||
工業は、主にパプアニュー・ギニア州において盛んであり、民需工場、軍需工場共にそれなりの数がある。しかし、品質は決して良いとは言えないものである。 | |||
====第三次産業==== | ====第三次産業==== | ||
ギニア連合全国において、キュアギニギニのファンがアニメーターに変貌することが非常に多く、世界有数のアニメ大国でもある。 | ギニア連合全国において、キュアギニギニのファンがアニメーターに変貌することが非常に多く、世界有数のアニメ大国でもある。 | ||
その一方、金融業や運輸業などはあまり発展していない。 | |||
==国民== | ==国民== | ||
306行目: | 249行目: | ||
===アニメ作品=== | ===アニメ作品=== | ||
先述した通り、ギニア連合共和国にはアニメーターが多く、そうでない人もアニメ作品を好んで鑑賞しているため、国内でのアニメ作品の人気は凄まじいものである。国内では、特に「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」の続編や劇場版などが有志によって作られている。 | |||
===世界遺産=== | ===世界遺産=== | ||
「'''ティンクル☆ギュニキュア''' | 「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」にはギニア連合共和国がモデルになった回が多く存在する。このため、「'''ティンクル☆ギュニキュア'''」における「'''聖地'''」のような形で、複数の場所がユネスコの世界遺産リストに登録されている。 | ||
===祝祭日=== | ===祝祭日=== | ||
392行目: | 331行目: | ||
==問題点== | ==問題点== | ||
この国の問題点として、キュアギニギニを崇拝する洗脳が行われていることが挙げられる。そもそも前述した憲法の時点で、異常なキュアギニギニ崇拝が行われていることは容易に察することができる。 | |||
中でも国内の教育機関における洗脳教育は問題視されており、特にキュアギニギニを崇拝しない者に対する惨い折檻として知られる「'''ギニギニ'''」には多くの国から抗議の声が上がっている。また、パプア自治区においては、'''パプパプ派'''への弾圧が行われているとされており、パプアニュー・ギニア州の比較的高い工業力は、その人々の強制労働によるものだとも言われている。 | |||
しかし、ギニア連合共和国はこれらの問題を否定しており、「<u>キュアギニギニを侮辱するものには如何なる武力行使も厭わない</u>」との声明を出している。なお、'''キュアギニギニ'''の詳細については次節にて説明する。 | |||
==キュアギニギニ== | ==キュアギニギニ== |
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