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この刑務所に入ってから、ようやく「善」というものの素晴らしさを理解したというのに。 | |||
……自分で言うのもなんだが、僕は天才だった。だから、幼稚園を卒業するときに大学の試験を受けて、そのまま飛び級で最高学府に入学したんだ。その結果、誰にも「道徳」をきちんと教わらないまま、大人になってしまった。「愛」だの「正義」だのを賛美するような寓話的な絵本もアニメも、一度だって見なかった。見ようという発想自体なかった。テレビに犯罪者が映るたびに、馬鹿だなあと思った。だって、犯罪はバレなければ犯罪にならないのだから。 | ……自分で言うのもなんだが、僕は天才だった。だから、幼稚園を卒業するときに大学の試験を受けて、そのまま飛び級で最高学府に入学したんだ。その結果、誰にも「道徳」をきちんと教わらないまま、大人になってしまった。「愛」だの「正義」だのを賛美するような寓話的な絵本もアニメも、一度だって見なかった。見ようという発想自体なかった。テレビに犯罪者が映るたびに、馬鹿だなあと思った。だって、犯罪はバレなければ犯罪にならないのだから。 | ||
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「……残念ながら、囚人番号81番、ペナルティ『ただの子供のいたずらじゃないか』、そして『暴力』によってアウト、敗退となります。いやあ、予想的中ならず、ですね」 | 「……残念ながら、囚人番号81番、ペナルティ『ただの子供のいたずらじゃないか』、そして『暴力』によってアウト、敗退となります。いやあ、予想的中ならず、ですね」 | ||
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俺が好きなのは子供じゃない、家族だ! | |||
ああそうだ、もしあのガキ共と同じ行動をウチの息子や孫がやったとしても、俺は笑って許しただろう。だが奴らは知らない赤の他人だ。あんなこと許されるはずがないだろう! なぜ俺が、まったく自分との繋がりのない奴にまで優しくなければならないんだ? おかしいじゃないか。 | |||
……「ペットの虐待死は良くない」とか言ってる奴らに比べたら、「家畜の屠殺は良くない」と言ってる奴はめっぽう少ないだろう。つまり、結局「善」の運用される範囲なんて恣意的なものじゃないか。その動物が「かわいい」かそうでないか、その死が人間に無益か有益かで、動物の死を「かわいそう」かそうでないか判断しているだけだ。 | |||
俺は数多くの犯罪を取りまとめてきた。俺の事業は数えきれないほどの人間を死なせただだろうし、苦しませただろうし、不幸にさせただろう。だがこの「稼ぎ」は、全て俺と俺の家族のためだった。ここにどんな違いがある? 牛や豚の命を奪って食う他の奴らと、どんな違いがあるというんだ? | |||
俺も家族も他人も猫も犬も豚も牛も鶏も、みんな生きてるし、殺されるときは苦痛を感じる。もちろん、生活のために動物の中に「殺して良い」ラインを引かなければいけないことは否定しない。しかし、なぜそれを人間の中に持ち込んではいけないんだ? 「他人がいないと生きていけない」なんて当然だ。「食料になる動物がいないと生きていけない」と全く同じように当然だ。 | |||
結局、数の論理じゃないか。もはやかつての人種差別は完全な「悪」だし、ヴィーガニズムはまさしく「善」になろうとしている。数世紀後には「植物愛護」「細菌愛護」「ウイルス愛護」が始まるだろうな。 | |||
俺は原始時代に産まれていたならば極めて常識的な人物であっただろう。時代によって「善」が変わるなら、現在の「善」の正当性はどこにあるんだ? |
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