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宇宙飛行士は、ある星系の調査に来ていた。グローバル化が完成し、あらゆる社会制度、文化、価値観が一つに集約・規定されてから、人類は宇宙への進出を激化させていった。この宇宙飛行士も、その末端の一人だった。不幸なことに、違法なスペースデブリとの衝突によって宇宙船の機体が損傷し、この未知の惑星への不時着を余儀なくされた。気を失う前、最後に見たのは、星一面に広がる青く黒い海だった。 | 宇宙飛行士は、ある星系の調査に来ていた。グローバル化が完成し、あらゆる社会制度、文化、価値観が一つに集約・規定されてから、人類は宇宙への進出を激化させていった。この宇宙飛行士も、その末端の一人だった。不幸なことに、違法なスペースデブリとの衝突によって宇宙船の機体が損傷し、この未知の惑星への不時着を余儀なくされた。気を失う前、最後に見たのは、星一面に広がる青く黒い海だった。 | ||
起き上がった宇宙飛行士は、惑星の原住生物らしき未知の生命体に囲まれていた。彼らは乳白色の皮膚と、一対の腕、一対の脚を持ち、直立二足歩行の機能を備えている、陸棲の生物だった。かなり人間に近い見た目だが、頭部に相当する部位を持たず、脳は体内に、感覚器官は腕の先に配置されている。宇宙飛行士は、このような地球外生命体との接触に慣れていたので、さして動揺しなかった。宇宙に豊富に存在する炭素を骨格に、十分に複雑な化合物が合成され、それらが互いに組み合わさって、生物というシステムになる。宇宙進出が本格化してから、こういう現象はありふれたものだと分かったし、高い知能をもつ文明的生物ほど、ヒトにも当然当てはまる「直立二足歩行」や「薄い体毛」といった形質に収斂されていくことも知られるようになった。 | |||
生物は、何かうがいのような音を体から立てながら、宇宙飛行士の周りを飛び跳ねており、その度に地面が揺れた。そこは、海上に浮く藁のような植物のかたまりに構成される、いわゆる浮島だった。とりあえず携帯デバイスの音声言語分析システムを起動させると、彼らのそれがやはり意味をもつ言葉であることが分かった。直訳が表示される。 | 生物は、何かうがいのような音を体から立てながら、宇宙飛行士の周りを飛び跳ねており、その度に地面が揺れた。そこは、海上に浮く藁のような植物のかたまりに構成される、いわゆる浮島だった。とりあえず携帯デバイスの音声言語分析システムを起動させると、彼らのそれがやはり意味をもつ言葉であることが分かった。直訳が表示される。 | ||
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惑星を巡る風の均衡が破壊され、気流はパニックを起こしたようにのたうち回る。普段こそ空間をどっしりと満たしている大気は、浮き足立ち、恐慌状態の金切り声をあげながら自身を引き裂く。雲を、海を、力のままに殴りつける。宇宙服によって触覚が保護されている宇宙飛行士でさえ、平衡感覚を失った。絶え間なく、切れ目なく天空から染み出し、海を目指して流れてくる雨は、さながら河川のように空を侵食し、雷のような轟音を海面に散らしながら、滝のように眼前に迫ってくる。世界を海に囲まれている。惑星の内側に向かう暴力にあてられて、海もまた体を震わせた。巨大な水の肉体を構成するために、すべての水滴を結び付ける力が、弾性と粘性をもって暴力に反応する。鉛玉に撃たれた人間が傷口から鮮血を噴くのと全くもって同じように、この海もまた嵐に抉り取られ、引き裂かれ、ぶたれた傷口から、白くほとばしる泡だらけの大波を噴きだす。それが浮島を揺らして弄んだ。浮島の住民たち、そして宇宙飛行士は、自分たちが宇宙的な力学の世界に投げ出されたものだとさえ感じた。惑星の巨大な天体運動にしがみつく術は、陸地にしか無いのだ。それほどひどい嵐だった。 | 惑星を巡る風の均衡が破壊され、気流はパニックを起こしたようにのたうち回る。普段こそ空間をどっしりと満たしている大気は、浮き足立ち、恐慌状態の金切り声をあげながら自身を引き裂く。雲を、海を、力のままに殴りつける。宇宙服によって触覚が保護されている宇宙飛行士でさえ、平衡感覚を失った。絶え間なく、切れ目なく天空から染み出し、海を目指して流れてくる雨は、さながら河川のように空を侵食し、雷のような轟音を海面に散らしながら、滝のように眼前に迫ってくる。世界を海に囲まれている。惑星の内側に向かう暴力にあてられて、海もまた体を震わせた。巨大な水の肉体を構成するために、すべての水滴を結び付ける力が、弾性と粘性をもって暴力に反応する。鉛玉に撃たれた人間が傷口から鮮血を噴くのと全くもって同じように、この海もまた嵐に抉り取られ、引き裂かれ、ぶたれた傷口から、白くほとばしる泡だらけの大波を噴きだす。それが浮島を揺らして弄んだ。浮島の住民たち、そして宇宙飛行士は、自分たちが宇宙的な力学の世界に投げ出されたものだとさえ感じた。惑星の巨大な天体運動にしがみつく術は、陸地にしか無いのだ。それほどひどい嵐だった。 | ||
そのために、宇宙飛行士も最初はそれに気づかなかった。住民がぽつぽつと浮島から転落し、荒れ狂う海に投げ出されているのは、単なる自然災害による事故だとばかり思っていたが、それは明確に、住民が住民を突き落としているがためのものだった。ひどい災害のために、浮島の集落の間でパニックが発生しているものなのかとも考えたが、それにしては住民たちは冷静だった。意を決して宇宙飛行士が住民の一人に尋ねたところ、どうやらこれは「巨鳥祭」の準備であるということだった。彼らは経験則的に、嵐の後には巨鳥の死体が高確率で現れることを知っていた。これは、単純に嵐に巻き込まれて海面に叩きつけられて死ぬ巨鳥がいるのに加えて、巨鳥の主食でもある「魚」たちが嵐を恐れて数週間海の比較的深いところに潜っていくために、嵐の範囲をまぬかれた巨鳥も飢えて死んでしまうことがあるためだった。 | |||
ではなぜ仲間を海に突き落とすのか。そう尋ねると、住民はさも意外そうに宇宙飛行士を見据えて言う。巨鳥は重いのだ。浮島は、作製の当初こそ余裕を持って海に浮かんでいるが、例のようにバラバラに分断されてしまった後では、そこに暮らす住民の重さを支えるので精一杯だった。海に浮かぶ巨鳥の死骸は不安定に波に揺られる。巨鳥の肉を調理したり、翼を加工して浮島を補修するには、一度浮島の上に引き上げて作業する必要があった。だから落とす。住民を落として、浮島の重量制限に触れないように、巨鳥の恵みを祝う。なら、なぜーー自分ではなく、他人を落とすのか。 | |||
そう尋ねると、その住民は微妙に体を傾けた。この生物は人間のような顔を持たないが、宇宙飛行士はそのしぐさに確かな表情を感じた。それは、引きつった笑顔だった。 | |||
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