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海面を走る波を抜けて、宇宙飛行士は海の中へと潜っていった。宇宙服が水の圧力を検知し、自動で内部の気圧を調整する。惑星に来てから毎日、宇宙飛行士はこうやって海底を探索していたが、ついに宇宙船は生命維持の最終日に至るまで見つからなかった。死への焦りと、浮島への忌避とで、宇宙飛行士はこの日海中をどこまでも捜し続けるつもりだった。海を垂直に突き刺す「太陽」の光の帯が、深く水をかき分けるにつれ淀み、剥がれていく。磨りガラスを何枚も重ねたようにして、海中の黒い水が光を溶かす。ペンのインクの一滴も、恒星の分身の遥かな旅路も、海の内には平等に希釈され、深海の闇に塗りつぶされた。 | 海面を走る波を抜けて、宇宙飛行士は海の中へと潜っていった。宇宙服が水の圧力を検知し、自動で内部の気圧を調整する。惑星に来てから毎日、宇宙飛行士はこうやって海底を探索していたが、ついに宇宙船は生命維持の最終日に至るまで見つからなかった。死への焦りと、浮島への忌避とで、宇宙飛行士はこの日海中をどこまでも捜し続けるつもりだった。海を垂直に突き刺す「太陽」の光の帯が、深く水をかき分けるにつれ淀み、剥がれていく。磨りガラスを何枚も重ねたようにして、海中の黒い水が光を溶かす。ペンのインクの一滴も、恒星の分身の遥かな旅路も、海の内には平等に希釈され、深海の闇に塗りつぶされた。 | ||
深く、深く。それは公園の砂場からコンクリートの底を暴き出すのに等しい、あるいは空気を掴んで空をよじ登ろうとするのにも似た、途方も無い道のりだった。重い水の層を剥がし、その間に体を潜り込ませる。もはや宇宙飛行士には何も見えていない。それでも、深海を満たす虚空を、恐怖した。それは、何か未知の怪物が出てくるかもしれないというありきたりな恐怖ではなく、ただ純粋に、何も出てくることができない闇への本質的な恐怖だった。宇宙には星があったが、深海にはそれがなかった。ただ均質的な黒が、宇宙飛行士の眼球を覆った。 | |||
しかし、目が慣れていくにつれ、ここにも僅かな光が届いていることに気づいた。海は、無限に連なる背景を屈折させて重ね塗りするキャンバスだ。単色に見える黒は、深い濃淡を緻密に組み合わせてつくられた、この惑星の透視図だった。その無限に重なった色の中から、宇宙飛行士は、わずかな歪みを捉えた。ある意味では自然の完全な調和性を毀損するそれは、しかしはっきりとその存在を主張する、文明という歪みだった。宇宙飛行士は、もはやそこに向かうほかなかった。 | しかし、目が慣れていくにつれ、ここにも僅かな光が届いていることに気づいた。海は、無限に連なる背景を屈折させて重ね塗りするキャンバスだ。単色に見える黒は、深い濃淡を緻密に組み合わせてつくられた、この惑星の透視図だった。その無限に重なった色の中から、宇宙飛行士は、わずかな歪みを捉えた。ある意味では自然の完全な調和性を毀損するそれは、しかしはっきりとその存在を主張する、文明という歪みだった。宇宙飛行士は、もはやそこに向かうほかなかった。 | ||
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この惑星にとって、地図はもっとも残酷だった。地図は美しいこの惑星をただ平面的に切り取り、彼らの海底の繁栄を置き去りにする。浮島はただ浅薄に、二次元の世界を漂流するだけだった。その住民は、すべてに見放されていた。 | この惑星にとって、地図はもっとも残酷だった。地図は美しいこの惑星をただ平面的に切り取り、彼らの海底の繁栄を置き去りにする。浮島はただ浅薄に、二次元の世界を漂流するだけだった。その住民は、すべてに見放されていた。 | ||
生命維持機能は、あと5時間で停止する。気づけば宇宙飛行士は、宇宙服のヘルメットを脱いでいた。海の圧力にあてられて体をぐちゃぐちゃに潰される、そのわずか一瞬の間に、この星に来て初めて、海の香りと、海の肌触りを感じた。感覚器官は海全体に拡張され、星のすべてを感じることができた。海とひとつになった。目から、耳から、鼻から、口から、皮膚から、溢れるように流れ込んでくる海水を媒介して、あらゆる情報が一つに繋がり、ひんやりとした永遠の姿が垣間見えた。それは、途方もなく澄んだ海だった。切れ目の無い窓ガラスや、大きさの無い水晶があったとしても、それには及ばないだろう。光の無い夜に星を見るように、海は、透明な自分の中にあるこの神殿を見ていた。 | |||
宇宙飛行士の体がばらばらに砕け散ると、宇宙服の中と、それから彼の体内に存在していた空気が、いくつかの泡となって海に投げ出され、勢いよく上昇を始めた。彼らは神殿などには見向きもせず、海の巨大な流れに逆行して、ただ空を目指して水をかく。やがて、上から光が差してくる。「太陽」の光に焦がれるように、泡はひたすら上昇を続け、ついに海面を突き破り、空の最も低い場所まで浮上する。世界を隔てる無数の境界のうち二つが、重なって、同じになった。 |
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