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Mapilaplap (トーク | 投稿記録) 編集の要約なし |
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私は彼をじっと見つめた。薫は創作物の中から出てきたかのようだ。そういった、彼のために整えられた場所でしか生きられない人なのだ。私が彼のための物語を描いてあげなければいけない。さもなければ彼は、現実に毒され柵に絡め取られ、きっと高電圧に耐えられなかったフィラメントのように焼き切れ輝きを失い、暖炉の燃え滓のような遺灰に変わってしまう。助けなければ。守らなければ。私が彼を生かすのだ。 | 私は彼をじっと見つめた。薫は創作物の中から出てきたかのようだ。そういった、彼のために整えられた場所でしか生きられない人なのだ。私が彼のための物語を描いてあげなければいけない。さもなければ彼は、現実に毒され柵に絡め取られ、きっと高電圧に耐えられなかったフィラメントのように焼き切れ輝きを失い、暖炉の燃え滓のような遺灰に変わってしまう。助けなければ。守らなければ。私が彼を生かすのだ。 | ||
薫は私の手を取った。私は微動だにせず、私の網膜はその景色を映すだけで、私の手の触覚は一方通行の電気信号を脳に伝えるだけで、私の脳はそれらの情報を処理するためにかつて無い速度で動いてるつもりで、何もしないで浮かんでいるだけ。彼は手を握る力を強め、カーテンは小春の風に舞い、それに乗ったサッカー部の基礎練のかけ声が微かに聞こえ、青空が青を手放して私にその大きな手で手渡した。 | 薫は私の手を取った。私は微動だにせず、私の網膜はその景色を映すだけで、私の手の触覚は一方通行の電気信号を脳に伝えるだけで、私の脳はそれらの情報を処理するためにかつて無い速度で動いてるつもりで、何もしないで浮かんでいるだけ。彼は手を握る力を強め、カーテンは小春の風に舞い、それに乗ったサッカー部の基礎練のかけ声が微かに聞こえ、青空が青を手放して私にその大きな手で手渡した。 | ||
「高校を出たら、俺を養って欲しい」 | |||
私は脳ではなくその青から受けた信号の命令を忠実に実行した。 | 私は脳ではなくその青から受けた信号の命令を忠実に実行した。 | ||
「わかった」 | 「わかった」 | ||
125行目: | 125行目: | ||
ベッドに寝そべりスマホを開くと薫の連絡先を持っていないことに私は気づいた。今まで私と薫を繋ぎ止めていたのは放課後の教室の、あの細やかな時間だけだったのだ。そう考えると私は、自分が細い糸に一生懸命縋っている様を連想した。これは、薫のあの言葉は、私のその努力が報われたということだろうか? 薫の真意はわからない。でも薫はテキトーなことを言ったり、嘘で騙す人じゃない。私たちは特別な関係だと言うのは、もう事実ではないか。 | ベッドに寝そべりスマホを開くと薫の連絡先を持っていないことに私は気づいた。今まで私と薫を繋ぎ止めていたのは放課後の教室の、あの細やかな時間だけだったのだ。そう考えると私は、自分が細い糸に一生懸命縋っている様を連想した。これは、薫のあの言葉は、私のその努力が報われたということだろうか? 薫の真意はわからない。でも薫はテキトーなことを言ったり、嘘で騙す人じゃない。私たちは特別な関係だと言うのは、もう事実ではないか。 | ||
そういった結論に至った私はじわじわと、抵抗し難い多幸感に絡め取られた。それは幼稚園の頃、まだそこのベッドの脇に置かれているくまのぬいぐるみをもらった時のような幸福であり、零時を越えてから、口一杯にスイーツを頬張った時なような幸福であり、憧れた第一志望の高校の制服に、初めて袖を通した時のような幸福だった。私は抱き枕に抱きついて身を善がった。私は見慣れた天井を見ながら、自分の頬に触れた。緩みきっている。そんな事実もどうしようもなくおかしくて、私は一人で笑い転げた。一階から、母が夕飯の完成を知らせる声が飛んできて、私ははーいと叫んで、この発作が治まるのを枕に顔を埋めて待った。 | そういった結論に至った私はじわじわと、抵抗し難い多幸感に絡め取られた。それは幼稚園の頃、まだそこのベッドの脇に置かれているくまのぬいぐるみをもらった時のような幸福であり、零時を越えてから、口一杯にスイーツを頬張った時なような幸福であり、憧れた第一志望の高校の制服に、初めて袖を通した時のような幸福だった。私は抱き枕に抱きついて身を善がった。私は見慣れた天井を見ながら、自分の頬に触れた。緩みきっている。そんな事実もどうしようもなくおかしくて、私は一人で笑い転げた。一階から、母が夕飯の完成を知らせる声が飛んできて、私ははーいと叫んで、この発作が治まるのを枕に顔を埋めて待った。 | ||
一階に降りると父と母はもう席に着いていて、私はお待たせと言って席に座った。私は食事の間中ポーカーフェイスを貫くつもりでいたが、「何かいいことあったのか?」とすぐに父に訊かれた。それを曖昧にはぐらかす私の顔は緩みきっていたに違いない。 | |||
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私がもう直ぐ食べ終わるかと言うところで言うと、先に食べ終わっていた薫はすくと立ち上がり、学校ではやめようと言った。そしてすたすたと去っていくその後ろ姿を見て私は残念に思いつつも今日のことを反省しながら、輪郭の掴めない幸せの中で悶えていた。 | 私がもう直ぐ食べ終わるかと言うところで言うと、先に食べ終わっていた薫はすくと立ち上がり、学校ではやめようと言った。そしてすたすたと去っていくその後ろ姿を見て私は残念に思いつつも今日のことを反省しながら、輪郭の掴めない幸せの中で悶えていた。 | ||
最後まで残していたお弁当仕様の小さなハンバーグを口に放り込んで、私は教室に戻った。 | 最後まで残していたお弁当仕様の小さなハンバーグを口に放り込んで、私は教室に戻った。 | ||
席に着くと友人たちが近づいて来て私のテーブルを囲い、興奮気味に、薫くんと何かあったの? と聞いてきた。男子のグループも遠巻きに私を見つめているようで、私は人々の関心を集める快感に暫し身を浸した。ちらりと薫を盗み見る。彼は窓際で静かに本を捲っている。私は先刻手渡された覚悟を以て、いや、何も無いよと笑顔で答えようとしたものの、やはり隠すことは叶わず、込み上げて来た赤に顔を染めて俯くばかり。周囲のテンションが上がって行くのが俄かにわかり、私は居た堪れない気持ちになった。 | |||
放課後、学校近くの喫茶店、仲の良い四人に半ば強制的に連れられ、颯について根掘り葉掘り聞かれた。元々乗り気で無かった私は上手に喋ることができなかったように思うけれど、そういうことに無限に飢えた少女達には、私の話し手としての技量など些細な問題だったらしい。大変盛り上がった挙句、漸く解放された時には外は薄ら暗くなる時間帯だった。帰り道が同じ方向だった友人は塾で早めに帰ってしまっていたから、私は一人家路を急いだ。 | |||
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次の日、春の匂いはいくらか戻っていて、それは人々に、その一日の退屈を予感させるような暖かさを伴っていた。道行く人もどこか歩みが遅くなり、空に浮かんだ雲もどことなく緩慢に流れているようだった。しかし私はそれに気付かないまま、いつもより早足に学校へと向かう。急ぐ理由も無いのに、微妙なタイミングで突っ込んで来る車だったり、目の前で下りてゆく踏切だったりに苛立ちが積み重なっていくようで、赤く点滅した遮断機を前にして、私は両手で優しく自分の頬を打った。 | |||
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