8,864
回編集
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
9行目: | 9行目: | ||
{{転換}} | {{転換}} | ||
赤毛の子供には、もはや自分がどこかに向かって進んでいるという感覚はなかった。ただ手足を振り回し、するどい岩が複雑に張り巡らされている空間を辛うじてくぐりぬけている。それほどの暗さだった。その疲労と狭窄的な熱中とで、すでに末端の神経は麻痺しており、さらにここには血中の赤を人の目に映し出す光さえなかったから、体のあちこちにできている切り傷は、光が差してはじめて見えてくるだろうその醜い見た目に反して、しかし痛みを感じさせることはなかった。その子供は、奥から聞こえる声の方向に向かって、一連の動作をただ繰り返すだけだった。声は洞窟の内部で何重にも絡まっていたから、実際のところその発信源を特定することはできなかったが、とにかくその子供は洞窟の奥に向かって体を這いずらせ続けた。幸いにも、この洞窟は一本道だった。子供は正しい道を進んだ。蛍とすれ違ったとき、その細々とした光で、子供は初めて洞窟の奥の景色をとらえた。それは洞窟といっても、地中にくり抜かれた円柱様の領域のような生易しいものではなく、まさしく炎症を起こした牛の消化管のように、暴力的に密なものであった。それも、押し寄せる波がその硬い材質を磨き上げ、その境界を世界にむき出しにぴんと張ってしまった、廃材置き場にあるような包丁と砂鉄のげてものだった。 | |||
自分の存在を見失わないように、大きな息に意味を乗せ、大きな声を出し続ける。赤毛の子供は、奥で泣きわめく声をあげているのが、しばらく前に森で出会ったあの黒髪の子供であることを、まさにその聞こえた声をもって理解していた。赤毛の子供のいる村落は、古くから排外主義的なルールを掲げていたから、見たことのない人に出会ったその子供は、とまどってしまったものだった。黒髪の子供は、うず高くもつれた重い緑の蔦の網目と、冷たい土や枝のステージの上で、わけのわからぬ言葉で歌っていた。それは赤毛の子供の集落では話されない言葉だったから、その声の意味はまったく知れなかった。ただ確かなのは、その声がそれ自体で持つ美しさだった。幹まで緑色をした木々の間を、角度をもって走り抜けていく日光が、木の葉のノイズとともに歌う子供の輪郭を逆光をして描き出し、同時にその黒髪に吸い込まれていった。つやもはりもない、ただ一様に単色にみえる黒だった。そのうち黒髪の子供は赤毛の子供を見つけると、すぐに走り去ってしまった。その次の日、赤毛の子供が同じ場所に行くと、やはり美しい歌が聞こえた。その日は、赤毛の子供も歌った。古い記憶の、子守歌を歌った。それから毎日、彼らはそこで共に語り合った。互いにわけのわからぬ言葉で語り合った。 | |||
しかし、この日、黒髪の子供は現れなかった。だから赤毛の子供は、そこら中を歩き回って捜した。そして、海のすぐそばの、あの洞窟から、声がするのを発見した。間違いなく、あの子供の声だった。その声の美しさは、旋律を離れてただの悲鳴になっていてさえ、どうやら曇らないらしい。村の大人たちは | |||
回編集