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あと一場面あったわ。うわあああああ
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(あと一場面あったわ。うわあああああ)
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 けれど、そんな気分も長くは続かなかった。
 けれど、そんな気分も長くは続かなかった。
<br> 制服から着替えて、ベッドに転がる。一日が終わってほっとするから、この時間が一番好きだ。しばらく放心して天井を見つめる。宿題をする気も起きなかったし、ポケットから携帯を取り出す。ロックを解除すると、学校で見ていたページが表示されている。
<br> 制服から着替えて、ベッドに転がる。一日が終わってほっとするから、この時間が一番好きだ。しばらく放心して天井を見つめる。宿題をする気も起きなかったし、ポケットから携帯を取り出す。ロックを解除すると、学校で見ていたページが表示されている。
<br>〈すらすら話せない『吃音』とは〉
<br>〈話したくても話せない『場面緘黙』とは〉
<br> 検索履歴は「吃音 治し方」「言葉が出てこない」「どもり 中学生」「発表 話せない」とかで埋まっている。小学生の頃から、人前で話すのが苦手だった。人と差し向かいで話すのはそこまで苦ではないのに、聴衆が増えると途端に言葉が出てこなくなる。話そうと思えば思うほど、声の出し方がわからなくなる。
<br> 検索履歴は「緘黙症 治し方」「言葉が出てこない」「吃音 中学生」「発表 話せない」といった言葉で埋まっている。小学生の頃から、人前で話すのが苦手だった。人と差し向かいで話すのはそこまで苦ではないのに、聴衆が増えると途端に言葉が出てこなくなる。話そうと思えば思うほど、声の出し方がわからなくなる。
<br> でも、これまでなんとかやってきた。環境が変わったからか、中学生になってからは発表ができないなんてことはなかった。今日までは。
<br> でも、これまでなんとかやってきた。環境が変わったからか、中学生になってからは発表ができないなんてことはなかった。今日までは。
<br> 今日の失敗を思い起こすと舌を引っこ抜いてしまいたくなる。気分を変えたくて、SNSのアプリを開いた。
<br> 今日の失敗を思い起こすと舌を引っこ抜いてしまいたくなる。気分を変えたくて、SNSのアプリを開いた。
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<br> 木下先生は、おとといより明らかに機嫌が悪かった。私はうつむいてスカートを握りしめることしかできなかった。
<br> 木下先生は、おとといより明らかに機嫌が悪かった。私はうつむいてスカートを握りしめることしかできなかった。
<br>「黙っていても何も変わらないわよ」
<br>「黙っていても何も変わらないわよ」
<br> 先生が苛烈な言葉を飛ばすほどに、私の喉は塞がり、声が出せなくなった。頭に血がのぼって熱い。肩が震える。
<br> 先生が苛烈な言葉を飛ばすほどに、私の喉は塞がり、声が出せなくなった。頭に血がのぼって熱い。肩が震える。和佳さん以外の全員が揃った教室に、木下先生の叱責が覆いかぶさる。
<br>「もう三年生よ? こんなこともできなくてどうするの。みんなの前で話すのがそんなに恥ずかしいの?」
<br>「もう三年生よ? こんなこともできなくてどうするの。みんなの前で話すのがそんなに恥ずかしいの?」
<br> 一言一言が心を削り、涙が込み上げてくる。違うんです先生。わざとじゃないんです。こんなことが、途方もないくらい難しいんです。どうしても話し方が思い出せないんです。そう心の底から叫びたいのに、声が出てくれない。無音の叫びは、誰も聞いてくれない。
<br> 一言一言が心を削り、涙が込み上げてくる。違うんです先生。わざとじゃないんです。こんなことが、途方もないくらい難しいんです。どうしても話し方が思い出せないんです。そう心の底から叫びたいのに、声が出てくれない。無音の叫びは、誰も聞いてくれない。
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 次は給食時間だったけれど、私は真っ先にトイレに向かった。家か、せめて保健室に行きたかったけれど、泣き腫らした顔で遠くまで行くことはできなかった。洗面所でまずは顔を洗った。みじめで不細工な顔が鏡に映って、余計苦しくなった。
 次は給食時間だったけれど、私は真っ先にトイレに向かった。家か、せめて保健室に行きたかったけれど、泣き腫らした顔で遠くまで行くことはできなかった。洗面所でまずは顔を洗った。みじめで不細工な顔が鏡に映って、余計苦しくなった。
<br> 複数人の足音が近づいてきた。明るい声で笑い合っている。私は反射的に一番奥の個室に入って鍵を閉めた。
<br> 複数人の足音が近づいてきた。明るい声で笑い合っている。私は反射的に一番奥の個室に入って鍵を閉めた。洋式便器と私だけが残された。
<br> 違うクラスの女子の集団が、弾んだ声で俳優の話をしている。気づかれたくなくて、気配を殺した。やがて彼女らは去っていったけど、クラスから隔絶されたこの空間は居心地がよくて、そのまま個室の中にいた。今は、誰とも顔を合わせたくなかった。もう給食は始まっただろうけど、食欲なんてなかった。
<br> 違うクラスの女子の集団が、弾んだ声で俳優の話をしている。気づかれたくなくて、気配を殺した。やがて彼女らは去っていったけど、クラスから隔絶されたこの空間は居心地がよくて、そのまま個室の中にいた。今は、誰とも顔を合わせたくなかった。もう給食は始まっただろうけど、食欲なんてなかった。
<br> そして、私は携帯を取り出した。彼らの反応を見ずにはいられなかった。今日はきのうまでとは明らかに違う。先生が怒ったのも初めてのことだったし、クラスのみんなの不満はピークに達しているように感じられた。
<br> そして、私は携帯を取り出した。彼らの反応を見ずにはいられなかった。今日はきのうまでとは明らかに違う。先生が怒ったのも初めてのことだったし、クラスのみんなの不満はピークに達しているように感じられた。
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<br>  ''11:34 きっしー『【悲報】今日もお黙り女のせいで授業がストップ』''
<br>  ''11:34 きっしー『【悲報】今日もお黙り女のせいで授業がストップ』''
<br>  ''11:40 クリリン『もう10分経ったんだが』''
<br>  ''11:40 クリリン『もう10分経ったんだが』''
<br>  ''11:41 墾田永年私財法『受験も近いのに、純粋に迷惑。先生に言ってなんとかしてもらおうよ。』''
<br>  ''11:46 墾田永年私財法『受験も近いのに、純粋に迷惑。先生に言ってなんとかしてもらおうよ。』''
<br>  ''11:46 檸檬『だから言ったじゃん笑 鼠は明日もやるって笑』''
<br>  ''11:59 檸檬『だから言ったじゃん笑 鼠は明日もやるって笑』''
<br> 読んだ瞬間、くらりと眩暈がした。立っていられなくなってしゃがみ込んだ。そして、猛烈な吐き気が襲ってきた。たまらず体を折って、便座に片手をついてもどした。胃からは酸っぱい胃液しか出てこなかったけれど、私は何度もえずいた。胃液と涙が滴り落ちる水音がやけによく聞こえた。喉が焼けて、視界が霞んで、手が震えた。鼻水が垂れてきて、でも吐き気のせいで拭うことも何もできなかった。
<br> 読んだ瞬間、くらりと眩暈がした。立っていられなくなってしゃがみ込んだ。そして、猛烈な吐き気が襲ってきた。たまらず体を折って、便座に片手をついてもどした。胃からは酸っぱい胃液しか出てこなかったけれど、私は何度もえずいた。胃液と涙が滴り落ちる水音がやけによく聞こえた。喉が焼けて、視界が霞んで、手が震えた。鼻水が垂れてきて、でも吐き気のせいで拭うことも何もできなかった。
<br> みじめだった。ひたすらみじめで、もう耐えられなかった。声が漏れた。一度泣きはじめたら、止められなかった。誰もいないトイレの個室で、汚い床に膝をついて、顔の穴という穴からばっちい液を垂らしたひどい顔で、泣きじゃくった。誰も聞いてくれない声を上げた。どうして私がこんな目に遭わないといけないの。確かに迷惑はかけたけど、でも、わざとじゃないよ。人の陰口を言ってるみんなより、私の方がひどかったの? こんなに傷つかないといけないくらい、悪いことだったの?
<br> みじめだった。ひたすらみじめで、もう耐えられなかった。声が漏れた。一度泣きはじめたら、止められなかった。誰もいないトイレの個室で、汚い床に膝をついて、顔の穴という穴からばっちい液を垂らしたひどい顔で、泣きじゃくった。誰も聞いてくれない声を上げた。どうして私がこんな目に遭わないといけないの。確かに迷惑はかけたけど、でも、わざとじゃないよ。人の陰口を言ってるみんなより、私の方がひどかったの? こんなに傷つかないといけないくらい、悪いことだったの?
<br> 床にはいつの間にか手から滑り落ちたスマホが転がっていた。こんなものさえなければ、私はこんなに苦しまなくてよかった。すべて、私が悪いのだ。聞こえないはずの声を聞いてしまった。耳にしてはいけない叫びを、聞いてしまった。
<br> 床にはいつの間にか手から滑り落ちたスマホが転がっていた。黒ずんだタイルの上に落ちたそれは、どこまでも汚らわしいものに見えた。こんなものさえなければ、私はこんなに苦しまなくてよかった。すべて、私が悪いのだ。聞こえないはずの声を聞いてしまった。耳にしてはいけない叫びを、聞いてしまった。
<br> トイレットペーパーを一巻き切り取って、口を拭いた。次の一巻きで鼻を噛んで、最後に目を拭った。紙をトイレに放って、水を流す。後始末はすべてしたけれど、立ち上がることができなかった。
<br> トイレットペーパーを一巻き切り取って、口を拭いた。次の一巻きで鼻を噛んで、最後に目を拭った。紙をトイレに放って、水を流す。後始末はすべてしたけれど、立ち上がることができなかった。
<br>「もう嫌だな」
<br>「もう嫌だな」
<br> 一人の個室で、あれだけ出し方がわからなかった声は、すんなりこぼれ落ちた。
<br> あれだけ出し方がわからなかった声は、一人の個室ですんなりこぼれ落ちた。


{{転換}}
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「それでミッキー、話したいことってなあに?」
「それでミッキー、話したいことってなあに?」
<br> 和佳さんは、翌日は登校していた。風邪は軽いものだったようだ。朝、まるで数年ぶりかのように再会を大袈裟に祝する人たちの中に割り込んで、私は声をかけた。話したいことがあるから、今から来てくれないか、と。
<br> 急なことに和佳さんは戸惑っていたし、周りの友達は嫌悪感を露骨に顔に出していたけど、それも少しのことで和佳さんは気さくに頷いた。同行を申し出る大村さんと栗原くんを押しとどめて、理科室まで着いてきてくれた。朝の会が始まる前の理科室には、誰も来ない。実験をするための大きな机に、私たちは向かい合って座った。
<br> 陰気な顔をした私に、けれど明るく和佳さんは問いかける。保健室に連れていってもらったとき、「なんでも言って」と言ったことを覚えているのだろう。私の唐突なお願いに文句一つ言わず笑顔を向けてくれる。
<br>「急にごめんね。話したいことって、これのこと」
<br> 私はスマホを机の上に置いた。和佳さんが画面を覗き込んで、顔を歪めた。画面には、きのう投稿されたあのメッセージが並んでいる。
<br>「私、人前で喋るのが苦手なの。それで、授業の発表で黙っちゃうことがあった。そして、それについてSNSでみんながいろいろ言ってるのを、私知ってたの」
<br> 和佳さんは黙って画面を見ていた。青ざめた表情で、食い入るように文面を見つめている。
<br>「たくさん迷惑かけた。授業をストップさせちゃったし、不愉快な思いもさせた。本当に申し訳ないと思ってる」
<br> 和佳さんと二人きりなら、言葉はすらすら出てきた。みんなの前でもそうならよかったのにと思うけど、でも、何もかも、もう遅い。
<br>「けどね、私、{{傍点|文章=きのうはそんなことしてない}}」
<br> 和佳さんがゆっくりと視線を上げた。私と目が合う。
<br>「きのう黙っちゃったのは、加奈子ちゃん。私が悪いお手本を見せちゃったのかな。きっとあの子も私と同じで、影響されやすい人だから。私も恥ずかしかった。共感性羞恥って言うのかな。まるで自分のことみたいにみじめだったし、苦しかったし、怖かった。けどね、それでも、私じゃない。私じゃないの」
<br> 私はスマホをなぞって一つの投稿を表示する。和佳さんはもう一度目を落とす。
<br>「あの場にいた人で、黙っているのが私だなんて思う人いない。いるわけない。{{傍点|文章=きのう学校に来てた人なら}}」
<br>  ''11:59 檸檬『だから言ったじゃん笑 鼠は明日もやるって笑』''
<br>「この『檸檬』って人、和佳さんでしょ?」
<br> 顔を伏せた和佳さんの髪が一房、はらりと落ちた。
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