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かねてよりNotoが「学校ノベルを書け」と主張していたこともあり、消しゴムマジック技術による無視というアイデアから生まれたいじめの要素とうまく結びつけたかったこともあり、この案は変化して「いじめられている生徒が実は自分がしたいじめを見なかったことにしていた」という学校を舞台とした本作のプロットに仕上がった。初の学校ノベルということで気合を入れたかった(またはプロットを考えるのに飽きて娯楽を欲した)ラプラプはこの時期、米澤穂信『クドリャフカの順番』(Notoより帯出)や梨『お前の死因にとびきりの恐怖を』という学校舞台ノベルを読んで興奮した。その中で、学校ノベルに必要な物として痛感したのが登場人物のキャラクター性だった。客観的な記述で進行する「知らない探偵」シリーズや「掛け駄段々」にはある程度個性のあるキャラクターが登場しているとはいえ、かねてよりラプラプはこと視点人物のキャラクター性を欠かせがちであり(それが雰囲気に適うノベルもあるだろうが)、今回の執筆で最も意識したのは主人公の夢を始めとした登場人物たちのキャラクター性のことだったと思う。今思えば『クドリャフカの順番』(特に2例)も『お前の死因にとびきりの恐怖を』(特に1例)も、謎事件・謎言動の動機がそれをした者の立場や思いに立って明らかにされるという構造は共通で(いやまあ大体の謎あり話ってそうかも)、行動に深みを持たせるキャラクター性ほど素晴らしい、となるなどした。特に凱也のある種の悲痛さは、おもっきし『お前の死因にとびきりの恐怖を』に影響を受けている。 | かねてよりNotoが「学校ノベルを書け」と主張していたこともあり、消しゴムマジック技術による無視というアイデアから生まれたいじめの要素とうまく結びつけたかったこともあり、この案は変化して「いじめられている生徒が実は自分がしたいじめを見なかったことにしていた」という学校を舞台とした本作のプロットに仕上がった。初の学校ノベルということで気合を入れたかった(またはプロットを考えるのに飽きて娯楽を欲した)ラプラプはこの時期、米澤穂信『クドリャフカの順番』(Notoより帯出)や梨『お前の死因にとびきりの恐怖を』という学校舞台ノベルを読んで興奮した。その中で、学校ノベルに必要な物として痛感したのが登場人物のキャラクター性だった。客観的な記述で進行する「知らない探偵」シリーズや「掛け駄段々」にはある程度個性のあるキャラクターが登場しているとはいえ、かねてよりラプラプはこと視点人物のキャラクター性を欠かせがちであり(それが雰囲気に適うノベルもあるだろうが)、今回の執筆で最も意識したのは主人公の夢を始めとした登場人物たちのキャラクター性のことだったと思う。今思えば『クドリャフカの順番』(特に2例)も『お前の死因にとびきりの恐怖を』(特に1例)も、謎事件・謎言動の動機がそれをした者の立場や思いに立って明らかにされるという構造は共通で(いやまあ大体の謎あり話ってそうかも)、行動に深みを持たせるキャラクター性ほど素晴らしい、となるなどした。特に凱也のある種の悲痛さは、おもっきし『お前の死因にとびきりの恐怖を』に影響を受けている。 | ||
終わらせ方については苦慮した。ラプラプのノベルは人が死んで悲しく終わるものばかりだが、学校ノベルという新しい挑戦の中で波に乗ってグッドエンドさえ実現させてやろうという野心があり、それに向けて海翔の自殺を未遂に終わらせて最後に夢と和解させるという案も考えたりした。しかし「縮小現実」を貫く「嫌なものを見ないことにすることの恐ろしさ」というそこだけは妥協できないテーマ性の上で、ラプラプの力は二人の和解とそのテーマを両立させるには及ばず、海翔は死んでしまった。こんなに悲しい事は無い。海翔のキャラクター性は、その死が確定した後に凱也の最後のシーンからの逆算で決められた。メタ的に言えば、海翔はラプラプが凱也を泣かせるためだけに成績を落とされ親に無視され「顔交換フィルター」を使わされたと言っても[[過言ではない]]。海翔が夢を救いにするにあたっての「顔交換フィルター」の下りを思いついた時は、いっそのことタイトルを「加工」に変えてやろうかとも思ったが、やっぱり「縮小現実」の個人的歴史性と象徴性には敵わず、それにタイトルが「加工」ならもっと工業的に露悪的なことができるなと思ったのでやめといた。 | |||
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