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 物語を語る方法としてノベルや記事を考えると、その違いは歴然として現れる。ノベルすなわち小説の形式は、主に人物(むろん人間である必要は無く、動作または思考を行うものであればよい)をクローズアップして場面という狭い視野の中で情報を描写するものである。ノベルはその場面を自在に転換できるがゆえに、前の要素を承け新しい情報を展開させることに一切の制限が無いため、物語を描くのに適した形式といえる。先ほど挙げた公序ソングの歌詞や漫画も、文章が作品の主役でない点ではノベルと明確に異なるが、場面を展開する上での制限が無く物語を描きやすい形式であることは共通である<ref group="*">例えば "Meine Frau" は物語を音声情報によって語っており、文字情報がそれを補助していると(定義上)説明できる。公序ソングという形式には、自由にこれらの情報を展開する妨げとなる性質は存在しないのである。</ref><ref group="*">ただし、これらの形式が物語を描くのに適しているというのは、その形式で作られた全ての作品が物語を持っているということを全く意味しない。</ref>。これに対して、記事という形式は主題に関する情報を簡潔に書き記すという目的上、原則その全体像を一度に納め、平坦に情報を描写するものでなければならない。これを達成する記事の機能が節であり、節は複数の観点から並列にその主題を説明する役割を担う。このため、記事の構成要素である節は、ノベル等の構成要素である場面と違って相互の関連や前を承けての発展といったことを行うことが性質上難しく、ゆえに記事は情報を展開させて物語を描き出すのに適さない形式なのである。
 物語を語る方法としてノベルや記事を考えると、その違いは歴然として現れる。ノベルすなわち小説の形式は、主に人物(むろん人間である必要は無く、動作または思考を行うものであればよい)をクローズアップして場面という狭い視野の中で情報を描写するものである。ノベルはその場面を自在に転換できるがゆえに、前の要素を承け新しい情報を展開させることに一切の制限が無いため、物語を描くのに適した形式といえる。先ほど挙げた公序ソングの歌詞や漫画も、文章が作品の主役でない点ではノベルと明確に異なるが、場面を展開する上での制限が無く物語を描きやすい形式であることは共通である<ref group="*">例えば "Meine Frau" は物語を音声情報によって語っており、文字情報がそれを補助していると(定義上)説明できる。公序ソングという形式には、自由にこれらの情報を展開する妨げとなる性質は存在しないのである。</ref><ref group="*">ただし、これらの形式が物語を描くのに適しているというのは、その形式で作られた全ての作品が物語を持っているということを全く意味しない。</ref>。これに対して、記事という形式は主題に関する情報を簡潔に書き記すという目的上、原則その全体像を一度に納め、平坦に情報を描写するものでなければならない。これを達成する記事の機能が節であり、節は複数の観点から並列にその主題を説明する役割を担う。このため、記事の構成要素である節は、ノベル等の構成要素である場面と違って相互の関連や前を承けての発展といったことを行うことが性質上難しく、ゆえに記事は情報を展開させて物語を描き出すのに適さない形式なのである。


 では、「ノベル的な記事」はどのようにこの障壁を乗り越えているのだろうか。その方法論として最も広く受け入れられたのは、「真実節」という手法である。真実節は「[[ジョン]]」を初出とする記事の最後に現れる節であり、その記事に関する隠されていた衝撃的な事実を示す役割を様々な記事で果たしている。ここにおいて、真実節が記事の中で行う機能は、その性質上主題に関するあらゆる情報を一度に平坦に書き記すことが強制されている「記事としての範囲」を(脚注後の空白によって空間的にも明白な形で)脱したスペースに、他の節と並列な関係でない形で情報を新しく展開させ、物語として成立させる、というものだと分析できる。真実節は節という記事の構成要素を踏襲しながらも、その性質はむしろノベル等の「場面」と同等なものなのである。ただし、もちろん真実節が他の節と並列なものでないという形式を満たすだけで物語が成立するわけではない。例えば「[[背面高等帝国]]」では、真実節の流れを汲んである節を真実節と同じ形式で設置しているが、それは物語を成立させるものではない<ref group="*">より極端な例を挙げるなら、[[平和教育実態調査]]や[[古民家カッフェの惨劇]]でも同じ事である。</ref>。真実節に書かれた内容こそが、その節に与えられる「真実」という絶対性から前の記事部分を相対化して一つの「場面」として従属させることで承け、新しい情報を展開させているという点で物語を成立させているのである。
 では、「ノベル的な記事」はどのようにこの障壁を乗り越えているのだろうか。そのような記事は大きく三つに分類されるが、第一に「真実節」の方法論を用いた記事について述べる。真実節は「[[ジョン]]」を初出とする記事の最後に現れる節であり、その記事に関する隠されていた衝撃的な事実を示す役割を様々な記事で果たしている。ここにおいて、真実節が記事の中で行う機能は、その性質上主題に関するあらゆる情報を一度に平坦に書き記すことが強制されている「記事としての範囲」を(脚注後の空白によって空間的にも明白な形で)脱したスペースに、他の節と並列な関係でない形で情報を新しく展開させ、物語として成立させる、というものだと分析できる。真実節は節という記事の構成要素を踏襲しながらも、その性質はむしろノベル等の「場面」と同等なものなのである。ただし、もちろん真実節が他の節と並列なものでないという形式を満たすだけで物語が成立するわけではない。例えば「[[背面高等帝国]]」では、真実節の流れを汲んである節を真実節と同じ形式で設置しているが、それは物語を成立させるものではない<ref group="*">より極端な例を挙げるなら、[[平和教育実態調査]]や[[古民家カッフェの惨劇]]でも同じ事である。</ref>。真実節に書かれた内容こそが、その節に与えられる「真実」という絶対性から前の記事部分を相対化して一つの「場面」として従属させることで承け、新しい情報を展開させているという点で物語を成立させているのである。


 あるいはまた、記事の形式をある程度保って物語を表現する真実節の手法とは全く異なるものとして、第二回伝説の記事にも輝いた「[[叙述トリック]]」のように、標準名前空間のページである点では間違いなく記事といえるものの、記事の形式や文体を無視して(ほぼ)完全にノベルの形式によって文章が書かれているような「ノベル的な記事」もある。「[[:カテゴリ:公序良俗に反する記事|公序良俗に反する記事]]」におけるこのような記事などには節の存在が見られることがあり、完全に純粋なノベルの形式で書かれているとは言えないものもあるとはいえ、これらは頻繁の節の機能を失っており、ノベル的章立て以上の意味を持たない。著者Notoriousが草子「[[Sisters:WikiWiki麻薬草子/叙述トリックについて|叙述トリックについて]]」で書いているように、このような記事は記事の形式を無視しつつも、「主題について解説する」という記事の本来的な目標には適ったものとなっており、定例コンテストを勝ち抜いたこの種類の「ノベル的な記事」も漏れなく、主題となる事件の説明を導入的に組み合わせることで、記事の目的を貫徹し果たすものとしてノベルの形式への橋渡しを行っている<ref group="*">「[[惨闢]]」「[[古民家カフェの惨劇]]」の著者Notoriousによれば、ノベル的な案をコンテストのレギュレーション(記事のみを対象とする)に則るために記事にした結果であるという。</ref>。これらの記事のように全面に渡るものではなくても、記事の中で部分的にノベルの形式を利用することはよく見られる現象であり、特に真実節で行われることが多いが、そもそもWikiWikiオンラインノベル誕生のきっかけとなった「[[非自己叙述的]]」自体その一つの例であるといえる。
 あるいはまた、記事の形式をある程度保って物語を表現する真実節の手法とは全く異なるものとして、第二回伝説の記事にも輝いた「[[叙述トリック]]」のように、標準名前空間のページである点では間違いなく記事といえるものの、記事の形式や文体を無視して(ほぼ)完全にノベルの形式によって文章が書かれているような「ノベル的な記事」もある。「[[:カテゴリ:公序良俗に反する記事|公序良俗に反する記事]]」におけるこのような記事などには節の存在が見られることがあり、完全に純粋なノベルの形式で書かれているとは言えないものもあるとはいえ、これらは頻繁の節の機能を失っており、ノベル的章立て以上の意味を持たない。著者Notoriousが草子「[[Sisters:WikiWiki麻薬草子#叙述トリックについて|叙述トリックについて]]」で書いているように、このような記事は記事の形式を無視しつつも、「主題について解説する」という記事の本来的な目標には適ったものとなっており、定例コンテストを勝ち抜いたこの種類の「ノベル的な記事」も漏れなく、主題となる事件の説明を導入的に組み合わせることで、記事の目的を貫徹し果たすものとしてノベルの形式への橋渡しを行っている<ref group="*">「[[惨闢]]」「[[古民家カフェの惨劇]]」の著者Notoriousによれば、ノベル的な案をコンテストのレギュレーション(記事のみを対象とする)に則るために記事にした結果であるという。</ref>。これらの記事のように全面に渡るものではなくても、記事の中で部分的にノベルの形式を利用することはよく見られる現象であり、特に真実節で行われることが多いが、そもそもWikiWikiオンラインノベル誕生のきっかけとなった「[[非自己叙述的]]」自体その一つの例であるといえる。
 
 第三に、完全に記事の形式で書かれ、真実節も存在しないにもかかわらず「ノベル的な記事」とされる記事もある。例えば草子「[[Sisters:WikiWiki麻薬草子#記事のオチ|記事のオチ]]」では「並々ならぬ文章量と情熱によって(中略)重厚な物語の風格を備えた記事」の一つとして「[[オーストロェイリア]]」が挙げられている。そのような記事の例としては、他に「[[シンジツノクチ]]」や、あるいは「[[古民家カッフェの惨劇]]」が挙げられるだろう。これらの記事に共通するのは年表性の高さであり、そのような内容を書く節の中では、時間的進行には従いながらもある程度自由に場面を用意してノベルのように物語を展開させていくことが可能となるのである。また、拙作「[[ドクターストップ]]」においては、人物記事によくある「経歴」と「評価」の節を組み合わせることで物語を展開させる試みを行っている。このように、記事の形式を逸脱しないまま、節を有効に活用して物語を表現した「ノベル的な記事」もいくつか存在している。以上に示した三つの「ノベル的な記事」の概念図は、以下のようである。


===脚注===
===脚注===
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