「チェーンソー和歌」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
(適切な太字化)
編集の要約なし
21行目: 21行目:
#その後参加者は、和室に座布団を引いて円形になって座り、各々の和歌を回し読みする。この時、たとえいかに激しい怒りを覚えようと、それを爆発させることは決して許されない。
#その後参加者は、和室に座布団を引いて円形になって座り、各々の和歌を回し読みする。この時、たとえいかに激しい怒りを覚えようと、それを爆発させることは決して許されない。
#自分の和歌が手元に返ってきて回し読みが終わる。そのきっかり0.47<ref>ルイス・キャロルの愛した数が由来となっている。</ref>秒後、参加者は手元の自作和歌を横に破き<ref>このとき「面積比が 1:√2 となるように破くべきだ」と主張する向きもあるが、彼らは狂っているだけに過ぎない。</ref>、これまで抑えていた怒りを露わにする。
#自分の和歌が手元に返ってきて回し読みが終わる。そのきっかり0.47<ref>ルイス・キャロルの愛した数が由来となっている。</ref>秒後、参加者は手元の自作和歌を横に破き<ref>このとき「面積比が 1:√2 となるように破くべきだ」と主張する向きもあるが、彼らは狂っているだけに過ぎない。</ref>、これまで抑えていた怒りを露わにする。
#参加者一同の怒りが露わになったら、後は「時の移ろいに己が身を任せ<ref> 『チェーンソー和歌考』(一刀両断出版会)p.3826</ref>」、滅茶苦茶に振る舞う。それが滅茶苦茶であるほど良いとされる。ただし、審査員の殺害というゴールを見失う行為は望ましくない。
#参加者一同の怒りが露わになったら、後は「時の移ろいに己が身を任せ<ref> 『チェーンソー和歌考』(一刀両断出版会)p.3826の記述による。</ref>」、滅茶苦茶に振る舞う。それが滅茶苦茶であるほど良いとされる。別に何をしてもよいのだが、具体的な行為としては、慣習的に参加者同士で争いをすることが多い。ただし、どのような場合においても、審査員の殺害というゴールを見失う行為は望ましくない。
#たまに、終了直後「2次チェーンソー和歌」として2次会のようなものが開かれることもある。そのようなとき、審判が殺害されている場合は新しい審判を迎えて、1から5の手順を繰り返す。
#「[[#ケンゼイング|ケンゼイング]]」を行う。
#3次会が開催されることはない。さすがに3次会はパワハラである。
#たまに、終了直後「2次チェーンソー和歌」として2次会のようなものが開かれることもある。そのようなとき、審判が殺害されている場合は新しい審判を迎えて、1から6の手順を繰り返す。
#3次会は決して開催されない。常識的に考えて、3次会はパワハラである。


==ふさわしい和歌==
==ふさわしい和歌==
66行目: 67行目:




補足するが、これまでの決まりや慣習を破ろうという動きはすでに出始めていて、チェーンソー和歌の広がりが期待される。
なお、これまでの決まりや慣習を破ろうという前衛的な動きはすでに出始めていて、チェーンソー和歌の広がりが期待される。


==歴代審査員==
==歴代審査員==
3,314

回編集

案内メニュー