3,314
回編集
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
41行目: | 41行目: | ||
歌意は「まさか死ぬとも思わなかったので、ためらうことなく薬を飲ませました」といったところであろう。この句は1981年の冬、何者かによって提出された和歌で、何者かは「気取っている」と評した。気取っているかどうかは別として、これは明らかにチェーンソー和歌にはふさわしくない。古語表現を巧みに使っている点や、さして怒りが湧かない点などがその理由である。最近では何者かが「そうした和歌を否定する行為は、表現の自由の侵害だ」などと言い始めているが、それは「よその歌会でやってくれ」という話である。 | 歌意は「まさか死ぬとも思わなかったので、ためらうことなく薬を飲ませました」といったところであろう。この句は1981年の冬、何者かによって提出された和歌で、何者かは「気取っている」と評した。気取っているかどうかは別として、これは明らかにチェーンソー和歌にはふさわしくない。古語表現を巧みに使っている点や、さして怒りが湧かない点などがその理由である。最近では何者かが「そうした和歌を否定する行為は、表現の自由の侵害だ」などと言い始めているが、それは「よその歌会でやってくれ」という話である。 | ||
[[余談だよ|余談]]だが、これを詠んだ何者かは、何らかの理由で何者かに暗殺された。 | |||
50行目: | 50行目: | ||
四句目までを読んだ時、受け手は間違いなく「何だ?」と思い、自分の座っている座布団の縫い目を確認する。特に異変は見つからないので、「はて」と和歌の続きに戻る。ここで初めて自分が踊らされていたことに気付き、またあまりのしょうもなさに呆れ、結果強い怒りを覚えるのである。これが和歌であるかどうかは議論の内にない。「けど」の粗雑さが目に付いて[[鬱]]陶しいがそんなことは関係ない。むしろ、これくらいの馬鹿らしさ、芸術レベルの低さを持ったものほど、チェーンソー和歌では高く評価される傾向にある。 | 四句目までを読んだ時、受け手は間違いなく「何だ?」と思い、自分の座っている座布団の縫い目を確認する。特に異変は見つからないので、「はて」と和歌の続きに戻る。ここで初めて自分が踊らされていたことに気付き、またあまりのしょうもなさに呆れ、結果強い怒りを覚えるのである。これが和歌であるかどうかは議論の内にない。「けど」の粗雑さが目に付いて[[鬱]]陶しいがそんなことは関係ない。むしろ、これくらいの馬鹿らしさ、芸術レベルの低さを持ったものほど、チェーンソー和歌では高く評価される傾向にある。 | ||
[[余談だよ|余談]]だが、才能ある参加者によって詠まれたこの和歌は、当時の歌会では4位タイの成績に終わった。悲しい話である。ちなみに一位から三位までの和歌は、憎たらしさがあまりにも強く、「公開され得ない和歌リスト」に登録されている。素晴らしい話である。 | |||
57行目: | 57行目: | ||
この和歌は「2次チェーンソー和歌」用として提出されたもので、つまり1次の際に怒りを露わにした受け手に対して「愚かだ」と言っているのである。この和歌は、「怒っていることを指摘することによって怒りを誘起している」と解釈され、したがって高次的な和歌だとされる。 | この和歌は「2次チェーンソー和歌」用として提出されたもので、つまり1次の際に怒りを露わにした受け手に対して「愚かだ」と言っているのである。この和歌は、「怒っていることを指摘することによって怒りを誘起している」と解釈され、したがって高次的な和歌だとされる。 | ||
[[余談だよ|余談]]だが、作者はこの歌会の64日後にヘロイン所持の疑いで逮捕・起訴・実刑判決を受け、さらに2日後に脱獄し、そしてその日の歌会の審査員を務めて殺害された。 | |||
64行目: | 64行目: | ||
があげられる。この和歌においては、どのようなチェーンソー和歌理論も意味をなさない。すなわち、原因や現象についての説明はなにもできないが、この和歌を読むと「無性に腹が立つ」、ということである。 | があげられる。この和歌においては、どのようなチェーンソー和歌理論も意味をなさない。すなわち、原因や現象についての説明はなにもできないが、この和歌を読むと「無性に腹が立つ」、ということである。 | ||
[[余談だよ|余談]]だが、数学に明るくない者が「3の倍数ルールどこ行った」などと苦言を呈することもあるが、漢字の数は(3x0=)0個、仮名の数は(3x10=)30個となっている。 | |||
回編集