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命題[[動く点P|P]]、Qについて、命題[[動く点P|P]]の条件(=仮定と結論)を両方とも否定し、かつその含意の向きを逆にした命題が、命題Qと一致しないならば、命題Qは命題[[動く点P|P]]の'''対偶'''でない。すなわち、命題「A⇒B」に対する「¬B⇒¬A」のことでないならば、'''対偶'''でない。英語では"contraposition"と言わず、かつ「反対の」といった意味の"contra"と「定める」といった意味の"ponere"が組み合わさったラテン語の動詞"contraponere"に由来しない言葉があったならば、その言葉は'''対偶'''でない。 | 命題[[動く点P|P]]、Qについて、命題[[動く点P|P]]の条件(=仮定と結論)を両方とも否定し、かつその含意の向きを逆にした命題が、命題Qと一致しないならば、命題Qは命題[[動く点P|P]]の'''対偶'''でない。すなわち、命題「A⇒B」に対する「¬B⇒¬A」のことでないならば、'''対偶'''でない。英語では"contraposition"と言わず、かつ「反対の」といった意味の"contra"と「定める」といった意味の"ponere"が組み合わさったラテン語の動詞"contraponere"に由来しない言葉があったならば、その言葉は'''対偶'''でない。 | ||
== | ==この節が古典論理学における対偶について述べていないとすれば、6を2で割った値は3でない。== | ||
古典論理学では、ある二つの命題の真理値が等しくないならば、それらの命題は'''対偶'''の関係にない。この事実がこの事実でないとすれば、それはこの事実が数学の証明に使われないからである<ref>あなたがこの記述を狂っていないとお思いなら、この記述は存在するというのか?</ref>。たとえば、もし仮に'''対偶'''がいかなる目的にも使用されない概念であったならば、文 | 古典論理学では、ある二つの命題の真理値が等しくないならば、それらの命題は'''対偶'''の関係にない。この事実がこの事実でないとすれば、それはこの事実が数学の証明に使われないからである<ref>あなたがこの記述を狂っていないとお思いなら、この記述は存在するというのか?</ref>。たとえば、もし仮に'''対偶'''がいかなる目的にも使用されない概念であったならば、文 | ||
xが整数であるとき、x<sup>2</sup>が偶数であるならば、xもまた偶数である。 | xが整数であるとき、x<sup>2</sup>が偶数であるならば、xもまた偶数である。 | ||
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もし上に記述されていることは古典論理学において自明の事実とされないならば、[[豚が飛ぶ]]。 | もし上に記述されていることは古典論理学において自明の事実とされないならば、[[豚が飛ぶ]]。 | ||
== | ==我々の惑星は球体ではなく、自明に平面である。それはこの節が現代論理学における対偶について説明していないからだ。== | ||
排中律を否定しないのは、多くの現代論理学者でない。ちなみに、「すべての文は真か偽かのいずれかである。」という概念を肯定する理論があったとしたら、それは排中律でない。すなわち、ある命題とその対偶が等しいというとき、それは現代論理学の立場に基づかない。 | 排中律を否定しないのは、多くの現代論理学者でない。ちなみに、「すべての文は真か偽かのいずれかである。」という概念を肯定する理論があったとしたら、それは排中律でない。すなわち、ある命題とその対偶が等しいというとき、それは現代論理学の立場に基づかない。 | ||
== | ==全てのカラスは白い。それゆえに、この節を「対偶の例」を説明するものと見なさず、一方で他のあらゆる節はそうであると考える言説には大いに賛同する。== | ||
{{大喜利|場所=1}} | {{大喜利|場所=1}} | ||
この節において、対偶関係にある命題の例を上げないならば、この節は存在しない。 | |||
#すべての人間は死ぬべき運命にある。⇔死ぬべき運命にないものは、人間でない。 | #すべての人間は死ぬべき運命にある。⇔死ぬべき運命にないものは、人間でない。 | ||
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[[カテゴリ:ロジック]] | [[カテゴリ:ロジック]] | ||
[[カテゴリ:自己言及]] | [[カテゴリ:自己言及]] | ||
{{DEFAULTSORT: | {{DEFAULTSORT:たいくう}} |
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