「
利用者:Notorious/サンドボックス/その他
」を編集中
2年6月13日 (I) 19:45時点における
Notorious
(
トーク
|
投稿記録
)
による版
(
→黎明
)
(
差分
)
← 古い版
|
最新版
(
差分
) |
新しい版 →
(
差分
)
ナビゲーションに移動
検索に移動
警告: このページの古い版を編集しています。
公開すると、この版以降になされた変更がすべて失われます。
警告:
ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。
ログイン
または
アカウントを作成
すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。
スパム攻撃防止用のチェックです。 けっして、ここには、値の入力は
しない
でください!
よお、暫くぶりじゃのう。儂は'''消滅の悪魔'''、悪魔が'''<span style="color:#ff3300">あやつ</span>'''に喰われ、その根源となるもの諸共消滅してしまうことへの恐れから生まれた悪魔じゃ。判り切ったことじゃが、一応もう一度説明しておこう。 悪魔は、恐怖心から生まれる。そして、それぞれの悪魔には対応するものがある。ゾンビ、永遠、銃…。対応するものがより強い恐怖を集めるほど、その悪魔は強力になる。 さて、儂に対応するものは'''消滅'''じゃ。但し、先に言った狭義の消滅。儂は悪魔の消滅に対する恐怖を糧として生きておる。人間は<ruby>抑<rt>そもそも</rt></ruby>消滅という現象に気付いておるかも判らん。それはさておき、儂には消滅への恐怖と共に、消滅していく悪魔の記憶までも流れてくるんじゃ。消滅の瞬間が最も、それへの恐怖が強くなるから当然のことかもしれんのお。 ならばその記憶とは何か。種々雑多なものだが、それには'''その悪魔に対応するものが集めた恐怖'''も含まれておる。例えば、比尾山大噴火の悪魔が消滅したときには、人々の[[比尾山大噴火]]への恐怖が儂の中に流れ込んできた。 しかし、<ruby>略<rt>ほぼ</rt></ruby>全ての生物は消滅したものを覚えておらん。抑、それが「消滅」という現象じゃからの。つまり、儂は'''消滅した物事を憶えておる唯一の存在'''という訳じゃ。断片でなく全容すらも記憶しておるのは、儂しか居らんのではないかの。まあ世界中探し回った訳じゃあないから判らんがの。 さて、すっかり前置きが長くなってしまったのう。儂の悪い癖じゃ。ほいじゃあ今日は、嘗て日本を揺るがした大病、'''租唖'''について話していくぞ。 ==黎明== 時は恰も20世紀初頭、岡山県加茂町の山、[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E3%83%B6%E4%BB%99 角ヶ仙]の中腹に、ダイク・ニコルセンという男が住んでおった。彼はいわゆるお雇い外国人として1890年に来日した米国人じゃった。 官立岡山医科大学の英語教師として日本に渡り、26年勤め上げた。その時にはニコルセンは齢56。じゃが彼は故国には帰らず、日本に残る決断をした。彼は岡山の自然を愛しておった。立ち並ぶ山々、季節によって色が移ろう木々、夕日に輝く瀬戸内の海……。そういったものをニコルセンはこよなく愛したのじゃ。幸い彼は所帯を持っておらんかったし、体力には自信があった。大学の教職を降りると、ニコルセンは角ヶ仙を終の栖とし、隠棲を始めたのじゃ。 周囲の者は止めたが、彼の決意は固かった。山間に茅葺きの小屋を建て、狩猟と採集の腕を磨いた。初めの頃こそ木樵や狩人に助けてもらうことがほとんどじゃったが、3年が経つ頃にはもう彼は単独で生活を送れるまでになっていた。古い銃で鹿を狩り、森の中で山菜を摘み、家の脇を流れる川の水を汲んで生活しておった。じゃが勿論、完全に独りで生きていた訳じゃあない。定期的に薬売りが、薬だけでなく米や塩、本なんかを、肉や山菜と交換しに来ておった。さて、そんなニコルセンの隠遁生活も19年目となった1934年の夏、その日が訪れる。 ダイク・ニコルセンの小屋に度々出入りしていた薬売り、名を茂助という。この頃ニコルセンに関わりがあったのは茂助の他におらんかった。茂助は最後にこの小屋に来た十日前のことを思い出しておった。その時ニコルセンは、どうも痩せ衰え、苦しそうじゃった。立つのも一苦労といった様子であり、今迄老いを全く見せなかった異人の老爺の弱々しい姿に、かなり驚いたのじゃった。尤もニコルセンは流暢な日本語で心配ないとしきりに言っとったが。じゃから、普段は一月に一度訪れる程度じゃが、茂助は居ても立っても居られず又この小屋を訪ねたのじゃった。 茂助が戸を開けると、直ぐにニコルセンは見つかった。囲炉裏の横の煎餅布団にくるまっていたんじゃ。しかし息が荒く、いつもなら陽気に出迎えてくれるがそれもない。茂助が慌てて近づくと、窶れたニコルセンは苦しげに眠っていた。布団を捲って見ると、寝巻きから覗く腕や足には、赤黒く腫れている箇所が多かった。額に触れてみると、とんでもなく熱い。茂助は声をかけたが、ニコルセンが起きる気配はない。布団の周りには食べ物が乾いてこびり付いた膳や、空になった湯呑み、前に茂助が置いていった征露丸などが散乱しておった。 その時、ニコルセンが寝返りを打とうとした。しかし半身を起こしたところで、彼は苦しそうに叫んだ。痛みに上げる叫びじゃった。ニコルセンは目を開けたがそれは濁っており、意識は朦朧としておった。布団の上で体を硬直させたまま、痛みに呻き続けておった。すると、茂助はニコルセンが何か言葉を発していることに気づいた。目は焦点が合っておらず、茂助がいることに気づいているかも定かでなかった。茂助はニコルセンの声に必死に耳を傾けた。何か声にならぬ音、そして恐らくは彼の母語である英語であろう音に。茂助が聞き取れたのはたった一語、「そあ」じゃった。それを最後に、ダイク・ニコルセンは息を引き取った。決して穏やかとは言えぬ最期じゃった。 川下の集落、行重の医師がニコルセンの死亡を確認し、彼の遺体は倉見川を舟で運ばれ、寺で無縁仏として土葬された。ニコルセンは自然死として、簡単に処理された。死亡診断書の死因としては、「肺病」と書かれた。管理体制が杜撰じゃった当時、碌に調べずに処理してしまうことはよくあることじゃった。 しかし、茂助の見たニコルセンの死に様は、村の一部に、決してセンセーショナルじゃあないが、確実に広まった。ニコルセンは奇病で死んだんじゃあないか、と。茂助は、ニコルセンが今際の際に発した言葉、「そあ」が病名じゃろう、と言った。亜米利加人だけが罹る病なんじゃろう、と。この病名には、恐ろしげな漢字がつけられ村人を怖がらせたが、噂の定め、七十五日も持たず、変人外国人の死は村人の話題から消えていった。 この奇病、租唖が再び行重の村人達の前に姿を現すのは、4年後のことである。
編集内容の要約:
WikiWikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ・ゼロ(パブリックドメイン) (詳細は
WikiWiki:著作権
を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。
著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!
編集を中止
編集の仕方
(新しいウィンドウで開きます)
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:偽リンク
(
編集
)
テンプレート:偽リンク/style.css
(
編集
)
テンプレート:傍点
(
編集
)
テンプレート:基礎情報 事件・事故
(
編集
)
案内メニュー
個人用ツール
ログインしていません
トーク
投稿記録
アカウント作成
ログイン
名前空間
利用者ページ
議論
日本語
表示
閲覧
編集
ソースを編集
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWikiについてのヘルプ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
利用者の投稿記録
ログ
利用者グループの表示
特別ページ
ページ情報