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Sisters・トーク:WikiWikiオンラインノベル/わたしの水面
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書き留めておかないと全てを忘れてしまいそうなので、この作品が書かれた背景をここに記しておきますわ。(作者お嬢様' 発端は姉に誘われて美術館に行ったことでしたわ。京都で暮らすことになり、3月末日に京都に行き、翌日入居しましたわ。当初は4月の初めの週に越す予定でしたが、一日からガイダンスがあると発覚し、急遽予定を前倒ししたのでしたわ。母が付き添ってくれ、滋賀に住んでいる姉も日帰りで手伝いに来てくれたのですわ。 4月2日の午前のことでした。入学に伴うどたばたのわずかな間隙を縫い、わたくしと母と姉の三人で京都市京セラ美術館にモネ展を観に行きましたわ。予備知識は作中の「わたし」と同じようなものでしたし、画家の色使いとそれを見ている目に思いを馳せたのも同様ですわ。ただし、「ジヴェルニー」の絵に感動したのは事実ですが、色使い云々について考えるきっかけになったのは別の絵だったと思いますわ。睡蓮の池の絵でしたか、緑多き庭に架かる橋の絵でしたか……。子供の頃と比べて美術館で得られる感慨が格段に増えていて、自身の成長を嬉しく感じましたわ。そうして売店でポストカードを何枚か買って帰りましたわ。 そうして一人暮らしがスタートした後、買ったポストカードを誰かに出そうかなどと考えましたわ。芯に無駄に葉書を送ろうか(住所を教えてもらっていたので'とか思いましたが、それ以上にMapilaplapに出そうかと思っていましたわ。(住所判明 too, およびWiktodonから姿を消していたので(のちに管理者経由で情報が少し流れていることが判明しましたし、多分LINEすれば連絡はとれるのでしょうが' ' ポストカードには短い文面しか書けません。内容について思案を巡らして、美術館に行ったこととフランスにあるモネの庭に行ってみたいこと、そこでモネの見た風景を自分で見てみたいこと、いつか一緒にフランスに行こうぜ的なことなどを書いて送ろうかなどと考えていましたわ。でも、結局手紙は送りませんでしたわ。もったいないですわね。これから送ろうかしら。 そういうわけで、手紙の文面だけが宙ぶらりんに残されましたわ。その頃、受験が終わったのだしたくさんノベルを書くぞという機運が高まっていて、それがこの文面と結びついたのですわ。日常のふとしたことをWiktodonに垂れ流すのではなく、ノベルにすればいいじゃないかと思ったのですわ。有栖川有栖氏も昔Twitterで「昔ならエッセイにしていたことをツイートにしてしまう」というようなことを言っていましたわ。のちにキュアラプラプも同じ現象について「クリエイティビティの流出」(だったかな'と言っていましたわ。ともかく、こういう内容のノベルが書かれることが決定されたのですわ。 もともと手紙の文面だったのですから、書簡体のノベルの構想が練られるのは自然なことでしょう。手紙とか、特殊な形式の小説に憧れも持っていました。「跡奉」のキュアラプラプ案の雑誌の抜粋という形式もいいですわよね。論文や講義という形式をとっているノベルも、いつかは書いてみたいですわね。閑話休題、手紙という形式で書くことにしまして、宛先が「先生」なのはヨルシカ「[https://www.youtube.com/watch?v=J%20DE2d1F9wU 忘れてください]」のMVの概要欄の影響ですわ。たまたま「新曲だ、聞くかあ」と聞きまして、曲とMVがいいなあと思ったのですが、劣らずこの概要欄のミニ小説にも惹かれたのですわ。ヨルシカは何曲かしか聞いていないのでわからないですが、この概要欄掌編はよくあるものなんでしょうか。纏う雰囲気のなせる業でしょうか、なんか好きですわ。 さて、形式は大体決まったわけですが、絵だけでは薄いので、もう一つエピソードが欲しいなと思いました。フランスに関連すること……そこで思い出したのが南風原町立図書館で借りたけど最初の3編くらいだけしか読めなかった「モーパッサン短篇選」でしたわ。モネには庭だけでなくセーヌ川の絵があった。モーパッサンに川の話があったが、これがセーヌ川だったりしないか。そう思って大学図書館の岩波文庫コーナーに行ってみると、ビンゴ! 見事にセーヌ川支流の話だったのですわ。こうしてセーヌ川を話の中心に据えることになったのですわ。 細かい内容には、新生活がところどころ反映されていますわ。日々目にする大学までの道や自転車通学する大学生、たくさんの留学プログラムのお知らせなんかのイメージが映し出されていますわ。花水木が街路樹としてメジャーであることは朝のニュースのお天気コーナーで知りましたわ。京都にも植わっているらしいですし、大学にも一本生えていますわ。しかし花はもう散ってしまったようで、実のところ、花水木の花の実物は見たことがありませんわ(' あとフランスのことも全然知りませんわ(' 作中の「わたし」はわたくしではないので、区別をつけるために自分と違う人物にしようと奮闘した結果ですわ。仏文学専攻の学生って何を研究するんでしょうね。バルザックとかでしょうか? 書簡体は結構書きやすかったですわ。そもそも手紙というものが、書きたいことを書く営みであるからでしょうか。書きたいことだけ書けばいいので、みなさんにもおすすめですわよ。主に大学の授業中、ノートにノベルを書いていて、初めに書いたノベル(おそらくこの作品の次に出るでしょう'がひとまず書き終わったので、引き続き「わたしの水面」を書きはじめたのですわ。長くはない話ですし、そこそこ早く書き終わった覚えがありますわ。ノベルを紙に書くのは結構好きなのですが、書き終わった後に全部パソコンで打ち直すのはかなり面倒ですわ。 「蝶を食べる」「わたしの水面」と並んでいるところを見てもわかる通り、最近のわたくしのトレンドとして、主要な登場人物に個人名を与えないというものがありますわ。これのルーツは、高1の時に文芸部の大会で会った、当時石川高校3年だったスーパー筆力先輩の記した指南書の一節「その名前、ほんとに必要?」(うろ覚え'ですわ。作劇上必要ない場合は名前をつけなくてもよくて、逆につけない方がなんかいい気がしていますわ。どうしてでしょう。あまり特定し過ぎないことでイデアとの重複部分を大きくできる気がするというか……自分でもよくわかっていませんわ。「過去への逃走」「遅刻間違いなしの状況から打てる起死回生の一手」「地図クライシス」(甲野は例外'も同じですわ。最近、キュアラプラプのチャーハンシリーズがもっと前からこれをしていたことに気がつきましたわ。草子にも書きましたが、北村薫は〈私〉というキャラクターの人物像を確立していてすごいですわ。エピソードによって人物を形づくっていくということは、わたくしの見果てぬ夢ですわ。 とまあ、こういう経緯がありましたわ。みんなも日常の雑感をノベルにして大量生産し、二旦十檄を早く刊行しましょう(' モネが暮らして絵に描いた庭は、今もフランスにあるらしいですわ。いつかみんなで行きましょう。一人で海外に行くのは怖いですから(' あと、ルーブル美術館とオルセー美術館にも行きたいですわ。セーヌ川を見に行ってもいいですわね。どうです?
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