Sisters:WikiWikiオンラインノベル/わたしの水面

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拝啓

 春もたけなわ、先生はいかがお過ごしでしょうか。お変わりなくお元気であることを願っております。わたしはといいますと、大学の前の道に並んで植わっている花水木の花が散りはじめて、地に落ちた濃いピンクの花びらをできるだけ踏まないように自転車を走らせています。

 いえ、あれは花びらではありませんでした。花水木の花びらに見えるものは特殊な葉で、花は真ん中の緑の部分だけなんだと教えてくれたのは、先生でしたね。あれは学校の外でしたから、いつかの金曜日の放課後、吟行の途中だったんでしょう。大学の俳句サークルで、高校の詩歌部では顧問の先生に連れられて毎週吟行と称して学校の周りを散歩していたと言うと、いつも驚かれます。運動部ならともかく、文芸系の部活を力を入れて指導してくれる先生はあまりいないんですって。いい先生だねと言われて、わたしは誇らしくて天狗のように鼻を上向けたりするんですよ? さて、花水木が咲いていたんですから、二年前か三年前か、とにかく今くらいの季節の吟行の途中、先生が頭上で咲いている花水木の花に指先で触れて、中央の小さな緑こそ本物の花なんだよと仰いました。それは白の花水木でした。そのあと真紀ちゃんがわたしの耳に口を寄せて、さも大切な秘密を共有するかのように、グリーンピースが乗ったシュウマイみたいだねってこそっと囁いたんです。わたしは笑ってしまいました。それ以来、わたしは白の花水木を見るたびにシュウマイと真紀ちゃんの声を思い出すんです。わたしの住む街はそちらより南ですから、ちょうど今頃、あの木には白い花が満開になっているんでしょうか。見かけたら教えてください。

 もう一つ思い出話を書かせてください。詩歌部員でない高校の友達との話で先生のことが話題にのぼると、友達は先生を「国語の先生」と語ります。わたしは先生のことをまず「詩歌部顧問」と認識しているので、わたしはちょっと意外に感じるんです。わたしだって二年生のときは先生に国語を教わっていたんですから、先生が国語教師という感じがしないのは、単にわたしが不真面目な生徒だったということでしょう。近くの席の梢ちゃんや広香ちゃんと喋ってばかりでしたもんね。先生、その節はごめんなさい。さて、そんな問題児のわたしですが、先生の授業で強く印象に残っているものがあります。それはモーパッサンの短編小説が取り上げられた授業でした。セーヌ川の漁師が川の恐ろしさを語る話です(題名を忘れちゃったので、今ちょっと調べたら「水の上」でした。仏文学科の学生にあるまじき姿ですね)。護岸されて街中をゆるゆると流れるものくらいしか見たことがなかったからでしょう。わたしはその頃、川は清浄で美しくて涼やかなものだというイメージしかなかったものですから、川が陰険で無気味で恐ろしいものだと語るその話は、ちょっと大袈裟ですが、ショッキングでした。そうして、最後になって川は「金糸銀糸に織りなされて火のように燃えつつ流れる」んです。その凄絶で恐怖さえ覚えるほどに美しい、モーパッサンの書く夜のセーヌ川の姿が頭に焼きついて、わたしは一時期川を見るたびに夜になるとそれが見せるかもしれない恐ろしい風景を想像したものです。この授業を受けた頃は作者なんて特に意識していませんでしたが、今わたしがこうしてフランス文学を専攻しているのは、何かの縁なんでしょうね。

 前置きばかり長くなってしまいました。突然こうして先生に手紙を書いたのは、今年の夏にフランスへ留学することになったからです。といっても短期のものですから、研修期間も含めて一か月ちょっとの気軽なものです。それでも先生にご報告したくて、こうして筆を執った次第です。わたしが参加するのはパリの大学との交換留学プログラムで、同じ大学の五名と一緒に参加します。短い簡単なフランス語研修のあと、現地の大学で交流したり講義を受けたりします。わたしは生きたフランス語に触れるとともに、国文学としての仏文学や自国の歴史としてのフランス史を学びたいと思っています。

 この大学に入学したときは、自分が二年と少ししたら海外留学するだなんて、欠片ほども思っていませんでした。それどころか、三か月前の自分もそうです。四月の初めにゼミの教授からこのプログラムを薦められ、しかも単位が出ると聞いて、昨年度に古フランス語の単位を取り損ねたばかりのわたしは、ほいほいと飛びついたんです。我ながら向こう見ずですが、今までもこんな風にその場任せでやることを決めてきた気がします。仏文学ゼミに入ったのはその頃たまたまダフト・パンクに入れ込んでいたからだし、文学部を選んだのは文系で法律や経済よりは文学の方が親しみがあるかなあなんて軽い気持ちからだし、文学に多少親しんだ文系になったのは高一で入部した詩歌部で楽しく俳句を作ったり遊んだりできたからです。つまり、わたしがこの度フランスに留学する(しかも初の海外旅行です!)ことになったのは、先生のおかげでもあるんです。先生の教え子の一人が、先生に教わったゆえに数年経ったあと海を飛び越えていく。そんなこともあるのだと知ってほしくて、この手紙をしたためています。ダフト・パンクには手紙を書きませんよ。もう解散してしまいましたから。

 プログラムにはフランスの学生との交流会もあって、そこでわたしたちは日本の文化を現地の学生たちに紹介します。わたしは俳句を教えるつもりです。ひょっとしたら、フランス生まれの大俳人が生まれるかもしれません。中国の蝶の羽ばたきがアメリカで嵐を起こすと言いますが、日本で先生が教えた一人の生徒がフランスに渡るわけです。嵐はさすがに荷が重いですが、そよ風くらいは起こせるんじゃないでしょうか。

 なんだか威勢のいいことを書いてしまいました。文章を書いているとどうも調子づいてしまっていけません。わたしは異国の地でムーブメントを巻き起こすぞと奮い立つほど野心的ではありません。でも、やりたいことがないわけではありません。ずっと素朴なことなんですが、わたしにとっては大切なことです。自分の感性を大事にしなさいと仰ってくれたのも先生でした。

 先日、美術館に行ってモネの絵を見てきました。モネのファンというわけではなく、わたしでも聞いたことのある有名な画家だからという浅薄な理由からです。不勉強がばれてしまいますが、そんなわけでモネの素性も画風も知らないまま展示を見ました。知っている作品は「睡蓮」くらいですから、てっきり睡蓮を好んで描いたのかな(わたしでも「睡蓮」が連作であることは知っていました)と思っていましたが、美術館に行って知ったのは、モネが描きたかったのは睡蓮というよりむしろそれが浮いている水面だということでした。展示された数々の絵の多くでモネは、浮かぶ睡蓮の花や畔の草木を映して波立つ水面の、光を複雑に屈折させ反射している姿を、さまざまな色の絵の具を使って表現しようとしていました。その色使いは一見雑然としているようにも思え、到底水面を描いているようには見えないのですが、一歩引いてキャンバス全体を視野に収めると、鬱蒼とした森の中で花に彩られ静かに息づく池が眼前に現れるのです。正直、わたしは圧倒されてしまいました。

 ですが、わたしの心に最も色鮮やかに焼きついているのは、睡蓮の絵ではなく、セーヌ川の絵です。「ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出」というほとんど正方形の大きな絵なのですが、広くゆったりと流れるセーヌ川の畔に視点があって、朝の輝くような予感を感じさせる薄明るい空と、両岸で葉を茂らせて濃い影を落とす木々、そしてそれらを映す水面の鏡像が描かれています。モネのタッチの特徴なのでしょう、全体的に淡い筆使いで点描画に似た雰囲気を感じます。それがまるで川にかかる朝靄のようで、色合いも相まって幻想的な風景画になっています。そして、わたしが一番驚いたのがその色使いです。もしわたしが水面の色は何色かと問われたら、わたしは水色と答えるでしょうし、その絵を描けと言われたら水色の絵の具をべたべたと塗りつけるでしょう。でもモネのこの絵の水面は、水色がほとんどなく、あるのは緑と深緑、赤紫と青紫、そして橙と少しの白です。川面には似つかわしくないような無秩序な色彩が、離れてキャンバスの全てを目に入れた途端、朝の清らかな光を奥から浴びた、森の間を流れる大河に変貌するのです。わたしに絵心がないだけかもしれませんが、川面がこんなに色とりどりだなんて、思ってもみませんでした。

 画家なんですから当たり前なのでしょうが、モネにはわたしの気づかない幾多の色が見えていたのでしょう。その目で川面が散らす光をありのままに捉えて、それをキャンバスの上で忠実に再現したのでしょう。それはモーパッサンも同じです。わたしには見えない夜のセーヌ川の恐ろしさを彼は感じ取り、わたしには及びもつかぬ川の様子を物語を通して描き出したわけです。

 わたしはセーヌ川の水面を見てみたいです。モーパッサンには「水の上」のように、モネには「ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出」のように見えた水面が、わたしの目にはどう映るのでしょうか。モーパッサンにもモネにも見えない、わたしにだけ見える景色があるはずです。パリに行ったら、セーヌ川をこの目で見て、それを確かめたいとわたしは思っています。それができたら、何がどんな風に見えたかを書いて、また手紙を送りますね。できれば、川辺の郵便局から、セーヌ川が描かれた絵葉書を。

 書きはじめる前に思っていたよりも長くなってしまいました。わたしは元気にしています。先生もお体に気をつけてお過ごしください。お返事待っています。

敬具