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==案2== ひぐらしがカナカナと鳴いていた。私は姉と2人で、近所の公園の砂場で遊んでいた。辺りは真っ赤な光のベールに覆われていて、私たちのほかには誰も居なかった。 「お姉ちゃん、どうしたの?」 先ほどまで私と砂の山を作っていた姉が、不自然に遠くを向いたまま動かないのだ。その目線の先を見てみると、少しだけ木が生い茂った林を見ていた。(何を見ているんだろう)それを知りたくて、私もそこを見ていた。だけど私には何も見えなかった。 その時、突然姉が言った。 「帰ろう」 「え〜もうちょっと遊ぼうよ」 と言って彼女の目を見た途端、私は固まった。いつもの姉の目ではなかった。私の我儘を許さない強制の目だった。私は惜しがりながらも 「…わかった」 と言って彼女と手を繋いだ。 その時だった。彼女がその場でバタッと倒れた。 「え?お姉ちゃんだいじょうぶ?」 私は驚いて姉の顔を覗き込んだ。その一瞬で日がぐっと傾き、あたりは不気味なほどに赤く染まった。そして、風が止んで、空気が不自然に澱み始めた。私は幼いながらに悟った。(ああ、これはヤバいやつなんだ)と。そしてこれは本能だった。その力が私に気づいて欲しかったのかもしれない。私は衝動的に、倒れた姉の唇に人差し指で触れた。その瞬間、先程まで姉が見つめていた茂みに、真っ黒な、禍々しい雰囲気を感じた。思わず振り返るとそこには、頭に汚い布袋を被り、それを上から麻紐で縛り付けている何かがいた。顔は見えないが目が合った、そんな気がした。私は恐怖のあまり叫んだ。泣きながら、今までにないくらい大きな声で喚き散らした。ひたすら叫んでいた。最後に見えたのはその何かが結ばれて麻紐を解こうとする姿だった。そして、それが布袋を取ろうという時に、私は意識を失った。 ❇︎ ✴︎ ✳︎ 次に目を覚ましたのはお寺だった。6畳間に布団が2枚敷いてあって、そこで私と姉は川の字に寝ていた。(ここはどこだろう。わたしはたしか…)起き上がると、1番近くの襖がすっと開いて優しそうなおじさんが出てきた。 「おう、2人とも目ぇ覚ましたか。良かったな。間に合うて…」 横を見ると、姉も起き上がっていた。 彼はタイラさんと名乗った。この寺の住職をしているそうだ。彼は私たちが襲われたものについて語った。 「ありゃあ幽霊やに。可哀想になあ。顔をめちゃくちゃにされて殺されたんやろうな。」 タイラさんは、姉はそういった怪異を引き寄せやすい体質であること、そして私には、唇に触れることでその人がどんな霊や怪異に取り憑かれているかがわかる力があることなどを話してくれた。 「お前らはほんと良かったよなぁ。おとやんが公園で2人が倒れとるの見つけて、すぐに気づいて俺のとこへやって来たんやで。お前らは幸運やに。長生きしな。おっと、せやけどそっちのお嬢ちゃん、君はまた憑かれるかも知れんなぁ。またなんかあったら、すぐここに来いやに」 彼は人を安心させる力強い笑顔で言った。 「俺が祓うたるでなぁ」 そしてタイラさんは襖を開けた。そこには父と母が顔を泣き腫らしながら寄り添って待っていた。私たちが大丈夫だとわかった父はその場で崩れ落ち、母は私たちに抱きついてきた。父はタイラさんにひたすら感謝の言葉を述べていた。 私たちはタイラさんと寺に別れを告げ、車に乗り込んだ。そして山道を進んで家に帰った。両親はひたすら安堵していた。 私達がその寺にお世話になることは、今の今まで遂になかった。 「実は、私、霊感あるんですよ〜。なんか、超能力みたいな。」 私は言った。 「人の唇に指をあてて、い〜っぱい集中して念じたら、その人に霊が憑いてるか、どんな霊が憑いてるかがわかっちゃうんです。」 この話は本当だ。幼い頃から同じことができた。私は普通の人にはない能力を持っている。しかし、唇に触れないと何も感じることはないため、あって特段困るようなことはなかった。それどころか日常生活でこの力に頼る事は全くと言って良いほどなかった。 普段の私ならこんなこと絶対に言わないだろう。霊感などといういかにも胡散臭そうな話は、奇異の目で見られることの方が多い。そんなことは小中で嫌というほど経験済みだった。 では、なぜ私はこんな話をしているのか。簡単に言うとそれはアルコールのせいである。私は今大学のサークルに来ているのだ。サークルの名前は「心霊・オカルト現象研究会」。名前だけはもっともらしく、最初はオカルト好きの集まりだと思っていた私は、私の能力が肯定されると期待して中学からの親友ミサキと一緒に入ったのだ。しかし、残念なことにこのサークルは所謂“飲みサー”と言うやつだった。でも私は後悔していない。それは彼がこのサークルにいるからだ。 「え〜そうなんだ。すごいな。本当?」 そう、少し驚いたように返事をする彼の名前はタクヤ先輩。医学部の3年生らしい。180センチの長身でスラっとしたモデルのようなスタイル。しかもそこらのアイドルよりもクールな顔立ち。私は一目惚れだった。2度目の飲み会でLINEを交換できた時には“オカ研”に一緒に入ってくれたミサキに何度も感謝したほどだった。 「そうなんですよ〜。」 頬が火照ってゆくのがわかる。この熱はアルコールか恥じらいか、どっちなんだろう。程よく酔いの回った脳が、このまま彼の唇に触れられないだろうか、なんて考えてしまう。 「唇に触るっておもろいなぁ。」 向かいの医学部5年生で部長のハヤテ先輩が言う。留年を2回しているらしく、大人なお兄さんといった感じで、優しいという言葉が似合う聖人のような人だ。調子に乗りやすいのが玉に瑕だが、この20人余りの飲みサーをまとめ上げる有能な幹事でもある。 「いっちょ俺のこと見てくれよ。」 笑いながらこんな事を言ってくる。(ハヤテさんも相当飲んでいたからなぁ。この流れでタクヤ先輩の唇も…)なんて邪な考えを抱きながら私は2つ返事で了解した。 「いいですよ。ちょっと口触っちゃいますね。」 人差し指を彼の唇に軽くあて、目を瞑ってぐーっと集中してみる。すると彼の後ろにぼんやりと、暖かいような、黄色いような気配がした。手を離し、「ふぅ…」と息を吐いた私はハヤテさんに言った。 「ハヤテ先輩はあったかい感じの霊が1人。憑いてますよ。厭な感じは全然しなかったんで、守護霊とかだと思います。良かったですね。」 「おお、そうか。それは良かった。でも、守護霊ってやつもちょっと怖いな。なあタクヤも視てもらえよ」 (ハヤテ先輩ナイスッ)私は心の中でガッツポーズをして、隣のミサキに目配せした。ミサキは目で(良かったね)と言っている。ミサキよ、お前はなんていいやつなんだ。タクヤ先輩は面白そうだなというふうに 「じゃあやってもらおうかな。」 と目を閉じて唇を突き出した。私はテーブルの向こうにいるタクヤ先輩へと顔を近づけて、まじまじとその顔を見てみる。真っ直ぐに通った鼻。女の子のように長いまつげ。血色の良い唇。形の良いそれぞれのパーツがまるで黄金比のように完璧の位置にある。(美しいな…)なんて思いながら私は彼の唇に人差し指を近づけていった。興奮は絶頂だった。アルコールが速めた心拍数はさらに速くなっていった。そして私は彼の唇に触れた。 その瞬間だった。ドクンッと音が鳴ったように感じた。心臓の音の様だが私のものではない、他の誰かの音だ。私はその場から今すぐにでも逃げ出したくなるような激しい恐怖に襲われた。そして彼の後ろに赤黒い人影が何人もいるように見えた。彼らは何か喋っているように聴こえたが私はもはや何も聞き取れない。まるでピントをずらしたように世界の輪郭がぼやけ、またドクンッと音が鳴った。脊髄を揺らすような嫌な響き方をする音だった。 そして視界が、暗転した。 ✴︎ ❇︎ ✳︎ 「はっ…」 私は目を覚ました。 「ここはどこっ」 上半身を勢いよく起こして周りを確認する。そこは見慣れたミサキの家だった。 「あ、リサ起きたんだ。良かった。おはよう。」 状況を飲み込めずにいる私をみて、顔を顰めつつ彼女は言った。 「昨日は大変だったんだよ。あんたがタクヤ先輩を視た時に卒倒しちゃってさ、私とタクヤ先輩、それとハヤテ先輩でここまで連れてきてあげたんだよ。先輩達めっちゃ心配してたよ。あんたが大丈夫なのか、あと、タクヤ先輩にやばいの憑いてたんじゃないかってさ。」 しかし私は、ミサキの言葉など耳に入ってこないくらいに動揺していた。全身が厭な汗をかいていた。あの人影はなんだったんだろう。 「ね〜昨日タクヤ先輩になんか憑いてたりしたの?」 洗面所から歯ブラシ片手の呑気な声が聴こえてきたが、今は説明しているような場合ではない。 「ちょっと、私のスマホは?」 「ベッドの横の机に鞄置いてあるから。」 「ありがとう」 自分の鞄を弄ってスマホを見つけた私はLINEを開いた。タクヤ先輩から「大丈夫?」といった旨のメッセージが届いていた。気遣いを忘れない彼の優しさに心が蕩けそうになったがすぐに頭を振って、こう返信した。 「ありがとうございます。大丈夫です。ちょっと先輩と話したいんですけど、今日暇ですか?」 昨日見たあの光景について考えていると、2分ほどしてタクヤ先輩から返信が来た。 「暇だよ。どこで会おうか。」 「では、駅前に1時間後。10時半に来てください。切羽詰まっているので話はその後で。」 私はベッドから飛び起き、急いで身支度を整えた。 「ミサキ〜ありがとう。じゃあね。また今度」 「ちょ、ちょっと待ってよ」 ミサキの制止の声を振り払って玄関を出た。私の家はミサキの家と近く、歩いて5分もかからない距離にあった。私はとても焦っていた。家まで走って、そこで大急ぎで風呂に入り化粧をして急ぎ足で家を出た。そして、2度と使わないだろうと思っていた電話番号に電話をかけた。 「もしもし、タイラさん。おはようございます。お久しぶり振りです。いま少し大変なんです―――」 人通りの少ない朝の路地には、私が駆けるコツコツという音だけが響いていた。 ✴︎ ❇︎ ✳︎ 「待った?」 タクヤ先輩は予定より五分近く遅れて到着した。 「あ、いいえ。大丈夫です。」 これは嘘だ。遅れた先輩に少し苛立っていた。それくらい急いでいたのだ。 「ちょっと説明するのは時間かかっちゃうんで、行きましょう」 私は先輩を待たずにせかせかと改札を抜けて駅に入って行く。先輩はそのあとを少し遅れてかけ足で着いてきた。 「ちょっと待ってよ。これからどこに行くの?」 「三重です。私の実家のに行きます。新幹線に乗りますよ」 「えっ?」 その場に茫然と立ち尽くしてしまった先輩に向かって、私は振り返って言った。 「早い方がいいんです。置いていきますよ」 ✴︎ ❇︎ ✳︎ 東海道新幹線のなかは平日の昼間だからか、空いていた。座席に座って緊張も解れてきた私は、隣に納得いかないような顔で座る彼を見た。焦っていたから気が付かなかったが、今日は赤いピアスをしているようだ。黒のパンツに白のサマーニット、その上からブルーのサマージャケットという出立ちだ。黒いキャップも着けている。(とってもお洒落だなぁ…)私は心の底からそう思った。ひと段落したため、こちらから話を始めようと息を吸ったのも束の間、彼がこちらを向いた。 「なんで俺たち、三重まで行くの?昨日の、やっぱなんかやばいの憑いてたの?」 心配そうな目が可愛い。こんなときでさえそう思ってしまう自分に嫌気が差してきた。母性本能を働かせている暇はないのだ。 「そうなんです。あの時私は―――」 それから、ことの顛末を細かく話した。タクヤ先輩の後ろに見えた複数の赤黒い影のこと。そのせいであの飲み会で倒れてしまったこと。そしてこれから行くのはタイラさんという除霊ができるお坊さんのお寺だということ。他にも、いろいろ。 タクヤ先輩は自らを落ち着かせるように心臓に手を当てて目を瞑りながら私の話を聴いていた。そして、話が終わると目を開けて、納得したかのようにポツリと言った。 「ありがとう。そんなことがあったんだ。それは…とても怖いな」 彼は大きな恐怖を耐えるようにゆっくりと窓のほうに顔を向けた。顔は見えないがきっと恐怖に歪んでいるのだろう、アームレストに置いた手が震えている。 「でも大丈夫ですよ。タイラさんに頼めば、絶対祓ってくれますから。」 私は彼の震える左手に手を重ねて、出来るだけ安心できるように言った。彼はその手を握り返してきた。私はすぐに顔が火照ってゆくのを自覚した。(私はなんて、大胆なことをしてしまったんだ)こんなふうに動揺しまくる私などお構いなしに彼は言った。 「俺、ひとつ心当たりがあるんだ。本当はあの飲み会で話そうと思ってたんだけど―――」 彼の話によると、2週間ほど前に(一応俺たちオカ研だから)ということで、酔ったハヤテ先輩に半ば強制的に連れていかれる感じで、タクヤ先輩と他のオカ研部員2名で有名な心霊スポット行ったらしい。そして、その心スポというのが、何人かの女性が連続で殺されたという惨たらしい事件が起きて廃業になったところだという、いかにもな廃ホテルだった。 「その時に俺だけ2階に上がったんだ。階段が壊れててね。壁の配管を登って、窓枠を越えて中を見た時、これはやばいって思ったよ。確実に雰囲気が違かった。俺に霊感とかないよ、でも本能が全力で言ったんだ。はやく帰れ、ってね。だから俺はハヤテ先輩に言ったんだ。2階は壊れそうだし何もなさそうだから、帰りましょうって。」 その後は何か起こるということもなく、4人は家に帰ったのだが、タクヤ先輩は2階のあの部屋の雰囲気があまりにも気になったので調べてみた。すると、 「あの部屋はその、被害者の人達が酷い拷問をされて苦しみながら殺された部屋だったらしいんだ。だから、その時に連れてきちゃったと思うんだ。その…彼女たちを―――」 ❇︎ ✴︎ ✳︎ 新幹線を降りた駅で電車に乗り換えて、その先に着いた駅でタクシーに乗った。数分走るだけで市街地を抜けてしまい、山道に入って行った。 車を走らせること1時間、懐かしい寺に着いた。(姉が死んでから…もう来ることはないと思ってたのに)お金を払ってタクシーを降りると、この時間に来るのを知っていたかのように門が開き、中からタイラさんが出てきた。あれからもう10年経つはずだが、まったく老いておらず元気そうだ。 「はいはい、早う入るんや。」 タイラさんはそうやって私たちを表座敷に迎え入れてくれた。私は今までの事を手短に説明する。するとタイラさんは深刻そうな顔をして、 「だんないで。俺がついとる。じゃあ、やってくるんに」 と、覚悟を決めたように言った。タイラさんタクヤ先輩を連れて、奥の部屋へ入っていってしまった。タクヤ先輩は相変わらず心配そうな面持ちで彼に着いていった。 私はその場にただ1人残されて、ぽつんと座ったまま祈ることしかできなかった。 「きっと…大丈夫。」 それから3時間ほど経っただろうか、タイラさんが笑いながら戻ってきた。心から安堵しているように見える。その顔を見た途端、(あ、大丈夫だったんだ。)と私は悟った。 「だんなかったに。そんなやばいやつやなかったでな。」 「よかったです…。本当ありがとうございます。」 心の底からの感謝を伝えた。 「彼は奥で寝とるで。目ぇ覚ましたら、もう帰るとええ。」 そうして私は奥の部屋へ案内された。そこではタクヤ先輩が穏やかな顔で寝ていた。 どのくらいの時間が経っただろうか。彼が目を覚ました。 「あれ…ああ。おはようリサ。」 上体をゆっくり起こし、私に向き直る。するとタクヤ先輩は私の頬に指当てた。 「どうしてリサが泣いてるんだよ。」 彼はそう言って笑った。私はそう言われるまで、自分が泣いていることに気づいていなかった。 「だって…私、本当に心配したんだから…」 涙を止めることは出来なかった。タクヤ先輩は安心させるように、私を抱き締めてくれた。それから少しの間、彼の胸で私は泣いた。泣き終えると少し恥ずかしい気持ちになって、照れ笑いをした。彼は、それすらも包み込むような、優しい笑顔で言った。 「ありがとう。君とタイラさんのおかげで、僕は救われたんだ」 私たちはそのあとタイラさんに別れを告げ、寺を後にした。 そして私たちは、もと来た道順を辿る様にして帰った。 出発した駅の改札を抜けた頃には、もう東京は夜になっていた。 「今日はありがとね」 「いえ、先輩に何にもなくて、良かったです。でも―」 私は彼に笑いかけた。 「―もう心スポなんか、行かないでくださいね。」 「うん。そのつもりだよ。じゃあ、さよなら…」 「お疲れ様です。」 無情にも、タクヤ先輩は去っていく。 (ああ、やっぱ私には高嶺の花なのかな) 私は去っていく背中を見て思った。命を救ったとしても、決して彼の特別にはなれない。彼女にでも会いにいくのだろうか、タクヤ先輩は軽やかな足取りで歩いていく。(きっととってもかわいい彼女さんとかいるんだろうな)私は彼に背を向けた。今日は移動ばっかりだったし、沢山泣いて疲れた。早く帰ってベッドに倒れ込みたい…。そう思ってとぼとぼ歩き出した私に、背後から声がかかった。 「待って。」 私は声のほうへ振り向く。少し前に別れたはずの彼がそこにいた。突然のことに心臓が早鐘を打っていた。 「ねえ、今度遊びに行かない?」 彼は口に人差し指を当てて、にこっと笑った。 「―――2人だけで」 恋心というものは単純だ。 今日はいい一日だった。私は心からそう思った。 ✴︎ ❇︎ ✳︎ デートの日がやってきた。私はうんとお洒落をした。髪を巻いて ✴︎ ❇︎ ✳︎ 僕は彼女が目覚めるのを、ただじっと待っていた。 彼女は猿轡を噛まされ、目隠しもされていた。その痛ましい姿が、僕を唆らせる。 あ、泣き声が聞こえてきた。目が覚めたのかな。 「やあ、おはよう。リサ」 目隠しを優しく取ってあげる。 「いい夢は見れたかい?」 彼女は僕の顔を見て涙を流しながら首を振っている。 「今日はね、2人だけで君と話がしたかったんだ。だから―」 猿轡も取ってあげた。 「―君も話せるようにしないとね。あ、でも叫んだりはしないでくれよ。どうせ誰にも届かないから、煩いだけだ。」 彼女は声が出せないようだった。 「なあ、最初から気になってたんだけどさ。リサはなんで自分だけが能力を持ってると思ってたの?」 僕は笑いかけた。彼女は何かブツブツと呟いているが、声が小さくて聞こえない。 「なんて言ってるの?しっかり話してくれないと、わからないじゃないか。僕は君と話がしたいんだ。」 彼女は茫然とした表情で言った。 「そんなはずは無いわ…。だって、あの時震えていたじゃない。あれは演技だったの…?それに、あんな沢山の霊に憑かれていることを知ってたら、正気を保てるはずがないわ。」 彼女の言葉を聞くと、可笑しくて堪らなくなり、つい声をあげて笑ってしまう。 「あはは。君はどこまで能天気なんだ。こりゃ傑作だよ。あの時は嬉しくてね。君という運命の人に出会えて、喜びで震えが止まらなかったんだよ。」 彼女の目からは絶望の色が伺える。僕は興奮してきた。これから僕の話を聞いたら、彼女はどんな顔をするだろう。もっと酷くなるに違いない。 「じゃあ、そろそろ種明かしといこうか。」 僕は彼女の前で人差し指を立てた。 「まず、僕は君とだいたい同じ能力を持ってるんだよ。自分の心臓に手を当てて、目を閉じたら視えるんだ。いろいろね。」 彼女へ微笑む。 「次に、僕に憑いている幽霊たち。あれは言わば僕の蒐集さ。僕が殺した女たちだよ。」 僕は注射器を取り出した。 「この能力に目覚めたのは最初に人を殺した時だったんだ。そいつは君と違って嫌な奴でね。衝動的に殺しちゃったんだ。僕も初めてだから怖くなっちゃって、胸に手を当てて落ち着こうとしたんだよ。その時、死んだそいつが視えたんだ。殺したそうな顔で僕を睨みつけるんだ。その時、本当に興奮したんだ。そんな気持ちは生まれて初めてだったよ。死んだ後のあいつらの表情が、僕を極限まで興奮させてくれるんだ。多分そのための能力なんだよ。これは。」 きっと僕は変態なんだ、そう言って僕はまた笑った。 「最後に、君はこう思ってる。タイラさんが除霊したはずなのに、なんで幽霊がまだ憑いているのか、ってね。これは、簡単に言うとタイラさんのせいだ。わかりやすく言うと、彼はこっち側なんだ。人を人と思えない。社会の一員になれない異常者さ。でも彼はいい人だった。だって、君の不幸を願って僕に協力してくれたんだもの。」 注射器に薬品を注入して、人差し指でピンピンッと弾いた。 「タイラさんは、ひとにかかった呪いを取り去る能力があるんだ。」 彼女の顔はもう何も読み取れない。 「あ〜あ。つまんないなぁ。リサはもっと元気な子だと思ってた。そこが好きなのに。」 彼女の頬をつついてみるが、全く反応がない。じゃあこれしかないか。 「ねえ、リサは自分に能力使えないんでしょ?」 彼女がビクッと震えた。図星だったようだ。 「それでさぁ、聞きたいんだけど、お姉さんとか…」 彼女は僕の言葉を遮って、涙を散らしながら叫んだ。 「お姉ちゃんが死んだのは事故よ!私は…私は何もしてない…」 「そうなんだ。でも、お姉さんはそうは思ってないみたいだね。」 彼女は震えて、そして俯いた。僕からは影になって顔が見えない。彼女は今どんな顔をしているのかな。 気になる。見たい。 僕は衝動に任せてリサの髪を掴み、無理矢理顔をあげさせた。彼女は今までで1番美しい恐怖の顔をしていた。瞳の奥まで絶望に支配された彼女は僕の黒い欲望を刺激した。 僕は用意していたナイフとペンチを取り出した。 「ほらリサ、君も蒐集に加わるんだ。」 タクヤは恍惚とした表情で言った。 「君が13人目の僕の女だ。」 She sat down on the bed and took out a cigarette and an oil lighter. She then switched the cigarette to her left hand and lit the oil lighter. "Kasht" A delightful sound echoes in the silence of the room. Only the light was dazzling in the pale darkness. She lights a cigarette in her left hand with a graceful touch. The gesture reminded me of a gentle breeze blowing in an empty park at night. Once the cigarette was firmly lit, she put the lid on her oil lighter and tucked it into her pocket. Then she smoked it with great relish. She smiled at me with her beautiful eyes narrowed, as if she had been born to smoke. She closed her eyes and exhaled the smoke from her lips. The smoke and the smoke from the tip of the cigarette drew two lines, smoked into the air, and then disappeared. I watched in silence. To me, she was the beauty of everything in the world. The spring breeze, the summer sun, the autumn smells, the winter light, all the beauty I knew was in her. The moonlight seeping through the plain lace curtains illuminated her fine white skin. She tasted her cigarette for about five minutes before putting it out. Spring moonlight is white. It was as translucent as thinly cracked white mica. Her soft skin looked more radiant than anything else in the light. Floating in the faint white darkness, it was so beautiful that it could be mistaken for a dream. She opened her closed eyes and looked at me. She had two well-shaped eyes, long eyelashes, a beautifully shaped nose, and breathtakingly beautiful red, well-shaped lips. Her lips moved. "…So, runaway boy. What do you want to do now?" She smiled and looked at me. Then she tilts her head lightly. A breeze blows in through the window, shaking the lace curtains. The light that hangs from the gap between the curtains changes its shape. I watch the scene for a while without speaking. After the scene is burned into my eyes, I say, "I don't know,I don't know. What should I do? I..." She pulls up the straps of her white slip in a bored manner and says with a slight blush on her cheeks, "I'm going to stay at home with you. I'll let you stay in my house if you're in trouble," she said. "And what will you give me for it?" She laughed. I remained silent, unable to speak. Then there was a silence that lasted long enough for a microcosm to be born, mature, and then disappear. She had been looking at me with a smile during that time, but suddenly her expression changed and she looked a little troubled. Then she looked at me with reproachful eyes. she said. "You should be more grateful to have been found by such a wonderful and mature woman like me. I think you've used all your luck for the rest of your life." I dropped my gaze to the wooden floor and said. "I'm sorry. I think I'm lucky, but I don't really feel it. " I was getting tired of my brusque words. I am always like that. If it were true, I would be sleeping alone in my room at my father's house right now. And here I am. I'm sure she feels annoyed too. Tears began to well up in my eyes, and my vision temporarily lost its outline. I must not cry. I endure patiently. I hold back. And I take a deep breath. The perfume and the remnants of the cigarette she smoked invade my body. I am sure that it will pass through my blood vessels and become a part of me. I look up and meet her eyes. She has a very mature face. I am overwhelmed by it. She touches my chin without losing her mature smile. She pulls me back, and I fall forward, face forward. "Whoa, I..." She kissed me to stop my panicked words. She poured herself into me, much denser than the air I had just inhaled. I accept it with my hands hanging down. I had no choice but to accept it. How long had it been? She pulled her mouth away from mine a little and said, so close that I could almost breathe on it, "It's okay. It's going to be okay. Love and love will be hereafter..." She hugs me. She pulls me into a hug. Then she whispered in my ear. "…From now on, you will be able learn it with my lips." I wanted to stay in her arms. The spring night breeze was still cold enough to make me shiver. But while I was holding her in my arms, I felt a warmth so deep that I did not even feel the chill. I gently fell asleep in the warmth of a single completed warmth. 某一章 「ねえクオリア」 「なに?」 彼女はページを捲る手を止め、こちらを向いた。 「君は、<ruby>遍在転生観<rt>へんざいてんせいかん</rt></ruby>って知ってるかい? 」 「知らないわ。それって、どういうものなの?」 「この世界に存在してるのは自分だけなんじゃないかって考えることらしいんだ。」 「へえ、そうなのね。」 「いや、この説明では誤解を与えてしまうかもしれないね。わかりやすくいうと、ひとつの世界の捉え方のことなんだ。」 僕は彼女の目を見ながら続けた。 「この世界にあるそれぞれの“意識・自我”というものはただひとつ、自分しか存在せず、過去、未来、同年代のあらゆる知的生命体は唯一の“自己”つまり、“僕”が<ruby>輪廻転生<rt>りんねてんしょう</rt></ruby>した姿なのであって、“僕”は今地球にいる全ての人間だったし、全ての人間になるだろうという考え方なんだ。」 「つまり、私もあなたもいれものが違うだけでひとつの意識に過ぎないと言うことかしら?」 「そういうことになるね。入れ替える度に記憶は消えてしまうものらしいけれど。」 「それは…突拍子もない考えね。」 クオリアは笑った。 「もしその考えが正しいとしたら、貴方と私が今話しているのだって時空を超えたひとり遊びってことになっちゃうじゃないの」 「そうなんだよ」 僕も笑った。 「いつか僕はクオリアだったかもしれないし、クオリアは僕だったかもしれない。」 「もしくは―」 彼女は続けた。 「もしくは―これから私が貴方になるのかも。」 「そう…かもしれないね」 僕は窓の外の、灰色の空を見上げた。 「僕は…できることなら君になってみたいんだ」 彼女は少し驚いた様子で、目を見開いてこちらを見た。 「どうして?」 その視線に射られた僕は、肩をすくめて答える。 「僕が僕の身体に収まっているうちは、君のこと全部を理解できないように思うんだ。」 彼女は呆れたようにため息をついた。 「そんなものよ。でも、私は貴方に私の全てを理解して欲しいとは思わないわ」 「それは、何故なんだい?」 「ひとは秘密があったほうが魅力的に見えるもの。それに、知っても意味のないことばかりでしょう。」 だから―と彼女は続けた。 「だから、私は貴方になりたいだなんて思わない。でも、誤解しないで欲しいわ。貴方になることに魅力を感じない訳じゃないの。」 ひと息ついて彼女は言った。 「ただ、貴方を知ることが、少し怖いのよ」 僕はすこし気分を害して、彼女へ向き直った。 「もうちょっと信頼してくれないかい。僕は君を裏切ったりなんかしないさ。今までも、もちろんこれからもね。」 「そういうことじゃないのよ。」 僕の目を見つめ直した君は、再び言った。 「そういうことじゃないの。」 ✳︎ ❇︎ ✴︎ 「でもときどき、私もそう思うことはあるわ」 「そう思うって?」 「この世には”私”っていう意識しか、存在しないんじゃないかってね。」 いつの間にか君は窓辺に立って、枠に手を掛けていた。外の雨降る風景を見ている。 「そうなのかい。」 「むしろ、そういう思考になってしまうことの方が当然に思えるわ。ひとの気持ちに触れることなんてできないわけだし―」 君はティーカップを手に取り、いかにも余裕ありげにひと口啜った。 「―もし一度そうだと思ってしまったら、それを否定する根拠がいくら探しても見つからないだろうから。」 「たしかに…そうかもしれないね。どうしたって反例は見つけることはできないだろうね」 ひと息おいて僕は言った。 「―僕らが生きているうちは。」 「死んだらわかるのかしらね。」 「そればっかりは、僕らにはわからないさ。」 僕は微笑んだ。 彼女も笑った。 「もし遍在転生観を正しいと仮定したら、私たちが生きる意味ってあるのかしら。」 「安易なニヒリズムに浸ってはダメだよクオリア。僕らにはもっと他に考えるべきことがあるはずさ。」 こちらを向き微笑んだ彼女は窓の外に目をやった。 「たとえばこの雨。実は今日雨が降る予感がしたの。朝起きた時からこうなるかもって」() 某二章 「ねえクオリア」 「どうしたの?」 「君は、昼と夜どっちが好き?」 「また…貴方らしい質問ね。」 彼女は笑った。そして困った様子で考えはじめた。 「私は…そうね…私はどちらも好きよ。でも、しいて言うなら…」 数分の熟考の後、彼女は曖昧な微笑みを浮かべながら答えた。 「しいて言うなら、私は夜が好きだわ。」 「それは―」 好奇心の赴くままに僕は聞いた。 「―それはどうして?」 「夜の…雰囲気が好きなの。あの何もかもが溶け出してしまっているような、それでいて純粋なようにも感じる闇の雰囲気。光が届かないせいかしら、物事の輪郭がぼやけて見えて、区別されていたものたちが混じり合う。そこではどんなことが起きても説明はいらないわ。だから人は夜に恐怖するのかしらね。」 彼女は夜に陶酔したかのような妖艶な表情で続けた。 「私は夜の闇も好きだけど、月も好きなの。誰かの光でしか輝けない脆さとそれでも精一杯私達を照らしてくれる健気さを感じるの。」 某三章 「―洞窟の比喩」 本から目線を上げ、虚空をぼんやりと眺めいた君が、ぽつりと言った。 「―貴方は善のイデアはひとが認識できるものだと思う?」 「イデア論か…。また急だね、君は」 僕は苦笑した。しかし彼女は少し興奮しているのか、こちらの態度を気に留める素振りもなく話はじめた。 「かのプラトンは言ったわ。“魂には眼がある。それによってのみ真理を見ることができる”とね。」 彼女は暖炉に焚かれた火に視線を下ろした。 「プラトンにとって、真理というのは。」 某四章 「私、この景色見たことあるわ。」 君は突然そう言った。 熱い夏の日だった。僕らは海辺の小道を歩いていた。 「ははあ。それはデジャヴってやつだね。」 第五話 「この世界は仮想空間なのかしら」 「特別なものを見に来たんだろ?」 僕は真っ新な原稿用紙に向かって呟いた。 「やめてくれ。ここにはないんだ」 静が、んーと唸りながら上体を起こして僕の腿に手を置き、どうしたの? と聞く。 「なんでもないよ」 と僕が言うとそう、と言ってすぐにまた眠りに落ちた。彼女のずり落ちた毛布を掛け直すと、僕は外に出た。 閑静な住宅地を抜けると、アーケード街。この先に行くと、すぐ駅に出る。 女性の性欲への問題提起。 ・本気になることを書こう。
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