「Sisters:WikiWikiオンラインノベル/顔面蒼白」の版間の差分
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<br>「その前に事件のあらましをお話ししておきましょう」 | <br>「その前に事件のあらましをお話ししておきましょう」 | ||
<br>「お願いします」 | <br>「お願いします」 |
2年9月7日 (I) 20:02時点における版
深夜12時57分、川上功大は隣家のインターホンを押した。理由は、住人の森金吾を殺すためである。
約1ヶ月前、この家に森が引っ越してきた。挨拶に来た森の顔を見たとき、俺は戦慄した。忘れもしない、中学の時俺を虐めていた奴だったからだ。だがそれ以上に恐ろしかったのは、森が俺の顔はおろか名前すら覚えていないことだった。
俺を元同級生とは露知らず、森は順風満帆な近況を得意げに語った。曰く、小さなIT会社を設立し、経営が軌道に乗り始めたのだと。俺に水を掛け、給食を奪い、腹を蹴ったこいつが、キラキラした面でキラキラした生活を送っていやがる。俺は毎日ボロ工場で汗みずくになりながら働いているのに。
許せない。
殺意はむくむくと膨れ上がっていった。俺は森を殺す計画を立て、準備を整えてきた。そして今夜、実行する。
プッと音を立ててインターホンの通話が始まった。
「どちら様? あ、川北さんでしたっけ?」
「川上です」
「ああ、川上さん!」
「森さん、夜分遅くにすみません。昨日話しそびれてしまったんですが、実は折り入って相談がありまして……」
「そうでしたか! 外は寒いでしょう。今、扉を開けますね」
「ありがとうございます」
この外面の良さ、ちっとも変わっちゃいない。お前なら家へ上げると思っていたよ。
すぐに鍵を開ける音がし、ガチャリと扉が開いた。
「さあ、どうぞ上がって」
「お邪魔します」
この家に入るのは、2回目だ。森が挨拶ついでに招いてくれた昨日──いや、もう一昨日か──は、茶を飲んで早々に退散したが。
森は、薄いTシャツと短パンにスリッパという格好だった。寝間着だろう。ビンゴだ。お前がFacebookで「毎日夜1時丁度に寝る」と投稿していたから、この時間にしたんだ。
森が、両手に手袋をしている俺を怪しむ素振りは無い。俺は靴を脱ぐと、森が差し出した黒いスリッパを履いた。靴箱も、傘立ても、絨毯も、お洒落に揃えやがって。吐き気がする。
森は俺が提げている紙袋に目を留めた。ずっと前に誰かから貰った京都銘菓の袋だ。
「京都ですか」
「ええ、先日出張に行きまして」
真っ赤な嘘だ。
俺達は廊下を真っ直ぐ歩いていった。森は場を持たせようと何か喋っている。
「京都ですかあ。中学の修学旅行で行ったきりですねえ」
廊下の突き当たりにある扉をくぐった。ここが居間だ。
「その時買った木刀はまだ持ってますよ」
奥にはカーテンをひかれた、庭に続く窓。右手の扉の向こうが寝室。
「あとは清水寺に行ったりね。いやー懐かしいなあ」
間取りは昨日確認しておいた。いける。背中に手を回し、ベルトに挟んだ鞘からナイフをそっと抜く。
「……あれ?」
椅子を引こうとしていた森の動きがピタリと止まった。無防備に背中を見せている。
「あんた、まさか」
振り返るより先に、後ろから抱きすくめるようにして、俺は前から森の腹にナイフを深々と刺した。森の体がびくりと痙攣する。ナイフは肝臓を貫いているだろう。俺は森を抱えたまま、机の少し横に体を向けさせた。こんなものか。
森は震える右手で傷口を弱々しく押さえた。まだ出血は少ない。荒い呼吸をしながら、森はこちらを振り返った。苦悶の形相でじっと見つめてくる。
「川上……!」
「ようやく思い出したか」
死ね。俺はナイフを森の体から引き抜き、床へ放った。傷口から大量の血が吹き出る。机の横、窓へは届かないほどに血飛沫が散った。森の顔からみるみる血の気が失われていき、だらりと右手が垂れ下がった。
俺が手を離すと、森の体は左へどさりと倒れた。フローリングに、どくどくと血溜まりが広がっていく。
森は死んだのだ。だが、意外と気持ちは落ち着いていた。まだやることがある。ゲームを淡々と進めていく感覚に近い。
さあ、偽装工作開始だ。
ただ殺しただけでは、すぐに疑われてしまう。俺は森の隣人なのだし、中学で同級だったと判れば、一躍最重要容疑者だ。
だから、計画を立てた。俺の計画はシンプル、“強盗の仕業に見せかける”というものだ。森が寝ている時、居間の窓を割って強盗が侵入してくる。しかし目を覚ました森と鉢合わせ。慌てて刺してしまい、怖くなって何も盗まず逃走、というシナリオだ。
警察も忙しい。一度強盗の仕業に見えれば、そう結論づけてくれるだろう。
俺はまず、返り血を浴びていないか確認した。全身を軽く見ていく。どうやら、右手の手袋以外は無事のようだ。左手で紙袋からビニール袋を取り出し、両手袋を脱いでそれに入れる。口をきつく閉じ、ビニール袋をまた紙袋に戻した。入れ替わりに軍手を出し、それを両手にはめる。
さて、次は玄関だ。紙袋を持って廊下に出る。勿論、血溜まりを踏むようなヘマはしない。そのまま玄関まで行き、サムターンを捻って施錠した。そしてスリッパを脱ぎ、横の靴箱に戻しておく。最後に、土間の自分の靴を紙袋に入れた。靴下の足跡は残りにくいから、多少歩き回っても問題ない。
俺はまた居間へと引き返した。途中、廊下の照明を消しておくのも忘れない。居間に入ると、血溜まりを避けて、壁の一ヶ所に向かう。そこには、インターホンがある。どうやら、履歴は端から残らない機種のようだ。幸運。監視カメラの類もない事はリサーチ済み。どうやら天は俺に味方しているようだ。
さあ、ここからが本番。今までは、俺という“訪問客”の痕跡を消す作業だった。これからは架空の“侵入者”の痕跡を残す。
紙袋から新しい靴を一足出し、窓を開けた。カーテンをくぐり、それを履いて庭へと出る。靴もナイフも、道具は全て入手ルートを辿れないものを用意した。これらから俺にたどりつかれる心配は無い。
紙袋を地面に置くと、庭を囲う柵にとりつき、乗り越えた。柵とはいえ、俺の胸くらいしかない。柵の向こうは小道で、反対側はだだっ広い田圃になっている。一帯は真っ暗で、この時間に人通りはまず無い。
俺は一度深呼吸をした。俺は強盗。今からこの家に侵入する。よし。
柵に手をかけ、体を引き上げる。さっきのように柵を乗り越え、庭に降り立った。ポケットからスマホを取り出し、ライトを点ける。紙袋からハンマーを取り出し、窓に近づいた。狙うはクレセント錠の付近。手首を素早く振り、ハンマーを打ち付けた。鈍い音がし、僅かに罅が入った。もう少し強く。再度ハンマーを振ると、バリンと拳が入るくらいの穴が開いた。完璧。
ハンマーを仕舞い、穴に手を突っ込む。当然鍵は最初から掛かっていないが、強盗はこうして窓の鍵を開けるのだ。
窓をそっとスライドさせ、俺は室内に侵入した。日本の警察は優秀だ。こうして土足の足跡を残しておかないと、怪しまれかねない。だが、庭の土は乾いていたし、あまり気にする必要はなさそうだ。
ゆっくりと机の近くまで歩み寄った。机の向こう側には森の死体がある。この後、不審な音を聞きつけた森が寝室から出てくる。寝室へのドア近くにあるスイッチを押し、居間の電気を点ける。そこで森と強盗は互いを視認する。森は逃げようと廊下への扉に向かうが、強盗は机の右側を駆け、持っていたナイフで森を正面から刺す。怖気づいた強盗はそのまま遁走する……。
問題はないか? 俺は注意深く部屋を見渡した。何か不自然な点は……。
──寝室に続くドア!
今、それは閉まっている。しかし、強盗と鉢合わせした状況で、森が丁寧にドアを閉めるわけがない。森が寝室に蜻蛉返りせずに玄関を目指すのには、2つの理由がある。1つは寝室のドアに鍵がないこと、もう1つは寝室の窓に格子が嵌まっていることだ。要するに、寝室に戻っても、立て籠ることも逃げることもできないのだ。
俺は机を左から回り、寝室へのドアを慎重に開けた。ついでに中も覗いてみた。恐らく点けっ放しの常夜灯、整えられたシングルベッド、本が1冊乗ったサイドボード。不都合なものは無さそうだ。
血痕を踏まないよう注意しながら、また窓際へと戻った。今更ながら、背中を冷や汗がつたった。危なかった。もし気づかなかったら、どうなっていただろう。
いや、俺は気づいた。天は俺に味方している。俺は首を勢いよく振り、嫌な想像を振り払った。
さあ、集中しろ。部屋を再度見回したが、今度は何も引っ掛かるところはない。なら、さっさと帰るか。近くを人が通りかかる可能性も、皆無ではないのだ。
最後に、蒼白な森の死に顔を眺めた。その無様な姿に、自然と笑みがこぼれる。
俺の、勝ちだ。
カーテンを押しよけ、開きっ放しの窓から外に出た。強盗はひどく動揺している。窓は閉めなくていいだろう。夜の冷気が心地よい。
紙袋を拾い上げると、俺は柵をまた乗り越えた。毛髪なんかは残っているだろうが、俺は昨日この家を訪れたのだ。何の問題もない。
電気は点いたままで窓は全開、さらに窓は割られてもいるのだ。事件の発覚は早いだろう。だが、俺に辿り着かれさえしなければ、一向に構わない。
靴を履き替え、隣の自宅に戻った。鍵を開けて中に入る。微細な血液が付いているかもしれないから、着ている物を纏めて紙袋に突っ込んだ。そして、紙袋ごと埃だらけの屋根裏に放り込む。これで、家宅捜索でもされない限り、大丈夫だ。これらはほとぼりが冷めた数年後に、少しずつ捨てよう。
シャワーを浴びると、すぐに万年床に潜り込んだ。ずっと気を張っていたから、疲れてしまった。俺はすぐに寝入った。何か楽しい夢を見た気がする。
俺が目を覚ますと、もう昼の11時だった。カーテンの隙間から隣家を見ると、玄関先にパトカーが停まり、何人もの警官が蠢いているのが見えた。想定内。自分でも驚くほど落ち着いている。
ブランチを手早く済ませ、身支度をした時、呼び鈴が鳴った。人が殺されたのだ。周辺に聞き込みに来るのは当たり前。ボロさえ出さなきゃいい。
玄関を開けると、やはり警官が立っていた。小太りの初老の男と、ひょろりと細長い若い男。どちらも警察手帳を見せて名乗った。小太りな方が警部補、細長い方が巡査らしい。
「いやー、突然すみません。川上功大さんで間違いないですか?」
「はい。あの、警察の方がどういった御用で?」
「あら、ご存じないですか?」
「はい。さっきまで寝てたもんで」
「そうでしたか。実は今朝、そこの家の森金吾さんが亡くなっているのが発見されたんですよ」
「ええっ⁈」
我ながら、いいリアクション。そしてここはしっかり惚ける。
「まさか、自殺とか……?」
「いや、それが、他殺なんですよ」
「えっ……」
何もかも先刻承知なのだが、警部補はそんなこと知る由もなく、話を続けた。
「そういうわけで、川上さんにちょっと話を聞きたいんです。でも、話が長くなるんで、その……」
警部補は俺の後ろ、家の奥に目をやった。図々しい奴らだな。だが、内心に反して俺は愛想よく言った。
「ああ、どうぞお上がりください」
「ありがとうございます! いやー、本当助かります」
「いいんですよ、外は暑いですからね」
一瞬、昨夜のことが頭をよぎった。だめだ、俺は何も知らない無辜の市民でなければならない。
扉を大きく開き、警官2人を招き入れた。
「どうぞどうぞ。なにぶん男の独り暮らしですから、むさ苦しいし汚いですが」
「いえいえ、気にしませんよ。私の家の方がずっと汚いですから」
警部補はそう言うとカラカラと笑った。人当たりのいい警官だ。一方、巡査はさっきから全く喋らない。無言で靴を脱ぎ、周りを見回しながら警部補の後をついてくる。正直不気味だ。
俺は家中からどうにか椅子を3脚かき集め、食卓に並べた。冷蔵庫から麦茶を出し、3つのコップに注ぐ。それをテーブルに置き、俺の向かいに警官2人が並ぶ形で、俺達は座った。
「で、俺に聞きたい話ってのは?」
どうせ、怪しい人を見なかったか、とかだろうが。
茶を一口飲むと、警部補は口を開いた。
「その前に事件のあらましをお話ししておきましょう」
「お願いします」
「事件の発覚は、今朝の6時頃です。犬の散歩をしていたご婦人が、森さん宅の裏手の窓が割られているのを見つけたんです。そして声をかけても返事がない。不審に思って警察に通報し、駆けつけた私達が事切れた森さんを発見したってわけです」
発覚は思ったより早かったのだな。もう5時間以上経っている。現場の捜査に時間がかかったのだろうか。
「森さんは一体誰に殺されたんです?」
「現場の状況からして、森さんはどうも盗人に殺されたようなんです」
俺は必死に笑みを隠した。捜査は俺の誘導した通りに進んでいる。
「昨夜遅く、盗人は金槌か何かで窓を割り、手を突っ込んで鍵を開け、森さん宅のリビングに侵入した。ところが、森さんが起きてしまい、鉢合わせした。そこで焦った盗人は、そのまま森さんに襲いかかり殺してしまった。そして怖気づき、何も盗まず逃げ出した」
「なんて不運な……」
殊勝な顔をしていたが、俺はガッツポーズしたいくらいだった。
警部補は、声を一際大きくして言った。
「と、最初は思われたんですがねえ」
「え?」
「どうも、犯人は盗人の犯行に見せかけたかったようなんです」
まずい。最初に浮かんだ感想はそれだった。
どうして、気づいた? 今、俺の顔は引き攣っていないだろうか?
俺はコップを引っ掴み、茶を含んだ。落ち着け。決定的な証拠があれば、問答無用で俺をしょっ引いているはずだ。こうして直接話して、怪しい挙動をしないか見極めているの
だ。
戦闘態勢を整えろ。一字一句聞き逃すな。ボロを一切出すな。
俺は純粋に驚いたような顔をして、尋ねた。
「どうして、そう判るんです?」
人懐っこい警部補の目が、気味悪く見えてくる。巡査は、変わらず無言で周囲を眺めている。
警部補は明るく言い放った。
「血痕ですよ」
「血痕?」
「さっき言ったようなことが起こったのなら、盗人は当然、森さんを正面から襲ったことになる。でも、森さんの傷口から噴き出た血飛沫は、綺麗に床に散っていたんです」
そういうことか! 俺は歯噛みした。
「状況からして、犯人に返り血が当たるはずなのに、血が遮られた形跡が無い。そこは丁度壁と机に挟まれたところで、盗人が血飛沫を横っ跳びに避けたというのも考えづらい。これはおかしい。正面から森さんを襲った盗人なんてのは、いなかったんじゃないか、と考えられるわけです」
警部補はニヤリと笑った。
だが俺は、半ば落ち着きを取り戻しつつあった。確かに血痕については考えが至らなかったが、流石に根拠が薄弱すぎる。いくらでも言い逃れはできる。
「でも、いなかったと決めつけるのは早いのでは? 例えば、強盗は森さんを後ろからグサッと刺した、ということもあり得るのでは? 体の向きは、揉み合っているうちに変わったとか」
そこまで言って、俺は戦慄した。慌てて付け加える。
「まあ、森さんがどこを刺されたか知らないので、何とも言えないですけど」
危なかった……。実際俺は森をそのような体勢で殺している。これでは、現場の状況を知っていますよ、と言っているようなものじゃないか。
余計なことは言わないようにせねば。俺の動揺を知ってか知らずか、警部補はまた口を開いた。
「森さんは右の肋の下、肝臓の辺りを一突きでしたよ。だから、川上さんの仰るようなこともあり得る。確かに、これだけで決めつけるのは早計でしょうな」
しかし、警部補は笑みを一層強め、右手の人差し指を立てた。
「でも、もう1つ、気になるところがあったんです」
まだあるのか? 俺は焦りを覆い隠し、問うた。
「何です?」
「ある物が、現場に残されていたんです」
「ある物?」
何だ? 遺留品は残さなかったはず。
警部補の返答は、予想外のものだった。
「木刀です」
木刀? どこかで聞いたような……。
瞬間、雷のように衝撃が走った。森はあの時、「木刀はまだ持ってます」と言っていた。なら、どこにあったのだ。傘立て? いやそんなもの無かった。待て、そもそも木刀をなぜ持っていたんだ?
ふと、答えがよぎる。簡単なことだ。
── 護身用。
なら、どこに置く? 玄関ではない。残るは……。
── 寝室かっ!
ギリリと奥歯が鳴った。気づいていないのか、警部補は饒舌に喋り続ける。
「森さんの寝室、ベッドの脇に、恐らく護身用の木刀が置かれていたんです。おかしいですよね? 不審な音で目覚め、様子を見に行くなら、当然木刀は持っていくはず。独り身の男として、当たり前の備えですな」
──しまった。
あの時、ちゃんと寝室の中を確認すべきだった。だが、後悔しても遅い。
「血痕と木刀、この二点を鑑みれば、誰かが盗人の犯行に見せかけたのではないか、という疑いが俄然強まる」
喉がカラカラだ。茶を呷り、俺は言い募った。
「でも、あくまで疑いでしょう……?」
「その通り。だから、徹底的に調べました」
警部補は高らかに言った。
「犯人は盗人の仕業に見せかけようとした。なら、犯人はどこから家に入ったのか。当然、客として玄関から、でしょう。だから、玄関から死体のあるリビングまでを、隈なく調べました。するとね、出たんですよ」
「……何が?」
問いかける俺の声は、震えていた気がする。
「ルミノール反応が、来客用スリッパから。つまり、スリッパに血が付いていたんです」
俺は愕然とした。必死に記憶を辿る。森を刺し、傷口を押さえていた森の右手がだらりと垂れ下がる……。
──あの時か!
スリッパは黒かった。だから、見落としたのか……。
警部補は尚も喋り続ける。
「検査の結果、丁度犯行が為された時間帯に付いた、森さんの血液だと判明しました。スリッパがひとりでに靴箱へ戻るわけもない。つまりこれは、スリッパを履いた来客が森さんを殺した証拠なんです」
そこまで判っていたのか。こいつらがこの家に来た時点で、とっくに……。
「ところで、川上さん。森さんは、あなたの中学校の時の同級生らしいですね」
ハッと思わず顔を上げた。そこまで、調べがついているのか。想定より、ずっと早い。
警部補は顔に憐憫の情を滲ませた。
「随分酷く、彼に虐められていたそうじゃないですか」
なら俺は無罪になるか? そんなことはない。
「それを恨んで、俺が森を殺したって言うんですか? 冗談じゃない!」
そう叫ぶと、警部補は心なしか悲しげな顔をした。が、すぐに引き締まった表情に戻ると、俺を真っ直ぐ見つめた。
「ところで、川上さん。先程、血痕の話をした時、あなたは強盗が森さんを刺した、と仰いましたよね?」
何を当たり前のことを。俺は思わず頷いた。
「私はあなたに事件のあらましを伝える際、こう言ったんです。『盗人は金槌か何かで窓を割り』『鉢合わせし』『そのまま森さんに襲いかかり殺してしまった』と。そして、私は森さんが刺殺されたとは一言も言わなかった」
口から、得体の知れない息が漏れた。咄嗟にコップを掴むが、茶はもう残っていない。
そうか、そうだったのか。
「普通、森さんは金槌で撲殺されたと思うでしょう。なのになぜ、あなたは森さんが刺殺されたことを知っていたんです?」
最初から、俺はこの男の掌の上で踊らされていたのか。
ふと、恐怖が芽生えた。逮捕されたら、どうなる? 刑務所で何年暮らすんだ? 職場はどうなる? 親は?
駄目だ、嫌だ!
俺は立ち上がって叫んだ。
「い、言いがかりだ! 俺が犯人だって証拠は1つも無いだろう!」
警部補は声色を変えることなく言う。
「ええ。今はまだ」
続けて、警部補は隣の巡査に尋ねた。
「どうだ?」
巡査は、あっさり口を開いた。
「この部屋の隅の、天井裏への開口部。あそこだけ、埃や黴が付着していません。ごく最近開けたのでしょう」
「よし」
警部補は俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「川上功大さん、あなたが森金吾さんを殺していないと仰るのなら、あそこを開けて、天井裏を見せてくれませんか?」
俺は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。