「Sisters:WikiWikiオンラインノベル/相田為之助という詩人」の版間の差分
(ページの作成:「 1 詩人相田為之助は世田谷に邸宅を構えていた。その広さに由来して、自ら相田三百帖邸とよんだ。ウォールナット張りの床が気品を感じさせるいかにもモダンな家宅であるが、平屋特有の、どこか日本的な情緒をも備えていた。 ふとインターフォンが鳴った。書斎の机に情けなく突っ伏していた相田は、気だるそうに立ち上がって、…」) |
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4年8月7日 (K) 09:27時点における版
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詩人相田為之助は世田谷に邸宅を構えていた。その広さに由来して、自ら相田三百帖邸とよんだ。ウォールナット張りの床が気品を感じさせるいかにもモダンな家宅であるが、平屋特有の、どこか日本的な情緒をも備えていた。 ふとインターフォンが鳴った。書斎の机に情けなく突っ伏していた相田は、気だるそうに立ち上がって、玄関をめざした。その重厚さをたしかめるように部屋の扉を開け、その長大さを味わうように廊下を歩いていった。廊下の右手がわには、開け放たれたガラス戸から相田の設計したたいそうな庭園がみえている。そこに植わる、ちょうど満開である梅の、その芳香をかみしめながら相田はさらに歩いていった。 相田は玄関に着いた。書斎からの長い道のりのなかで、自分の家に訪ねてきた人物が誰であるかについて、相田はおおよその見当をつけていた。それゆえにこそ相田は、いかにも鬱屈した態度でドアノブへ手を伸ばしたのだった。 相田がノブを回して扉を開けはじめると、扉は言った。 「開けるな」 相田は言われたとおりそれを閉めた。
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編集者川北さくらは世田谷の出版社に勤めていた。もと事務局経理部で会計作業に当たっていたが、会社主催の飲み会でいまの上長に気に入られたのをきっかけとして編集室に異動し、晴れて編集者となったのであった。 配属からもう六年めになる川北は多くの人気作家の担当を継続して任されるようになっていた。責任の重さに由来するプレッシャーに悩まされることも多いが、友人などに彼らのことを話すと羨ましがってサインなんかをせびってくるのが川北には誇らしかった。 相田為之助も川北の担当する人気作家のひとりであった。その相田についてこのごろ川北は絶えず悩まされていた。相田はどうもスランプらしかった。最近まで相田は一年おきに詩集を出していた。毎年詩集を出すということは一年のはじめから終わりまでそれなりに試作にはげむことを要求するものであって、そのためにはむろん常人にははかり知れぬ労力が要るにちがいないが、とにもかくにも、かつての相田にはそれができていた。しかしながら、現在の相田が詩作らしいことをしているようすはない。事実、『死せるドリス・デイ』という題で最後に詩集を出して以来――それはもう一年と九か月前のことであるが――、こちらには新しい草稿の一枚も送られてこないのである。そのような事情から、ついに川北は相田為之助がスランプであることを悟らねばならなかったのだった。 多くの場合、詩人の仕事というのは気ままに詩作をして発表するにとどまるものではない。彼らはしばしば、顧客から依頼を受注して、頼まれたとおりの作品を提供することによって対価を得ている。相田為之助もよくそのような仕事を受けていた。 いま相田は作詞の案件を抱えている。地元徳島に新しい高校ができるというので、校歌の作詞を出版社経由で頼まれたのだった。たいへん金払いのよい私立高校で、曲のほうも質がよくてモダンなものをそれなりの作曲家に作らせたようだ。その曲に詞を当てるのが相田の仕事である。先方と合意した納品期限が過ぎてからそろそろ一か月が経つ。ところが相田は、いまだ何をもなしえていないらしかった。川北はやきもきしていた。
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ある朝、相田邸の固定電話が鳴った。書斎の机で突っ伏して寝ていた相田はその音を聞いて飛び起きた。なんだ電話か、ああ、どうせあいつだろうなどと億劫そうにつぶやきながら、寝違えた首まわりをていねいにほぐし、ゆっくりと<傍点>のび</傍点>をしたあとで、壁かけ式のスタンドから子機を取った。 「もしもし相田……」 そう言いかけたところで、かぶせるように子機が言った。 「取るな」 相田は話すのをやめて、言われたとおりそれを戻した。
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締め切りはとっくに過ぎているから、進捗をうかがう電話が当然のように川北のところへかかってくる。作品を仕上げないのは相田が悪いのに、当然のように川北が謝罪する。「こうして何度も申しあげておりますがね、私どもは相田先生の歌詞を楽しみにしているんですよ」という先方の悲哀に満ちた声を聞いて胸が痛くなった川北が、耐えかねた面持ちで受話器を置いて、それから相田に連絡をやったとしても、返事が来ることはなかった。締め切り日の前後から相田とは連絡がつかなくなっていたのである。やがて川北のなかにふつふつと怒りが湧いてきた。自分の詩が書けないのは知ったことではないけれども、よそに仕事をもらっておきながらなんの音沙汰もないというのは、どうかしているのではないかしら。川北は不満だった。連絡をつけるために、川北は翌日相田の家を訪ねることにした。
明くる朝、川北は慌ただしいようすで出社してきた。出勤時刻の記録と室員への挨拶を済ませ、連絡板に「相田先生宅訪問/帰社予定」と走り書きを残すとすぐにオフィスを飛び出し、玄関口の目と鼻の先にある路側帯でタクシーを拾った。一秒も無駄にすまいと言わんばかりの俊敏さでもって車内に飛び入りながら、運転手に相田の家の住所を告げた。 無事に着座してタクシーが走りだすと、ようやく川北は呼吸を落ち着かせることを考えはじめた。背もたれに身を預けながら、はやる気持ちを落ち着かせることを考えはじめた。まもなくすると川北は静かに相田のことを考えていた。相田はなぜスランプにはまったのかと考えた。それにしても、スランプならスランプなりに報告をよこしてくれればよいのに、なぜ一切の音沙汰がないのかと考えた。そして相田がスランプに甘えて仕事を放棄しているかもしれないことを考えた。それどころか案件の存在を忘れて、自らの詩集のための詩を書きはじめているかもしれないことを考えた。それどころか詩人としての自らの使命をも失念して、懈怠を働いているかもしれないことを考えた。それどころか懈怠に懈怠を重ねたために、生の動機を失って自殺を企図しているかもしれないことを考えた。いいや、相田はじつはもっぱら外部との関係を絶つことでいままでのどの瞬間よりも真剣に詩作に向きあいつづけているのかもしれない、それでもスランプから抜け出せないので絶望しかけているかもしれない、とも考えた。それから、絶望のあまりやはり相田が自殺を図るかもしれないことを考えた。川北は身ぶるいした。
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詩人相田為之助は自らの頭の疲れていることを知っていた。相田にとって、「頭の疲れている」というのは、「心の疲れている」とか、「魂の疲れている」とかいうのとは本質的に区別されるような状態を指していた。相田の心はいまなお素朴で実直であって、しかし何をも考えられなかった。 相田の行く先ざきで物がしゃべっていた。それらは相田が自らにとって理想的な行動をとるのをやめさせるようなことをしゃべった。これがために相田は自らの理想に接近することをつねに妨げられていた。この事態がいっそう相田の頭を疲れさせた。 扉も子機も、ベッドもワイナリーも何かをしゃべった。けれども書斎の机といすだけは何もしゃべらなかった。ゆえに相田は、ほとんど、そこでいすに座って机に向かうしかなかった。それは常にそうであった。それは相田の都合を無視して四六時中成立する事実であった。
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郊外の並木道を抜けて、編集者の乗るタクシーはやがて詩人の邸宅に至った。編集者川北さくらはその邸宅をひと目見て、めまいを起こしかけた。それはただただ広大だった。広大な平屋を囲う塀はどこまでも長く続いて終わりが見えなかった。これがかの「三百帖邸」か、と川北は妙に納得した。 邸宅の正門と思しきところでは、毛筆で堂々「相田」と打ち出した表札が門扉の脇に掲げてあった。その下には「メディア取材お断り」と張り紙がしてあった。しかしインターフォンがなかった。そのことは相田が訪問者をまるで歓迎していないことを暗示しているようにも感じられた。川北はいっそ帰ろうかとも思ったが、しばし思慮をしたのち、積もりに積もった自らの憤りを思い出して、意を決して門扉に手を当てた。門扉は施錠されていなかったので、押して開けることができた。 門扉を開けると案外目の前に玄関扉があった。玄関扉にはインターフォンが備えつけてあった。川北はためらいなくそれを押した。インターフォンの鳴る音はわからなかった。 扉の前で川北は相田にぶつける文句をこさえていた。「作詞の進捗はいまどうなっているのですか」とか、「ご連絡を頂けないので先方は泣いておられますよ」とか、「仲介をさせられる私の身にもなっていただけませんか」とかいった、相田のじつにいちじるしい不手際と、それによってほうぼうに生じている大迷惑とをしかと認知させる必要に堪えうる言葉をいちいち選んでいった。 文句のレパートリーも尽きてきたころ、がちゃりという音がした。扉がゆっくり開きはじめて相田の顔が川北の視界に映った。相田と目が合って、川北は用意しておいたせりふを慌てて放とうとした。しかしながら、扉は開きかけのままそれ以上開くこともなくやがて閉じてしまった。 川北には何が何だかまったくわからなかった。フラストレーションのさなか、川北は本来相田邸に滞在するはずだった時間を埋めようと、歩いてオフィスをめざした。
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あるとき、相田は書斎の棚に麻縄を見つけた。机に突っ伏していた姿勢から起き上がって首を回したときの、その視線の先にあったので、それを発見したのはまったくの偶然であった。しかしある種の約束されたできごとであるようにも思われた。ゆえに相田は観念した。相田はそれを取り上げて自らの首に巻き付け、思いっきり引っ張った。
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会社に戻った川北は、編集作業がひと段落するたびに相田のことを気に病んだ。あのとき扉のすきまからちらと見えた相田の顔は異常に老けているようだった。相田はきちがいと化したにちがいない。川北にとってそれはもはや疑いようのない事実であった。 川北は居ても立ってもいられず、相田邸へ電話をかけた。いまの相田が取るとは思わなかったが、とにかくかけた。何度めかの発信音のあと、驚くべきことに、応答が返ってきた。 「もしもし相田……」 挨拶の途中のような発話が聞こえて、しかしながら、すぐに電話は切れてしまった。川北は落涙をこらえながら、わけがわからないわ、とつぶやいた。 手紙でも出そうかしら。手紙なら読んでくれるんじゃないかしら。川北は熱心な編集者だった。
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詩人特有の精神力から、首を絞めつけられているにもかかわらず手の力をゆるめないということが相田にはできた。相田は死ぬまで自らの首を絞めて、それから死んだ。麻縄は言った。 「戻せ」 麻縄を棚に戻す者はいなかった。