「利用者:Notorious/サンドボックス/コンテスト」の版間の差分

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 頬に、固く冷たい感触。四肢にも、冷たさを感じる。胸に体重がかかっており、呼吸が少し苦しい。そう思うと、みるみるうちに息のしづらさが強く感じられるようになって、意識が覚醒した。
{{注意|内容=当記事は、「'''最近全然書いてねえ! 連休を利用してなんか書かないと!'''」という焦燥の中、ほぼノーアイデアで書き始めている文章です。}}{{foot|ds=いまさら|cat=言葉遊び|cat2=食べ物}}
<br> とにかく僕は床でうつ伏せになっているのだろう。交番の仮眠室のベッドから転がり落ちたのか、あるいは寮の床でつい寝落ちてしまったのか。しかし、開いた目に入ってきた景色は、それらの予想が現実と違っていることを雄弁に語っていた。塵一つ落ちていない、真っ白な床。交番でも寮の自室でもない、見覚えのない風景だ。
'''いまさら'''とは、忌まわしきサラダである。
<br> 両手を床につけ、腕立て伏せの要領で身を起こした。伸ばしきっていた脚を畳み、その場に胡座をかく。視点が高くなったことで、周りがより見えるようになった。正面には、床と同じく白い壁がそり立っている。そして、壁には細い切れ目が入っている。それはまっすぐ上に走り、直角に曲がって床と平行になり、今度は真下へと伸び、壁を長方形に切り取っている。
<br> これは、ドアか。すぐには気づけなかったのは、理由があった。大きいのだ。ドアの上端は天井間際にあり、床から5メートルほどの高さにある。天井もそれほど高いのだ。それに、ノブがない。しかし、ドアの上端ギリギリに位置している何か。四角いし何か書かれているようだが、あれは……テンキー?


「起きたか、佐藤」
==名称==
<br> はっと後ろを振り向くと、先輩巡査の権田が座っているのに気づいた。壁に備え付けられた腰掛けのようなものがあるらしい。3年先輩の権田とは、バディを組んで5年になる。警察官の仕事や心構えを、みっちりと叩き込まれてきたものだ。多くのチンピラを投げ飛ばしてきた、鍛え上げた体軀をずしりと構えている。しかし、心なしか迫力が減ったような気がした。すぐにその原因に気づく。権田は警察官の制服のシャツとズボンを着けている。だが、帽子やベスト、ネクタイまでもが見当たらない。もちろん、警棒や拳銃を入れたホルスターもない。いつもの制服姿でないから、些か威厳に欠けて見えるのだ。
ポテトサラダがポテサラになるのだから、忌まわしきサラダはいまさらになる。火を見るよりも、思慮深い体育教師が存在しないことよりも、事前に立てた夏休みの勉強計画が破綻することよりも、「やったか⁉︎」と言った直後に粉塵の中から相手が出てくることよりも、明らかなことである。
<br> そこまで考えて、自分の服装も似たり寄ったりなことに気づいた。業務中にこんな服装となることはない。下手をすれば懲戒ものだ。いや、そもそも仕事中ではないのか? ならなぜ権田と共にいるのだ? いや待て、そんなことより。ようやく、もっと早くに浮かんでいてしかるべき疑問が、奔流となって僕の脳に襲いかかってきた。僕はそんな数多の疑問符をまとめて、とりあえずそこにいる権田にぶつけてみた。
<br>「先輩、ここってどこですか?」
<br> 返ってきた答えは、そっけないものだった。
<br>「知らん」


{{転換}}
==具材==
{{大喜利|場所=3}}
*[[レタス]]
*[[キャベツ]]
*[[白菜]]
*[[小松菜]]
*水菜<span style="color:#fff">Long谷とかが野菜記事を量産した影響でことごとくリンクが貼れてびっくりしたけど、ついに記事の存在しない葉野菜を出せてちょっと嬉しい('</span>
*ブロッコリー
*<del>悪魔の実</del><ins>トマト</ins><ref>なぜこんな代物が食材として市民権を得ているのか。</ref>
*きゅうり
*ハム
*[[タコさんウィンナー|ウインナー]]
*<del>無味すぎる謎の海藻</del><ins>ひじき</ins>
*トリカブト
*[[利用者:Mapilaplap|ミミイカの活け作り]]
*あん肝
*サンドバッグ<ref>さらさらした口触りに定評がある。</ref>
*和傘
*[[駄洒落|バラバラの薔薇]]
*まきびし
*機関銃
*ゴールボール
*[[自学帳]]
*三階フロア
*YS-11
*ゴマドレッシング


「佐藤、地下のパブに行ったことは覚えてるか?」
==歴史==
<br> そう言われて、急激に記憶が蘇ってきた。今の今まで忘れていたのが信じられないくらい、鮮明に。
===誕生===
<br> 人身売買の拠点となっているパブがある。そういう匿名の通報を受けて、権田と僕はそこへと急行した。昼の2時ごろだった。通報の信憑性には疑問が残っていたため、あくまで警邏の一環として行った。交番の所轄範囲にそのパブはあったため、通常のパトロールという建前が使えたのだ。
いまさらは明治41年、<ruby>'''矢場舌助'''<rt>やばしたすけ</rt></ruby>男爵が考案した。
<br> しかし、地下に降りてパブに入った瞬間、僕たちは屈強な男たちに襲われた。警棒を抜く間もなく、目出し帽を被った男たちに、口に布を押しつけられた。どうやら薬が染みていたらしく、僕はすぐに意識を失ってしまった。おそらく権田も同じだろう。いくら逮捕術や柔道を心得た警察官といえど、大勢に不意打ちされたのでは、勝ち目はなかった。
<br>「ミイラ取りがミイラになってしまうとは……。もっと警戒しておくべきだった、くそっ」
<br> だが、権田は僕みたいに責任逃れできないらしい。
<br>「パブの奴らが、僕らを攫ってここに連れてきたってことですかね」
<br>「それが妥当な解釈だろうな。ただし、連れてきただけじゃない。{{傍点|文章=閉じ込めた}}んだ」
<br> 権田がここに座して待っている以上、薄々そうではないかと思っていた。しかし、明確に突きつけられると、やはり衝撃を受けた。まだ、心のどこかに、事態を楽観していた自分がいたのだろう。僕は、誘拐監禁事件の被害者となったのだ。


 まずは、大声を上げてみた。
矢場舌助は、明治20年、紡績で財を成した名家・矢場一族の長男として生を享けた。二代目当主・杉夫と珠子は、長く子宝に恵まれず、舌助はそれぞれ42歳と37歳のときの子であった。年齢もあって、その後二人の間に子供が授かることはなく、そのため夫婦は舌助を溺愛した。
<br>「おーい!」
<br>「誰かいませんかあ!」
<br> 何の返答も得られないまま5分ほど経ち、この試みはいたずらに喉を痛めただけだった。外を偶然通りがかった市民とはいかずとも、せめて犯人側からの説明だけでもあって欲しかった。自分たちが何のためにこんなところにいるのかわからないというのは、かなり不安にさせられる。
<br> とりあえず状況を把握しようということになった。権田はいち早く目覚めて、少しこの部屋の探検もしたようだが、全貌を把握するには至っていないとのこと。ただし、外に通じていそうな箇所は、目の前の高いドアだけだったという。
<br> まずは自分たちのことから。着ている衣服は、下着とシャツとズボンくらい。靴下すら履いていなかった。持ち物もほとんどない。ズボンのポケットに入れていたハンカチはあったが、腕時計は消えていた。体にも不調や違和感はない。怪しい番号が彫られていたり、知らぬ間に臓器を摘出されたりはしていないようだ。だが、服を脱いで隅々までチェックするわけにはいかないから、鼠径部にICチップを埋め込まれたりしている可能性は拭えない。後で見てみよう。とにかく、ほとんどの所持品や衣服が奪われていることがわかった。携帯や無線ももちろん無いから、外部と連絡を取る術はない。
<br> 次に、この部屋だ。広さは十畳くらいあるだろうか。床も壁も天井も真っ白で、清潔さを感じる。そして、異様に天井が高い。やはり5、6メートルはあるだろうか。もっとも、白一色だから目測が取りづらい。調度は、天井のライトと、権田が腰掛けていたベッドのみ。ベッドは飛び出た壁にマットレスを乗せただけのようで、枕も掛け布団も無い。ただし、そこそこ大きい。クイーンベッドくらいの広さはある。壁の一部であるから、権田がベッドを動かそうとしても、叶わなかった。マットレスを剥がそうともしたが、ベッドに固定されているらしく、これもできなかった。
<br> 部屋の床の端には、幅10センチほどの排水溝が、四方の壁際に沿うようにして設置されていた。この部屋の床が、排水溝にぐるりと囲われている格好である。穴の開いた金属の蓋が嵌まっている、プールサイドなんかにあるタイプのもの。蓋を外せないか試してみたが、素手では到底できそうになかった。この部屋に水気はないのに、排水溝に何の必要性があるのだろう。


 僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。
舌助は健やかに成長した。体格は中肉中背で、丸っこい瞳が愛らしかったと伝えられている。九段小学校から東京第二中等学校へ進学・卒業する。当時の成績表によれば、勉学と運動のどちらにも優がつけられているが、特に蹴球の才は学級でも飛び抜けていたという。明治38年には第一帝国大学に入学。法学を専攻し、発布されたばかりの大日本帝国憲法を研究した。
<br> 普通のドアのところへ行き、レバーを下ろして引き開ける。滑らかで、何の変哲もない挙動。その奥は、小さな部屋だった。何もない、ただの空間。向かいの壁には、同じようなドアがまたある。戸惑いながらも、部屋を渡ってそのドアを開ける。今度は向こうへと開いた。
<br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。素足のひたひたという音の他には、物音はカサリともしない。未知の空間への恐怖に、否応なく心拍が速くなる。
<br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、覚悟を決めて右にあるドアを押し開いた。
<br> そこには、トイレがあった。あまりに俗物的な設備に、思わず拍子抜けしてしまった。入ると、人感センサーで勝手に電気がつく。和式便座が一つと、壁に据え付けられたステンレスの手洗い場。そして、便器の横に、もう一つ床に埋まった水槽がある。何に使うのだろう? トイレは概して清潔で、監禁場所にはそぐわないくらいだ。天井には換気口があったが、蓋を開けることはできなかった。
<br> トイレを出て、今度は向かいのドアを開ける。こっちは、脱衣所だった。とはいえ、これも備え付けの棚があるだけだ。真っ白なタオルが2枚、置かれてある。横にあるスライドドアを開けると、やはり風呂があった。シャワーと浴槽がある。シャンプーの類もあるらしい。寮の風呂より広い。まるで田舎の旅館に来たかのような錯覚に陥る。本当に僕らは監禁されているんだろうかと、疑問に思ってしまう。


 僕らは風呂を出て、廊下の突き当たりへと向かった。そこにあるドアを開く。そこには、異様な光景が広がっていた。何か大きな山のような影が、見渡す限りにそそり立っている。その部屋は、広い倉庫だった。今までのどの部屋よりも広く、警察学校の教練場くらい広いんじゃないだろうか。山の正体は、倉庫の中に所狭しと積み上がった大量のものだった。近寄って手にとってみると、それは瓶だった。ずしりと重い。権田が、一本の瓶の蓋を開けていた。匂いを嗅ぎ、それを口に運び、
しかし、明治40年、矢場杉夫と珠子が自動車事故で亡くなる。舌助が二十歳のときであった。愛する両親の喪失により舌助は深い悲しみと世の不条理への怒りを覚える。その燃え滾る赫怒のあまり、舌助は遅れ気味の反抗期に突入してしまう。
<br>「水だ」
<br> と言ってまた呷った。権田の喉がごくごくと動くのを見て、自分の喉がカラカラであることに気づく。僕も近くの瓶を拾って蓋をひねり、中の液体を飲んだ。ところが、予想外の塩味がして、思わず噎せる。
<br>「大丈夫か佐藤!」
<br>「ゴホッ、ええ、ちょっと驚いただけです。中が水じゃなかったみたいで。毒とかではないみたいなんで安心してください、先輩」
<br> これは何だろうか? もう一度、入っている液体を口に含んでみる。ドロドロした舌触り、ほのかな塩味、薄い黄土色。
<br>「流動食だ」
<br>「何?」
<br>「祖父の介護で、見たことがあるんです。ちょうどこんな感じでした。味も悪くはないですよ」
<br> 空腹を覚えていたので、そのまま一本飲み干してしまう。権田も、おっかなびっくり口に運んでいた。
<br> 腹ごなしが済むと、倉庫内の調査に取りかかった。手分けして積み上がった瓶を精査していく。ほどなく、水と流動食の二種類の瓶があることがわかった。それらは微妙に形が異なっていて、区別がつくことがわかった。一方、どの瓶にもラベルの類は無い。僕は、瓶の山に分け入って、数着の着替えと三つの救急箱を見つけた。権田は、缶の一角と四本の缶切り、それから1ダースくらいのボディーソープなどのボトルを発見した。
<br> 天井には、最初の部屋と同じように、ライトが埋め込まれていた。それ以外は壁に囲われているだけで、窓はおろか換気口すら見つからなかった。
<br> それは、捜索開始から30分ほど経ったときだった。僕は瓶の山の反対側へぐるりと回った。すると、床に何かが落ちているのが見えた。いや、置かれていたのかもしれない。ぽっかりと空いた床の一隅に、それは無造作に置かれていた。それを拾い上げ、僕は思わず叫んだ。
<br>「先輩、カードです! 番号が書かれてます!」
<br> 瓶を倒しながらすっ飛んできた権田が、僕の手の中にあるカードをまじまじと見つめる。その手の平サイズのカードはプラスチック製で、「3849」とだけ書いてあった。それ以外に、装飾も記述も無い。この番号は……
<br>「暗証番号?」
<br> そう言ってから、僕らは数瞬目を合わせる。この建造物の中に暗証番号が必要となる場所があるならば、それは一ヶ所しかないだろう。僕らは倉庫の捜索を打ち切り、最初の部屋に駆け戻った。


{{転換}}
舌助は裕福な両親に溺愛されて育ったため、幼少期より美味しいものばかり食べて育ってきた。反抗期の舌助は、その親の愛に逆らおうと、不味い料理を食べようとしたのである。舌助は、まずは料理の経験がないのに自炊をしてみた。しかし、舌助の作る料理は食えないわけではなく、それどころか回数を重ねるほどに美味しくなっていく。舌助は自らの調理の才能を嫌った。次に舌助は劣悪な食材を好んで食すようになった。ちょっと泥がついてるままの人参や、なんか生えてきているじゃがいも、賞味期限を三日過ぎている牛乳などを舌助は食べるようになった。しかし、普通にお腹を壊してめちゃくちゃ苦しかったので、すぐにやめた。舌助は玉の汗を浮かべて[[ゲリ|下痢]]しながら自分の胃腸の弱さを呪った。


 最後に残った、調べるべき場所。謎のドアの前で、僕は権田を肩車していた。排水溝の上に立ち、権田の太腿を抱えている。
そして明治41年、舌助は究極の“愛のない料理”の制作を目指す。自らの誕生日の宴会でそれを食すことを目論み、舌助は使用人に食材を買わせていった。厳選した食材が集まってくると、使用人の制止<ref>「おやめください! そのようなものを食すだなんて! その……その<ruby>おぞましい実<rt>トマト</rt></ruby>を召し上がるのですか⁈」</ref>を振り切って舌助は調理を開始した。そして翌日の2月2日、ついに料理は完成し、食卓に並んだ。これが後のいまさらである。
<br>「届きます?」
<br>「全然だ。佐藤、肩の上に立たせろ」
<br>「えっ?」
<br> 止める間もなく、権田は僕の頭を持って体を安定させながら、器用に立ち上がる。僕の両肩に、権田の裸足が乗っている。僕はドアに手をついて体を支えた。
<br>「うーん、まだまだ足りないな。よし、下りるぞ」
<br> 権田は意外と軽い身のこなしで、ひょいと床に飛び降りた。こっちがヒヤヒヤする。
<br> 倉庫でカードを見つけた僕らは、この部屋に戻り、ドアに対峙した。目を凝らすと、天井付近にあるのがテンキーであることがよくわかった。テンキーはプラスチックカバーに覆われており、それを上げてからボタンを押す方式らしい。約5メートル上方。なんとかテンキーに手が届かないかと頑張ってみたが、到底高さが足りない。番号はわかったのに、それを入力できない。僕は深い落胆に包まれた。
<br>「おい、落ち込んでじゃねえ。ドアを破れないか試してみるぞ」
<br> 権田はドアの前で仁王立ちして言った。僕は慌てて立ち上がり、権田に並ぶ。せーのでドアに肩から体当たりした。鈍い音が響く。何度も並んでタックルを繰り返す。
<br> 2分後、僕らは肩を押さえて床に倒れていた。ドアは1ミリだって揺らぎもしない。破るなんて、到底できそうもなかった。
<br>「……先輩、倉庫から救急箱取ってきます」
<br>「おう……」


 僕は痛む肩を押さえて倉庫へと歩いた。さっき見つけた救急箱を一つ持ち、ついでに水の瓶も一本掴み、引き返す。倉庫を出て廊下を渡り、小部屋へと入ったときだった。ぐんと横に手が引っ張られ、そのまま引き倒される。続いて、ゴンッという衝撃音。すぐに小部屋の向こうのドアが開き、権田が現れた。
列席するゲストたちが萎縮する中、舌助は皿に盛られたサラダを嬉々として食べた。皿が空になると同時に、舌助は満面の笑みで「不味い」と言うと、激しく嘔吐して倒れてしまう。懸命な救命活動も報われず、舌助は間もなく息を引き取った。享年21。
<br>「大丈夫か、何があった⁈」
<br> 倒れた僕に駆け寄ってくる。しかし、僕は横の壁をぼんやりと見遣っていた。僕の視線を追って、権田がそれに気づいた。
<br>「ありゃあ……どうなってんだ?」
<br> 壁に、瓶と救急箱がくっついていた。僕の手を離れて真横にすっ飛んだそれらは、その高さのまま壁にぶつかって床に落ちていない。
<br> 権田が壁の瓶を掴み、壁から引き離そうとしたが、全く離れない。僕も立ち上がって加勢したが、結果は変わらなかった。救急箱も、言わずもがなである。
<br>「磁力か……」
<br>「何?」
<br>「この小部屋の壁が、磁石になっているんです。相当な磁力の強さですから、電磁石だと思います」
<br>「救急箱と瓶は鉄でできているから、引き寄せられたってことか。だが、何のためにこんな仕掛けがあるんだ?」
<br>「さあ……」
<br> 仕方がないから、くっついたものはそのままにして、僕らは倉庫へと向かった。別の救急箱を開き、湿布を取り出して各々肩に貼る。
<br>「包帯に絆創膏、止血帯、薬も多い……。大抵の怪我や病気なら、対処できるな」
<br> 水の瓶をらっぱ飲みしながら、権田が救急箱を漁っている。この先輩は医者の家の出身で、医療知識がそれなりにある。これからどんな危険が待ち受けているかわからないから、大変心強い。


 水を飲むと尿意を催したので、僕は一言断ってトイレに行った。小便を済ませると、水を流して手を洗う。水を流すと、傍らの謎の水槽の水も流れた。ともあれ、水道はちゃんと通っているようだ。そう安心した時、ふと気がついた。トイレットペーパーが無いのだ。そういえば、倉庫にも見当たらなかったはず。狭いトイレ内を探すと、先端にスポンジのついた鉄の棒を見つけた。僕の脳裏に、古代ローマを舞台とした映画の、トイレのシーンが思い浮かぶ。確か、海綿が先についた棒で汚れを拭き取っていたような……。まさか、これがトイレットペーパーの代わりなのか。横の水槽は、スポンジを洗うためのものということか。ちょっと不衛生だろう。便意を覚えるまでに、ここを脱出できればいいんだが。
こうして舌助の作ったサラダは、舌助の不可解な死によって、呪われた歴史の最初の1ページを刻んだのである。<ref>なお、「普通にトリカブトが入ってたからじゃね?」とか言ってる馬鹿もいる。</ref>
<br> 僕はトイレを後にし、倉庫へ戻った。すると、倉庫の照明が先程より少し暗い気がした。その旨を権田に伝えると、
<br>「そうか? 一度ここを離れたから、わかるのかもしれないな」
<br>「外の日照サイクルに合わせて、光度をコントロールしているのかもしれないですね。もしそうなら、今は夕方ってことになります」
<br>「そういや、室温も季節にしちゃあ暖かい。これもコントロールされてるみたいだな」
<br>「ええ。全館空調ってやつでしょうか。どこかに空調ダクトがあるかもしれません」
<br>「どうせ、天井か壁の裏ってとこだろうな。脱出の足掛かりにはなりそうにない。しっかし、ここはかなりの金がかかってるな」
<br>「この倉庫内の水と食料だけでも、かなりの量がありますからね」
<br>「まあそれだけの金があるから、人攫いなんてできるんだろうがな。そうだ、汗をかいたから、先に風呂に入ってきてもいいか?」
<br>「あ、はい。まるでホテルみたいですね」
<br>「チェックアウトできないホテルなんてごめんだよ」
<br> 苦笑した権田は、倉庫の隅から自分の着替えを取って、風呂へと向かった。僕は倉庫の床に寝そべり、物思いに沈んだ。
<br> 一体ここはどこなのか? 僕らを攫ったのは誰なのか? 目的は? いつか解放されるのか?


 しばらくして、権田が風呂から出てきた。濡れた髪をタオルで拭いている。
===多くの死===
<br>「洗濯機は無いから、自分たちで洗濯しないといけないな」
その後も、いまさらを食べた者に不幸が訪れるという事態が相次いだ。
<br>「風呂とかの水を使って洗えばいいですかね」
<br>「そうだな。干すときは部屋干しするしかないか」
<br>「その前にここから出られるといいですね」
<br>「ははっ、そうだったな」
<br> 僕は権田と入れ替わるようにして風呂に向かった。脱衣所で服を脱ぐと、権田の脱いだ服が棚にまとめて置かれていたから、その横に離して自分の服を置く。スライドドアを開いて風呂に入った。シャワーをひねると、さっきまで権田が使っていたからか、いきなり温水が出た。もう少し湯を熱くしようと、レバーをひねる。湯気の中で目を凝らすと、その目盛りはなんと70℃まであった。これじゃあ給湯器というより、ちょっとした湯沸かし器である。適温の湯を全身に浴びると、強ばった筋肉がほぐれていく。監禁されているというのに、こうして温かいシャワーを浴びていると、リラックスして安心すら覚えてくるのだから、豪胆というか能天気というか。
<br> 職務中の警官が消えたのである。今頃、巡査部長が異変に気づき、外は大騒ぎになっているかもしれない。しかし、こうしていると、監禁されているという実感はどうしても希薄で、そんな自分が逆に不安になってくる。冷静沈着な権田が共にいるというのも大きいのだろう。もし一人きりで閉じ込められていたら、恐怖に襲われて圧し潰されていたかもしれない。
<br> 風呂の中に、椅子や風呂桶は無かった。ボディソープやシャンプーを使おうとして気づいたが、ボトルが重い。これも鉄製だろうか。おそらく倉庫にあったものも同じなのだろう。中身は至って普通のようだ。小さな剃刀もあったので、それで髭を剃る。この剃刀も鉄製なのか、大きさの割に重量がある。髭の伸び方からして、地下のパブで攫われてから一日は経っていないようだ。僕たちは、攫われたその日のうちにここへ運ばれたということか。襲撃を受けてから、案外数時間しか経っていないかもしれない。
<br> 欲を言えば湯舟につかりたかったが、今日はやめておこう。そう考えてから、ここに明日以降もいることを想定している自分に気づき、驚いた。ここが安全な場所とはまだ限らないのだ。気分を変えるために顔に湯をかけ、僕は風呂から出た。棚の隅のタオルを取って、体を拭く。倉庫から持ってきた着替えは、誰も袖を通していない新品らしく、心地良い肌触りだった。薄いTシャツとトレーニングパンツ。何となく外部から助けがくることはないと思い込んでいたが、もし今助けが来たら、くつろいでいるようにしか見えないだろうな、と一人苦笑する。


 廊下に出ると、風呂のドアが開いた音を聞きつけたのか、権田が小部屋から手招きしていた。小部屋を通り抜けるときは緊張したが、今度は何ともなく通過できた。着替えの服に鉄が織り込まれているようなことはないようだ。
{{大喜利|場所=3}}
<br> 最初の部屋に戻ると、権田はベッドの上に胡座をかいた。僕は固辞したが、結局権田の薦めを断れず、ベッドの反対端に向かい合って座る。
<br>「佐藤、状況の把握は終わった。だから、次は検討に移ろう」
<br>「検討、というと?」
<br>「もちろん、脱出方法の検討だ」
<br> こうして、囚われた二人のディスカッションが始まった。


{{転換}}
大正元年、発明家の師田俊勝は、舌助の逸話を聞いて興味を持ち、いまさらを自作して食べてみた。その結果、猛烈な腹痛に苦しみ、四日後に死亡した。遺体を解剖してみると、腸に謎の大量の顆粒が詰まり、腸閉塞を起こしていた。<ref>なお、「普通にサンドバッグが入ってたからじゃね?」とか言ってる阿呆もいる。</ref>


「まずは脱出ルートを考えよう。最初に浮かぶのは、あのドアだよな」
昭和2年、料理研究家の佐藤一郎は、いまさらのレシピを再現して門弟に振る舞った。その結果、なぜか部屋が突如として蜂の巣となり、佐藤を含む全員が死亡した。<ref>なお、「普通に機関銃が入ってたからじゃね?」とか言ってる頓珍漢もいる。</ref>
<br>「あそこだけ開かないし、いかにもって感じですよね」
<br>「ああ。だが、あのドアが外に通じているという確証はない。ひょっとしたら、また別の部屋が待っているだけかもしれないしな」
<br>「でも、あのドアを開けられれば、活動範囲が広がります。奥に何が待っていようと、突破口となるのは間違いないでしょう」
<br> 権田は深く頷いた。
<br>「ドア以外のルート、たとえば壁や天井を破るというのは、あまり現実的な方法じゃないよな」
<br>「換気口や排水溝はどうです?」
<br>「人が通るのはまず無理だな。他の何か、たとえばメッセージを書いた物を排水溝に流す、とかはどうだろう」
<br>「自分で提案しておいてなんですが、厳しいでしょうね。水道管に詰まらないサイズの物となると、だいぶ限られてきます。そもそもメッセージを書く筆記具なんて無いですし。服の切れ端とかの遺留品を流しても、見つかってここが特定される蓋然性はほぼゼロでしょう」
<br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」
<br> 件のドアを見上げ、僕は歯噛みした。テンキーはある。打ち込む番号も知っている。ただ一つ、高さだけが足りない。
<br>「約5メートル……。肩車程度じゃ届かないのは実証済み」
<br>「人馬といったか、一人が一人を放り投げるってのはどうだ?」
<br> 権田は低い位置で両手の指を組み、ソーラン節のように勢いよく上へと振った。もう一人が助走してこの組んだ手に片足を乗せ、タイミングを合わせて跳ぶ。そうすれば、だいぶ高く跳躍できそうだ。
<br>「でも、相当危ないですね。跳んだら落ちてこないといけない。5メートルの高さから落ちると、打ち所によっては命に関わります」
<br>「ベッドはドアと離れてるからクッションにはできない。服やタオルは、大して衝撃を吸収しないよな」
<br>「上手くテンキーのところに跳べても、一回のジャンプで押せるボタンは一つが限度でしょう。この方法だと、最低4回は高所から落下しないといけない。危険すぎますね」
<br> 次だ。ジャンプが駄目なら、地に足をつけてボタンに手を届かせればいい。
<br>「僕の両手に先輩の両足を乗せて、ウエイトリフティングみたく持ち上げる。そうすれば、4メートルくらいには達するんですけどね。幸い筋トレと練習をする時間はありそうですし」
<br>「あと、たった1メートルなんだがな……。まず浮かぶのは、踏み台を用意することだよな」
<br>「ええ。でも……」
<br> 1メートルの足場。それが簡単に用意できれば、今こんなふうに難渋していない。
<br>「この部屋にあるのは、ベッドくらいか。でも、ドアからは離れているし、動かせもしない」
<br>「倉庫には、文字通り食料の山がありますけど……」
<br>「{{傍点|文章=鉄の瓶や缶は小部屋を通せない}}。山はあるのに、その山をドアの前まで移せないんだよな」
<br> 小部屋の磁力のバリアの強さは、身をもって味わった。あのバリアがある限り、缶切り一本だってこの部屋に持ち込めない。あの小部屋は、{{傍点|文章=この部屋に物を移させないため}}にあるのだ。
<br>「向こうにある物には、徹底して鉄が使われている。瓶、ボトル、缶切り、剃刀、トイレのスポンジ……。どれも踏み台には使えない。鉄でない物は、ほとんど固定されてしまっているし」
<br>「陶器の便座を砕くってのはどうです?」
<br>「おっ、いいな。でも和式だからな……。綺麗に砕ければ10センチくらい稼げるかもな」
<br> 1メートルの壁が、途方もなく高い。
<br>「でも先輩、使える物はそれだけじゃありませんよ。たとえば、服やタオルです」
<br> 権田はうーんと唸った。
<br>「しかし布だからなあ。折り畳んでも、大して高さは稼げない。全部の服とタオル、それからシーツも使っても、30センチ稼げるかどうかってところだな」
<br>「救急箱の中身はどうです?」
<br>「薬の瓶は鉄だ。湿布や包帯なんかは使えるが、大した足しにはならない」


 他に何か使える物はなかっただろうか。必死に考えて、一つ思いついた。
昭和22年、東京の基地に駐屯していた米兵のジョージ・カーターは、仲間との賭けビリヤードに負け、いまさらを食べさせられた。その結果、ジョージは謎の内臓破裂を起こして死亡した。<ref>なお、「普通に三階フロアが入ってたからじゃね?」とか言ってる唐変木もいる。</ref>
<br>「瓶や缶は鉄でも、{{傍点|文章=中身は違います}}。中身だけ取り出してここに持ってくれば、いくら流動食とは言っても、ある程度の体積は……」
<br> そこまで言って気づいた。
<br>「{{傍点|文章=排水溝}}……」
<br>「ああ。ドアの真下には排水溝がある。流動食を積み上げるのは、まず不可能だろうな」
<br> 固形食だと、中身を取り出して踏み台にできる。その手を封じるために、ここには流動食しかないというのか。暗い顔で、権田は尚も続ける。
<br>「排水溝の役割はそれだけじゃない。排水溝がなければ、風呂かトイレの水道を使ってこの部屋を{{傍点|文章=水没させる}}という荒業が使えるんだ。天井ギリギリまで水位を上げ、{{傍点|文章=泳いで水面近くのテンキーまで到達する}}んだ。でも、排水溝があるおかげで、絵に描いた餅だよ」
<br>「……どうにかして、排水溝を塞げませんかね?」
<br>「厳しいだろうな。排水溝の面積は、大雑把に計算すると、10センチかける4メートルかける4ってところだ。さっき確認した通り、この部屋に持ち込める物は少ない。到底この面積を覆うことはできないだろうな」
<br> もっと、他に使える物はないだろうか? しばし黙考するが、浮かばない。権田が停滞した空気を切り替えるように言った。
<br>「踏み台戦法は一時凍結だ。発想を変えて、ドアのテンキーを押す方法を考えよう」
<br>「うーん、床から5メートルだから遠いんですよね。天井からはちょっとなんだから、天井から吊り下がるってのはどうです?」
<br>「うん、いい視点の変え方だな。だが……」
<br> 僕らは同時に天井を見上げた。目覚めたときより少し光量を落とした電灯は、天井に埋め込まれている。天井はつるりと滑らかで、何かが引っかかるような突起は全くない。
<br>「まだだ。小部屋のドアは外開き。あれを開けて登れば、テンキーに届くかも……」
<br> ベッドを飛び降りて、権田は小部屋のドアを開け、すぐに閉めてすごすごと戻ってきた。そもそも、小部屋はドアがある壁から離れた位置にある。テンキーには、距離も高さも全然足りない。
<br> いや、諦めるにはまだ早い。
<br>「あのテンキー自体はどうです? 服か包帯で紐を作って、それをテンキーの上に引っ掛けるんです。テンキーを定滑車にして紐の一方の端を引っ張れば、もう一端が引き上げられる。それにしがみつけば、テンキー付近まで登れるかもしれません」
<br> 権田はしばし黙ってテンキーの方を見上げていたが、
<br>「テンキーの出っ張っている部分の幅は、せいぜい5センチてなところだ。それに、プラスチックカバーは若干だが前の方に傾斜しているように見える。人一人を持ち上げる滑車としては、使えないだろうな」
<br> と否定した。どうやら、このアイデアも不発のようだ。


「何か長い棒があれば、ボタンを押せるんですけど……」
昭和39年、長崎県在住のある主婦は、晩御飯の献立に困った挙句、いまさらを作って家族五人に食べさせた。その結果、夫婦は謎の大喧嘩の末に離婚して家族は離散した。<ref>なお、「普通にそんな料理を晩御飯に出したからじゃね?」とか言ってる木偶坊もいる。</ref>
<br>「トイレにあったスポンジ……の棒は鉄だったな」
<br>「布をよじって棒にできませんかね……」
<br>「強度が足りないよなあ。待てよ、水を含ませて凍らせるってのはどうだ?」
<br> 僕は首を傾げた。
<br>「冷凍庫は無いし、気温が下がるのを待つというのも、全館空調だから厳しいかもしれませんね」
<br> 棒作戦も、難しい。他の方法を考えてみよう。
<br>「うーん……何かを投げて、ボタンにぶつけて押すってのはどうです?」
<br>「順にボタンに当てるのは難易度が高すぎる。それに、プラスチックカバーがネックだ。あれを上げないとボタンを押せない」
<br>「真下から何かをぶつけてカバーを上げて、さらにタイミングよくボタンに物をぶつけるんです」
<br>「野球のピッチャーも真っ青な計画だな。食料が尽きる前に成功すればいいが」
<br>「食料は、たぶん5年は持ちますよ。毎日トライし続ければ、いつか成功するかも」
<br>「何回間違えたら永久にロックされるみたいな設定が無いことを祈るか。他に妙案が思いつかなければ、試してみよう」


 そろそろ脱出方法のアイデアが尽きてきた。顎に手を当てて考えていると、権田が呟いた。
昭和51年、ある会社員の男が宴会芸としていまさらを食べた翌日、休日の日課だったジムでベンチプレスをしている最中、謎の心臓発作を起こして亡くなった。<ref>なお、「普通にトレーニングが足りなかったんじゃね?」とか言ってる脳筋もいる。</ref>
<br>「なあ、小部屋の磁石は、電磁石なんだよな?」
<br>「永久磁石では、あれだけの磁力は出せないと思います。電磁石と考えて良いと思いますよ」
<br>「なら、{{傍点|文章=電力の供給を止めれば}}、{{傍点|文章=磁力は失われる}}ってことだ」
<br>「……なるほど。つまり、何らかの方法で{{傍点|文章=電気ひいては電磁石を止め}}、{{傍点|文章=鉄をここに持ち込めるようにする}}ということですね?」
<br>「その通りだ。そうすれば、踏み台が作れる。どうだ?」
<br>「その発想はありませんでしたね……。ただ、電気をどうやって止めるんです? コンセントでもあれば、何かを差し込んでショートさせられるかもしれませんけど」
<br>「コンセントは見当たらなかったな。だが、この手はどうだ? 小部屋に排水溝は無いから、{{傍点|文章=小部屋を水没させる}}んだ。すると、壁の裏とかにある配線が浸かって、{{傍点|文章=漏電して電気が遮断される}}かもしれない」
<br> 僕はしばらく考えて、口を開いた。
<br>「先輩、その方法には致命的な欠陥があります」
<br>「何?」
<br>「ドアは、テンキーに暗証番号を入力して開けるんです。ほぼ確実に、{{傍点|文章=このシステムは電気で動いています}}」
<br>「……そうか、くそっ」
<br>「電力を落とせば、鍵を開けられなくなる可能性がある。そうなれば、今度こそ一生脱出不可です」
<br>「だが、ドアの鍵ってのは大切な機関だから、配線を別にしているんじゃないか? いやそもそも、あのドアが電子ロックなら、電力を落とせばロックは解除されるかもしれない」
<br>「先輩は、リスクを考慮した上で、その可能性にベットできますか?」
<br> しばらく悩んだ後、
<br>「いや、無理だな」
<br> と権田は力なく言った。思ったより深く消沈しているので、慌てて僕は言葉を継ぐ。
<br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」
<br>「はは……フォローありがとな、佐藤」
<br>「いえ……」
<br> また黙って頭を絞ったが、知恵は底をついたらしく、ついぞ名案は降りてこなかった。


{{転換}}
平成18年、都立あきる野第二高校の家庭科部が、新入部員歓迎会でいまさらを作って振る舞った。その結果、その年の新入部員は全員謎の退部を果たし、更に向こう2年新入部員が現れず、家庭科部は廃部となった。<ref>なお、「普通にそんな料理を新歓に出したからじゃね?」とか言ってる田吾作もいる。</ref>


 照明は薄明るいという域に達し、脱出方法の検討は行き詰まっていた。半ば自棄になって、僕は言ってみる。
平成30年、人気カップルYouTuber「コイコイ」が、動画の企画としていまさらを実食した。その結果、口に謎のまきびしが詰まって粘膜がズタズタになってひどく出血した。<ref>なお、「普通に入ってるからじゃね?」とか言ってる脳足りんもいる。</ref>
<br>「実は、3849って打ち込むテンキーは、実は他の場所にあるんじゃないですか? そうだ、倉庫はまだ探し切れてない。瓶を全部どかせば、床にドアがついてるかもしれませんよ」
<br>「……探す価値はあるな。明日、やってみよう」
<br> こんなやけっぱちな放言にも権田はちゃんと答えてくれて、申し訳なくなった。いくら脱出の見込みがなくたって、理性的にならねば。幸い、食料はたっぷりある。少なくとも今はまだ、命の危険が差し迫っているわけではないのだから。
<br> ……なぜだ? ふと疑問が浮かぶ。


「先輩、どうして僕たちを閉じ込めた奴らは、わざわざ大量の食料やら何やらを用意したんですかね?」
令和2年、ある老夫婦がレストランでいまさらを注文し、それを食べた。その結果、食べ切らないうちに猛烈な腹痛に襲われ、救急車で搬送されたが、翌日息を引き取った。<ref>なお、「普通にトマトが入ってたからじゃね?」とか言ってるトマト嫌いもいる。</ref>
<br>「やっぱりそれは疑問だよな。{{傍点|文章=なぜ閉じ込めたのか}}。この答えが得られれば、脱出のヒントになるかもしれない。よし、今度はこれについて考えてみよう」
<br> なぜ奴らは僕らを攫い、閉じ込めたのか。
<br>「ここにはモニターが無いので、きっとデスゲームは始まりませんね」
<br>「せめて目的を置き手紙にでも<ruby>認<rt>したた</rt></ruby>めてくれればよかったのに」
<br> 冗談はさておいて、犯人グループの目的を想像してみる。
<br>「人を拐かす理由。普通は、身代金目的とかでしょうけど……」
<br>「もしそうなら、こんな手厚い待遇しなくてもいいよな。椅子とかに縛り付けて、どっかの廃墟に放り込んでりゃいいんだから」
<br>「人を攫う目的なら色々ありそうですけど、こんな建物に中途半端に閉じ込めておく理由がわかりませんね」
<br>「この建物だけでも、相当な手間と金がかかってる。ここは人を監禁するために建てられたってことでいいんだよな? 何か別の理由で建設されたものを監禁に転用したとは考えづらいよな」
<br>「そうですね。でも、ただ監禁するだけなら、内から開けられる鍵なんてつけなきゃいいんです。何か理由があってこんな構造をしているとは思うんですけど……」
<br> 権田が顔を上げ、小部屋に続くドアの方を見た。正確には、その奥にある倉庫の方を。
<br>「ここには、数年くらいなら生きられる設備がある。つまり、奴らは{{傍点|文章=監禁された人間に生きててほしい}}んだ。そうじゃなきゃ、金かけて食料なんて用意するより、放って飢え死にさせる方を選ぶだろう」
<br>「僕らに生きててほしい……」
<br> そう考えると、一つ腑に落ちることがある。
<br>「だから、トイレットペーパーが無いんですね」
<br>「何?」
<br>「長く生きられるような衛生環境を保つには、大量のトイレットペーパーが必要です。そこを疎かにすると、病原体の蔓延に繋がってしまう」
<br>「ははあ、読めたぞ。だが、{{傍点|文章=それだけのトイレットペーパーを用意すれば}}、{{傍点|文章=踏み台に利用されてしまう}}。紙に鉄を使うのは難しいだろうからな」
<br>「そうです。苦肉の策として、スポンジが採用されたんでしょう」
<br> 些細なことだが、疑問が一つ氷解した。トイレットペーパーが無いという事実からも、奴らが僕たちの長期的な生存を望んでいるということが裏付けられる。では、なぜそうまでして奴らは僕らに生きていてほしいのか? 僕の頭にある仮説が浮かんだ。


「これは、何か大掛かりな実験なんじゃないですか? 極限状態で人はどう振る舞うのか観察する、みたいな」
令和2年、大学に通う男が幼馴染の女と帰宅する途中、にわか雨に降られてずぶ濡れになり、二人は慌てて男の家に転がり込んだ。このままでは風邪をひきそうだったため、まずは女がシャワーを浴びることになったが、女は「寒いからって入ってきたりすんなよ! 絶対だからな!」と言い残して脱衣所の扉を閉めた。その結果、男は衣擦れの音を極力聞かないようにして、寒さに必死に耐えながら愚直に女の言いつけを守った。<ref>なお、「え、だって入ってくるなって言ったじゃん。なんで怒ってるの⁈ ごめ、あっ……」とか言ってる朴念仁もいる。</ref>
<br>「非合法な実験、か……」
<br>「何か、真っ当に被験者を募れないような実験だから、こうやって無理やり人を攫ってきてるんじゃ?」
<br>「もしそうなら、なかなか明るい想像はできないな……」
<br> 今からもっと非人道的な仕打ちが、モルモットである僕らに加えられるのかもしれない。
<br>「これが実験なら、この建物もその内容に即した構造をしているってことになるな」
<br>「どんな実験なんでしょうね?」
<br>「さあな。わからんが、これが実験なら、あってしかるべきものがある」
<br>「何です?」
<br>「カメラだよ。カメラでなくても、何らかの観測機器でこちらを観察してるはずだ」
<br> そう聞いて、僕は背筋に寒気を覚えた。今も、僕らは誰かに見られているのだろうか。
<br>「……最近のカメラの小型化は凄まじいですからね。どこかに隠しカメラがあっても、おかしくない」
<br>「ああ。朝になったら探してみよう」


 天井のライトは随分暗くなり、権田の顔もよく見えないほどになった。暗くなると何も見えないから、必然的に寝るくらいしかできなくなる。僕は権田にベッドを譲り自分は床で寝ることを主張したが、権田の頑固な説得と恫喝、果ては先輩命令までもが発せられ、結局僕もベッドを使うことになった。マットレスの端ギリギリに横たわり、権田に背を向けて固く目を閉じる。
令和3年、ある男が「35歳の誕生日に妻がこんなに豪華なごちそうを作ってくれました✨」と写真付きでSNSに投稿した。その結果、特定の界隈でめちゃくちゃ炎上して男はアカウントに鍵をかけた。<ref>なお、「自分だけのために女性に尽くさせるクソオスの典型💢」とか言ってるフェミニストもいる。</ref>
<br> 権田はもう寝入ったのか、ぐうぐうという寝息が聞こえてきた。僕は頭が冴えていて、全然眠れそうになかった。数々の疑問が渦巻いて、脳内をぐるぐると回っている。
<br> 僕らはなぜ閉じ込められているのか? 実験ならば、それはどんな実験なのか? この建築物の構造の意味は?
<br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだととてもじゃないが眠れそうにないので、僕は必死に気を逸らせた。
<br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。
<br> つらつらと思惟していると、連想は連想を呼び、だんだんと気分が落ち着いてきた。全く無関係なことを考えていると、ゆっくりと意識が眠気に侵食されていく。もうしばらくすれば眠れる。そう思って意識を再び思索に飛ばした、その時だった。


 はっとした。まさか。
令和4年、自称インフルエンサー「かのちゃん@新米ママ🦄」が、6歳の娘のためにいまさらを食べさせるという旨の投稿をした。その結果、全員から総バッシングを食らった。<ref>なお、「これよ〜く見るとハムが入ってます❗️ 牛の命を奪う人間は見にくい、即刻辞めさせます🤬🤬🤬」とか言ってるヴィーガンもいる。</ref>
<br> 嫌な想像をしてしまった。そして、それを拭えない。いろんな状況が符合してしまう。眠気は吹っ飛んでいた。背筋を冷たい汗が伝う。
<br> 調べなくては。この予想が、どうか外れていてほしい。僕はベッドからそっと降り、ゆっくりとその場を離れた。


{{転換}}
==脚注==
<references/>


 僕は倉庫にいた。ぼんやりとしか見えない光の中、何度も躓きながら奥の方を目指す。手探りで瓶の山を分け入っていくと、権田が見つけた缶の一角に辿り着いた。一角とはいえ、缶の数は100を下らない。その中から、できるだけ場所をばらして五つほど取る。それから、床にある缶切りも一本拾う。
{{vh|vh=70}}
<br> それらを抱えて、僕は倉庫を出た。廊下の中途にあるトイレのドアを開けると、人感センサーで明るく光が灯った。眩しさに目を細めながら、ドアを開けたままにして戦利品を床に置いた。祈るような気持ちで、缶の蓋を開けていく。三つ目、恐れていたものが現れた。{{傍点|文章=それ}}を呆然と見下ろす。
このように血塗られた歴史を歩んできたいまさらだったが、ある挑戦者の登場により、歴史は大きく動く。
<br>「実験なんかじゃなかった……」


「なら何なんだ?」
==志仁田少女風の挑戦==
<br> 思わず小さく悲鳴を上げ、体のバランスを崩してしまう。便座にドボンしそうになったところを、ギリギリで権田が腕を掴んで止めてくれた。
===遍歴===
<br>「す、すみません……」
<ruby>志仁田<rt>しにた</rt></ruby><ruby>少女風<rt>がーりー</rt></ruby>は、死にたがっていた。その理由は定かでない。親子関係の不和とも、学校でのいじめとも、ただぼんやりした不安とも言われている。
<br> いつの間に後ろにいたのだろう?
<br>「佐藤、何をしていたんだ? 物音がしたから、様子を見にきたんだが」
<br> 僕が答えられずにいると、権田は床の缶に目を向けた。中には、白い粉がいっぱいに入っている。
<br>「この缶がどうかしたのか? これは……まさか<ruby>覚醒剤<rt>エス</rt></ruby>とかか?」
<br>「そんな物騒なものじゃないですよ。舐めてみてください」
<br> 権田は粉を少し指に取り、おそるおそる舐めた。
<br>「こりゃ……脱脂粉乳?」
<br>「……近いですけど、ちょっと違います」
<br>「佐藤はわかるのか? それに、さっき、『実験じゃない』とも言っていたな。どういうことだ? 奴らの企みがわかったのか?」
<br> こうなっては、誤魔化しようもないだろう。僕は重苦しい気持ちのまま、寝台に戻ることを提案した。


 トイレの床に缶は置いたまま、僕は最初の部屋に戻った。後ろを権田がついてくる。先刻のディスカッションのように、僕らはベッドに座った。ただし、権田はベッドの上で胡座をかいているが、僕は端に腰掛け、横を向いた。
他の「死にたい」と言っている多くの人とは異なり、志仁田は自殺を試みた。それも繰り返し。しかし、志仁田は死ななかった。それは土壇場で怖気づいたとか、他の人に助けられたとかが原因ではない。志仁田は不可抗力によって自殺に失敗したのである。
<br>「それで、佐藤は何に気がついたんだ?」
<br> 真っ直ぐに権田が問いかけてくる。僕は俯いた。どこから話せばいいのだろうか? こんな残酷なことを、どうやって伝えればいいというのだ?
<br> 迷った末に、僕は口を開いた。
<br>「気づいたのは、脱出方法です。でも、とてもやろうとは思えない方法です。覚悟して、聞いてくれますか?」
<br> 権田は驚いた顔をしたが、黙って頷いた。
<br>「ここには、大量の食料や医薬品、衛生設備までもがあります。前にも辿り着いた結論ですが、奴らは僕らにしばらく生きていてほしい。でも、脱出はされたくない。だから、磁石の部屋なんていう手の込んだ仕掛けがある。では、{{傍点|文章=なぜしばらく生きていてほしいのか}}? そもそも、{{傍点|文章=奴らは僕らに何をしてほしいのか}}?」
<br> 一息ついて、また言葉を継ぐ。
<br>「僕らに何をしてほしいのか。何か実験をして、僕らの振る舞いを見ているんじゃないかと考えましたが、今となってはそうじゃないと言い切れます。奴らは、{{傍点|文章=僕らに脱出してほしい}}んです。いや、ひょっとしたら脱出する過程が目的なのかもしれませんが……」
<br>「どういうことだ? 勿体ぶらずにはっきり言え」
<br>「ここから脱出する方法が、一つだけあるんです。奴らは、{{傍点|文章=僕らにその唯一の手段を取ってほしい}}んです」
<br>「その、唯一の脱出方法ってのは、一体何なんだ?」
<br> 権田の性急な問いを無視して、外堀を埋めていく。叶うなら、僕が口に出す前に、権田に気づいてほしい。僕が言わんとしている、残忍で悪趣味極まりない真実に。
<br>「さっき、なぜ奴らは僕らにしばらく生きていてほしいのか、と言いましたね? その答えは、脱出には時間がかかるからです。1年、いや3年、もっとかかるかもしれない。その間僕らを生かすために、生きられると判断させて僕らにその脱出方法を取らせるために、これだけの設備を用意したんです」
<br>「その方法ってのは、何なんだ……?」
<br>「取るのは、踏み台戦法をひねった方法です。足りない1メートルを、稼ぐ方法があるんです」
<br>「しかし、ここにあるものでは、どれも高さが足りないという結論に至ったじゃないか」
<br>「その通りです。ここにあるものだけでは、5メートルに届かない。だから、{{傍点|文章=ここに無いものも使う}}んです」
<br>「外から何かを調達する方法があるのか?」
<br>「そうじゃありません。{{傍点|文章=今は無いけど}}、{{傍点|文章=後でここに現れるものを使う}}んです」
<br>「どういうことだ?」
<br>「まだわかりませんか⁈」
<br> きっと権田を睨むと、本気で戸惑っている顔が薄闇の中に浮かんでいた。思わず顔を伏せた。
<br>「……ごめんなさい。先輩にあたってもどうにもならないのに」
<br> 暗くてよかった。今の、今からの自分の顔を権田に見せる勇気は、僕にはない。
<br>「僕ら二人の体だけでは、テンキーには届きません」
<br>「そうだな」
<br>「でも、{{傍点|文章=三人いれば届く}}。{{傍点|文章=三人目さえいれば脱出できる}}んです」
<br>「……ちょっと待て」
<br>「そして、三人目を用意するのは、僕らにとって不可能なことではない」
<br>「不可能だろう⁉︎」
<br>「なぜです? 食料も衛生環境も、時間もある。あの缶の中身は、{{傍点|文章=粉ミルク}}ですよ、先輩」
<br>「まさか……まさか……」
<br> 権田は驚愕に目を見開いて叫んだ。


{{傍点|文章=わたしが子供を産むことが}}{{傍点|文章=脱出方法だと言いたいのか}}⁈」
16歳の頃、志仁田は初めて自殺を試みた。手段は、オーソドックスな飛び降りであった。志仁田は近くの大型スーパーに赴き、駐車場となっている屋上にのぼった。そして、三階相当のそこから、アスファルトの路面へと落下した。叩きつけられた瞬間、志仁田は「これは死んだろ!」と内心快哉を叫んだが、快哉を叫べるということは生きているのだと気づき、落胆した。志仁田は見事飛び降りたが、しかし志仁田の身体は頑強すぎて傷ひとつ負っていなかった。念のため搬送された病院の13階相当の屋上から、翌日飛び降りてもみたが、結果は変わらなかった。
<br>「赤ん坊が数年育てば、身長は1メートルに達するでしょう。そして、ここには{{傍点|文章=成人男女が一組いる}}んです。これが、脱出方法ですよ」
 
<br>「でも、でも……色々ないだろう、その、病院とか……」
次に、志仁田は首吊りを試した。ホームセンターで買った麻縄を家の梁に結わえ、作った輪っかに首を通した。椅子を蹴ったはいいものの、一向に苦しくならないことに志仁田は気づいた。期待を込めて30分ほどその姿勢を維持してみたものの、帰宅した母に「あんた何してんの?」と言われただけだった。志仁田の首は堅固すぎて頸動脈も気道も締まらなかったのだ。仕方なく麻縄を取り、これどうしようか、捨てようかな、いやいつか使えそうだな、とっておくか、と思って縄は志仁田の家の片隅に置かれ、以来一度も使われていない。
<br>「原始時代でも、人類は繁殖できたんです。不可能ではないでしょう。それに、いくつか工夫も凝らされてるんですよ。粉ミルクは母乳が出ない不測の事態に備えたものでしょうし、それを溶く70℃の湯だって風呂で用意できます。流動食も、離乳食を兼ねているんでしょうね」
 
<br>「でも……え……そんな……」
その後、志仁田はカッターナイフで手首を切ろうとした。風呂に入るついでにカッターを持ち込み、浴槽の上に掲げた手首に刃を当てた。しかし、志仁田の手首は頑丈で刃は通らなかった。押し引きしたり叩きつけたり数分格闘してみたが、どうしようもなさそうなので、ついでとばかりにカッターで腕の産毛を剃って、志仁田は風呂を出た。出るのが遅いと母に言われ、少し申し訳なく思った。
<br>「だから言ったでしょう。とてもやろうとは思えない方法だと」
 
<br> 権田は絶句していた。僕は開き直ったように、極力あっけらかんと言った。
17歳の夏、志仁田は溺死を試みた。近所の川に出かけ、両手両足を紐で結んだのち、芋虫みたいに身をよじってどうにかこうにか橋の欄干を乗り越えた。水中に体が沈み、じきに息が持たなくなる。数分のうちにたまらず水を吸い込んでしまい、志仁田は「これは逝ける!」と思った。しかし、鼻が異物を排除しようと反射的に咳を行い、ものすごい勢いで水を噴出した。すると一帯の水が吹き飛び、息ができるようになってしまった。数十秒待つと川の上流からまた水が流れてくるが、強靭な肺機能のせいで同じことしか起こらなかった。なお、周辺の家の洗濯物が多く濡れ、志仁田は母に痛烈に叱られた。
<br>「それに、脱出に必要かなんて関係なく、僕が我慢できた気はしませんし。何せ、ドタイプな美女と二人っきりなんですから」
 
<br>「ド……そんな……」
その次は、オーバードーズを試してみた。志仁田は父がかつて使っていた睡眠薬をこっそり持ち出し、食卓にて二瓶を一気に飲み下した。しばらくして猛烈な嘔気と睡魔に襲われ、志仁田は「今度こそ死んだな」と朦朧とする意識のなか思った。しかし、近所に住む幼馴染・<ruby>品瀬<rt>しなせ</rt></ruby><ruby>琢内<rt>たくない</rt></ruby>が謎の虫の知らせを感じ、志仁田宅へ飛び込んできて、催吐、胃洗浄、迅速な通報など、超絶適切な処置を施した結果、志仁田はことなきを得た。病院で意識を回復したあと、品瀬から何か色々言われたが、志仁田は次の自殺方法に思いを巡らせていた。
<br> 権田の整った顔が赤く染まったのが、闇の中でも見えた。思わず僕は権田の両肩を掴んで、マットレスに押し倒す。ボブカットの黒髪がふわりとシーツに広がり、ぱっちりした両眼が驚きに揺れる。いくら鍛え上げているとはいえ女の細腕では、同じく警察官の僕を押し退けることはできない。僕は、権田の腰にまたがった。権田が小さく声を洩らす。マットレスが軋み、薄着の下の乳房が魅力的に揺れる。
 
<br>「これが、脱出する唯一の方法なんです。……先輩、いいですか?」
これ以降も、志仁田は幾度も幾度も自殺に挑戦した。トラックの前に飛び込んだが車体がひしゃげて運転手が病院送りになり、包丁で喉と目を突いたが刃が欠けたので母に小言を言われる前に研ぎ、目張りして練炭を焚いたが飛んできた品瀬に窓をぶち割られ、高層ビルの屋上から飛んでみるも地面に小さなクレーターができただけに終わり、はしか患者が集まる隔離病棟に乱入し深呼吸を繰り返すも激つよ免疫が病原体を抹殺して発病に至らず、海へと飛び込んでみるも川同様に水を吹き飛ばしてしまいモーセの海割りならぬ志仁田の海穿ち(間欠的)を披露してしまい、近所の爺さんの物置からパクった農薬を飲むも一秒も経たないうちに品瀬が窓を砕いて現れ最強手当てをし、その窓ガラスの破片で太腿の動脈を切ろうとするも硬い皮膚に阻まれ、そのまま病院へと速やかに送られた。このように、志仁田は自殺に失敗し続けた。しかし、やがて転機が訪れる。
<br> ほのかな灯りの下、権田の目の奥が、微かに揺らいだ。
 
長径11km、短径9kmの紡錘型をした小惑星89112E。それがまもなく地球に衝突するというニュースを志仁田がテレビで見たのは、志仁田が17歳の年末だった。人々の混乱を予防するため、各国政府は衝突一時間前にその知らせを発表したという。衝突予測地点は、ちょうど志仁田の家の近所だった。志仁田は喜び勇んで衝突地点へと向かう。その途中、向かいの家から出てきた品瀬が涙ながらに何か話しかけてきたが、自分は志仁田の替え玉であり志仁田本人は隣町の川辺で毒を飲んでいるという旨の嘘をつくと、品瀬はあっという間に隣町へとすっ飛んでいった。志仁田は万全の構えで衝突地点に仁王立ちし、上空の煌めく光点が落ちてくるのを待った。そして二十分後、耳をつんざく轟音と目を潰すほどの閃光とすべてを灼くような熱とともに隕石が落ちてきた。志仁田は注意深く隕石の真下に立ち、衝突の直前には念のためちょっとジャンプまでしてみた。
 
小惑星は志仁田に衝突した。そのエネルギーの莫大なあまり、無数の破片に小惑星は砕かれて飛び散った。破片は360°全方位に四散したが、そのどれもが第一宇宙速度に達し、すべての破片は高度2mのところをぐるぐると回り始め、[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダイソン球 ダイソン球]みたいになった。一方の志仁田は頭が痛くクラクラし、「これはもうちょっとで逝ける!」と心が昂った。そんな中、ダイソン球のごとく破片が上空を飛び回っているので、志仁田は次々とジャンプして頭をぶつけ、その衝撃で破片は粉微塵になり、志仁田は衝撃の微細さに不満を覚えた。結局破片がすべて志仁田によって粉にされるまで丸2日かかり、それまで地球の人々は腰をかがめて過ごすことを余儀なくされた。志仁田は最初の衝突と二日寝ずにいたことによって頭がめちゃくちゃ痛み、「死ねる!」と思いながら意識を失ったが、約13時間後に目を覚まし、その時には多少首が痛む程度だった。なお、その間中、品瀬はずっと志仁田を探して隣町を彷徨していた。やがてテレビニュースで隕石衝突を阻止したヒーローとして志仁田が映っているのを見、目を覚ましたばかりの志仁田を号泣しながら手当てした。
 
こうして志仁田は最良の機会を逸し、自殺成功の望みを失った。もはや自殺には希望が持てない。しかし、その時、ある呪われた料理の存在を知る。そう、いまさらである。志仁田は自殺の最後の望みを、いまさらに賭けたのである。
 
もはや一般的な手法では命を絶てないのは明らかだった。しかし、食したものに相次いで不幸が訪れるこの料理ならば、あるいは。もしこれでも死ねなかったら諦めようと覚悟を決め、志仁田少女風はいまさら自殺に挑んだ。
 
志仁田には勝算があった。今まで外傷系の自殺は己の体が阻んできたが、毒物系は結構いい線を行っている。ならなぜ死ねなかったのかといえば、品瀬の存在である。彼がなぜかめちゃくちゃ志仁田の危機を察知し、なぜかめちゃくちゃ上手い医療処置を施すため、志仁田は死ねなかった。しかし、今や志仁田は品瀬を遠ざける方法を知っていた。志仁田はいまさらの制作に向けて着々と準備を進めていった。そして、奇しくもいまさら誕生と同日である2月2日、18歳の誕生日。志仁田はいまさら自殺を敢行する。
 
{{vh|vh=100}}
「たっくん」
 
「あっ、ママ!」
 
「大きくなったわね」
 
「うん! ママ、しさしぶりだ!」
 
「ひさしぶり、だよ。ひさしぶりね、たっくん」
 
「しさしぶり!」
 
「ふふっ」
 
「あのねあのね! たっくんごさいになったの!」
 
「おめでとう、たっくん」
 
「えへへへ、そうだ! ママもいっしょに、けえきたべようよ! パパがかってきてくれるんだって!」
 
「そうね、でもそれはできないかもしれないわ」
 
「……そうなの?」
 
「うん。……でも、その代わり、プレゼントをあげましょうね」
 
「ぷれぜんと! やった! なになに?」
 
「たっくんは何がほしい?」
 
「うーん……」
 
「したいことでもいいわ」
 
「じゃあ、ママとしろくまこうえんであそびたい!」
 
「ごめんね、ママがなにかすることはできないわ」
 
「えーなんで? なんでよ?」
 
「……ごめんね」
 
「うーん……じゃあ、おとなになったら、がーりーちゃんとけっこんしたい!」
 
「へえ……いいわね。でも、それはその子が決めることよ」
 
「そっかあ……」
 
「でも、代わりに、その子を大人になるまで守ってあげるわ」
 
「まもる?」
 
「そう。その子を、元気な18歳に育ててあげる」
 
「そしたら、けっこんできる?」
 
「たっくんが頑張れば、できるかも」
 
「やったあ!」
 
「でも、守ってあげるのは17歳までよ。18歳の誕生日からは……」
 
「からは?」
 
「たっくんが守ってあげるんだよ、いいね?」
 
「わかった! ありがとうママ!」
 
「うん……。じゃあ、もう、行くわね」
 
「えっ、もういっちゃうの?」
 
「そろそろ時間みたい」
 
「そっかあ……」
 
「じゃあ、元気でね、たっくん」
 
「……ママ!」
 
「なあに?」
 
「もしけえきがたべられるようになったら、きてね!」
 
「……うん、そうするわ」
 
「ゆびきりげんまんだよ!」
 
「ええ。ゆびきりげんまん」
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===調達===
2月2日当日、服毒自殺最大の障害・品瀬琢内を遠ざけるため、志仁田は一計を案じた。早朝、志仁田は品瀬に一通のメールを送った。そのメールには一枚の写真が添付されており、それはコルコバードの丘をバックに、丸々と肥えたフグを両手で掲げ持ち笑う、セーター姿の志仁田の写真であった。それを見た品瀬は15秒後にはタクシーを捕まえて空港へと急がせていた。しかし、その写真は、今さっきタイマー機能で撮影した志仁田の自撮りにネットで拾ってきたリオの画像を合成したものだった。隕石騒動のとき品瀬を騙した経験から、志仁田は品瀬を遠ざける完璧な方法を思いついていたのだ。経由地のダラスからとんぼ返りしても、日本に帰ってくるまで二日近くかかる。今日の自殺は、品瀬のいないところで邪魔されることなく果たせるのだ。品瀬の乗った飛行機が羽田を発ったのを確認してから、志仁田はいまさらの制作に取り掛かった。志仁田は最大の障壁を除くことに早々に成功したのである。
 
実は、志仁田はこの日、あまり調子が良くなかった。遍く外力を弾き飛ばす無敵コンディションみたいな今までの体調ではなく、なぜか自分が急に脆弱になったような心地を覚えていた。その理由はわからなかったが、なんにせよ好機であった。今日なら、いまさらの力を借りて、死ねる気がする。志仁田は全身全霊をもっていまさらを作り、最後の、きっと最期の、自殺を成し遂げようと決意した。
 
品瀬の排除成功の勢いそのまま、志仁田は町に繰り出した。まず、志仁田は場所を確保した。電車に乗って東京まで出ていき、少し歩いていると広い河川敷を見つけたので、志仁田はそこを休憩所に定めた。川辺では冷たい風が身を切るように吹いていたが、それを見越した厚着をしていた志仁田は自らの周到さに惚れ惚れした。近くを通りがかった歩行者に聞いてみると、その大きい川は隅田川だという。志仁田はそこで行われる花火大会のことを思い出し、爆死も悪くないなと思ったが、いまさらに集中せねばとすぐに思い直した。
 
せせらぎや散歩に訪れる人々の心地良い喧騒が優しく響いており、そこはとても気分が良かった。時刻は正午に近づいていたので、志仁田はおにぎりを土手に座って食べた。朝は対品瀬工作などで忙しかったが、いつも自分でお弁当を作って学校に行っていたから、ちゃっちゃとおにぎりをいくつか握る程度のことは志仁田にとって朝飯前だった。夕食はいまさらにするので、これが最後の昼餐になると思うと、この手で直に握ったおむすびがいつもより美味しく感じるのであった。
 
腹ごしらえのあと、すぐ近くのなんか人が多くいる公民館に行くと、志仁田はそこにいた人々になぜかめちゃめちゃ歓待された。志仁田が大きな机と皿を借りたい旨を話すと、なぜかめちゃめちゃ快く貸してくれ、あまつさえ手伝いを申し出てくれもした。公民館には料理教室でも開いていたのか、学校の家庭科室のような部屋があった。志仁田はありがたくその部屋の道具を貸してもらい、いまさらの材料集めをお願いした。人々の歓迎ぶりには、先の小惑星事変の際、超人的な強靭さで次々と隕石を砕き割っていく少女の姿が世界中で広く伝えられたという背景があったのだが、志仁田には知る由もない。
 
午後1時、14人の人々が志仁田から買い物を仰せつかった。志仁田が適当に順番に指を差していき、買うものを割り当てていった。志仁田自身ももちろん買い出しに行くので、総勢15名が手分けしていまさらの材料を買いに出かけた。今日中にいまさらを作り終えるために、午後5時にはこの公民館に帰ってくることを確認し、15人は散開した。人々は「サラダを作る」とだけ説明を受けていて、中には到底サラダの具材とは思えないものを買いに行かされる人も少なくなかったが、そこは地球を救った英雄、何か深いわけがあるのだろうと思い、誇らしげに自らの任務に就いた。
 
志仁田は野菜を買いに[[八百屋]]に向かった。華の都・東京に商店は少ないのではないかと思っていたが、近隣住民に聞いた道を辿ると、あっさりと八百屋に行き当たり、さすがは東京だべ……と出身地でもない東北訛りを心中で披露してしまう志仁田であった。かくして八百屋に到着した志仁田は、難なくレタス・キャベツ・白菜・小松菜・ブロッコリー・トマト・きゅうりをゲットした。隕石騒動のあと、志仁田は偉い人になぜかめちゃめちゃ感謝されて、無敵クレジットカードみたいなカードをいっぱい貰ったので、購入資金には困らなかった。なお、おつかいに行ってくれている人々にも、そのカードを渡している。大体の野菜を調達した志仁田だったが、ただ一つ、八百屋には水菜がなかった。旬はそう外れていないのになあ困ったなあと思いながら、志仁田は別の八百屋を探して歩いていった。
 
キャベツ農家のおじさんはハムとウインナーを買いに肉屋へと向かっていた。どうせなら専門領域である野菜を買い、新鮮で美味しいサラダをあの少女に食べさせてあげたかったが、少女がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。おじさんは近くの商店街へと出かけ、肉屋を訪ねた。そこで豚のハムとウインナーを購入し、ガスコンロはちゃんと使えたかな、などと考えながらゆっくりと公民館へ戻っていった。
 
精肉店のおばさんはひじきを買いに、乾物屋さんへと向かっていた。どうせなら自分の店自慢のハムとウインナーをあの女の子に食べさせてあげたかったが、女の子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。おばさんは今が肌寒い晩冬であることを呪いながら、少し遠い乾物屋に歩いていった。到着すると、早速ひじきを購入し、ついでに同年代の女性である店主と四方山話を始めた。昨今の店商売の苦境や夫への愚痴などで話は大いに盛り上がり、彼女が公民館に戻ってくるのはもう少し後になりそうである。
 
ひじきの妖精はトリカブトを入手するために、山へと向かっていた。どうせなら己のひじきパワーで新鮮なひじきをあの人間に食べさせてあげたかったが、あの人間がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。妖精はいつもは蝶の羽が生えた小人のような姿をしている。しかし今は人間の女の姿に化け、人の世に顕れていた。ひじきの妖精はもちろん海出身だったが、それゆえに山に強い憧れを抱いており、よく山に遊びに行っていた。その際、あのトリカブトとかいう植物を見たことがあり、妖精はそこへと向かっていた。ふと人通りが絶えたところで妖精はポンと姿を変化させ、せわしなく羽ばたいて山へと飛んでいった。
 
毒殺魔はミミイカとあん肝を買いに、鮮魚店へと向かっていた。どうせなら常備している毒物ストックからトリカブトをすぐに渡してあげたかったが、あの子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。毒殺魔は豊洲の方へ出張っていき、やがて磯の匂いに満ちた魚屋にたどり着いた。そこのおっちゃんに聞くと、ミミイカはないがアオリイカならあると熱弁され、結局押し切られて活きのいいアオリイカを買わされてしまった。それとアンコウも購入し、毒殺魔の習性でついついアカエイとかを探してしまったが、鮮度のいいうちに帰らねばと我に返って駅へと向かった。そして電車を降り、物の散らばった道を公民館へと歩く。しかし、その背後を足音もなくついてくる影に、毒殺魔はまだ気づいていない。
 
漁師の息子はサンドバッグを入手するために、ジムへと向かっていた。どうせならお父さんの獲ってくるイカやアンコウをあのお姉さんに食べさせてあげたかったが、お姉さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。彼は、近くのスポーツジム跡へと足を向けた。そこにはかつては使われていたトレーニング器具が放置されており、たまに友達と遊んだりしていた。そこに黒くて彼くらいの大きさがあるサンドバッグが落ちていた。彼はそれを持っていこうとしたが、存外にそれは重くてなかなか運べない。彼は気合いを入れてサンドバッグの端を持ち上げ、引きずり始めた。筋力が鍛えられているのか、だんだん運ぶのが楽になっていくのに嬉しさを感じながら、彼は公民館へと少しずつ少しずつ戻っていった。
 
サンドバッグマイスターは和傘を買いに、海外客向けの雑貨店へと向かっていた。どうせなら利きサンドバッグの技倆を存分に生かし最上級のサンドバッグをあのヒーローにあげたかったが、彼女がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。和傘なんて使っている日本人は舞妓さんくらいしかいないが、外国人には人気の土産になっているとサンドバッグマイスターは知っていた。果たせるかな、当たりをつけた雑貨店には鞠を回せそうな和傘が売っていた。サンドバッグマイスターは自らの慧眼に惚れ惚れとしながら、「雨に唄えば」みたいに軽く踊りつつ復路についた。
 
舞妓さんはバラバラの薔薇を調達するために、近くの高校へと向かっていた。どうせなら持っている和傘を志仁田はんにあげたかったが、志仁田はんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。舞妓は、液体窒素で薔薇を凍らせバラバラに砕くショーをテレビで観たことがあった。液体窒素がどこにあるのかよくわからなかったが、薬品の類いなら学校の理科室にあるのではないかと当たりをつけたのだ。目的の学校に到着すると、休日だからか人影は見当たらなかった。そのまま舞妓は見咎められることなく校舎に入った。一階の理科準備室に侵入して少し物色し、冷凍庫の中の銀色の大きな入れ物を見つけ出した。開けると冷気が漏れ出し、試しに横の机上の紙を突っ込み取り出してみると、パリパリに固まった紙が出てきた。間違いないと確信した舞妓は容器を頑張って持ち上げ、早くタクシーを拾って花屋に行こうと思いながら、えっちらおっちら歩き始めた。
 
薔薇を咥えた雪女はまきびしを買いに、忍者の里へと向かっていた。どうせなら咥えている薔薇を凍らせて砕き人間の女にあげたかったが、そいつがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。ちなみに、薔薇を咥えているのは、キザだからである。どうやら近くに甲賀流忍者の里東京支部があるようなので、舞妓はそこを目指していた。それにしても、サラダを作るのにまきびしがなんの役に立つんでしょう? と雪女は思ったが、わからないものは仕方がない。やがて甲賀市東京支部に着くと、忍者グッズの売店に入った。手裏剣の横にまきびしコーナーはあり、さまざまな種類のまきびしが陳列されていた。店番のくの一をその体温ゆえに震えさせつつ、どのまきびしが最適か、薔薇を咥えた雪女は吟味し始めた。
 
[[Sisters:WikiWiki麻薬ショナリー#「伊賀流忍者」|伊賀流忍者]]は機関銃を入手しに、横田基地に忍び込んでいた。どうせなら帯びているまきびしを志仁田殿にあげたかったでござるが、志仁田殿がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方ないでござる。拙者、忍びであるゆえ、武具には多少通じてござる。火筒は日の本にはなかなかないでござるが、とはいえ南蛮北狄に行っている刻は到底ござらぬ。そこで、自衛隊の陣にいるのでござる。忍者は隠れ身の術を使って監視の目を掻い潜り、武器の保管庫の扉にたどり着いた。しかしここへの侵入は容易なことではないと悟った忍者は、思い切って火薬玉を扉に投げつけた。轟音と黒煙とともに扉は吹き飛び、近くにいた隊員がすぐさま駆けつけたとき、黒ずくめの影が保管庫から飛び出してくるところだった。突然の事態だが統制をとって追いかけてくる屈強な男たちを、煙玉や土遁の術、火遁の術で撒き切り横田基地から飛び出た影の腕には、一挺の<ruby>軽機関銃<rt>LMG</rt></ruby>が抱えられていた。
 
ミリオタの男はゴールボールを買いに、スポーツ用品店へと向かっていた。どうせなら界隈民御用達のミリタリー関係のセカンドショップをあの女子に紹介したかったが、あの女子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。ゴールボールを買ってこいと言われたときは「スポーツを⁈」と驚いたが、買えるからには使われるボールのことだろう。慣れない歩行で滝のように流れる汗を拭い拭い、到着した店ではしかし、ゴールボールは売っていなかった。まあそこまで一般人に膾炙した競技じゃないしなあと思いつつ、落胆を隠せなかった男に、店主が声をかけてきた。事情を知った老齢の店主は、男に自らの孫の話をし始めた。
 
ゴールボール好きの女性は自学帳を買いに、文房具店へと向かっていた。どうせなら視覚障害者の仲間とやっているゴールボール同好会の備品を貸してあげたかったが、志仁田さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。白杖をつきながら、歩き慣れた歩道をゆっくりと進む。しかし近頃周りの景色がめっきり変わってしまったので、油断はできない。だがどうやら目当ての文房具店にたどり着いたようで、彼女は初めて店内に足を踏み入れた。すると店員らしき若い男性の声がし、ノートが一冊欲しいと話すと、一瞬奥に引っ込むとすぐに持ってきてくれた。女性は代金を払い丁重に礼を言うと、店を辞した。そして、来た道を往路と同様、慎重に戻っていった。その時、若い男性がどうも嫌な感じの高笑いを上げたが、彼女の耳には届いていない。
 
公立中学校に通う男子は、そこらへんを足速に歩き回っていた。どうせなら今も持っている自学帳をあのお姉さんにあげたかったが、お姉さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。その日は休日だったが、口うるさい親にせっつかれ、図書館へと勉強しに出かけたのだ。スマホは親に預けさせられ、勉強用具と最低限の貴重品だけを入れた肩掛けバッグを持ち、しかしなんとも気が向かないのでその辺をぶらぶらしていたところで、世界を救った有名人に会ったのだ。だが、買い物もせず俯いてせかせかと歩いては人と肩をぶつけてしまい小声で謝ることを繰り返しているのには、わけがあった。彼がどんなに世界を救ったヒーローの役に立ちたいと願っていても、三階フロアを調達することなんてできないのだ。彼は言い訳の文面を考えつつ、辺りをうろうろと歩き回っていた。
 
マンション王はYSー11を買いに、コンビニへと向かっていた。どうせなら自分が所有するマンションの三階フロアを少女風ちゃんに提供したかったが、そうはいかないので仕方がない。それにしてもYSなんとかってなんなんだろう。知らないがとりあえずコンビニに来たんだからどうにかなるだろう。自覚はないが、マンション王は不動産収入だけで生きてきたため、市井のことに疎かった。ともかく、早速レジの爺さんに聞いてみると「それはとっくのとうに生産終了しとるよ」と言われてしまった。生産終了しているならどうしようもない。中古品を手に入れられるだろうか、いや限られた時間では厳しいか、などと考えるマンション王の前に、一つの値札があるのに気づいた。それを見た瞬間、マンション王は確信した。YSなんとかは生産終了したが、後継商品が発売されていたのだ! これを買っていこう! 
 
飛行機大好き少女はゴマドレッシングを買いに、スーパーへと向かっていた。どうせならパパにねだって買ってもらった[https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 YS-11]の模型をあのお姉ちゃんに貸してあげたかったが、お姉ちゃんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。だいぶ綺麗になった道を自転車で走り、駐輪場に補助輪が取れたばかりの愛車を停める。足元に気をつけながら入店すると、慣れた足取りでゴマドレをゲットした。少女はおつかいを何度も経験している手練れであるゆえ、なんとセルフレジで会計を済ませ、自転車の籠にゴマドレを入れて公民館へと戻っていった。おつかいを済ませたら、ママとパパにあのお姉ちゃんが公民館で何かしているよって教えてあげようと思いながら。
 
志仁田は水菜を買うのにめちゃくちゃ手間取った。別の八百屋に行っても売っておらず、そもそも土地鑑がないので店を探すのにも苦労し、あるスーパーでようやく水菜を購入できたときには、既に日はだいぶ傾いていた。最初に買った野菜の入ったレジ袋を担いで長時間歩き回り、志仁田はもうへとへとだった。どんなに酷暑の日に走り回ってもどんなに極寒の日に薄着で寝ても今まで体調不良にならなかった志仁田にとって、こんな経験は初めてだった。しかし、こんな状態は自殺にうってつけのコンディションだとポジティブ思考をして、志仁田は公民館へと歩を進めた。そして午後五時、志仁田は拠点たる公民館に帰還を果たした。他のメンバーは既に帰ってきていた。
 
公民館には多くの人が見物に来ていた。前庭には人だかりができており、大道芸人すらもいてちょっとした祭りのようだった。それだけでなく、公民館の中にも少なくない人が物珍しげに辺りを見回していた。中にはカメラを構えて何かを話している者もいる。しかし、志仁田は気にせずキッチンに向かった。志仁田は観衆の目は気にならなかったが、冬の夕方とあって寒さがさすがに厳しくなってきたため、ドアと窓を閉めた。部屋には志仁田と何人かの買い物を手伝ってくれた人たち、それと数人の野次馬が残された。そこには大きな調理台と用具一式、小型発電機に繋がれた冷蔵・冷凍庫までもが用意されていた。手伝いを頼んだ人々が事前に準備を進めてくれていたのだ。
 
各人が入手した具材は、低温保存が必要なら冷蔵・冷凍庫の中に、そうでなければ黒いクロスの敷かれた長机に置かれるシステムになっていた。様々な材料がテーブルの上に置いてある。志仁田はそれを確認すると、自らの戦利品を机の上に置いた。そして、家庭科の授業で作ったクマのキャラがプリントされたエプロンを着けると、セーターの袖をまくり、いまさらの制作に取り掛かった。
 
===調理===
<big>①材料を全部皿にぶち込む ②なんか物足りないから持ってきたフグも追加しちゃおう! ③完成!!!</big>
 
===実食===
志仁田は開けた蓋を閉める暇すらも惜しんでいまさらを作り、フグの処理も含めてわずか10分足らずで忌まわしきサラダは完成した。野菜をちぎって放り込み、肉はそのまま放り込み、毒物を躊躇うことなく放り込み、薔薇を凍らせて砕いて放り込み、銃をまるごと豪快に放り込む志仁田の姿に、周りに集まっていた人々からは歓声ともどよめきともつかぬ声が上がった。もちろん志仁田はフグ調理の初心者であるが、命を顧みぬ自信満々の包丁捌きがあまりに堂々としていたため、民衆が志仁田の技巧を疑うことはなかった。
 
当初、買い物を手伝っていた人々でさえ、志仁田が何を作ろうとしているのかわかっていなかった。しかし、一部の観衆がいまさらを知っておりそれに言及したため、志仁田の作るこの料理が何であるかを、もはやその場の皆が知っていた。人々は得体の知れない緊張に襲われたが、当の志仁田は意に介さない。
 
出来上がったいまさらは大皿に盛られていた。志仁田は徐にエプロンを外すと、着席した。箸を取り、手を合わせる。そして志仁田はいまさらを食べ始めた。観衆は静まり返り、ただ志仁田がいまさらを咀嚼する音だけが響いた。誕生して一世紀余、無数の命を奪ってきた呪いの料理。それに、地球を救った英雄が挑んでいる。ここにきて、人々は志仁田の意図を悟った。彼女は、自らを以て、この忌まわしき死の連鎖を止めようとしているのだ。最強の人間の矜持を懸けて、凶悪な陋習を打ち破り、皆に希望を与えようとしているのだ! 人々は息を呑みながらも、ある者は両手を合わせ、ある者は口の中で呟き、ある者は固く目を瞑り、それぞれの形で志仁田の勝利を心から祈った。
 
ついに、その時が訪れた。皿が空になると同時に、志仁田は不機嫌そうな顔で「不味い」と言った。そして——
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===決着===
買い出しから最初に帰ってきたのは、漁師の息子だった。近くのジム跡からサンドバッグを引き摺ってきた彼は、公民館の机にサンドバッグを放って、愕然とした。重いサンドバッグを持ってきたはずなのに、黒い布が一枚ふわりと机を覆っただけだったからだ。ここにきて、ようやく彼は事態を悟った。サンドバッグを引き摺るうちに、布に穴が開いて砂がこぼれてしまったのだ。彼が辿ってきたあとには、一筋の砂の道がヘンゼルとグレーテルよろしく残っているに違いない。サンドバッグがだんだん軽くなっていくようだったのは、己の筋肉の成長などではなかったのだ。漁師の息子は慌てた。彼は見事におつかいに失敗したのだ。突如現れたピンチに泣きそうになっている時、外から何やら話し声が聞こえてきた。彼は半ば衝動的に次の行動を選択した。開いていた窓から遁走したのである。彼はまっしぐらに家へと走り出した。
 
キャベツ農家のおじさんは無人の部屋に入り、首を傾げた。誰かがいる気配がしたのだが。室内を見回すと、黒いクロスのかかった長机が目に留まった。なんだか砂をかぶっているようだったから、おじさんはクロスを布巾で拭き、買ってきた肉類を上に置いた。すると、マンション王が帰ってきた。彼はコンビニにYS-11を買いに行ったが、製造終了しているらしいので代わりに後継商品を購入してきた。マンション王が意気揚々と机に置いたペットボトルには、「OS-1」と書かれていた。農家のおじさんも、他人の受け持ちの商品を全て覚えてなどいないため、特に違和感は抱かなかった。おじさんはマンション王とともに、屋根の雨漏りを修繕すべくビニールシートと養生テープを取りに行った。
 
ついで、飛行機大好き少女が戻ってきた。部屋には誰もいなかったが、少女はおつかい歴戦の勇士であるため、なんとゴマドレをちゃんと冷蔵庫にしまい、家へと向かった。両親にお姉ちゃんの話をするためである。両親はこういう流行しているものが好きなのである。早く教えてあげて喜ばせてあげようと少女は考えていた。その間隙をついて、開いた窓から妖精が舞い降りてきた。ひじきの妖精は、摘んできたトリカブトを抱えてふわりと机に着地した。その時、シートとテープを持ってきた農家のおじさんとマンション王が入ってきて、妖精は慌てて人の姿に変身した。入ってきた二人はいつの間にかいた女性に驚きつつも、屋根の補修作業を始めた。妖精はひじきなので光合成をして生きている。だから、トリカブトを置くと妖精は外に出てひなたぼっこを始めた。
 
その頃、一人の掏摸が道を歩いていた。掏摸は何食わぬ顔で歩きながらも、ガードの緩い人がいないか虎視眈々と狙っていた。最近は火事場泥棒のような真似もして懐も温かかったから、掏摸は機嫌が良かった。その時、前方から子供が歩いてきた。目を伏せ、せかせかと歩を進めている。何か口の中で呟いていて、心ここにあらずである。掏摸にとって格好の標的である。すれ違う瞬間、掏摸は全く自然に肩をぶつけた。子供が驚いてこっちを見上げるより先に、掏摸の手は肩掛けバッグに差し込まれ、すでに抜かれていた。軽く声をかけてまた歩き出した掏摸は、手につかんだものを見て、落胆した。財布の類いを期待していたが、抜き取ったものは一冊のノートだった。大方さっきの子供の学習道具だろう。こんなものには一銭の価値もない。その辺に捨てようかと思ったが、人目が増えてきたので、掏摸はノートをしまうと素知らぬ顔で歩き続けた。
 
公民館には、薔薇を咥えた雪女が帰ってきていた。彼女は忍者の里でまきびしを買ってきた。雪女が選んだのは、昔ながらの菱の実であった。鉄製のまきびしは珍しく、多くの忍者は菱の実を乾かしたものなど、植物由来のまきびしを使っていたという。雪女は雪山でオーガニックな暮らしをしているので、菱の実が気に入ったのだった。雪女は菱の実を机の上に置いた。ちょうど雨漏りの修繕が終わり、農家のおじさんはガスコンロの動作確認を始めた。
 
掏摸は道端の文房具店に入ってみた。掏摸に失敗したから何か目ぼしいものを盗って埋め合わせたいという思いがあった。幸運にも、店主の老夫婦は奥にでも引っ込んでいるようだった。レジでも漁ろうかとカウンターに寄った時、外に人の気配を感じた。入ってきた女が白杖をついているのを見て、掏摸は驚いた。そこで、掏摸は悪戯を思いついた。掏摸は「いらっしゃいませえ」と声をかけてみた。すると女は完全にこちらを店員と思ったようで、ノートを買いたいと言い出した。掏摸はちょうどノートを持っていた。掏摸は女に先ほどの子供のノートを渡し、レジを勝手に拝借して、女の差し出したカードでノートを買わせた。女は丁寧に礼を言うと、全く気づかぬままに店を出ていった。掏摸は思わず笑い声を上げた。使用済みかつ訳ありのノートを買っていくとは。悪戯がものの見事に成功し、掏摸は心底可笑しく思った。すると笑い声が大きすぎたようで、店主の爺が奥から出てきて、掏摸は慌てて退散した。
 
ゴールボール好きの女性は公民館に到着し、農家のおじさんに収穫物のノートを手渡した。おじさんは、食べ物でないことに一瞬当惑したが、食べ物以外のおつかいもあったなと思い出し、長机の上にそれを置いた。女性は外に出ると、ひなたぼっこをしていた妖精に躓きかけ、妖精と言葉を交わすうちに、女性もまたひなたぼっこを始めた。芝生に寝転がるのなんていつぶりかしらと思いながら、妖精とともに燦々と降り注ぐ暖かみを全身で受け取った。そんな折、毒殺魔が帰ってきた。毒殺魔は寝転んでいる二人の女性に軽く会釈して公民館へと入っていった。そのとき、ゴールボール好きの女性は盲目ゆえの鋭敏な聴覚で、妖精は小動物ゆえの勘の良さで、毒殺魔の後ろをついてきた者の存在に気づいた。それは一匹の黒猫だった。魚の匂いに釣られてか、黒猫は毒殺魔の後についてきたのだ。可愛らしい来客に女性陣は思わず顔を綻ばせた。女性が毒殺魔に頼んでイカの切れ端を投げてもらうと、黒猫は喜んで食べ、人懐っこく毒殺魔に体を擦り付けた。彼らは並んで芝生に腰掛けると、そろって黒猫を愛でた。
 
しばらく経ち、用もなくそこらを歩き回ることに限界を感じた公立中学校に通う男子が戻ってきた。彼は室内に入ると、農家のおじさんよりは怖くなさそうだったマンション王に話しかけた。「あの、えっと、三階フロアは用意できませんでした……」床の掃き掃除をしていたマンション王は、気さくに答えた。「そりゃそうだ。去年の隕石で、{{傍点|文章=2mより高いところは全て砕かれた}}からな」
 
志仁田に衝突した小惑星は、ダイソン球のごとく地球を覆い、その結果、その軌道より上にあったものは全て砕け散ってしまっていた。だから、当然、三階フロアなどもう、残っていない。この公民館も屋根が壊れており、ビニールシートと養生テープで応急に塞いであるだけだった。あれからひと月以上経つが、まだ外には多くの残骸が散らばっている。この辺は、道の上の障害物が脇にどかされ、交通が機能を取り戻したばかりだった。都会のため優先的に復興が進められているにもかかわらず、小惑星衝突の爪痕はまだまだ色濃かった。
 
マンション王は男子のおつかいの失敗を気にもしていないようだった。男子はほっと息をつくと、早々に退散することにした。その前に預かったカードを返そうと机に置いたところで、彼は自分の名前が書かれた自学帳が置いてあるのに気づいた。彼は驚いたが、バッグの中からノートがなくなっていることを確認すると、ノートを回収した。出発前にでも落として、誰かが拾ってくれていたのだろう。男子は今度こそ、そそくさと公民館を後にした。
 
彼とすれ違うように戻ってきたのは、ミリオタの男だった。冬の冷涼な空気もなんとやら、運動不足な彼は汗をかきかき公民館に戻ってきた。彼はスポーツ用品店の爺さんに、孫の話を聞かされた。一年ほど前、彼の孫は唐突にゴールボールをしたいと言い始めたそうだ。その頃はパラリンピックを控えた時期で、テレビでゴールボールを知り、やりたいと言い始めたのかもしれない。しかし簡単に道具を集められるスポーツではない。そこで、父親は簡易的な球を作ることにした。空気を入れて膨らませる中くらいのビニールのボール。それに小さな鈴をいくつか入れて膨らませるだけだ。これで、転がすと音が鳴るゴールボールの完成だ。親子は家の中でボールを転がしてそれを止めるだけの手軽な遊びを楽しんだという。

4年4月27日 (W) 18:01時点における最新版

当記事は、「最近全然書いてねえ! 連休を利用してなんか書かないと!」という焦燥の中、ほぼノーアイデアで書き始めている文章です。

WikiWiki いまさらとは、忌まわしきサラダである。

名称[編集 | ソースを編集]

ポテトサラダがポテサラになるのだから、忌まわしきサラダはいまさらになる。火を見るよりも、思慮深い体育教師が存在しないことよりも、事前に立てた夏休みの勉強計画が破綻することよりも、「やったか⁉︎」と言った直後に粉塵の中から相手が出てくることよりも、明らかなことである。

具材[編集 | ソースを編集]

麻薬の常用者親愛なる編集者の皆様へ
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。

歴史[編集 | ソースを編集]

誕生[編集 | ソースを編集]

いまさらは明治41年、矢場舌助やばしたすけ男爵が考案した。

矢場舌助は、明治20年、紡績で財を成した名家・矢場一族の長男として生を享けた。二代目当主・杉夫と珠子は、長く子宝に恵まれず、舌助はそれぞれ42歳と37歳のときの子であった。年齢もあって、その後二人の間に子供が授かることはなく、そのため夫婦は舌助を溺愛した。

舌助は健やかに成長した。体格は中肉中背で、丸っこい瞳が愛らしかったと伝えられている。九段小学校から東京第二中等学校へ進学・卒業する。当時の成績表によれば、勉学と運動のどちらにも優がつけられているが、特に蹴球の才は学級でも飛び抜けていたという。明治38年には第一帝国大学に入学。法学を専攻し、発布されたばかりの大日本帝国憲法を研究した。

しかし、明治40年、矢場杉夫と珠子が自動車事故で亡くなる。舌助が二十歳のときであった。愛する両親の喪失により舌助は深い悲しみと世の不条理への怒りを覚える。その燃え滾る赫怒のあまり、舌助は遅れ気味の反抗期に突入してしまう。

舌助は裕福な両親に溺愛されて育ったため、幼少期より美味しいものばかり食べて育ってきた。反抗期の舌助は、その親の愛に逆らおうと、不味い料理を食べようとしたのである。舌助は、まずは料理の経験がないのに自炊をしてみた。しかし、舌助の作る料理は食えないわけではなく、それどころか回数を重ねるほどに美味しくなっていく。舌助は自らの調理の才能を嫌った。次に舌助は劣悪な食材を好んで食すようになった。ちょっと泥がついてるままの人参や、なんか生えてきているじゃがいも、賞味期限を三日過ぎている牛乳などを舌助は食べるようになった。しかし、普通にお腹を壊してめちゃくちゃ苦しかったので、すぐにやめた。舌助は玉の汗を浮かべて下痢しながら自分の胃腸の弱さを呪った。

そして明治41年、舌助は究極の“愛のない料理”の制作を目指す。自らの誕生日の宴会でそれを食すことを目論み、舌助は使用人に食材を買わせていった。厳選した食材が集まってくると、使用人の制止[3]を振り切って舌助は調理を開始した。そして翌日の2月2日、ついに料理は完成し、食卓に並んだ。これが後のいまさらである。

列席するゲストたちが萎縮する中、舌助は皿に盛られたサラダを嬉々として食べた。皿が空になると同時に、舌助は満面の笑みで「不味い」と言うと、激しく嘔吐して倒れてしまう。懸命な救命活動も報われず、舌助は間もなく息を引き取った。享年21。

こうして舌助の作ったサラダは、舌助の不可解な死によって、呪われた歴史の最初の1ページを刻んだのである。[4]

多くの死[編集 | ソースを編集]

その後も、いまさらを食べた者に不幸が訪れるという事態が相次いだ。

麻薬の常用者親愛なる編集者の皆様へ
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。


大正元年、発明家の師田俊勝は、舌助の逸話を聞いて興味を持ち、いまさらを自作して食べてみた。その結果、猛烈な腹痛に苦しみ、四日後に死亡した。遺体を解剖してみると、腸に謎の大量の顆粒が詰まり、腸閉塞を起こしていた。[5]

昭和2年、料理研究家の佐藤一郎は、いまさらのレシピを再現して門弟に振る舞った。その結果、なぜか部屋が突如として蜂の巣となり、佐藤を含む全員が死亡した。[6]

昭和22年、東京の基地に駐屯していた米兵のジョージ・カーターは、仲間との賭けビリヤードに負け、いまさらを食べさせられた。その結果、ジョージは謎の内臓破裂を起こして死亡した。[7]

昭和39年、長崎県在住のある主婦は、晩御飯の献立に困った挙句、いまさらを作って家族五人に食べさせた。その結果、夫婦は謎の大喧嘩の末に離婚して家族は離散した。[8]

昭和51年、ある会社員の男が宴会芸としていまさらを食べた翌日、休日の日課だったジムでベンチプレスをしている最中、謎の心臓発作を起こして亡くなった。[9]

平成18年、都立あきる野第二高校の家庭科部が、新入部員歓迎会でいまさらを作って振る舞った。その結果、その年の新入部員は全員謎の退部を果たし、更に向こう2年新入部員が現れず、家庭科部は廃部となった。[10]

平成30年、人気カップルYouTuber「コイコイ」が、動画の企画としていまさらを実食した。その結果、口に謎のまきびしが詰まって粘膜がズタズタになってひどく出血した。[11]

令和2年、ある老夫婦がレストランでいまさらを注文し、それを食べた。その結果、食べ切らないうちに猛烈な腹痛に襲われ、救急車で搬送されたが、翌日息を引き取った。[12]

令和2年、大学に通う男が幼馴染の女と帰宅する途中、にわか雨に降られてずぶ濡れになり、二人は慌てて男の家に転がり込んだ。このままでは風邪をひきそうだったため、まずは女がシャワーを浴びることになったが、女は「寒いからって入ってきたりすんなよ! 絶対だからな!」と言い残して脱衣所の扉を閉めた。その結果、男は衣擦れの音を極力聞かないようにして、寒さに必死に耐えながら愚直に女の言いつけを守った。[13]

令和3年、ある男が「35歳の誕生日に妻がこんなに豪華なごちそうを作ってくれました✨」と写真付きでSNSに投稿した。その結果、特定の界隈でめちゃくちゃ炎上して男はアカウントに鍵をかけた。[14]

令和4年、自称インフルエンサー「かのちゃん@新米ママ🦄」が、6歳の娘のためにいまさらを食べさせるという旨の投稿をした。その結果、全員から総バッシングを食らった。[15]

脚注[編集 | ソースを編集]

  1. なぜこんな代物が食材として市民権を得ているのか。
  2. さらさらした口触りに定評がある。
  3. 「おやめください! そのようなものを食すだなんて! その……そのおぞましい実トマトを召し上がるのですか⁈」
  4. なお、「普通にトリカブトが入ってたからじゃね?」とか言ってる馬鹿もいる。
  5. なお、「普通にサンドバッグが入ってたからじゃね?」とか言ってる阿呆もいる。
  6. なお、「普通に機関銃が入ってたからじゃね?」とか言ってる頓珍漢もいる。
  7. なお、「普通に三階フロアが入ってたからじゃね?」とか言ってる唐変木もいる。
  8. なお、「普通にそんな料理を晩御飯に出したからじゃね?」とか言ってる木偶坊もいる。
  9. なお、「普通にトレーニングが足りなかったんじゃね?」とか言ってる脳筋もいる。
  10. なお、「普通にそんな料理を新歓に出したからじゃね?」とか言ってる田吾作もいる。
  11. なお、「普通に入ってるからじゃね?」とか言ってる脳足りんもいる。
  12. なお、「普通にトマトが入ってたからじゃね?」とか言ってるトマト嫌いもいる。
  13. なお、「え、だって入ってくるなって言ったじゃん。なんで怒ってるの⁈ ごめ、あっ……」とか言ってる朴念仁もいる。
  14. なお、「自分だけのために女性に尽くさせるクソオスの典型💢」とか言ってるフェミニストもいる。
  15. なお、「これよ〜く見るとハムが入ってます❗️ 牛の命を奪う人間は見にくい、即刻辞めさせます🤬🤬🤬」とか言ってるヴィーガンもいる。

このように血塗られた歴史を歩んできたいまさらだったが、ある挑戦者の登場により、歴史は大きく動く。

志仁田少女風の挑戦[編集 | ソースを編集]

遍歴[編集 | ソースを編集]

志仁田しにた少女風がーりーは、死にたがっていた。その理由は定かでない。親子関係の不和とも、学校でのいじめとも、ただぼんやりした不安とも言われている。

他の「死にたい」と言っている多くの人とは異なり、志仁田は自殺を試みた。それも繰り返し。しかし、志仁田は死ななかった。それは土壇場で怖気づいたとか、他の人に助けられたとかが原因ではない。志仁田は不可抗力によって自殺に失敗したのである。

16歳の頃、志仁田は初めて自殺を試みた。手段は、オーソドックスな飛び降りであった。志仁田は近くの大型スーパーに赴き、駐車場となっている屋上にのぼった。そして、三階相当のそこから、アスファルトの路面へと落下した。叩きつけられた瞬間、志仁田は「これは死んだろ!」と内心快哉を叫んだが、快哉を叫べるということは生きているのだと気づき、落胆した。志仁田は見事飛び降りたが、しかし志仁田の身体は頑強すぎて傷ひとつ負っていなかった。念のため搬送された病院の13階相当の屋上から、翌日飛び降りてもみたが、結果は変わらなかった。

次に、志仁田は首吊りを試した。ホームセンターで買った麻縄を家の梁に結わえ、作った輪っかに首を通した。椅子を蹴ったはいいものの、一向に苦しくならないことに志仁田は気づいた。期待を込めて30分ほどその姿勢を維持してみたものの、帰宅した母に「あんた何してんの?」と言われただけだった。志仁田の首は堅固すぎて頸動脈も気道も締まらなかったのだ。仕方なく麻縄を取り、これどうしようか、捨てようかな、いやいつか使えそうだな、とっておくか、と思って縄は志仁田の家の片隅に置かれ、以来一度も使われていない。

その後、志仁田はカッターナイフで手首を切ろうとした。風呂に入るついでにカッターを持ち込み、浴槽の上に掲げた手首に刃を当てた。しかし、志仁田の手首は頑丈で刃は通らなかった。押し引きしたり叩きつけたり数分格闘してみたが、どうしようもなさそうなので、ついでとばかりにカッターで腕の産毛を剃って、志仁田は風呂を出た。出るのが遅いと母に言われ、少し申し訳なく思った。

17歳の夏、志仁田は溺死を試みた。近所の川に出かけ、両手両足を紐で結んだのち、芋虫みたいに身をよじってどうにかこうにか橋の欄干を乗り越えた。水中に体が沈み、じきに息が持たなくなる。数分のうちにたまらず水を吸い込んでしまい、志仁田は「これは逝ける!」と思った。しかし、鼻が異物を排除しようと反射的に咳を行い、ものすごい勢いで水を噴出した。すると一帯の水が吹き飛び、息ができるようになってしまった。数十秒待つと川の上流からまた水が流れてくるが、強靭な肺機能のせいで同じことしか起こらなかった。なお、周辺の家の洗濯物が多く濡れ、志仁田は母に痛烈に叱られた。

その次は、オーバードーズを試してみた。志仁田は父がかつて使っていた睡眠薬をこっそり持ち出し、食卓にて二瓶を一気に飲み下した。しばらくして猛烈な嘔気と睡魔に襲われ、志仁田は「今度こそ死んだな」と朦朧とする意識のなか思った。しかし、近所に住む幼馴染・品瀬しなせ琢内たくないが謎の虫の知らせを感じ、志仁田宅へ飛び込んできて、催吐、胃洗浄、迅速な通報など、超絶適切な処置を施した結果、志仁田はことなきを得た。病院で意識を回復したあと、品瀬から何か色々言われたが、志仁田は次の自殺方法に思いを巡らせていた。

これ以降も、志仁田は幾度も幾度も自殺に挑戦した。トラックの前に飛び込んだが車体がひしゃげて運転手が病院送りになり、包丁で喉と目を突いたが刃が欠けたので母に小言を言われる前に研ぎ、目張りして練炭を焚いたが飛んできた品瀬に窓をぶち割られ、高層ビルの屋上から飛んでみるも地面に小さなクレーターができただけに終わり、はしか患者が集まる隔離病棟に乱入し深呼吸を繰り返すも激つよ免疫が病原体を抹殺して発病に至らず、海へと飛び込んでみるも川同様に水を吹き飛ばしてしまいモーセの海割りならぬ志仁田の海穿ち(間欠的)を披露してしまい、近所の爺さんの物置からパクった農薬を飲むも一秒も経たないうちに品瀬が窓を砕いて現れ最強手当てをし、その窓ガラスの破片で太腿の動脈を切ろうとするも硬い皮膚に阻まれ、そのまま病院へと速やかに送られた。このように、志仁田は自殺に失敗し続けた。しかし、やがて転機が訪れる。

長径11km、短径9kmの紡錘型をした小惑星89112E。それがまもなく地球に衝突するというニュースを志仁田がテレビで見たのは、志仁田が17歳の年末だった。人々の混乱を予防するため、各国政府は衝突一時間前にその知らせを発表したという。衝突予測地点は、ちょうど志仁田の家の近所だった。志仁田は喜び勇んで衝突地点へと向かう。その途中、向かいの家から出てきた品瀬が涙ながらに何か話しかけてきたが、自分は志仁田の替え玉であり志仁田本人は隣町の川辺で毒を飲んでいるという旨の嘘をつくと、品瀬はあっという間に隣町へとすっ飛んでいった。志仁田は万全の構えで衝突地点に仁王立ちし、上空の煌めく光点が落ちてくるのを待った。そして二十分後、耳をつんざく轟音と目を潰すほどの閃光とすべてを灼くような熱とともに隕石が落ちてきた。志仁田は注意深く隕石の真下に立ち、衝突の直前には念のためちょっとジャンプまでしてみた。

小惑星は志仁田に衝突した。そのエネルギーの莫大なあまり、無数の破片に小惑星は砕かれて飛び散った。破片は360°全方位に四散したが、そのどれもが第一宇宙速度に達し、すべての破片は高度2mのところをぐるぐると回り始め、ダイソン球みたいになった。一方の志仁田は頭が痛くクラクラし、「これはもうちょっとで逝ける!」と心が昂った。そんな中、ダイソン球のごとく破片が上空を飛び回っているので、志仁田は次々とジャンプして頭をぶつけ、その衝撃で破片は粉微塵になり、志仁田は衝撃の微細さに不満を覚えた。結局破片がすべて志仁田によって粉にされるまで丸2日かかり、それまで地球の人々は腰をかがめて過ごすことを余儀なくされた。志仁田は最初の衝突と二日寝ずにいたことによって頭がめちゃくちゃ痛み、「死ねる!」と思いながら意識を失ったが、約13時間後に目を覚まし、その時には多少首が痛む程度だった。なお、その間中、品瀬はずっと志仁田を探して隣町を彷徨していた。やがてテレビニュースで隕石衝突を阻止したヒーローとして志仁田が映っているのを見、目を覚ましたばかりの志仁田を号泣しながら手当てした。

こうして志仁田は最良の機会を逸し、自殺成功の望みを失った。もはや自殺には希望が持てない。しかし、その時、ある呪われた料理の存在を知る。そう、いまさらである。志仁田は自殺の最後の望みを、いまさらに賭けたのである。

もはや一般的な手法では命を絶てないのは明らかだった。しかし、食したものに相次いで不幸が訪れるこの料理ならば、あるいは。もしこれでも死ねなかったら諦めようと覚悟を決め、志仁田少女風はいまさら自殺に挑んだ。

志仁田には勝算があった。今まで外傷系の自殺は己の体が阻んできたが、毒物系は結構いい線を行っている。ならなぜ死ねなかったのかといえば、品瀬の存在である。彼がなぜかめちゃくちゃ志仁田の危機を察知し、なぜかめちゃくちゃ上手い医療処置を施すため、志仁田は死ねなかった。しかし、今や志仁田は品瀬を遠ざける方法を知っていた。志仁田はいまさらの制作に向けて着々と準備を進めていった。そして、奇しくもいまさら誕生と同日である2月2日、18歳の誕生日。志仁田はいまさら自殺を敢行する。

「たっくん」

「あっ、ママ!」

「大きくなったわね」

「うん! ママ、しさしぶりだ!」

「ひさしぶり、だよ。ひさしぶりね、たっくん」

「しさしぶり!」

「ふふっ」

「あのねあのね! たっくんごさいになったの!」

「おめでとう、たっくん」

「えへへへ、そうだ! ママもいっしょに、けえきたべようよ! パパがかってきてくれるんだって!」

「そうね、でもそれはできないかもしれないわ」

「……そうなの?」

「うん。……でも、その代わり、プレゼントをあげましょうね」

「ぷれぜんと! やった! なになに?」

「たっくんは何がほしい?」

「うーん……」

「したいことでもいいわ」

「じゃあ、ママとしろくまこうえんであそびたい!」

「ごめんね、ママがなにかすることはできないわ」

「えーなんで? なんでよ?」

「……ごめんね」

「うーん……じゃあ、おとなになったら、がーりーちゃんとけっこんしたい!」

「へえ……いいわね。でも、それはその子が決めることよ」

「そっかあ……」

「でも、代わりに、その子を大人になるまで守ってあげるわ」

「まもる?」

「そう。その子を、元気な18歳に育ててあげる」

「そしたら、けっこんできる?」

「たっくんが頑張れば、できるかも」

「やったあ!」

「でも、守ってあげるのは17歳までよ。18歳の誕生日からは……」

「からは?」

「たっくんが守ってあげるんだよ、いいね?」

「わかった! ありがとうママ!」

「うん……。じゃあ、もう、行くわね」

「えっ、もういっちゃうの?」

「そろそろ時間みたい」

「そっかあ……」

「じゃあ、元気でね、たっくん」

「……ママ!」

「なあに?」

「もしけえきがたべられるようになったら、きてね!」

「……うん、そうするわ」

「ゆびきりげんまんだよ!」

「ええ。ゆびきりげんまん」

調達[編集 | ソースを編集]

2月2日当日、服毒自殺最大の障害・品瀬琢内を遠ざけるため、志仁田は一計を案じた。早朝、志仁田は品瀬に一通のメールを送った。そのメールには一枚の写真が添付されており、それはコルコバードの丘をバックに、丸々と肥えたフグを両手で掲げ持ち笑う、セーター姿の志仁田の写真であった。それを見た品瀬は15秒後にはタクシーを捕まえて空港へと急がせていた。しかし、その写真は、今さっきタイマー機能で撮影した志仁田の自撮りにネットで拾ってきたリオの画像を合成したものだった。隕石騒動のとき品瀬を騙した経験から、志仁田は品瀬を遠ざける完璧な方法を思いついていたのだ。経由地のダラスからとんぼ返りしても、日本に帰ってくるまで二日近くかかる。今日の自殺は、品瀬のいないところで邪魔されることなく果たせるのだ。品瀬の乗った飛行機が羽田を発ったのを確認してから、志仁田はいまさらの制作に取り掛かった。志仁田は最大の障壁を除くことに早々に成功したのである。

実は、志仁田はこの日、あまり調子が良くなかった。遍く外力を弾き飛ばす無敵コンディションみたいな今までの体調ではなく、なぜか自分が急に脆弱になったような心地を覚えていた。その理由はわからなかったが、なんにせよ好機であった。今日なら、いまさらの力を借りて、死ねる気がする。志仁田は全身全霊をもっていまさらを作り、最後の、きっと最期の、自殺を成し遂げようと決意した。

品瀬の排除成功の勢いそのまま、志仁田は町に繰り出した。まず、志仁田は場所を確保した。電車に乗って東京まで出ていき、少し歩いていると広い河川敷を見つけたので、志仁田はそこを休憩所に定めた。川辺では冷たい風が身を切るように吹いていたが、それを見越した厚着をしていた志仁田は自らの周到さに惚れ惚れした。近くを通りがかった歩行者に聞いてみると、その大きい川は隅田川だという。志仁田はそこで行われる花火大会のことを思い出し、爆死も悪くないなと思ったが、いまさらに集中せねばとすぐに思い直した。

せせらぎや散歩に訪れる人々の心地良い喧騒が優しく響いており、そこはとても気分が良かった。時刻は正午に近づいていたので、志仁田はおにぎりを土手に座って食べた。朝は対品瀬工作などで忙しかったが、いつも自分でお弁当を作って学校に行っていたから、ちゃっちゃとおにぎりをいくつか握る程度のことは志仁田にとって朝飯前だった。夕食はいまさらにするので、これが最後の昼餐になると思うと、この手で直に握ったおむすびがいつもより美味しく感じるのであった。

腹ごしらえのあと、すぐ近くのなんか人が多くいる公民館に行くと、志仁田はそこにいた人々になぜかめちゃめちゃ歓待された。志仁田が大きな机と皿を借りたい旨を話すと、なぜかめちゃめちゃ快く貸してくれ、あまつさえ手伝いを申し出てくれもした。公民館には料理教室でも開いていたのか、学校の家庭科室のような部屋があった。志仁田はありがたくその部屋の道具を貸してもらい、いまさらの材料集めをお願いした。人々の歓迎ぶりには、先の小惑星事変の際、超人的な強靭さで次々と隕石を砕き割っていく少女の姿が世界中で広く伝えられたという背景があったのだが、志仁田には知る由もない。

午後1時、14人の人々が志仁田から買い物を仰せつかった。志仁田が適当に順番に指を差していき、買うものを割り当てていった。志仁田自身ももちろん買い出しに行くので、総勢15名が手分けしていまさらの材料を買いに出かけた。今日中にいまさらを作り終えるために、午後5時にはこの公民館に帰ってくることを確認し、15人は散開した。人々は「サラダを作る」とだけ説明を受けていて、中には到底サラダの具材とは思えないものを買いに行かされる人も少なくなかったが、そこは地球を救った英雄、何か深いわけがあるのだろうと思い、誇らしげに自らの任務に就いた。

志仁田は野菜を買いに八百屋に向かった。華の都・東京に商店は少ないのではないかと思っていたが、近隣住民に聞いた道を辿ると、あっさりと八百屋に行き当たり、さすがは東京だべ……と出身地でもない東北訛りを心中で披露してしまう志仁田であった。かくして八百屋に到着した志仁田は、難なくレタス・キャベツ・白菜・小松菜・ブロッコリー・トマト・きゅうりをゲットした。隕石騒動のあと、志仁田は偉い人になぜかめちゃめちゃ感謝されて、無敵クレジットカードみたいなカードをいっぱい貰ったので、購入資金には困らなかった。なお、おつかいに行ってくれている人々にも、そのカードを渡している。大体の野菜を調達した志仁田だったが、ただ一つ、八百屋には水菜がなかった。旬はそう外れていないのになあ困ったなあと思いながら、志仁田は別の八百屋を探して歩いていった。

キャベツ農家のおじさんはハムとウインナーを買いに肉屋へと向かっていた。どうせなら専門領域である野菜を買い、新鮮で美味しいサラダをあの少女に食べさせてあげたかったが、少女がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。おじさんは近くの商店街へと出かけ、肉屋を訪ねた。そこで豚のハムとウインナーを購入し、ガスコンロはちゃんと使えたかな、などと考えながらゆっくりと公民館へ戻っていった。

精肉店のおばさんはひじきを買いに、乾物屋さんへと向かっていた。どうせなら自分の店自慢のハムとウインナーをあの女の子に食べさせてあげたかったが、女の子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。おばさんは今が肌寒い晩冬であることを呪いながら、少し遠い乾物屋に歩いていった。到着すると、早速ひじきを購入し、ついでに同年代の女性である店主と四方山話を始めた。昨今の店商売の苦境や夫への愚痴などで話は大いに盛り上がり、彼女が公民館に戻ってくるのはもう少し後になりそうである。

ひじきの妖精はトリカブトを入手するために、山へと向かっていた。どうせなら己のひじきパワーで新鮮なひじきをあの人間に食べさせてあげたかったが、あの人間がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。妖精はいつもは蝶の羽が生えた小人のような姿をしている。しかし今は人間の女の姿に化け、人の世に顕れていた。ひじきの妖精はもちろん海出身だったが、それゆえに山に強い憧れを抱いており、よく山に遊びに行っていた。その際、あのトリカブトとかいう植物を見たことがあり、妖精はそこへと向かっていた。ふと人通りが絶えたところで妖精はポンと姿を変化させ、せわしなく羽ばたいて山へと飛んでいった。

毒殺魔はミミイカとあん肝を買いに、鮮魚店へと向かっていた。どうせなら常備している毒物ストックからトリカブトをすぐに渡してあげたかったが、あの子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。毒殺魔は豊洲の方へ出張っていき、やがて磯の匂いに満ちた魚屋にたどり着いた。そこのおっちゃんに聞くと、ミミイカはないがアオリイカならあると熱弁され、結局押し切られて活きのいいアオリイカを買わされてしまった。それとアンコウも購入し、毒殺魔の習性でついついアカエイとかを探してしまったが、鮮度のいいうちに帰らねばと我に返って駅へと向かった。そして電車を降り、物の散らばった道を公民館へと歩く。しかし、その背後を足音もなくついてくる影に、毒殺魔はまだ気づいていない。

漁師の息子はサンドバッグを入手するために、ジムへと向かっていた。どうせならお父さんの獲ってくるイカやアンコウをあのお姉さんに食べさせてあげたかったが、お姉さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。彼は、近くのスポーツジム跡へと足を向けた。そこにはかつては使われていたトレーニング器具が放置されており、たまに友達と遊んだりしていた。そこに黒くて彼くらいの大きさがあるサンドバッグが落ちていた。彼はそれを持っていこうとしたが、存外にそれは重くてなかなか運べない。彼は気合いを入れてサンドバッグの端を持ち上げ、引きずり始めた。筋力が鍛えられているのか、だんだん運ぶのが楽になっていくのに嬉しさを感じながら、彼は公民館へと少しずつ少しずつ戻っていった。

サンドバッグマイスターは和傘を買いに、海外客向けの雑貨店へと向かっていた。どうせなら利きサンドバッグの技倆を存分に生かし最上級のサンドバッグをあのヒーローにあげたかったが、彼女がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。和傘なんて使っている日本人は舞妓さんくらいしかいないが、外国人には人気の土産になっているとサンドバッグマイスターは知っていた。果たせるかな、当たりをつけた雑貨店には鞠を回せそうな和傘が売っていた。サンドバッグマイスターは自らの慧眼に惚れ惚れとしながら、「雨に唄えば」みたいに軽く踊りつつ復路についた。

舞妓さんはバラバラの薔薇を調達するために、近くの高校へと向かっていた。どうせなら持っている和傘を志仁田はんにあげたかったが、志仁田はんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。舞妓は、液体窒素で薔薇を凍らせバラバラに砕くショーをテレビで観たことがあった。液体窒素がどこにあるのかよくわからなかったが、薬品の類いなら学校の理科室にあるのではないかと当たりをつけたのだ。目的の学校に到着すると、休日だからか人影は見当たらなかった。そのまま舞妓は見咎められることなく校舎に入った。一階の理科準備室に侵入して少し物色し、冷凍庫の中の銀色の大きな入れ物を見つけ出した。開けると冷気が漏れ出し、試しに横の机上の紙を突っ込み取り出してみると、パリパリに固まった紙が出てきた。間違いないと確信した舞妓は容器を頑張って持ち上げ、早くタクシーを拾って花屋に行こうと思いながら、えっちらおっちら歩き始めた。

薔薇を咥えた雪女はまきびしを買いに、忍者の里へと向かっていた。どうせなら咥えている薔薇を凍らせて砕き人間の女にあげたかったが、そいつがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。ちなみに、薔薇を咥えているのは、キザだからである。どうやら近くに甲賀流忍者の里東京支部があるようなので、舞妓はそこを目指していた。それにしても、サラダを作るのにまきびしがなんの役に立つんでしょう? と雪女は思ったが、わからないものは仕方がない。やがて甲賀市東京支部に着くと、忍者グッズの売店に入った。手裏剣の横にまきびしコーナーはあり、さまざまな種類のまきびしが陳列されていた。店番のくの一をその体温ゆえに震えさせつつ、どのまきびしが最適か、薔薇を咥えた雪女は吟味し始めた。

伊賀流忍者は機関銃を入手しに、横田基地に忍び込んでいた。どうせなら帯びているまきびしを志仁田殿にあげたかったでござるが、志仁田殿がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方ないでござる。拙者、忍びであるゆえ、武具には多少通じてござる。火筒は日の本にはなかなかないでござるが、とはいえ南蛮北狄に行っている刻は到底ござらぬ。そこで、自衛隊の陣にいるのでござる。忍者は隠れ身の術を使って監視の目を掻い潜り、武器の保管庫の扉にたどり着いた。しかしここへの侵入は容易なことではないと悟った忍者は、思い切って火薬玉を扉に投げつけた。轟音と黒煙とともに扉は吹き飛び、近くにいた隊員がすぐさま駆けつけたとき、黒ずくめの影が保管庫から飛び出してくるところだった。突然の事態だが統制をとって追いかけてくる屈強な男たちを、煙玉や土遁の術、火遁の術で撒き切り横田基地から飛び出た影の腕には、一挺の軽機関銃LMGが抱えられていた。

ミリオタの男はゴールボールを買いに、スポーツ用品店へと向かっていた。どうせなら界隈民御用達のミリタリー関係のセカンドショップをあの女子に紹介したかったが、あの女子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。ゴールボールを買ってこいと言われたときは「スポーツを⁈」と驚いたが、買えるからには使われるボールのことだろう。慣れない歩行で滝のように流れる汗を拭い拭い、到着した店ではしかし、ゴールボールは売っていなかった。まあそこまで一般人に膾炙した競技じゃないしなあと思いつつ、落胆を隠せなかった男に、店主が声をかけてきた。事情を知った老齢の店主は、男に自らの孫の話をし始めた。

ゴールボール好きの女性は自学帳を買いに、文房具店へと向かっていた。どうせなら視覚障害者の仲間とやっているゴールボール同好会の備品を貸してあげたかったが、志仁田さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。白杖をつきながら、歩き慣れた歩道をゆっくりと進む。しかし近頃周りの景色がめっきり変わってしまったので、油断はできない。だがどうやら目当ての文房具店にたどり着いたようで、彼女は初めて店内に足を踏み入れた。すると店員らしき若い男性の声がし、ノートが一冊欲しいと話すと、一瞬奥に引っ込むとすぐに持ってきてくれた。女性は代金を払い丁重に礼を言うと、店を辞した。そして、来た道を往路と同様、慎重に戻っていった。その時、若い男性がどうも嫌な感じの高笑いを上げたが、彼女の耳には届いていない。

公立中学校に通う男子は、そこらへんを足速に歩き回っていた。どうせなら今も持っている自学帳をあのお姉さんにあげたかったが、お姉さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。その日は休日だったが、口うるさい親にせっつかれ、図書館へと勉強しに出かけたのだ。スマホは親に預けさせられ、勉強用具と最低限の貴重品だけを入れた肩掛けバッグを持ち、しかしなんとも気が向かないのでその辺をぶらぶらしていたところで、世界を救った有名人に会ったのだ。だが、買い物もせず俯いてせかせかと歩いては人と肩をぶつけてしまい小声で謝ることを繰り返しているのには、わけがあった。彼がどんなに世界を救ったヒーローの役に立ちたいと願っていても、三階フロアを調達することなんてできないのだ。彼は言い訳の文面を考えつつ、辺りをうろうろと歩き回っていた。

マンション王はYSー11を買いに、コンビニへと向かっていた。どうせなら自分が所有するマンションの三階フロアを少女風ちゃんに提供したかったが、そうはいかないので仕方がない。それにしてもYSなんとかってなんなんだろう。知らないがとりあえずコンビニに来たんだからどうにかなるだろう。自覚はないが、マンション王は不動産収入だけで生きてきたため、市井のことに疎かった。ともかく、早速レジの爺さんに聞いてみると「それはとっくのとうに生産終了しとるよ」と言われてしまった。生産終了しているならどうしようもない。中古品を手に入れられるだろうか、いや限られた時間では厳しいか、などと考えるマンション王の前に、一つの値札があるのに気づいた。それを見た瞬間、マンション王は確信した。YSなんとかは生産終了したが、後継商品が発売されていたのだ! これを買っていこう! 

飛行機大好き少女はゴマドレッシングを買いに、スーパーへと向かっていた。どうせならパパにねだって買ってもらったYS-11の模型をあのお姉ちゃんに貸してあげたかったが、お姉ちゃんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。だいぶ綺麗になった道を自転車で走り、駐輪場に補助輪が取れたばかりの愛車を停める。足元に気をつけながら入店すると、慣れた足取りでゴマドレをゲットした。少女はおつかいを何度も経験している手練れであるゆえ、なんとセルフレジで会計を済ませ、自転車の籠にゴマドレを入れて公民館へと戻っていった。おつかいを済ませたら、ママとパパにあのお姉ちゃんが公民館で何かしているよって教えてあげようと思いながら。

志仁田は水菜を買うのにめちゃくちゃ手間取った。別の八百屋に行っても売っておらず、そもそも土地鑑がないので店を探すのにも苦労し、あるスーパーでようやく水菜を購入できたときには、既に日はだいぶ傾いていた。最初に買った野菜の入ったレジ袋を担いで長時間歩き回り、志仁田はもうへとへとだった。どんなに酷暑の日に走り回ってもどんなに極寒の日に薄着で寝ても今まで体調不良にならなかった志仁田にとって、こんな経験は初めてだった。しかし、こんな状態は自殺にうってつけのコンディションだとポジティブ思考をして、志仁田は公民館へと歩を進めた。そして午後五時、志仁田は拠点たる公民館に帰還を果たした。他のメンバーは既に帰ってきていた。

公民館には多くの人が見物に来ていた。前庭には人だかりができており、大道芸人すらもいてちょっとした祭りのようだった。それだけでなく、公民館の中にも少なくない人が物珍しげに辺りを見回していた。中にはカメラを構えて何かを話している者もいる。しかし、志仁田は気にせずキッチンに向かった。志仁田は観衆の目は気にならなかったが、冬の夕方とあって寒さがさすがに厳しくなってきたため、ドアと窓を閉めた。部屋には志仁田と何人かの買い物を手伝ってくれた人たち、それと数人の野次馬が残された。そこには大きな調理台と用具一式、小型発電機に繋がれた冷蔵・冷凍庫までもが用意されていた。手伝いを頼んだ人々が事前に準備を進めてくれていたのだ。

各人が入手した具材は、低温保存が必要なら冷蔵・冷凍庫の中に、そうでなければ黒いクロスの敷かれた長机に置かれるシステムになっていた。様々な材料がテーブルの上に置いてある。志仁田はそれを確認すると、自らの戦利品を机の上に置いた。そして、家庭科の授業で作ったクマのキャラがプリントされたエプロンを着けると、セーターの袖をまくり、いまさらの制作に取り掛かった。

調理[編集 | ソースを編集]

①材料を全部皿にぶち込む ②なんか物足りないから持ってきたフグも追加しちゃおう! ③完成!!!

実食[編集 | ソースを編集]

志仁田は開けた蓋を閉める暇すらも惜しんでいまさらを作り、フグの処理も含めてわずか10分足らずで忌まわしきサラダは完成した。野菜をちぎって放り込み、肉はそのまま放り込み、毒物を躊躇うことなく放り込み、薔薇を凍らせて砕いて放り込み、銃をまるごと豪快に放り込む志仁田の姿に、周りに集まっていた人々からは歓声ともどよめきともつかぬ声が上がった。もちろん志仁田はフグ調理の初心者であるが、命を顧みぬ自信満々の包丁捌きがあまりに堂々としていたため、民衆が志仁田の技巧を疑うことはなかった。

当初、買い物を手伝っていた人々でさえ、志仁田が何を作ろうとしているのかわかっていなかった。しかし、一部の観衆がいまさらを知っておりそれに言及したため、志仁田の作るこの料理が何であるかを、もはやその場の皆が知っていた。人々は得体の知れない緊張に襲われたが、当の志仁田は意に介さない。

出来上がったいまさらは大皿に盛られていた。志仁田は徐にエプロンを外すと、着席した。箸を取り、手を合わせる。そして志仁田はいまさらを食べ始めた。観衆は静まり返り、ただ志仁田がいまさらを咀嚼する音だけが響いた。誕生して一世紀余、無数の命を奪ってきた呪いの料理。それに、地球を救った英雄が挑んでいる。ここにきて、人々は志仁田の意図を悟った。彼女は、自らを以て、この忌まわしき死の連鎖を止めようとしているのだ。最強の人間の矜持を懸けて、凶悪な陋習を打ち破り、皆に希望を与えようとしているのだ! 人々は息を呑みながらも、ある者は両手を合わせ、ある者は口の中で呟き、ある者は固く目を瞑り、それぞれの形で志仁田の勝利を心から祈った。

ついに、その時が訪れた。皿が空になると同時に、志仁田は不機嫌そうな顔で「不味い」と言った。そして——

決着[編集 | ソースを編集]

買い出しから最初に帰ってきたのは、漁師の息子だった。近くのジム跡からサンドバッグを引き摺ってきた彼は、公民館の机にサンドバッグを放って、愕然とした。重いサンドバッグを持ってきたはずなのに、黒い布が一枚ふわりと机を覆っただけだったからだ。ここにきて、ようやく彼は事態を悟った。サンドバッグを引き摺るうちに、布に穴が開いて砂がこぼれてしまったのだ。彼が辿ってきたあとには、一筋の砂の道がヘンゼルとグレーテルよろしく残っているに違いない。サンドバッグがだんだん軽くなっていくようだったのは、己の筋肉の成長などではなかったのだ。漁師の息子は慌てた。彼は見事におつかいに失敗したのだ。突如現れたピンチに泣きそうになっている時、外から何やら話し声が聞こえてきた。彼は半ば衝動的に次の行動を選択した。開いていた窓から遁走したのである。彼はまっしぐらに家へと走り出した。

キャベツ農家のおじさんは無人の部屋に入り、首を傾げた。誰かがいる気配がしたのだが。室内を見回すと、黒いクロスのかかった長机が目に留まった。なんだか砂をかぶっているようだったから、おじさんはクロスを布巾で拭き、買ってきた肉類を上に置いた。すると、マンション王が帰ってきた。彼はコンビニにYS-11を買いに行ったが、製造終了しているらしいので代わりに後継商品を購入してきた。マンション王が意気揚々と机に置いたペットボトルには、「OS-1」と書かれていた。農家のおじさんも、他人の受け持ちの商品を全て覚えてなどいないため、特に違和感は抱かなかった。おじさんはマンション王とともに、屋根の雨漏りを修繕すべくビニールシートと養生テープを取りに行った。

ついで、飛行機大好き少女が戻ってきた。部屋には誰もいなかったが、少女はおつかい歴戦の勇士であるため、なんとゴマドレをちゃんと冷蔵庫にしまい、家へと向かった。両親にお姉ちゃんの話をするためである。両親はこういう流行しているものが好きなのである。早く教えてあげて喜ばせてあげようと少女は考えていた。その間隙をついて、開いた窓から妖精が舞い降りてきた。ひじきの妖精は、摘んできたトリカブトを抱えてふわりと机に着地した。その時、シートとテープを持ってきた農家のおじさんとマンション王が入ってきて、妖精は慌てて人の姿に変身した。入ってきた二人はいつの間にかいた女性に驚きつつも、屋根の補修作業を始めた。妖精はひじきなので光合成をして生きている。だから、トリカブトを置くと妖精は外に出てひなたぼっこを始めた。

その頃、一人の掏摸が道を歩いていた。掏摸は何食わぬ顔で歩きながらも、ガードの緩い人がいないか虎視眈々と狙っていた。最近は火事場泥棒のような真似もして懐も温かかったから、掏摸は機嫌が良かった。その時、前方から子供が歩いてきた。目を伏せ、せかせかと歩を進めている。何か口の中で呟いていて、心ここにあらずである。掏摸にとって格好の標的である。すれ違う瞬間、掏摸は全く自然に肩をぶつけた。子供が驚いてこっちを見上げるより先に、掏摸の手は肩掛けバッグに差し込まれ、すでに抜かれていた。軽く声をかけてまた歩き出した掏摸は、手につかんだものを見て、落胆した。財布の類いを期待していたが、抜き取ったものは一冊のノートだった。大方さっきの子供の学習道具だろう。こんなものには一銭の価値もない。その辺に捨てようかと思ったが、人目が増えてきたので、掏摸はノートをしまうと素知らぬ顔で歩き続けた。

公民館には、薔薇を咥えた雪女が帰ってきていた。彼女は忍者の里でまきびしを買ってきた。雪女が選んだのは、昔ながらの菱の実であった。鉄製のまきびしは珍しく、多くの忍者は菱の実を乾かしたものなど、植物由来のまきびしを使っていたという。雪女は雪山でオーガニックな暮らしをしているので、菱の実が気に入ったのだった。雪女は菱の実を机の上に置いた。ちょうど雨漏りの修繕が終わり、農家のおじさんはガスコンロの動作確認を始めた。

掏摸は道端の文房具店に入ってみた。掏摸に失敗したから何か目ぼしいものを盗って埋め合わせたいという思いがあった。幸運にも、店主の老夫婦は奥にでも引っ込んでいるようだった。レジでも漁ろうかとカウンターに寄った時、外に人の気配を感じた。入ってきた女が白杖をついているのを見て、掏摸は驚いた。そこで、掏摸は悪戯を思いついた。掏摸は「いらっしゃいませえ」と声をかけてみた。すると女は完全にこちらを店員と思ったようで、ノートを買いたいと言い出した。掏摸はちょうどノートを持っていた。掏摸は女に先ほどの子供のノートを渡し、レジを勝手に拝借して、女の差し出したカードでノートを買わせた。女は丁寧に礼を言うと、全く気づかぬままに店を出ていった。掏摸は思わず笑い声を上げた。使用済みかつ訳ありのノートを買っていくとは。悪戯がものの見事に成功し、掏摸は心底可笑しく思った。すると笑い声が大きすぎたようで、店主の爺が奥から出てきて、掏摸は慌てて退散した。

ゴールボール好きの女性は公民館に到着し、農家のおじさんに収穫物のノートを手渡した。おじさんは、食べ物でないことに一瞬当惑したが、食べ物以外のおつかいもあったなと思い出し、長机の上にそれを置いた。女性は外に出ると、ひなたぼっこをしていた妖精に躓きかけ、妖精と言葉を交わすうちに、女性もまたひなたぼっこを始めた。芝生に寝転がるのなんていつぶりかしらと思いながら、妖精とともに燦々と降り注ぐ暖かみを全身で受け取った。そんな折、毒殺魔が帰ってきた。毒殺魔は寝転んでいる二人の女性に軽く会釈して公民館へと入っていった。そのとき、ゴールボール好きの女性は盲目ゆえの鋭敏な聴覚で、妖精は小動物ゆえの勘の良さで、毒殺魔の後ろをついてきた者の存在に気づいた。それは一匹の黒猫だった。魚の匂いに釣られてか、黒猫は毒殺魔の後についてきたのだ。可愛らしい来客に女性陣は思わず顔を綻ばせた。女性が毒殺魔に頼んでイカの切れ端を投げてもらうと、黒猫は喜んで食べ、人懐っこく毒殺魔に体を擦り付けた。彼らは並んで芝生に腰掛けると、そろって黒猫を愛でた。

しばらく経ち、用もなくそこらを歩き回ることに限界を感じた公立中学校に通う男子が戻ってきた。彼は室内に入ると、農家のおじさんよりは怖くなさそうだったマンション王に話しかけた。「あの、えっと、三階フロアは用意できませんでした……」床の掃き掃除をしていたマンション王は、気さくに答えた。「そりゃそうだ。去年の隕石で、2mより高いところは全て砕かれたからな」

志仁田に衝突した小惑星は、ダイソン球のごとく地球を覆い、その結果、その軌道より上にあったものは全て砕け散ってしまっていた。だから、当然、三階フロアなどもう、残っていない。この公民館も屋根が壊れており、ビニールシートと養生テープで応急に塞いであるだけだった。あれからひと月以上経つが、まだ外には多くの残骸が散らばっている。この辺は、道の上の障害物が脇にどかされ、交通が機能を取り戻したばかりだった。都会のため優先的に復興が進められているにもかかわらず、小惑星衝突の爪痕はまだまだ色濃かった。

マンション王は男子のおつかいの失敗を気にもしていないようだった。男子はほっと息をつくと、早々に退散することにした。その前に預かったカードを返そうと机に置いたところで、彼は自分の名前が書かれた自学帳が置いてあるのに気づいた。彼は驚いたが、バッグの中からノートがなくなっていることを確認すると、ノートを回収した。出発前にでも落として、誰かが拾ってくれていたのだろう。男子は今度こそ、そそくさと公民館を後にした。

彼とすれ違うように戻ってきたのは、ミリオタの男だった。冬の冷涼な空気もなんとやら、運動不足な彼は汗をかきかき公民館に戻ってきた。彼はスポーツ用品店の爺さんに、孫の話を聞かされた。一年ほど前、彼の孫は唐突にゴールボールをしたいと言い始めたそうだ。その頃はパラリンピックを控えた時期で、テレビでゴールボールを知り、やりたいと言い始めたのかもしれない。しかし簡単に道具を集められるスポーツではない。そこで、父親は簡易的な球を作ることにした。空気を入れて膨らませる中くらいのビニールのボール。それに小さな鈴をいくつか入れて膨らませるだけだ。これで、転がすと音が鳴るゴールボールの完成だ。親子は家の中でボールを転がしてそれを止めるだけの手軽な遊びを楽しんだという。