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<big>'''僕と卵焼き'''</big>
{{お知らせ|内容=この記事は実際の出来事について記述しています。<br>'''内容をより正確にするために、加筆訂正にご協力ください。'''}}


 卵焼きは僕が作れる数少ない料理の一つだ。小学生の時、年に一度、給食ではなく弁当を食べる行事があった。児童は少なくとも一品目は自作しないといけないというルールがあり、その際に母親からレシピを教わったように思う。溶き卵に軽く味をつけ、油を引いて温めたフライパンにまずは半量流し入れる。卵焼き用の小さくて四角いフライパンがあり、成形は小学生でも簡単だった。ある程度固まったら菜箸で巻いていき、空いたスペースに残りの卵を投入する。あとは同じことを繰り返せば完成だ。
{{未検証}}
<br> これから述べるのは完全な私見である。手軽さの割に、普段の食卓に卵焼きが並ぶことはあまりない。並ぶとしたら、似た料理なら目玉焼きかオムレツであろうか。思うに、卵焼きは弁当に特化した料理なのであろう。甘い味つけの卵焼きは、通常のご飯にはあまり向かない。しょっぱいおかずが席巻している食卓に、卵焼きが入り込む余地はもはや残されていないのだ。しかし、こと弁当となると、話が変わってくる。弁当とは、冷めることが前提となった料理である。常温のものを食べるとしたとき、甘いものの方が味が落ちにくい。そのため、卵焼きは弁当におけるタンパク源のエースとして世の弁当箱に君臨するに至ったのだろう。
<br> だが、僕はだし巻き玉子の方が好きだ。


<big>'''僕とタオルケット'''</big>
{{観点}}


 寒いが羽毛布団を引っ張り出してくるまでもない日は、とても寝苦しい。大抵僕は薄いタオルケット一枚で戦う。それをかぶって寝ようとするのだが、問題は頭である。突出部は効率的に放熱するので、特に耳なんかは非常に冷える。枕に押し付けて暖をとろうにも、嘆かわしいことに両耳を同時に下にすることはできない。そこでタオルケットを頭までかぶるのだが、そうすると今度は息が苦しい。呼吸が窮屈になって寝れたものではない。そうしてまたタオルケットを下ろすのである。
'''ババアゲーム'''とは、纏足ババアゲームから派生した、ババアに任意の事物の特性を仮託させるというゲームである。
<br> 一方、夏にはタオルケットをかぶる必要はない。しかし、困ったもので体の上に何か乗っていないと落ち着かないのだ。そこで、タオルケットを少しだけかける。問題は、どこにかけるのかだ。頭寒足熱というし足がいいかと思うが、姿勢を変えるたびに蹴飛ばしてしまう。冷やしてはいけないからお腹にしてみるが、今度は何か暑い。まったく、困ったものである。
<br> この前、気力がない上に寒かったので、昼だというのにベッドに寝転がってタオルケットをかぶっていた。すると、そのタオルケットが随分前からあるものであることに気がついた。二つ前の家に住んでいた時には既にあった。ところどころほつれてきていて、経てきた時間が感じられた。そこではたと思い当たったのだが、僕は今までタオルケットのことをまったく意識していなかった。タオルケットがあるのはもちろん知っていたし、毎夜使ってもいる。しかし、その細部は全くと言っていいほど認識していなかったのだ。そう気づく一分前にタオルケットの色を問われたら、答えられなかったように思うのだ。タオルケットがあることはわかっていたが、言うなれば『タオルケットという概念』として捉えていて、『前の前の家でも使っていた赤いタオルケット』という個体としては微塵も認識していなかった。
<br> 僕の記憶力や注意力が弱いだけなのか、それとも他の人も同じようなことがあるのか。あなたは自分の寝ているシーツがどんな柄だったか、覚えているだろうか。


<big>'''僕とソシャゲ'''</big>
==概要==
纏足ババアゲームは、長距離ウォーキングの往路の後半に生み出され、一時の隆盛を誇ったゲームである。[[魯迅 (ゲーム)|魯迅ゲーム]]に続いて常習者を魅了したが、復路には[[畜生!]]に取って代わられた。


 一年前くらいまで、僕は多くの学生の例に漏れずソシャゲでたくさん遊んでいた。平日でも日に二時間は優に費やしていただろうか。やはり面白いのである。それに毎日ログインすることで得するようになっている。ログボだけでも集めたくなるのは仕方あるまい。多くは勝負事の体裁をとっているため、負けず嫌いの僕は「勝つまでご飯食べない!」などと馬鹿な決心をしては連敗し続けていたものだ。転機は去年の学園祭だった。[[名探偵武者小路の事件簿 消えた打出の小槌の謎|自主制作映画]]の編集をしていた僕は、そのためのストレージを確保するために多くのアプリを削除した。そこですっぱりというわけではないが、僕は次第にスマホゲームから離れるようになった。代わりにSNSの使用時間が大幅に増えたのだが。
しかしその後、このゲームは変質し、纏足から脱却した「ババアゲーム」として生まれ変わった。再び息を吹き返したババアゲームはさらなる繁栄を謳歌した。
<br> 今ではゲームはほぼしなくなりSNSの時間も減った。あんなことで時間を浪費するなんて愚かしいとすら思っている。そう思うまでに、スマホを与えられてから三年近くもかかってしまった。代わりに音楽を流す時間が大幅に増えただけのような気もするが。親にスマホを買ってもらったとき、ほとんど一日中スマホを触っている姉や一緒に帰っているときにさえゲームをしている[[利用者:神座麟|級友]]の姿を見てきたために、ああはなるまいと思っていた。しかし実際はこのざまであった。
<br> 中高生はスマホを持たせるにはあまりに幼すぎる。子供だから自制などできない。僕だっていい例だし、弟もテレビのある部屋に籠もりっきりで何をしているのかと思ったらどうもYouTubeを見ているらしい。大画面で。仕方ないのでマサラダといよわを大量に再生して履歴を汚染しておいた。それはいいとして、だからといって大人になってからスマホを持つようにしたらいいのかというと、それも違う気もする。大人になってからスマホを持ったとて、他の人で何年か遅れで同じルートを辿るだけのようにも思う。スマホから脱却するには、スマホを持ってからいろんなアホなことをしでかし、そこから自分で学ぶ経験こそが必要なのではないかと思ったりもする。ガキどもは僕が今まで捨ててきたアホな性格・言動を恥じることなくやっている。おそらく数年後には「死にたい……」と自分の過去を振り返っているのだろう。今の僕のように。最近は中学生を見てよくそのことを実感する。数年の黒歴史量産期間は誰にも不可避のものなのかもしれない。そう考えると、子供のうちに愚かな所業をしておいてできるだけ早い更生に期待するのがまだベターやもしれぬ。


<big>'''僕と数学'''</big>
常習者は数々のゲームを作り上げてきたが、ババアゲームを最後に新たな言葉遊びの創出は下火になり、やがてなくなった。ババアゲームは、常習者の自然発生的ゲームの集大成にして最後の花火であると言える。


 僕はたまに[[利用者:キュアラプラプ|キュアラプラプ]]氏と数学について議論を戦わせる。彼の主張はこうだ。「国語は読めば正答に辿り着ける。しかし数学は解法を思いついた者勝ちのインスピレーションバトルだ」。対する私は「数学の解法は論理的思考によって導出可能だ。国語こそ解釈しだいでどうとでも捉えられる」と言ってきた。数学の答えが一つに定まる厳密性に惹かれて理系に進学した者として、この主張を崩すわけにはいかない。
==歴史==
<br> ところが、少し前、数学の放課後講座に行ったときである。難関大学の入試問題が出され、僕は手も足も出なかった。出たとしても左足の指くらいだった。難関大の過去問とはいえ比較的易しく、既に習った範囲で(理論上は)解ける問題である。先生による解説がなされ、左足の指以上の出し方が説明されると、僕は思った。これはインスピレーションバトルだ。両辺にnをかけるなんて思いつくわけがない。
===長距離ウォーキング往路後半――纏足ババアゲーム===
<br> こうして僕は思い知った。数学はレベルが高いほどインスピレーションバトルになる。キュアラプラプ氏が数学をインスピレーションバトルだと言い募っていたのは、彼がより難しい数学をしていたためだったのだ。内進文系諸君はなぜか我々より難易度の高い教材を使っている。指導教諭の頭がおかしいとしか思えないのだが、ともかく彼らはハイレベルな問題を解こうとしているから、数学をインスピレーションバトルに感じるのではないか。
きっかけは、常習者が興じていた魯迅ゲームの行き詰まりだった。「魯迅」に似た音は無数にあるが、複数名が一時間以上それを言い続ければ、アイデアは枯渇していく。一行の歩みにも沈黙が伴うようになった往路の後半、[[利用者:キュアラプラプ]]が突然このようなことを言った。
<br> ならばどうすればよいのか。十分な演習が解決すると僕は思う。膨大な量の問題を解くことで多くのインスピレーションを事前に獲得しておく。そうすることで、初見の解法が少なくなり、ハイレベルな問題もインスピレーションバトルではなくなるのではないか。そのとき、難関大の入試問題すらも論理的思考でねじ伏せることが可能になる。
<br> 理論上はそうだ。実際問題、「膨大な量の問題を解く」なんてできそうにない。難しい数学はインスピレーションバトルであり続けるだろう。


<big>'''僕と睡眠時間'''</big>
<blockquote>「[[[忘却]]された] (意味深な沈黙を挟んで) 豆腐屋ごまドレ」
~ 長距離ウォーキング往路にて、'''キュアラプラプ'''
</blockquote>


 この前、Mitchie Mの『ビバハピ』を聞いていたら驚いた。初音ミクの調声のあまりの上手さにではない。いやそれも驚嘆したが、「クタクタ 睡眠は8時間」という歌詞にである。これは僕の平日の睡眠時間に相当する。疲れてるなら10時間寝ろよと僕は思った。この歌に限らず、「8時間睡眠」といえば長い眠りの代名詞だし、フィクションの大人はよく1時くらいまで起きている。
「魯迅」とはかけ離れた音韻に一行は困惑したが、「故郷」の登場人物「豆腐屋小町」をもじった発言だという説明を受け、ようやく彼の意図を了解した。とはいえ、言葉が長すぎたのか豆腐屋小町がマイナーキャラだったせいか、「豆腐屋小町」に似た音韻が提示されることは一、二回しかなかった。しかし、豆腐屋ごまドレは大きなパラダイムシフトをもたらした。{{傍点|文章=魯迅じゃなくたっていい}}のだ。
<br> 僕はおそらく多くの同年代の人より寝るのが早い。基本的に10時に床につく。最近は弟より早いくらいだ。僕が小学生のときは9時過ぎには寝ていたのに。平日は8時間近く寝ているが、十分かと言われるとそうでもない。その証拠に、休日は10時間くらい寝ている。つまり普段の睡眠は足りていないのだ。しかし、友達に就寝時刻を聞くと早くても11時とかで、日付が変わる頃が一番多いような気がする。この前なんか、朝8時くらいに起きて最近の更新をチェックしたら、深夜3時くらいに[[Sisters:WikiWikiリファレンス/公序ソング#コンビニ・バイト|公序ソング]]を投稿している[[利用者:|]]がいた。寝ろやと僕は常々思っている。そしたらその時そいつは既に起床していた。僕はびっくりした。遅寝早起きである。僕の理想と正反対である。
 
<br> 世にはショートスリーパーなどという生き物もいるらしい。そういう人と比すと、僕は一日当たり数時間も活動時間が短くなっているわけである。それは不利と言えるかもしれない。しかし、僕は長めに寝ることで健康を得ている気がするので、悔やむ気持ちはない。僕が危惧しているのは逆である。僕は無意識のうちに、自らの早寝を誇らしく思っていた。寝てない自慢の逆、寝てる自慢をしていた心当たりが僕にはある。「え〜そんな時間まで起きてたの? 僕は10時には寝てたよお」みたいな具合である。僕と話していた人は「墓場で一生寝てろボケナス」と思っていたのかもしれない。怖ろしい。寝てる自慢はやめようと僕は思った。え? 普段いつ寝てるかって? 11時半くらいですかね。
ほどなくして、次段階への移行が起こった。「故郷」に登場し、豆腐屋小町と同様の名付けられ方をしている彼女が次の主役になることは、必然だったと言えるかもしれない。そう、'''纏足ババア'''である。
 
原初の纏足ババアは[[忘却]]されたが、魯迅ゲームの衣鉢を継ぎ、
 
 <big>「(そのババアを想起させる説明または演技)――(「てんそく」に近い音韻)ババア」</big>
 
と言う文化が瞬く間に形成された<ref>のちに[[利用者:芯]]がこの原則から逸脱した「バーバーババア」を生み出し、変革を引き起こすことになる。</ref>。魯迅ゲームが隆盛した理由もそうであるが、「纏足」に似た音韻から成る言葉は非常に多く、各人が途切れることなく矢継ぎ早に纏足ババアを言うことができたため、ゲームは大いに盛り上がった。
 
纏足ババアゲームは昼休憩地点の公園を再度出発するまで興じられた。以下は、そのとき生まれては消えた纏足ババアたちを含めた、纏足ババアの亜種どもである。
 
{{大喜利|場所=この箇所}}
この箇所は、当時言われた纏足ババア、および新たに思いついた纏足ババアを書く欄である。
*あっ、ババア、またババア、またババア。――連続ババア
*もしもし? あの、皿を盗む件なんだけど、車をよこしといてよ、うん、よろしく。――連絡ババア
*ジジイ。――変則ババア
 
 
 
昼休憩が終わって復路が始まると、一行に[[利用者:Mapilaplap]]と[[利用者:せうゆ]]が加わった。そこでは纏足ババアゲームではなく[[畜生!]]が興じられ、纏足ババアゲームは(常習者が生み出した多くのゲームと同様に)一時のものとして消え去るかのように思われた。
 
===ある日、学校にて――ババアの再発明===
長距離ウォーキングからおよそ一ヶ月経った令和5年12月7日のことだった。常習者たちは[[多目的C教室|文芸部]]の活動として部誌「つぼみ第八号」の作成にあたっていた。そんな日の休み時間、[[利用者:Notorious]]がキュアラプラプとMapilaplapに対して次のようなことを言った。
 
<blockquote>「部員たちが『つぼみ』に書いてきた作品はみなファンタジーばかりだ。ファンタジーに頼らないノベルを書きたいものだ」
~ 自分も「[[Sisters:WikiWikiオンラインノベル#地図クライシス|地図クライシス]]」を書いてきたくせに、'''Notorious'''
</blockquote>
 
それを受けて、キュアラプラプはこのように答えた。
 
<blockquote>「じゃあミルクティー<ruby>婆<rt>ばあ</rt></ruby>を書いたら?<ref>ファンタの対義語がなんだったかは[[忘却]]されたが、後のキュアラプラプの「俺ならミルクティーと言う」という証言に基づきミルクティーとしている。</ref>」
~ ファンタジーの対概念を想定して、'''キュアラプラプ'''
</blockquote>
 
偶然に生み出された「ミルクティー婆」という概念に、一同はそれがどんなババアなのか考察した。この営みは、先日の纏足ババアゲームと結びつき、一同に「◯◯ババア」という名称とその特性を考えさせた。その過程で「スプリンクラーババア、小便を撒き散らす」とかいう化け物が誕生したりもした<ref>キュアラプラプ以外の人物の名誉のために付言すると、生んだのはキュアラプラプである。</ref>。
 
この例にも顕著だが、このとき、纏足ババアゲームからの変質が起こっていた。前者では
#(基本的には)「纏足」に似た音韻がババアの頭につく
#そのババアの特徴を言った後、そのババアの名前を言う
というルールがあったが、変質したババアは
#ババアの頭につくものは問わない
#そのババアの名前を言ってから、そのババアの特徴を言う
という特性を備えていた。
 
この変容が起こったこと以上に重要なのは、その場にいたMapilaplapは纏足ババアゲームを知らなかったという点だ。彼は長距離ウォーキングの往路はせうゆと一緒に歩いており、纏足ババアゲームに参加していなかった。それゆえに彼は、{{傍点|文章=変質したババアの営みをババアゲームの本流と勘違いしてしまった}}。これを正統だと誤解した彼は、そうとも知らずに魅せられ、次のような素晴らしいババアを生み出すに至る。
 
<blockquote>「若ババア、39歳<br>アメフトババア、山で人を殺す<br>I am not ババア、認めない」
~ 令和5年12月7日、'''Mapilaplap'''
</blockquote>
 
ここに至って、ババアは息を吹き返したのだ。
 
 しかし、顔を出した芽がすべて花を咲かせるわけではない。展望に満ちて書き始められたはずの記事は[[カテゴリ:裏切られたスタブ|数年放置され]]、[[テンプレート:姉妹2]]にはすっかり息を潜めたプロジェクトが並ぶ。ビブラスラップ、名探偵コナンゲーム、コドンゲームなど、生まれては泡沫のように消えたゲームも枚挙にいとまがない。そんな有象無象から脱して皆の記憶に残るものになるには、革命が必要だ。凡庸な存在から価値ある存在へと自らを押し上げる、根本的な変容。思えば、人は皆これを求めて生きてきた。成長するにつれて、自分がなんら特別な存在ではないと知り、世界がどれだけ優れた人間に溢れているか知る。歩けただけで手放しで賞賛された時代は過ぎ、周りからの要求は釣り上がっていき、できるだけ少ない報酬でできるだけ高いパフォーマンスをする優れた歯車となることを求められる。自分を偽り、自分を痛めつけ、それでも価値ある人間になろうともがく。ある者は他の人間に愛を求め、ある者は金を稼いで他者から認められようとし、ある者は作品を通して後世に残ろうとする。いつの日か革命が起こり、自分の望む自分になれることを夢想し、人々は目を閉じる。
 
 きっかけは、その日の放課後、ローソンでMapilaplapが変容したババアのありさまを芯やせうゆに伝えたことだった。
 
<blockquote>利用者:芯「'''お月様ババア、どこまでもついてくる'''」</blockquote>
 
 革命であった。
 
===第七回全九州高等学校総合文化祭大分大会――ババアゲーム===
お月様ババアや、せうゆの「空ババア、次の音はシ」によって、ババアは老婆を脱した。それまでのババアは年老いた人間の女性であることが[[暗黙の了解]]であった。いや、むしろそれを疑う者はいなかった。そしてその範疇においてゲームは興じられてきた。
 
しかし、お月様ババアの登場で状況は一変した。お月様ババアは、お月様の属性を保持したババアである。だから、およそババアにはできないだろう「どこまでもついてくる」ということが可能になるのである。今やババアは肉体を捨て去った概念に過ぎず、それによってババアにはすべてが可能になり、無限の面白さが生まれた。
 
そして、ババアゲームには全く新しい楽しみ方が生まれた。ババアに任意の事物の特性を付与することにより、面白さを演出することができる。ババアに何を仮託するか、そして仮託したモノのどんな特性を抽出するか。作り手にはそのセンスが問われ、生まれたさまざまな特徴を持つババアは聞く者に笑いを喚起した。
 
翌8日、Mapilaplap、Notorious、[[利用者:いせ|いせ]]の三名は、弊校文芸部の代表の一員として第七回全九州高等学校総合文化祭大分大会に参加した。その出発地である那覇空港から、生まれ変わったババアゲームをMapilaplapが普及を推し進め、主としてそれに魅せられたNotoriousとともにゲームに勤しんだ。空港やバスの中で数多のババアが生まれた。ババアゲームが面白すぎるあまり、この大会中NotoriousがMapilaplapといせ以外の生徒と交流を深めることはなかった。道中、富士山で琵琶湖を埋め立てることが決定されたり、城跡でいせの辞世の句が(Mapilaplapによって)詠まれたりもした。
 
以下は、そのとき為されたババア、および新たに思いついたババアを書く欄である。
 
{{大喜利|場所=この箇所}}
*若ババア、39歳
*アメフトババア、山で人を殺す
*I am not ババア、認めない
*お月様ババア、どこまでもついてくる
*空ババア、次の音はシ
 
 
その大会が終わるとともにババアゲームは急速に下火になり、まもなく終焉した。その数ヶ月後には[[お花摘みゲーム]]が一世を風靡し、幾度かの発展を伴って長く繁栄することになる。しかし、長らく常習者の文化の中心であった「ある言葉に似た言葉を言い続ける」形式のゲームは、纏足ババアゲーム以降ほとんど生まれず、会話の中から自然発生したゲームもなかなか見られなくなった<ref>これには受験暗黒期の到来が影響しているとする見方もある。</ref>。
 
こうして、ババアゲームは一大文化の最後の花火として消え去った。
 
==脚注==
<references/>
{{vh|vh=100}}
――かのように思えた。
{{vh|vh=50}}
<span style="font-size:20px; color:red">――しかし、ババアの魂は'''彼女'''の中で生きていた!</span>
{{vh|vh=50}}
<span style="color:#cccccc;font-size:20px">沖縄でマフラー使わないだろ</span>
{{vh|vh=15}}
<p style="text-align:right ; color:#666666;font-size:30px">雄コキ神谷</p>
{{vh|vh=15}}
<p style="text-align:center ; color:#999999;font-size:20px">春が来て? 夏が来るかと? 思ったら?</p>
{{vh|vh=15}}
<p style="text-align:right ; font-size:30px">タンパク質にタンパク質はちょっと……</p>
{{vh|vh=15}}
<p style="text-align:left ; font-size:20px">沖縄県民は東京に行っちゃいけないって言うのか</p>
{{vh|vh=15}}
<p style="text-align:right ; color:#666666;font-size:30px">君のその頬に触れられないのなら<br>俺が救われる意味なんてあったのかな</p>
{{vh|vh=15}}
<p style="text-align:left ; font-size:40px">ロリの独学古武術道場</p>
{{vh|vh=100}}
<p style="text-align:center">'''「全て理解したわ!!!! 君は存在する!!!」'''</p>
{{vh|vh=50}}
<p style="text-align:center ; font-size:30px">常習者のミューズ / ファム・ファタール</p>
<p style="text-align:center ; font-size:100px">かきこ</p>
<p style="text-align:center ; font-size:30px">近日公開</p>
{{foot|ds=ははあけえむ|cat=ゲーム}}

5年5月22日 (ヰ) 21:48時点における最新版

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そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。                 


ババアゲームとは、纏足ババアゲームから派生した、ババアに任意の事物の特性を仮託させるというゲームである。

概要編集

纏足ババアゲームは、長距離ウォーキングの往路の後半に生み出され、一時の隆盛を誇ったゲームである。魯迅ゲームに続いて常習者を魅了したが、復路には畜生!に取って代わられた。

しかしその後、このゲームは変質し、纏足から脱却した「ババアゲーム」として生まれ変わった。再び息を吹き返したババアゲームはさらなる繁栄を謳歌した。

常習者は数々のゲームを作り上げてきたが、ババアゲームを最後に新たな言葉遊びの創出は下火になり、やがてなくなった。ババアゲームは、常習者の自然発生的ゲームの集大成にして最後の花火であると言える。

歴史編集

長距離ウォーキング往路後半――纏足ババアゲーム編集

きっかけは、常習者が興じていた魯迅ゲームの行き詰まりだった。「魯迅」に似た音は無数にあるが、複数名が一時間以上それを言い続ければ、アイデアは枯渇していく。一行の歩みにも沈黙が伴うようになった往路の後半、利用者:キュアラプラプが突然このようなことを言った。

「[忘却された] (意味深な沈黙を挟んで) 豆腐屋ごまドレ」

~ 長距離ウォーキング往路にて、キュアラプラプ

「魯迅」とはかけ離れた音韻に一行は困惑したが、「故郷」の登場人物「豆腐屋小町」をもじった発言だという説明を受け、ようやく彼の意図を了解した。とはいえ、言葉が長すぎたのか豆腐屋小町がマイナーキャラだったせいか、「豆腐屋小町」に似た音韻が提示されることは一、二回しかなかった。しかし、豆腐屋ごまドレは大きなパラダイムシフトをもたらした。魯迅じゃなくたっていいのだ。

ほどなくして、次段階への移行が起こった。「故郷」に登場し、豆腐屋小町と同様の名付けられ方をしている彼女が次の主役になることは、必然だったと言えるかもしれない。そう、纏足ババアである。

原初の纏足ババアは忘却されたが、魯迅ゲームの衣鉢を継ぎ、

 「(そのババアを想起させる説明または演技)――(「てんそく」に近い音韻)ババア」

と言う文化が瞬く間に形成された[1]。魯迅ゲームが隆盛した理由もそうであるが、「纏足」に似た音韻から成る言葉は非常に多く、各人が途切れることなく矢継ぎ早に纏足ババアを言うことができたため、ゲームは大いに盛り上がった。

纏足ババアゲームは昼休憩地点の公園を再度出発するまで興じられた。以下は、そのとき生まれては消えた纏足ババアたちを含めた、纏足ババアの亜種どもである。

  麻薬の常用者親愛なる編集者の皆様へ
この箇所は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。

この箇所は、当時言われた纏足ババア、および新たに思いついた纏足ババアを書く欄である。

  • あっ、ババア、またババア、またババア。――連続ババア
  • もしもし? あの、皿を盗む件なんだけど、車をよこしといてよ、うん、よろしく。――連絡ババア
  • ジジイ。――変則ババア


昼休憩が終わって復路が始まると、一行に利用者:Mapilaplap利用者:せうゆが加わった。そこでは纏足ババアゲームではなく畜生!が興じられ、纏足ババアゲームは(常習者が生み出した多くのゲームと同様に)一時のものとして消え去るかのように思われた。

ある日、学校にて――ババアの再発明編集

長距離ウォーキングからおよそ一ヶ月経った令和5年12月7日のことだった。常習者たちは文芸部の活動として部誌「つぼみ第八号」の作成にあたっていた。そんな日の休み時間、利用者:NotoriousがキュアラプラプとMapilaplapに対して次のようなことを言った。

「部員たちが『つぼみ』に書いてきた作品はみなファンタジーばかりだ。ファンタジーに頼らないノベルを書きたいものだ」

~ 自分も「地図クライシス」を書いてきたくせに、Notorious

それを受けて、キュアラプラプはこのように答えた。

「じゃあミルクティーばあを書いたら?[2]

~ ファンタジーの対概念を想定して、キュアラプラプ

偶然に生み出された「ミルクティー婆」という概念に、一同はそれがどんなババアなのか考察した。この営みは、先日の纏足ババアゲームと結びつき、一同に「◯◯ババア」という名称とその特性を考えさせた。その過程で「スプリンクラーババア、小便を撒き散らす」とかいう化け物が誕生したりもした[3]

この例にも顕著だが、このとき、纏足ババアゲームからの変質が起こっていた。前者では

  1. (基本的には)「纏足」に似た音韻がババアの頭につく
  2. そのババアの特徴を言った後、そのババアの名前を言う

というルールがあったが、変質したババアは

  1. ババアの頭につくものは問わない
  2. そのババアの名前を言ってから、そのババアの特徴を言う

という特性を備えていた。

この変容が起こったこと以上に重要なのは、その場にいたMapilaplapは纏足ババアゲームを知らなかったという点だ。彼は長距離ウォーキングの往路はせうゆと一緒に歩いており、纏足ババアゲームに参加していなかった。それゆえに彼は、変質したババアの営みをババアゲームの本流と勘違いしてしまった。これを正統だと誤解した彼は、そうとも知らずに魅せられ、次のような素晴らしいババアを生み出すに至る。

「若ババア、39歳
アメフトババア、山で人を殺す
I am not ババア、認めない」

~ 令和5年12月7日、Mapilaplap

ここに至って、ババアは息を吹き返したのだ。

 しかし、顔を出した芽がすべて花を咲かせるわけではない。展望に満ちて書き始められたはずの記事は、テンプレート:姉妹2にはすっかり息を潜めたプロジェクトが並ぶ。ビブラスラップ、名探偵コナンゲーム、コドンゲームなど、生まれては泡沫のように消えたゲームも枚挙にいとまがない。そんな有象無象から脱して皆の記憶に残るものになるには、革命が必要だ。凡庸な存在から価値ある存在へと自らを押し上げる、根本的な変容。思えば、人は皆これを求めて生きてきた。成長するにつれて、自分がなんら特別な存在ではないと知り、世界がどれだけ優れた人間に溢れているか知る。歩けただけで手放しで賞賛された時代は過ぎ、周りからの要求は釣り上がっていき、できるだけ少ない報酬でできるだけ高いパフォーマンスをする優れた歯車となることを求められる。自分を偽り、自分を痛めつけ、それでも価値ある人間になろうともがく。ある者は他の人間に愛を求め、ある者は金を稼いで他者から認められようとし、ある者は作品を通して後世に残ろうとする。いつの日か革命が起こり、自分の望む自分になれることを夢想し、人々は目を閉じる。

 きっかけは、その日の放課後、ローソンでMapilaplapが変容したババアのありさまを芯やせうゆに伝えたことだった。

利用者:芯「お月様ババア、どこまでもついてくる

 革命であった。

第七回全九州高等学校総合文化祭大分大会――ババアゲーム編集

お月様ババアや、せうゆの「空ババア、次の音はシ」によって、ババアは老婆を脱した。それまでのババアは年老いた人間の女性であることが暗黙の了解であった。いや、むしろそれを疑う者はいなかった。そしてその範疇においてゲームは興じられてきた。

しかし、お月様ババアの登場で状況は一変した。お月様ババアは、お月様の属性を保持したババアである。だから、およそババアにはできないだろう「どこまでもついてくる」ということが可能になるのである。今やババアは肉体を捨て去った概念に過ぎず、それによってババアにはすべてが可能になり、無限の面白さが生まれた。

そして、ババアゲームには全く新しい楽しみ方が生まれた。ババアに任意の事物の特性を付与することにより、面白さを演出することができる。ババアに何を仮託するか、そして仮託したモノのどんな特性を抽出するか。作り手にはそのセンスが問われ、生まれたさまざまな特徴を持つババアは聞く者に笑いを喚起した。

翌8日、Mapilaplap、Notorious、いせの三名は、弊校文芸部の代表の一員として第七回全九州高等学校総合文化祭大分大会に参加した。その出発地である那覇空港から、生まれ変わったババアゲームをMapilaplapが普及を推し進め、主としてそれに魅せられたNotoriousとともにゲームに勤しんだ。空港やバスの中で数多のババアが生まれた。ババアゲームが面白すぎるあまり、この大会中NotoriousがMapilaplapといせ以外の生徒と交流を深めることはなかった。道中、富士山で琵琶湖を埋め立てることが決定されたり、城跡でいせの辞世の句が(Mapilaplapによって)詠まれたりもした。

以下は、そのとき為されたババア、および新たに思いついたババアを書く欄である。

  麻薬の常用者親愛なる編集者の皆様へ
この箇所は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。
  • 若ババア、39歳
  • アメフトババア、山で人を殺す
  • I am not ババア、認めない
  • お月様ババア、どこまでもついてくる
  • 空ババア、次の音はシ


その大会が終わるとともにババアゲームは急速に下火になり、まもなく終焉した。その数ヶ月後にはお花摘みゲームが一世を風靡し、幾度かの発展を伴って長く繁栄することになる。しかし、長らく常習者の文化の中心であった「ある言葉に似た言葉を言い続ける」形式のゲームは、纏足ババアゲーム以降ほとんど生まれず、会話の中から自然発生したゲームもなかなか見られなくなった[4]

こうして、ババアゲームは一大文化の最後の花火として消え去った。

脚注編集

  1. のちに利用者:芯がこの原則から逸脱した「バーバーババア」を生み出し、変革を引き起こすことになる。
  2. ファンタの対義語がなんだったかは忘却されたが、後のキュアラプラプの「俺ならミルクティーと言う」という証言に基づきミルクティーとしている。
  3. キュアラプラプ以外の人物の名誉のために付言すると、生んだのはキュアラプラプである。
  4. これには受験暗黒期の到来が影響しているとする見方もある。

――かのように思えた。

――しかし、ババアの魂は彼女の中で生きていた!

沖縄でマフラー使わないだろ

雄コキ神谷

春が来て? 夏が来るかと? 思ったら?

タンパク質にタンパク質はちょっと……

沖縄県民は東京に行っちゃいけないって言うのか

君のその頬に触れられないのなら
俺が救われる意味なんてあったのかな

ロリの独学古武術道場

「全て理解したわ!!!! 君は存在する!!!」

常習者のミューズ / ファム・ファタール

かきこ

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